第百話 物いう小箱(2)
大蟻喰はメアリーに近づいた。
「これ以上近いたら切りますよ」
メアリーはナイフを取り出した。
「なになに? 殺し合うの? それなら最後まで付き合うけど?」
「お前ら止めろ。ここは町なかだ」
せっかく無名のままでここまで来たのに、騒ぎを起こしたら水の泡だ。
自分が騒ぎの元になってはいけないのでフランツは小さい声で言うことに努めた。
「シュルツさんが言うなら」
メアリーはそう言ってナイフを納め、大蟻喰から距離を取った。
もともと戦う気はなかったのだろう。大蟻喰の方もそのようで舌なめずりをしながら下がった。
「だめじゃないか」
まるで親のようにバルトロメウスが言った。しかるのでもなく諭して訊かせる風だ。
長いフードを着ている。夜になると虎に変わるというので、そのためだろう。昨日は受傷のため寝っ転がっていたフランツなので、あまり注意を向けてはいられなかった。
既に犬狼神ファキイルを擁しているのだから虎人間が加わってもことさら驚くことではないのだ。
「あいつから絡んできたんだよ」
大蟻喰は少し表情を歪めながらメアリーを見た。
「君が余計なことを言うからだ。僕らは旅の仲間なんだから親しくしなければいけない。たとえ信用できないとしてもね」
バルトロメウスはほほえんだ。
「……」
大蟻喰は黙った。
「行くぞ」
フランツは先を急いだ。バルトロメウスの大蟻喰も御しぶりは尊敬に値したし、何か礼を言っても良いぐらいに思ったが、今はそのようなことをしている暇はない。
「あいつ、信用できませんね」
メアリーが言った。メアリーがあいつなどと呼ぶことは珍しい。ずいぶん感情的な表現に思えた。
「まあルナの友達だから、人間ではないのだろう」
そう言った後で、フランツは書類で読んだある記述を思い出した。
『反救世主』を名乗る謎の存在がさまざまな街で人間を殺害していると書かれていたのだ。
ただ名前は特定されていなかった。ニュースに一部なったようだが、あくまでスワスティカ猟人としては旧スワスティカの関係者でないかと疑わしい事例という情報として認識していただけで、格別記憶すべきものだとは考えていなかった。
しかし、今改めて大蟻喰に接すると、危険人物であることは間違いないと思われた。ルナの屋敷にいたときからうすうす感づいてはいたことではあるが。
ルナの友達だからまあ大丈夫だろう、となら昔は言えた。しかし、そのルナがビビッシェ・べーハイム――元スワスティカ幹部で、フランツの父親の敵であることがわかってしまった現在においては、逆に不安要素にしかならないのだった。
――いつか寝首をかかれるかもしれんな。
かかれたとてフランツは気づけないまま死ぬ。道半ばで死ぬのはメアリーは無念だろうが、受け入れるしかない。
自分たちはそういう現実を生きているのだ。
本来ならルナとは距離を取る、あるいは徹底的に敵対するべきなのだ。それが出来ないフランツはズデンカと固く約束してそれでも撲られながら、ずるずるとここまで辿り着いてしまっている。