第九十九話 うろんな客(1)
オルランド公国エンヒェンブルグ校外――
「ふぁ~よく眠ったあ」
綺譚蒐集者ルナ・ペルッツは睡眠から目覚めた。都合七時間は眠っていただろう。
オドラデクが変身した歩き回るテントはもうすでに夜明け前にエンヒェンブルグに到着したのだが、ルナはもとより、スワスティカ猟人フランツや処刑人のメアリー・ストレイチーやルナのメイドのキミコまで就寝したので、動き出すのはしばらく待つことになった。
――そりゃ人間は疲れるだろうな。仕方ない。
ルナのメイド兼従者兼馭者の吸血鬼ズデンカは思った。
人ならざる者たち、他称犬狼神ファキイル、自称反救世主大蟻喰、それから青い毛並みの虎から人に戻りつつあるバルトロメウスは眠っていなかった。
メアリーとフランツは早めに起床している。フランツは負傷しており、傷口には薬効のある蔦の葉っぱが貼り付けてあった。
「傷はどうだ?」
負傷させた当人のズデンカは訊いた。さすがに罪悪感が募ったからだ。
「そんなに寝てないが、少しは楽になった」
フランツは答えた。
「お前も吸血鬼になればこんな傷」
ズデンカは蔦の葉っぱを指で弾いた。
「いたっ」
フランツは思わず反応した。
「何するんですか、やめてください」
メアリーがナイフを取り出してズデンカに突きつけた。
「ケッ、やたら守りたがるな」
「あなたがミス・ペルッツを守りたくなる理由と同じですよ」
メアリーは答えた。
ズデンカはぐうの音も出ない。
メアリーの言うとおりだったからだ。
フランツから離れることにした。
潔癖症のキミコは、テントの隅に座り込んでいる。
「お前大丈夫か。意思を確認せずに連れてきてしまってすまないな」
「いえ、あの場から逃げなければ、私は焼け死んでいましたし、ルナさまとズデンカさまのいらっしゃる場所に、ついていくのはメイドの定め。私は常に懐に短刀を忍ばせています。もし、自分の身に何かあれば、恥を感じるようなことでもあれば、それですぐに命を絶てと言われています」
「……止めておけ。お前は何があっても生きろ」
ズデンカは東洋の価値観がわからない。長く西洋で暮らしているキミコもやはり今は亡き父親から数多く東洋の価値観を学んでいたようだ。
死ぬことをもって良しとする、その観念が今ひとつ理解できない。
死んで花実が咲くものかと思ってしまう。しかし、その価値観を受け入れないのもまた違うように思われ、葛藤が生まれる。
キミコと接すたびに必ずそう思ってしまうので、信用できるメイド仲間とは思いながらズデンカはキミコが苦手だった。
あまり顔を合わせる機会がないのが幸いだったが、天の配剤かこうして旅をすることになってしまった。
「さあて、エンヒェンブルグを楽しみますかね」
鼠の三賢者のメルキオールとカスパールがズデンカの肩へふたたび上ってきていた。
「お前らあくびが出るほど長い時間生きてるんだ。行ったことなど何度もあるだろ」
「ありますけど、それが楽しいんですよ。同じものを何度見ても楽しめる。これが通のあり方です。角度を変えてみると、思わぬ照り返しが見えるかもしれません」
メルキオールはとうとうと説明した。




