第九十七話 妖翳記(19)
メアリーは立ち止まってしまう。どこかでブレーキがきいてしまうのだろう。
本人も言っていたとおりだ。今回も罪悪感が刺激されてすぐ謝ってしまった。
――これが人ならばどうなのだ?
かつてメアリーが残酷に殺めたルスティカーナ枢機卿のことをフランツは思い出していた。
枢機卿の周りから殺害行為を非難されたとき、メアリーは受け止めきれるのか?
ふと見いだされたメアリーの脆さに、フランツはせつない思いがした。
「幽霊さん、どうです? この謝罪を受け入れますか?」
ルナは快活に言った。
「謝罪など……あなたが悪いことをされたとも思っていませんよ」
幽霊は小声で答えた。
「……」
メアリーは黙っていた。
「よかったね、メアリー! これで思う存分この綺譚をして回れるよ。わたしも願いをちゃんと叶えられてうれしい!」
ルナの願いの叶え方はこういう風に少し独特なところがある。どこかずれているのに妙に本質を射貫いているような側面が。
「あなたには……別に……」
メアリーは何か文句を言いたげだった。
「それじゃあ、幽霊さん、お疲れさま」
ルナは指を鳴らす。
たちまち幽霊は消えてしまった。
「ミス・ペルッツにだまされた気分です」
メアリーは不満そうに言った。
「だましてないよ。わたしは君の見た幻想をそのまま出現させただけさ」
「そうなんですかねえ。私ちゃんは懐疑的です」
メアリーは腕を組んだ。渋い顔だが、フランツはかわいいと思った。
――何を思っているんだ、俺は。
フランツは焦った。
いつの間にかメアリーを女としてみている。それはさきほど告白された時からではない、少しずつ気づいていった。
ルナへの恋をあきらめ、スワスティカ猟人すら止めメアリーのそばにいる。
そんな妄想が一瞬過ぎったのでフランツは勢いよく頭を振った。
――なんて馬鹿なことを考えているんだ! 俺にそんな道は残されていない。メアリーだって自分がそんなことをやっていたらろくな末路じゃないってことぐらいわかっているだろう。
ある意味合わせ鏡のように、フランツとメアリーは似てしまっている。いくら同胞を殺したスワスティカを殺すという名目があっても、フランツのやってきたことは殺しだ。
メアリーもおそらくルスティカーナだけではなく多くの人間を殺したのだろう。とても許される者ではない。
ルナ・ペルッツにしたってそうだ。ここにいる者はほとんど手が血塗られている。とても、こんなに和気藹々とした時間を送っていられる存在ではないのだ。
――ズデンカはまだか!
フランツは思った。
遠くを見つめる。町の明かりはまだ点いている。炎が大きく上がっているのは『仮の屋』だ。
と、なにか向こうからものすごい早さで何かが驀進を続けてくることに、フランツは気づいた。
――なんだあれは?
フランツがそう思ったときだ。
ものすごい勢いで脇腹が殴られていた。
激痛。
――骨が二、三本逝ったか?
痛みに悶絶しながら、フランツはそんなことを考えていた。
「馬鹿野郎!」
目を爛々と光らせたズデンカがフランツをにらみつけていた。




