第九十七話 妖翳記(8)
「カミーユ!」
メアリーは『人獣細工』を切り裂き、カミーユに迫った。
その頭上を。
巨大山羊の骨が蔽おうとしている。
ヴェサリウスだ。
「危ない」
フランツはメアリーを押し倒し、二人ともども芝生の上ですっ転んだ。
「シュルツさん?」
二人は抱き合っていた。
瞳と瞳がぶつかる。
メアリーは頬を赤くしていた。フランツも血が上るのを覚えた。
「お前が殺されそうだったからだ」
フランツは身体をどける。
――そうだ。こんなことはしていられない。
フランツは立ち上がってメアリーの手を握った。
思わずだ。
「逃げるぞ」
芝生の上を駈けに掛けて、木々の間を擦り抜ける。
屋敷の裏側へ回り込もうと思ったのだ。
「シュルツさん、シュルツさん」
息をぜえぜえ吐きながらメアリーが後ろで呼んでいる。
「どうした?」
「手を……ずっと握ったままです」
メアリーの顔は赤くなっていた。瞳も輝き、青白い炎は消えている。
――こんな顔、するのかよ。
「す、すまん」
「そのままでも、よかったんですよ」
メアリーは穏やかに言った。
「なんだよ、お前が言ったんだろうが」
「でも……」
メアリーの顔に戸惑いが浮かんでいた。もう年齢相応の少女の顔にしか見えない。
まずルナが心配だ。カミーユを追って屋敷のなかに戻らなければならない。
いつの間にかオドラデクとはぐれている。どこに行ったか心配だ。
だが眼の前のメアリーが気になって仕方ない。
「お前はカミーユを追っているんだろ。思い出せ!」
フランツは力を振り絞って叫んだ。
「あ、はい」
メアリーはいつもの冷静な表情に戻った。
「オドラデクと合流しよう。やつは死なないから放置しておいても大丈夫だと思うが、三人で動いた方がいい」
フランツは引き換えそうとした。
「ちょっと待ってください」
メアリーは速度を早めて屋敷の裏側から走り出て、外をうかがった。
「ああ、確かにオドラデクさんいます。あれはたぶん……グラフスさんですかね。戦っています。お互いの髪を絡みつかせて」
「ちょっと見せろ」
フランツもメアリーの横に立って外を見た。
「お前もいい加減年貢収めえや。俺に対して負けを認めるってことやぞ?」
「誰がお前なんかに負けを認めるもんですか。弱いくせに。粋がりやがってクソがああああああああああああ」
取っ組み合いの大げんかだ。同者とも実力が拮抗しているのか、なかなか決着が付きそうにない。
「前はあの鏡があったから強く見えたのかも知れないな」
以前ゴルダヴァで交戦したときはなかなか手強い相手に見えたグラフスもオドラデクと同じ程度と思うと意外に弱く見えた。
そのオドラデクにすらフランツは実力が追いつかないわけで実際はもっと弱いことになるのだが。
鏡は今どこかに隠しているに違いない。
「オドラデク、おまえにあの女――カミーユやるわ。もうついていけん、あんな人殺し普通にやるようなやつはやっぱ普通じゃないわ」
「誰がいるかよそんなもん! お前が勝手に仲間になっただけでしょうが」
「いや、俺とあいつは性格に言うと仲間じゃないねん。自然と同行してるだけや。もう着いていくのが苦痛でしゃあないねん。お前にあげるわ」
オドラデクとグラフスは罵り声を上げていた。
それを見ているとフランツまで和んでくる。




