第九十七話 妖翳記(2)
「うーん……あんまりいないね。大勢で攻め寄せられると逃げるしかないかも知れない」
ルナは悪戯っぽく言った。
「逃げることも考えに入れている。脱出路はあるだろ」
「いちおう作ってるけどね。この書斎からでも『仮の屋』の外へ出れるようにしてもらっているよ」
「どうやって移動するんだ」
フランツが訊いたこともない話だった。
「そこの窓を開けて出るのさ」
指差しながらルナは笑った。
「窓からって、あたりまえだろうが!」
フランツは怒鳴った。
「ほらほら、君はそうやってすぐ怒るからついからかいたくなるんだ! 昔からそうだったよね」
ルナは言った。
「いざとなれば、こんな窓潰して進みますよ」
メアリーは仏頂面で言った。なぜここまで腹を立てているのか、フランツには解しかねた。
「それは怖い!」
だがルナはあきらかに恐がっていなかった。
「何が起こるかわからない。ルナも書くのは止めて食堂に移動しよう。あそこは無駄に広い。武者溜りにはもってこいだ」
「そうだね。フランツの言う通り、移動しよう。よっこいしょ」
ルナは立ち上がった。
「何を書いてるんですか?」
メアリーが訊いた。
「ちょっとした雑文さ。一応鞄に入れて持ってこう。もし逃げることになったら、回収している暇がないからね」
ルナはくちゃくちゃと紙を纏めて鞄に突っ込んだ。
「俺が入れる」
フランツは几帳面に紙を取り出してまとめ、鞄に入れ直してやった。これも昔よくしていたことだ。
「何でもやってあげんですね。子供じゃあるまいし、本人に任せればいいのに」
「ルナはそれが出来ない人なんだ」
「そんな心外だ! わたしだってちゃんとやればできるよ! これぐらい!」
ルナは子供のように怒った。
「さあいくぞ」
フランツはルナの鞄を持って歩き出した。
「待ってよお!」
ルナが叫びながら尾いてくる。
全くよくもまあこんな大きな子供のように育ったものだ。金に苦労しないからということもあるだろうが、これはルナの個性のように思った。
一文なしだろうがルナは相変わらず子供のように違いない。
「まったく、殺したくなりますね」
いつの間にか横を歩いていたメアリーは物騒なことを言い始めた。
「おい!」
フランツは焦った。
「シュルツさんも殺そうとしていたんでしょう?」
「だが、今ので何か怒る要素あったか?」
フランツは焦って言った。
「わからないんですか?」
「まったくわからん」
「ならいいです」
メアリーはそっぽを向いた。
――何なんだ。こいつ。
最近のメアリーは少しおかしい。いや、フランツもおかしいのだ。
戦いの疲れが出てきたのだろうか。
食堂に行くと、オドラデクがキミコに絡んでいた。
「もっと料理作ってくださいよ、ねえったらねえ」
キミコは顔を仕掛けて距離を取り続けていた。唾を飛ばされると思ったのだろう。オドラデクは生き物ではないので出ないとは思うが……。
「ルナさまの許可を得ないことには……それに私は料理が得意では……」
「どしたの? ねどしたの?」
ルナがピョンピョン飛び込んできた。
「あ、ルナさま。こちらの方が……料理をご所望で……」
キミコは怖ず怖ず説明した。




