第九十五話 死後の恋(5)
ズデンカは歩き出した。大蟻喰を引き摺りながら。
「あとで絶対後悔する。ズデ公のその選択は」
頬を膨らませ、ぶつくさ言う大蟻喰。
「馬鹿言え。どんな状況でもあたしはルナを助ける」
「勝手にしろよ」
大蟻喰はそっぽを向いた。
「まあお元気で」
メアリーは皮肉な笑みをたたえながら二人を送り出した。
キミコも鉄柵を鎖し始めている。
うねるような街路を通り、中心市街へ向かっていく。他には誰もいない。
大蟻喰とは結構行動を共にすることがあったが、二人では珍しい気がする。
ルナがいないとどうも話が進まない。険悪な雰囲気がかたち作られる。
「ルナの原稿はあるの?」
「ああ、持ってきた」
ズデンカは手に提げているトランクを指差した。
「絶対になくすなよ」
「お前のほうがなくすだろ」
ズデンカは不愉快に思った。
大蟻喰ぐらいいい加減なやつはいない。多くの人間を喰ってきた割りに、大手を振って歩いている。オルランドで被害を受けた人間は少なからずいるだろう。
目撃者もすべて食らうため、足がついていないのか。
――警察がやってきたらどうする。
しかし、思ったほど警察も動かないことが多い。女が犯されようがよほど酷くなければ事件化しないという話もズデンカは訊いたことがあった。
――大蟻喰が捕まろうがあたしは知ったこっちゃないで通すからな。
しかし、そうはいかないのが世の習いであり、ズデンカの性格でもある。
大蟻喰を助けてしまうことだろう。
ズデンカはそうなって欲しくなかった。
出版社は多くのビルディングのなかで飛びきり大きかった。
「キミは行ったことあるの」
「何度かある。まあ顔パスだ。お前は姿を変えておけ。多くの人が出入りしてるからな」
「はいはい」
大蟻喰はそう言って建物の間に走っていくと、たちまち小柄な紳士に化けて戻ってきた。
「お前は誰なんだよ」
「ルナの友人とでも言えばいい」
大蟻喰はしゃがれ声で答えた。
二人は中に入った。
「久しぶりだな。ルナ・ペルッツの代理だ」
「ズデンカさんですね。覚えておりますとも。ご無沙汰しております」
受付嬢はズデンカを見て微笑み、エレベーターへと案内する。
「ずいぶん近代的だな」
大蟻喰が言った。
「まあ、いまどき大きな街ならどこでもあるだろ」
ズデンカは広く旅してきているので、大蟻喰の意外な無知ぶりがおかしくなった。
二人はエレベーターで五階に昇る。
編集部の部屋が入った。ここはズデンカも顔なじみだ。
「ルナの原稿を持ってきたぞ、ヴァイスマン」
ズデンカは奥のデスクに坐っていた小柄な男に鞄から出した紙の束を渡す。
「間に合って良かったです! 心配していました」
額の汗を拭うヴァイスマン。
「今回は締め切りを守らせた」
ズデンカは自信たっぷりに言った。
「ズデンカさんがペルッツさんのメイドになってから、原稿はちゃんと守って貰っていますよ」
ヴァイスマンは答える。
「そうだったか」
ズデンカはそこまでは記憶していなかった。
「はい。よく出来た召使いだなって評判ですよ。前まではどんな人が傍にいてもペルッツさんは書くのが遅かったから」
ヴァイスマンは答えた。
「じゃあ、あたしゃ戻るぞ」
ズデンカは急ぎ去ろうとした。ルナの所に早く戻りたかったからだ。
「あ、ちょっと待ってください」
ヴァイスマンは呼び止めた。




