第九十四話 あなたの最も好きな場所(12)
「百万金くだされば、私の血など幾らでも差し上げましょう」
メアリーは答える。
「百万? そんな金持ってるわけないだろ」
ハロスは嫌そうな顔になった。吸血鬼も金は場合によって使うことがあるが、ハロスは貧乏らしい。
人を襲っている割りに金は奪わないのかとズデンカは思った。
「じゃあ、なしですね」
メアリーは歩き出した。
「おい待てよ」
ハロスが引っ掴もうとしたらするりと抜けられる。
身のこなしは軽いのだ。
昔のズデンカならほぼ互角だったハロスの動きについてこれるのだから、メアリーもなかなかの実力者なのだろうとは思った。
「お前も構うな」
ズデンカはハロスの手首を押さえた。
「おぉん、きもちい! ズデンカ、もっとやってくれとおおおおおおおおおおおおおおおおおん!」
ぶるんとハロスは身体を震わせた。
――なんなんだ、こいつのノリは。
ズデンカはますます引いた。
「あれ、どうしたんだっけ」
ルナが目を覚ましたようだ。
「すまん、ちょっと力を入れすぎてしまっていたらしい」
ズデンカは謝った。今日は謝り続きだ。
「ふうん。まあふわふわしていい気持ちだったからよしだよ。みたい景色も見れたし」
ルナはにっこりした。
「あたしはお前に加える力を間違えてはいけないんだ。下手を打ったら死んでしまう」
「死んだらその時さ。君に殺されるなら本望」
ズデンカはルナの頭をゴツンと叩いた。もちろんかなり加減してだ。
「馬鹿」
――お前は死ぬのが怖いだろ。何言ってんだ。
さっき『仮の屋』のなかで考えたことをまた繰り返す。
「いたい」
ルナは頭を押さえた。
「おい!」
フランツは焦った調子を見せる。
「お前よりルナのことはあたしがわかってる。口出ししてくんな」
出来る限りの敵を見せてフランツを睨んだ。
「お前みたいな乱暴者にルナをズッと預けているのは不安だ」
「誰が乱暴者だ?」
「見るからに乱暴者だろ。お前、自分で見ていて思わないのか」
「男のくせに何を言う」
ズデンカはもう破れかぶれだ。
普段はさすがに男のくせになど罵倒することは押さえるようにしているがさっき使ってしまったためか続いて言葉が出てくる。
「お前こそ女のくせに」
フランツも腹が立ったのか反撃してきた。
「お前はあたしに叶うことも出来ないだろ。すぐに叩き潰してやれる。弱い、限りなくよわっちいやつだ」
「……」
フランツはこうなると言い返せなかった。
「なんでなんでフランツと君が喧嘩してるのさ」
ルナは呆れたように言った。
――呆れるのはあたしの役目だろうが。
「こいつはお前の傍にいたいらしい」
「そりゃそうだよ。友達だから」
「こいつはお前を殺そうとしたんだぞ」
「君も殺そうとしたでしょ。間違ってだけで」
ルナは言った。
「いや、あたしは殺そうとなんか……していない」
ズデンカは口ごもった。
「俺はルナを殺す気などない」
フランツは後ろめたそうに言った。
「ルナ・ペルッツさまですね」
そこにいきなり小柄な男が近付いて来た。
「はい……そうですけど」
と、ルナが答えた次の瞬間、男が短剣を手に突進してきた。




