第九十四話 あなたの最も好きな場所(4)
「ズデンカ、いこう」
ジナイーダは意を決したように先に歩きだした。ズデンカも手を曳かれて引っ張られる。
――強くなったな。
ズデンカも従った。
玄関の扉を通って、懐かしき『仮の屋』に入る。
「フランツ、フランツ!」
ルナはピョンピョンと跳びながら浴室へと向かった。
「おいこら、待てったら!」
ズデンカはジナイーダの手を離し猛ダッシュで追いかけた。
しばらくぶりに走る絨毯だが、そこは慣れたもの、滑る心配もなかった。
「フランツ、フランツ、来てるんでしょ」
ルナは浴室の扉を開き、なかに入る。
「おっ、お前、何をいきなり」
半裸のフランツ・シュルツが立ち尽くしバスタオルで体を隠していた。鍛えられた筋骨逞しい背中に人魚の刺青が彫られている。
ジナイーダは驚いて身を隠していた。
「フランツ、フランツ、久しぶり!」
ルナはニコニコ笑いながら言った。男には興味ないと言ったとおり、フランツの格好を見ても何も感じていないようだ。
ズデンカはなぜだか不愉快だった。やり場のない不愉快さだ。
「おい、お前、いきなり風呂に入ってるとはいい度胸だな。ここはルナの家だぞ」
「すまん……汚れていたから」
フランツは謝った。
――意外に素直なやつだ。
フランツも『仮の屋』に来たことがあると言うがズデンカはここで会ったことがない。どこまで親しいのか、どんな性格か本当のところはよくわからないのだ。
「パヴィッチであたしが言ったことは忘れてないだろうな」
ズデンカはフランツを睨んだ。
「忘れてない。俺はルナと戦いたい訳じゃない。俺はルナを……」
言葉が途切れた。
「君君、そんなにフランツを困らせちゃ行けない。じゃあ、着換え終わるまで待ってるからね」
ルナは外へ飛び出していった。
「おい、あたしの言ったことを絶対に忘れるなよ」
ズデンカはそう厳しく言い置いてルナの後を追った。ジナイーダと外で合流する。
「ふんふんふん」
ルナはクルクルと動き回りながら、食堂へと向かう。
「おや、ミス・ペルッツではないですか。それにミス・ズデンカも」
湯上がりなのか長い髪をまとめてタオルで巻いたメアリー・ストレイチーが振り向いた。
どうやら昼食途中だったらしい。ハムエッグが綺麗に切り分けられていた。
こちらはさすがに堂々たるものだ。
ゴルダヴァで二度も刃を向けられている。
それにもかかわらず、久しぶりに知り合いに会ったとでもいうかのように挨拶した。
「お前らは何がしたい?」
「シュルツさんから聞きませんでしたか? さきほど浴室のほうから出て来られましたよね」
メアリーは目敏い。
「本当にルナと話し合いたいのか? 騙して殺したいんじゃないのか?」
「殺したいなら全力で戦いますよ。私ちゃんは。シュルツさんもそうでしょう。ファキイルさんも、オドラデクさんも」
「じゃあ戦え」
ズデンカは食卓に手を付き、前のめりになった。キミコがいるので普段はそんなことはしたくなかったが、思わず身体が動いてしまった。
「まあまあ、戦いたくないから、ここに来たんだろ」
ルナはやんわりとなだめる。いつの間にかパイプで喫煙を始めていた。
「そうです。むしろシュルツさんは守りたいと考えているようですよ。あなたがビビッシェ・ベーハイムだということは世間では知れ渡っていますからね。世間はやがて、あなたの敵になる」
メアリーはにっこりした。




