第九十三話 私に触らないで(3)
「じゃあ、ぼくがー」
逃げるように走り出すオドラデクの襟首をふん捕まえて、フランツは前に乗り出した。
鉄柵はちゃんと錠で閉じられている。
こういうことを自堕落なルナがやるはずがない。
ズデンカだろうか。
いや、柵に赤さびは浮いておらず、最近も何度か開け閉めしたらしき痕跡が残っている。
おそらくは現在の管理人がやっているのだろう。
――几帳面な性格のようだな。
フランツは少し緊張した。おそらく『仮の屋』にはルナが世界各地から集めてきた品物が運び込まれてきているはずだ。その管理を任されている人物なのだから、几帳面でないはずがないだろう。
ルナは自分が出来ないことをお金でカバーする癖がある。お陰で浪費してしまい、代々のメイドおよび従者は迷惑を被ってきた歴史がある。
ズデンカが現れて以降、浪費は収まるようになったと訊いたが、家の管理はそれなりに出来る者に任せないといけない。
なにせこんな豪邸なのだ。
何坪あるのだろう。白亜の館がデカデカと広がっている。
ルナの趣味らしく旧時代の凝った様式で建てられている。
フランツは大人しくベルを押した。
とてもじゃないが乗り越えていけそうにない。いや、ファキイルの手を借りればいけなくもないのだがそれはしたくなかった。
しばらく何の反応もなかった。
しかし、やがて家の扉が開いてなかから一人のメイドが現れ、しずしずとこちらに向かって歩いてきた。
「どちらさまでしょうか?」
穏やかな声で言った。ボブカットで黒髪だ。どこか、東洋人の血が混じっているのだろうか? フランツはシンサンメイという知り合いがいるから東洋の人間がトルタニアにも少なからずいることを知っていた。
だがこのメイドの声には訛りがない。
フランツも自然に聞き取れるオルランド語だった。
「フランツ・シュルツ。ルナ・ペルッツの友人……だ」
フランツはなお言葉を選ぶのを躊躇いながら言った。
「お名前は伺っております。どうぞお通りください」
メイドは錠を外して鉄柵を開いた。
「あんたの名前は何と言う?」
「メイドの名前が必要ですか」
メイドは黒い目を大きく開いて、フランツを見つ付めた。メアリーと引けをとらないぐらい聡明で、頭の切れそうな様子だ。
「なんと呼んだらいいかわからないからな。教えてくれ」
フランツはまごつきながら言った。
「キミコと申します。よろしくお願いします」
やはり東洋の名前だ。国の名前まではさすがに不躾になると思い訊けなかった。
「キミコか。よろしく頼む」
フランツは短く断って鉄柵のなかに入った。
「まってええ、フランツウ!」
いきなり呼び捨てになって、オドラデクが駆け込んできた。
「おいおい、そんな走んな」
フランツは軽くたしなめた。
「だってこんなに広いんですよおー ほらほらああ!」
オドラデクは広い庭をドタドタと駆けずり回る。
「すまん、あいつは変な奴で……」
そうフランツが言おうとしたとき、オドラデクがこちらに走り寄ってきて、
「まあメイドさんよろしくだぜ!」
とポンとキミコの肩を叩いた。
そのとたん、キミコは凄い形相になってオドラデクの手をはねのけていた。
「私に触らないで!」




