第九十三話 私に触らないで(1)
オルランド公国ミュノーナ――
スワスティカ猟人フランツ・シュルツは、ふっと息を吐いた。久しぶりに一杯食事を奢って貰って腹がふくれたのだ。
フランツたちは友人のステファンの家で持てなされた後、ルナ・ペルッツの『仮の屋』を目指していた。
場所はわかっている。少し遠くではあるがミュノーナのうちだ。何時間は歩くのは仕方なかったが。
同じく猟人のニコラス・スモレットはステファン宅に預けておいた。
まだ心身ともに疲労が残っているようだったからだ。思えば実在する吸血鬼に殺人鬼など、想像を絶する存在を目にすれば普通の人間はそうなってしまうだろう。
とりあえず元気なフランツが異常なのかも知れない。
同行する処刑人メアリー・ストレイチーも大概だ。メアリーは自分が「鈍才」だと述べたが、フランツにはそうとは思えず、自分と同じようにどこか頭のネジが外れた人間だと感じていた。
「シュルツさん、万が一ミス・ペルッツ『仮の屋』に帰っていた場合どうします?」
メアリーは訊いた。
その可能性は充分に考えられた。
「話をする」
「居なかったら?」
「待って、話をする」
「どちらにしても結果は同じですね」
「俺はルナを殺さなければならない。だが、俺は」
「あなたには殺せない。決して殺せません」
メアリーは繰り返した。その瞳には青白い炎が揺らいでいた。
「俺は……殺したくない」
前にも似た会話をした。
しかし、繰り返すことでフランツの本当の思いは強固になっていた。ルナを殺したくない。それは猟人として矛盾する感情だ。
だが友人のルナの目を見ながら刺し殺したり首を絞めたりできるほどフランツは非常になれない。
本人も言っている通り、メアリーはどこか自分の弱いところを知っているのだろう。だから、フランツの弱さが見抜ける。
殺せないなら話し合うしかない。ニコラスがいないことでフランツはかえって安心した。ニコラスはシエラレオーネ政府の目であり、フランツがスワスティカの残党を殺さないとなれば離反者と認識されるかも知れない。
温厚なニコラスだから、これまでも特に何も言わなかったが、今の会話を改めて聞かれなくてよかったと思う。
「ルナ・ペルッツと和解できるとすれば、あなたが殺意がないとはっきり示すことでしょう」
メアリーは言った。
考えてみれば当たり前だ。かつての悠人であっても自分を殺すことを目的としている人間と話し合うことは不可能だ。何としても自分は殺したくないまず、話をしたいという意志をたとえ相手が受け入れてくれなくても伝えなければならない。
「どちらにせよ、まず館の中に入らなければならない。忍び込むことも考えたが、たしか……管理者がいるはずだ。ただ俺は面識がない。行ったときはルナが住んでいたはずで、管理者はいなかった」
フランツは昔の記憶を思い返しながら言った。ルナは幾らでも金がある。だから都合の良い管理者を選ぶことなどたやすいだろう。
しかし癖の強いルナはきっと管理者にも癖の強い人物を選んでいるに違いない。




