第九十二話 解剖(4)
まだ野原が多く人目につかないところにおりた。ヴェサリウスら妖精は大概の人には見つからないが、カミーユだけが飛んでいると目立つのだ。
ティークの街区はまだ秋口だというのに、寒々としている。屋根屋根の色もあまり特色がなく沈んだ色だ。
『あなたはどの家にお住まいなのですか?』
カミーユは『心臓』に向かって訊いた。
『外に出て手を振るから探せ』
最初はあそこまで攻撃的だったのに、いつの間にか友好的だ。
カミーユはその訳がよくわからなかった。経験則から寂しい人間は本当は優しくされたいと思うものとは知っている。だがカミーユ自身は人から優しくされたいと思ったことが
ない。
人が眼の前にいると鬱陶しいと感じることは多い。だからそのためにもう一つの人格を作ったのだ。結果は成功だった。
人好きの人格はいかにも自身がなさげに見えるが、あれでそこそこ人好きだ。
臆することなく話せるが人間嫌いの自分とは本質的に掛け離れている。
カミーユはしばらく街中を探した。
「ここだ! ここだ!」
汚い襤褸切れを木の棒に括り付けて住宅地のなかで振っている歯があまりない細身の男が叫んでいた。
「あなたですか。初めまして」
カミーユは挨拶した。
「こんな綺麗なお嬢ちゃんとは驚いたぜ……えへへ、女の声だとは思ったんだが、声が高い男もいるからなあ」
男はにやけた。
「私はカミーユ・ボレルと申します」
カミーユは自己紹介した。
「おっ、おれはアーロンというものだ。どうぞよろしく」
手を差し出してきたがカミーユは握手をしない。
「あなたはこちらに長くお住まいなんですか?」
「いや、そうじゃない。ここ一年ぐらいだ。まだだれも友達も出来やしねえよ。俺みたいな金のない男なんか誰も見向きもしねえ。世間から取り残されて、見捨てられる。真朋に仕事も出来ない。旧収容者には政府からわずかに支援金が出るんで、それを頼りに何とか生きてるような感じだ」
まあこの世の中から取り残された男なのだ。
――本当に救われるべき弱者は愛される者のかたちをしているとは限らない。
そんな言葉が自然と思い出される。もっともカミーユは愛されるべき弱者すら直ぐに息の根を止めてしまえるのだが。
アーロンはヘラヘラと笑い続けていた。
「何かあなたはルナさんについて面白い情報を持っていらっしゃるのですか?」
カミーユは訊いた。
アーロンの顔がいきなり曇った。
「あんな奴について語ることはねえ! 裏切り者じゃねえか。お嬢ちゃんもこんなとこにいないで俺の家に来いよ!」
大した力のない男だ。格闘しても殺せそうだったのでカミーユはついていくことにした。
「へっへっへ、まさかこんな可愛い女の子が俺の家に来てくれるなんてなあ!」
アーロンは楽しそうに叫んだ。
かなり安上がりの、幾つも個室のある宿のような場所だった。
カミーユは家の中に上がった。とても狭い部屋だ。
案の定、酒瓶やゴミが溢れている。ベッドは黄色く汚れていた。ついさっきまで寝ていたようだ。なぜから、そのなかに『心臓』が置かれていたのだから。
「あなたに家族はいないんですか」
カミーユは話を変える。
「いねえ。誰もいねえよ。みんな収容所で死んだ。叔父とか従兄弟とかも。ジムプリチウスの兄貴が言ってたルナとやらに殺されたんだ。ベーハイムだな。友達なんかできっこもねえ。あんな肉を抉られるような経験はまっぴらだ」
なぜかアーロンはジムプリチウスに敵意を抱かないらしい。それも不思議だ。シエラフィータ族を殺せと煽動していた張本人なのだからもっと怒ってもいいはずだろう。
怒りならまだカミーユは理解できる。




