第九十一話 ずっとお城で暮らしてる(1)
――ネルダ共和国西部ニェムツォヴァー
綺譚蒐集者ルナ・ペルッツは赤ちゃんのようにメイド兼従者兼馭者の吸血鬼ズデンカに抱きかかえられていた。
もはや歩けなくなり、道中でぱたりと倒れこんでしまったからだ。
ルナは正直からだが丈夫なほうではない。ズデンカが抱きかかえるのもこれが初めてではない。衰弱の度合いも激しいようだ。
「ざまぁ、ざまぁ! 人間って弱いな!」
ストリゴアイカのハロスがはやし立てた。 その顔を凹むぐらい自称反救世主の大蟻喰が撲り付けた。
しかし、すぐに再生した。百年も生き延びた吸血鬼はなかなか死なない。
「お前、ボクと決闘しろ。クンデラでの勝負をここで着けるんだ」
「めんどくさい」
ハロスはそう言って大蟻喰から離れて歩き始めた。全くの気分屋だ。
ズデンカの半分、百年も生きてきているんだから、もう少し分別がついてもいいはずだ。
とは言えズデンカも自分が分別のある性格だとは思われず、年を取ることがすなわち人格の成熟に繋がるなどと世間一般で囁かれていることは俗説でしかないと思うのだった。
「ずいぶん喧嘩が続くね」
寡黙だった虎人間のバルトロメウスが言った。
「すまんな。ずいぶん騒がしくなって」
「カミーユさんの方が良かったかな、とは正直思うけど」
ナイフ投げカミーユ・ボレルとは旅の途中で意見の相違から袂をわかっている。
いまだにルナに執着しているらしいカミーユが自分たちを追ってきている可能性も考えられ、ズデンカは早めに隣国オルランド公国につきたいと考えていた。
――もう少しだ。もう少しでオルランドに着く。
ズデンカは焦っていた。オルランドならばルナの『仮の屋』もあるし、いろいろ状況を立て直せる。
――長い東部トルタニア旅行だったが、ルナは別立てで本にするのだろうか。
ルナは『綺譚集』以外にも幾つかの著作を上梓していた。軽い読み物のようなものがほとんどだが、とても売れてルナの生活の足しになっている。
今回のカスパー・ハウザーとの一戦については公にしない方がいいだろう。それはルナの過去について言及するということだ。
スワスティカ残党は元より、スワスティカを憎む者たちも刺激することになる。ルナのことだから上手く隠しながら面白おかしく書けるだろうが、そもそも本自体にしない方がいい。
「水……水がほしいよお!」
ルナが青息吐息で呟いた。
ズデンカは気付いた。
自分は水を飲まなくてもいいが、ルナはそうではないのだ。
水道が整備されていない地方も回ってきたし、不潔な水はズデンカが注意して遠ざけたため、ルナはあまり水分の補給をしていなかった。
「ペルッツさん、どこか休息所を探すほうがいいんじゃない? 僕も長いこと飲んでないよ」
バルトロメウスが言った。確かにその通りだ。ひょっとすると一行で一番の常識人かも知れない。
「だが、どこで休むんだ? ニェムツォヴァーは民家が少なく、田舎のため警戒心が強いだろう。なかなか泊めてくれそうにない」
「貴族ならどう?」
ジナイーダが言った。
ネルダは共和国になって久しいが、多くのトルタニアの国と同じように貴族は残っている。ニェムツォヴァーには古城が一つあった。
小さな家々を見おろすようにひときわ高く聳えている。




