第九十話 消えちゃった(12)
「わたしが一緒に行きたいって誘ったんだよ。たっての頼みってやつさ」
ルナは嘘を言った。
「ルナがよくでもボクはよくないよ! こいつ、このボクを地面に……クソッ……思い出すのも忌々しい!」
大蟻喰は歯を食いしばっていた。本当にハロスに負けたことが口惜しそうだ。
「まあまあ。喧嘩しても仕方ないよ。ステラも命は取られてないんだし、いいじゃないか」
ルナは取りなす。
「メンツの問題だよ。ボクはこいつに……」
「殴りたいなら殴れよ。幾らでも頬は差し出すぞ? 俺はお前にどれほど殴られても死なねえし、二倍の強さで殴り返すけどな」
ハロスも挑発する。
「まあまあ、そちらの吸血鬼さんも……」
記憶力が飛び抜けて優れたルナは一度訊いた名前はだいたい覚えているが、ハロスの名前は訊く機会がなかったようだ。
「ハロスだ」
ズデンカは説明した。ハロス本人は説明しないだろうと思ったからだ。
「ハロスさん。あなたもうちのメイドと同じように強いようですね」
「ああ、そうだ。俺は強いな。このガキなんか、とても相手になんねえよ」
ハロスは挑発的に大蟻喰を指差しながら言った。
「降ろせ、ズデ公! 降ろせ! こいつを叩き潰してやる」
「降ろすかよ。もう街の連中に警戒されてるんだ。これ以上お前が暴れたらあたしは無理にでも止める」
物凄い力で大蟻喰がズデンカの腕を引き毟る。袖がちぎれようが肉が裂けようが、ズデンカが微動だにしなかった。
「ちくしょお! ちくしょおおおおお!」
大蟻喰は吼えた。周りの人が裂けるように歩き去って行く。
ジナイーダも思わず退いていた。不安そうなその姿を見るたび、ズデンカは胸が張り裂けそうになる。
「まあ、皆でのほほんといきましょうよ!」
ルナは飽くまで明るい。ここしばらく見せたことがないほどの楽天家ぶりだった。
「負け犬が」
ハロスは歩き出す。ズデンカも従った。もちろんジナイーダも。大蟻喰だけが空気を読まず、わめき続けた。
「もう出発するしかない。歩きでだ」
ルナはそれを聞いた瞬間、一瞬や連れた魂の抜けたような顔になりかけたが、
「仕方ないなぁ」
とグッと堪えるような表情になった。
ズデンカはそれを見た時、なぜか無性にルナが愛おしいと思った。
一時間以上歩き続け、クンデラを抜けて西へ向かう街道を進む。
「はぁ……はぁ」
すぐにルナは青ざめて肩で息をしていた。
「担いでやろうか?」
「いいよ。あのままクンデラにいたらさすがにね……」
ルナは微苦笑した。
「弱い主人だな。そんなに弱いと、こいつもいつか消えちゃうかもな」
ハロスが口走った。
その頬をズデンカは思わずぶん殴っていた。心のなかでいつも思っていた不安を言い当てられたように感じて、反射的に腕が動いていた。
すってんころりんと、ハロスは何度も街道をバク転しながら向こうへ飛んでいく。
「ズデ公、やるじゃん! あいつの横っ面に一発入れてやった!」
大蟻喰はズデンカに担がれながら喝采した。
「そんなんじゃねえよ。さっさと行くぞ」
どうせハロスは起き上がってまた近付いてくる。ズデンカに殴られたという悦びを抑えきれないような顔をしながら。
ズデンカはそう考えると飽き飽きしてくるのだった。




