○少しぐらい、いいわよね?
今日はAセット――近くの川や森でとれた川魚とキノコの包み焼き、豆を発酵させたミソを使ったお味噌汁、コメと呼ばれる穀物をふっくらと炊き上げたご飯だった。多くが召喚者によってもたらされた食材、調理だとライザさんが教えてくれた。ワショクというそうよ。
そんな異国情緒のある料理を頂いて、1人自室に戻る。当然のように私のベッドの上に用意されていたコットン素材の青い寝間着に着替える。
それから受け取った貨幣の入った袋をひっくり返して、金額を数えていく。1n、10n、50nは特殊な石を使った石貨。それらが全部で大体3000n、色のついた硬貨が全部で50,000nはある。
感謝の念と共に、多くの人に見られて、評価されていたのだと思うとムズムズしてしまう。
「ともあれ、これで大体85,000n。少し切り詰めれば明日にでも出発できそうね……」
ポトトを狭い厩舎に詰めておくのも忍びない。メイドさんに相談して、明日ウルに向けて発てないかを聞いてみることにする。
件のメイドさんは、今日もポトトに給餌に行っている。朝は私がやっているのだけど、なぜか夜は固辞されてしまう。
「ここがポルタだから、とか何とか言っていたわね……」
思えば、夜の景色を一度も見たことが無い。当然、ナールに照らされた町並みも見たことが無いのだ。気づいてしまうと、私の中で好奇心が大きくなる。すぐそこには開けるなと言われた窓があって、その先には夜の町並みある。景色が見えることは、朝開いている時に確認済み。
それに、ずっと諍いの町の意味を考えていたんだもの。その手掛かりがあるんじゃないかしら。
「少しだけ。ほんの少しだけなら、いい……わよね?」
そうと決まれば行動あるのみね。弾力性のあるベッドから立ち上がり、窓に歩み寄る。音は何も聞こえない。ただナールのほのかな明かりが隙間から漏れているだけ。
何かしら、この言いつけを破る高揚感。小さく息を吐いて、一思いに外開きの窓を押し開ける。
まず飛び込んできたのは正面――東の空の中腹に浮かんでいる真ん丸なナール。デアの光を受けて反射して黄色? それとも白? 思ったよりも眩しく、何よりも美しい衛星の輝きに、思わず息を忘れてしまう。ふと吹き込んできたのは風の季節ならではの少し湿った、涼やかな風。その心地よい風が、私の黒く長い髪を撫でる。
「気持ちいい……」
と、そこで私は窓の外、左手がやけに明るいことに気付く。確か旧区――土製の家が並ぶ貧困地域よね。光の正体を確かめようと窓に手をかける。と、何か薄い膜のようなものに触れた気がした。ポトトの柔らかな羽毛でなでられたような。そんな感じ。
違和感を覚えつつも窓から身を乗り出して、旧区の方を見てみる。途中、頭も同様に何か膜を突き抜けたような感覚がったけれど、そんなことより。
眼下に見える街路に沿って開けた視界。そんな視線の先には色とりどりの美しい町並みがあった。
「あれが、あの旧区なの……?」
旧区全体が照明で煌々《こうこう》と明るく照らし出されており、昼間は土の色で黄色く見えた壁も、光が当たると白く輝き、独特の色合いを返している。
何より目を引くのは、壁に張られていたタイルの色めき。無数のタイルが照明の光を自身の色で反射する。それが幾重にも折り重なって別の家を照らし、白くなった壁を鮮やかに彩っていた。
「きれい……。とても、美しいわね……」
風に揺れる髪を耳にかけながら、思わず声が漏れてしまう。惜しむらくは、手前側が宿の壁で遮られてしまっている事。それから、離れたここからでも分かるぐらい、旧区の方から怒声が聞こえてくることね。金属を打ちつける音や、鉄のようなにおいもするかしら。
「美しい町並みですよね?」
「ええ。とっても。あそこに貧困層が住んでいるなんて嘘みたい……って、メイドさん?!」
「はい、お嬢様のメイドです♪」
私の背後から同じように旧区を見つめていたのは、白金の髪と頭部に乗ったカチューシャのフリルを揺らすメイドさんだった。
「いつからそこに?! って――あっ」
「レティ?!」
驚いて反射的に振り向いた時、窓枠から手を滑らせてしまう。景色を見るために大きく身を乗り出していたこともあって、私の足は宿の床から離れ、体は一回転。そのまま外に放り出されて下にある街路に真っ逆さまに落ちていく。頭上に近づいて来る地面と、遠くで煌めく旧区が逆さまに見える。
頭から落ちている。そう分かるぐらいには、感覚がゆっくりだった。メイドさんはこうなることを恐れていたのかしら。いいえ、まさかこうなるとは予見できなかったでしょうね。私自身ですら、自分がここまで迂闊だとは思わなかったもの。
いいえ、なにより私は好奇心に負けて言いつけ、つまり約束を破ってしまった。
「ごめんなさい……」
今になって、『キャルには素早く動く物』という言葉を思い出した。警戒心の強い動物も好奇心をくすぐってやれば捕まえられること、ひいては好奇心はキャルをも殺してしまうことの例えだけど。やっぱり、言いつけは守るものね……。
最後の最後。命を懸けるほどでもないつまらない学びと後悔と共に、私は意識を失った。




