○修羅場じゃない!
いつか、サクラさんが言っていた。
『なんか考え方を矯正されてるみたい……?』
あの時は意味が分からなかったけれど、今、こうして緋色に輝く自分の瞳を見れば分かる。私の目がこうして光るのは、職業衝動がある時だけ。自分の意思に反して、体が勝手に動いてしまう。だけど、今回は職業衝動なんてなかった。なのに。
「私、何を……。いつから……?」
それに気づいた途端、急に頭がすっきりする。すっきりした感覚があるということはさっきまではまるでモヤがかかったみたいになっていたということ。フォルテンシアのことしか考えられないような。フォルテンシアのために尽くしたいという衝動が、私の中を埋め尽くしていた。
「どう? 落ち着いた、ひぃちゃん?」
洗面台の前で立ち尽くす私を後ろからそっと抱くのはクラさんだ。彼女に言われなければ、私はきっと、自分が興奮状態にあったことに気付かなかったでしょう。
「え、ええ。……それよりサクラさん、私、一体いつから?」
「分かんない。急にひぃちゃんのテンションが変になったから『どうしたんだろ?』って見たらお仕事モードなんだもん」
サクラさんの言うお仕事モードは、私が死滅神として職業衝動に襲われている状態を指すわ。ドドギアに襲われた時と、イチさんを殺す時。サクラさんには死滅神としての私の姿を見られてしまっている。以来、サクラさんは職業衝動中、目が緋色に輝いている私を「お仕事モード」と呼んでいた。
「ありがとう、サクラさん。おかげで、冷静になれたわ」
「ううん、友達を助けるのは当然! でも、やっぱり、ステータスは良いことばっかりじゃなさそう。特に職業は……」
自分でも気づかない間に、知らない間に思考を誘導されていた。しかも、明らかに全身が熱くなる職業衝動とは違って、自分自身がそれに気付けないなんて。
「質が悪い……っ」
もしこれがステータスを得る代償なのだとしたら? 別にフォルテンシアに尽くすことは嫌じゃない。だけど、それはあくまでも私自身の意思でそうしていたいという話。思考を捻じ曲げられて、強制的にフォルテンシアのために動くのはまっぴらごめんだった。
「けれど私は今、リアさんにそれを押し付けようとしていたのね」
職業そのものは、フォルテンシアに生きていれば誰しもが持つもの。だけど、それをいつ知るかは本人……リアさん自身が決めるべきだわ。
「リアさんはステータスが無くても生きて来られた。だったら、少なくとも今、わざわざ〈ステータス〉を使う必要はないんじゃない?」
リアさんに幸せになってもらうには。そう思うと、サクラさんの言葉に頷く以外の選択肢が、わたしにあるはず無かった。
すぐに部屋に戻った私は、リアさんにステータスを確認しなくても良いと伝える。
「だけど、もし、リアさん自身が困ったときや迷った時。その時には〈ステータス〉を使ってね?」
「はい。分かりました」
正直、私には職業のない生活なんて考えられない。自分がどう生きれば良いのか、何をすれば良いのかが分からずに過ごす日々なんて、心細さしかないように思う。だけど、それは生まれてこの方“死滅神”としてしか生きてこなかった私の考えでしかない。
「良い? リアさん、今のあなたは自由なの。何をしても良いし、何を食べても良い」
私をぼうっと見つめる紫色の瞳に語って聞かせる。
「だけど、覚えておいて。私も、メイドさんも、サクラさんも。恐らくポトトも。あなたの幸せを願っているから」
「……はい」
少し間を置いた無感情な返答が、いつものように返って来る。未だに、リアさんの心の内は読み取れない。だったら、私は私のやり方でリアさんとの関係を築いて行きましょう。私の言葉と想いが届くまで、何度も、何度でも、言葉を尽くす。私はそう、心に決めた。
――だけど、リアさんは違ったみたい。
それが分かったのは、深夜。メイドさんすら寝静まった時刻のことだった。
リアさんのお世話をメイドさんに任せていることもあって、私はサクラさんと同じベッドで眠っていた。
「ちゅろっ……ぺちょ」
「んん……ぅん……?」
寝苦しさと身体をまさぐられる感覚で、私は少しだけ覚醒する。
「……メイドさん? もう朝……? んっ……」
「ちゅぱっ、あむ」
私の服を脱がせてくる誰か、と言うより恐らくメイドさんね。飛空艇なんかでもそうだったけれど、メイドさんはたまにこうして、私が寝ぼけている間に服を着替えさせることがある。そういう時は大抵、急ぎの用があったりするのだけど、今日は何かあったかしら?
覚醒し切らない頭を巡らせて、やっぱり、無理……。
「あと30分……あんっ」
私を起こそうと少し激しく身体をまさぐって来るメイドさん。……鬱陶しいわね。リアさんと会ってから、メイドさんは基本的にリアさんに付きっ切りだ。リアさんの中には確実にあるフェイさんの記憶を呼び覚まそうとしているのでしょうけれど、私としては少しだけ。ほんの少しだけ、寂しい。
「あなたの主人は、私なのよ? ちゃんと、私のことも見て欲しいわ」
「れろっ……。はい」
「そう……。分かっているなら、良いの」
布団に潜り込んできているメイドさんの頭を抱きしめて、捕まえる。お腹に当たる柔らかい身体に、心地良い温もり。しっとりとした肌。暗い部屋でもわかるきれいな白い髪を、私は指で梳く。
「いつも私やサクラさんのために、ありがとう。……大好きよ?」
伝えたいことは伝えたし、私は再び眠ることにする。目を閉じると、いつものお日様みたいな匂いじゃなくて、甘ったるい、砂糖菓子のような匂いが鼻をつく。この香りを嗅いでいるだけで、脳が蕩けてしまいそう。落ち着くのとは違って、気分がふわっと軽くなる。全てのことが、どうでもよくなる。
「はい。リアもスカ――お嬢様のことを愛しています」
そう言って、メイドさんが私の口を柔らかなもので塞ぐ。キリゲバを相手にした時、スキルポイントが枯渇した私を助けてくれたメイドさん。その時に私の口を覆っていたものと感触が似ているけれど、少しだけ違うような……? それに、今回はさらに柔らかな何かが、私の口内を侵してきた。
「ちゅっ……。えお……」
口の中をまさぐられていてはさすがに眠りの邪魔だから、無理矢理引き剥がす。
「もうっ。私、眠いの。邪魔しないで」
「……はい」
いつになく素直に引き下がったメイドさんが私の腕の中で動かなくなったことを確認して、今度こそ私は意識を落とした。
『クックルー!』
そうして迎えた、翌朝。
「お嬢様、起きてください」
私の身体を優しく揺さぶるメイドさん声で、私は再び覚醒する。
「ゅ……? んぁ……ふわぁ……」
あくびをしながら薄っすらと目を開くと、窓から差し込むデアの光を浴びて佇むメイドさんが見える。
「……おはよう、メイドさん。もう30分経った?」
「はて、何のことでしょうか?」
あれ、気のせいかしら。昨日メイドさんが布団の中に入って来た時に、そんな話をしたような気がする。
「夢、かしら?」
「はあ……? それより、お嬢様。この事態を説明して頂けますか?」
「この事態? どの事態よ……って、あら?」
そう言ってベッドで身を起こした私は、ショーツだけをはいたほぼ全裸の状態だった。
「お嬢様が裸族なのは今さらですが、どうして全裸のリア様と同衾しているのでしょう?」
私は裸族じゃない。そう言いたいけれど、寝起きでそんな気分じゃない。それに、空調が効いた部屋だから服を着ていないと肌寒い。ひとまず着替えようと布団をどけると、全裸のリアさんが私の腰にしがみつくようにして眠っていた。
「……え?」
「さぁ、レティ。私にはついぞ許さなかった同衾をリア様に許したその理由を、是非お聞かせください」
ベッドで唖然とする私を見下ろして、メイドさんが笑っている。あの顔、この雰囲気。つい先日、ベオリタさんが見せていた笑顔と同質のものだわ。
「……ま、待って。待ってメイドさん! 私も何が何だか分かっていないの!」
「おや、とぼけるのですか? 良いでしょう。では白状するまで、おもてなし致します♪」
「ちょ、怖いわ。怖いからナイフをしまって!」
「ちょっと~。ひぃちゃんもメイドさんも朝からうるさいぃ……」
折り悪くサクラさんも目を覚まして、事態はさらにややこしくなる。寝癖の付いた茶色い髪。大きなあくびを1つしてほぼ全裸の私とリアさんをぼうっと見たサクラさん。一度大きく目を見開いた後、信じられないと言った様子でゆっくり口を開いた。
「……なんで、ひぃちゃんと、リアさんが、裸で抱き合ってるの?」
「き、聞いて、サクラさん? 私にも何が何だか分からないの!」
「いや、さすがにそれは。しかも、わたしが横で寝てるのに。ちょっと、ううん、めっちゃショック……」
「そんな……っ! リアさん、起きて! あなたが説明しないと、本当に何も分からないから!」
「すぅ……すぅ…」
私が言葉を尽くそうとするように、リアさんはこれまで通り “行為”で意思疎通を図ろうとする。1時間くらい後にそのことが分かるまで、私はメイドさんとサクラさんに軽蔑の目を向けられることになった。




