第2話 進み始めた世界
不明瞭な頭のまま、咲羅は「これももう見納めになりますのね」とサラシェリーアに言われながら、少年仕様に着替えて送り出された。セルシアに立極する者として正式に公表された今、「黒髪の少女」というのは目立って仕方がないという。今までとは別の意味で安全を確保するため、咲羅は改めて少年に扮していた。
外は一面雪に覆われていて、曇り空からはまた新しく、雪が舞い降りそうな気配がしている。凍り付きそうなほどの冷たい空気が、ぼんやりとしていた頭を少しずつ、はっきりとさせてくれる気がした。
最初に足を向けたのは、救護舎。
クレイセスとクロシェが護衛に立ち、ガゼルとサンドラは城下へ行くための準備をしに行ってくれた。
「ホントは、こんな風だったんですね」
咲羅が走り回った講堂に寝かされた人の姿はなく、代わりに丸テーブルがいくつも並んだ、ちょっとしたレストランのような雰囲気を醸す空間に様変わりしている。
二階、三階と、患者が収容されていた部屋はどこも空で、ハーシェルの言うとおり、救護舎は用を終えたと言わんばかりに、空っぽだった。
「サクラ、様」
一階に降りたところでバトロネスに遭遇し、彼が大きく目を見開いた。
「バトロネスさん」
「お目覚めになったんですね。良かった」
そう言って騎士の礼を取られ、咲羅は少し淋しい気持ちで言ってみる。
「今まで通りに接してください、は、難しいんでしょうか」
「紀と律は大切ですよ、サクラ様」
片膝をつき、見上げた彼は笑って言った。
「あなたがセルシアとして登極されることに、感謝申し上げる。差し支えなければ、忠誠を捧げる栄誉を」
いつもよれよれだったバトロネスが、こんなにきびきびとした話し方をすることにも、少し驚く。
咲羅がそっと手を差し出すと、彼は「レア・ミネルウァの祝福多からんことを」と言祝ぎ、恭しく咲羅の甲を額に当てた。
「あなたの働きに感謝します。これからも、傷ついた者の助けとなるよう、お願いします」
「御意に」
礼を解いて立ち上がるように言うと、咲羅は気になっていた者たちの行方を訊く。
「二階にいた、侯爵邸から保護された人たちって、どうなったんですか」
「ああ……彼らは、衰弱していたのも回復しまして。六名は帰りたい場所があると言うので、里に帰れるよう手筈を整えて出しました。一人は、あまりに幼く出自も言えないほどでしたので、近衛騎士舎で預かっています」
「近衛騎士舎……」
クレイセスを振り向いて見上げると、「行くのですか?」と問われて頷いた。すると一瞬クロシェと顔を見合わせたが、観念したように「いいでしょう」と許可が降りる。
何か隠したいものでもあったのかなと頭を過ったが、一番小さな子が残されたことは気になった。そして同時に、クレイセスが請け負ってくれた二人の兄妹のことも思い出す。
咲羅は救護舎を出ると、近衛騎士舎に向かいながらその兄妹についても訊いてみた。
「あの兄に接触を図ったところ、許されるならあなたに仕えたいということでしたので、引き抜いて妹とともに近衛騎士舎におります。行けば会えますよ」
「そうですか。あの……なんかそういうの全部おさまったり形になったりしてるって、わたし、どれくらい寝てたんですか?」
「今日は、あの日から十日目です」
「十日?!」
そんなに寝てたのかと、咲羅はぎょっとした。頭がなかなか起きないのも、その所為かと納得もする。
案内された近衛騎士舎は、贅を凝らされた建物ばかりの王宮で、最も質素な造りをしていた。階数は五階と大きく、少し洒落たところもあるものの、全体的には咲羅の世界の、昔の木造校舎のような風情だ。
眺めていると、不意に元気な子供の声が複数聞こえた。そしてすぐに、転がるように小さな子供がひとり飛び出して来る。
「もうかえったの?! ねえねだれ!」
まん丸な顔に真っ赤なほっぺた、眉毛だけがやたらと凛々しい男の子が、クレイセスによじ登りながら訊く。この子は性別間違えなかったな、と思いながら名前を答えた。
「咲羅って言うの。あなたは?」
「おれはサガだ! 次のだんちょーになるおとこだ!」
よじ登って肩車の姿勢をとり、咲羅を見下しながら勇ましく宣言する様が微笑ましい。髪を鷲づかみにされながらクレイセスが何も言わないのも、意外に思えた。
サガが駆け出してきた玄関口を見れば、ほかにも子供たちがこちらを窺っているのが見える。一体、何人いるというのだ。
「クレイセス……この子供たちって、騎士の子供? なんですか?」
訊くと、「違います」と少し困ったような表情で言った。
「たび重なる戦や災害で、親や保護者をなくした子供たちです。近隣の養護院はすでに介護の手を必要とする者で溢れており、子供はやむなくこちらに。非番の者が面倒を見ております」
「それは……非番でも、休めそうにないですね……」
どう見ても、手のかかる盛りの子供たちだ。
「ですので、あの彼が、意外に重宝しています」
クロシェが笑って言った。あの彼、は、舞踏会の夜、クロシェに見逃せと言った兄のことだろう。
「図体が大きかったので見誤りましたが、彼はまだ十三でした。妹は八つです」
「へ?!」
確かに、クロシェより身長は低かったが、あの鋭い視線といい腕といい、二十歳くらいと見積もっていた。クロシェを見ると、「十五六くらいかと思っておりました」と答えられ、改めて、自分が年齢のとおりに見られないのは仕方ないかと諦めがついた。
「小さい子、何人いるんですか?」
「五歳以下が七人、十歳以下が四人、それにあの彼ですね」
「この世界ではいくつが成人なんですか? 保護すべきってされてる年齢は?」
「成人は二十歳です。保護すべき対象として法で定めているのは、十五までですね。それが最低年齢というだけで、成人まで保護する施設もあります」
「なるほど。それって、この世界では十五歳になれば就ける職もあるってことですか?」
「好きに選べるというほどではありませんが、男子は職人の見習いとして、住み込みで働ける先を見つけて出て行く場合が多いようです。あとは、騎士や衛兵として身を立てる者もおりますね。女子は屋敷の下働きや女官などでしょうか。運が良ければ、貴族の侍女になったりということもあるようです」
ひととおりの質問を終え、黙った咲羅を二人が注視する。
「以前……セルシアじゃなかったとしても、生涯の生活は保障するって言ってくれてましたよね。セルシアになったら、どれくらいのこと、出来るんですか」
「王と同じことが出来ると思ってもらって構いません。三院制はとっていますが、政治的にも軍事的にも、セルシアは本来王と同じだけの権利が与えられている」
答えの大きさに驚いたが、咲羅はむしろ気持ちが固まった。
「セルシア院の中で、余ってる建物ってありますか」
「余っている……は、ないですね」
「土地は?」
「地震で倒壊した建物がありましたので、その跡地なら」
「それは、再建の予定はなしですか」
「セルシアであるあなたが要らないと言えば再建はしませんし、要ると言えば再建します」
「んー? それってなんの建物だったんです?」
あまり必要性の高さを感じない答えに、咲羅の頭には疑問符が飛び交う。
「社交の場として、十代くらい前の女性のセルシアが建てたものでした。仲の良い婦人やご令嬢を集めて賑わっていたようですね。その後はあまり使われず、時折客室として使用した程度です」
「じゃあそんなの再建要らないです。それより、この子たちを養育するための場所を作って下さい。わたしの代だけで役目を終わらせる予定で、養護院? を設立します」
咲羅の言葉に、二人が顔を見合わせた。
「何か、問題でしょうか?」
「いえ……」
「わたし、レア・ミネルウァに約束をしたんです。今の戦争は終わらせるって」
さらりと告げた咲羅に、二人は目を見開く。
「今の状況をおさめることが出来れば、彼らのような戦災孤児は減るはずですよね? それまでは、受け入れる子たちは増えるかも知れないけど……でも、セルシアとしてこの子たちを庇護することが出来るなら、そうしたいです。それから、わたしの代でみんなをちゃんと送り出して、閉院したいですね。そしたらひとつ、目標を達成出来た気がするかもしれないですし」
構わず続けた咲羅だが、考え込む二人の姿は見えている。けれど自分が喚ばれたのは、そのためのはず。どうやって、は、これから考える。けれど出来ることは、手当たり次第にやっていこうとも思っていた。誰かの指図に従うのではなく、自分で歩いて行く。
「城下では失業者も多いと聞きました。小さい子も多いし、人手は多い方がいい。住み込みで働ける人、探せますか。そういう場合の待遇って、どのくらいならきちんと働いてもらえるんでしょうか」
咲羅の質問に、クレイセスが微笑んだ。
「手配しましょう。必要なことは整えますので、揃ったら報告致します。気になることがあれば、そのときに」
頷くと、クレイセスは頭にしがみついているサガを降ろしながら、咲羅を中に促した。
「あいつはどこにいるんだ?」
「にいにはあっち!」
サガが手を引っ張るのに合わせ、駆け足でついて行く。そこには非番の騎士たちとともに、子供服の洗濯に励む少年の姿があった。
「サクラ、様」
救護舎で見たことのある男が、驚いたようにサクラを見る。バトロネスもそうだったが、「様」をつけることに一瞬の戸惑いがあり、ちょっとだけおかしさを感じた。けれどもう、バトロネスの言うように、「救護舎の小僧」という扱いには戻れないのだろう。
「お休みなのにお疲れ様です。少し、彼を借りますね」
言うと、黙って自分を見ていた少年は手を拭いて、覚悟を決めたような顔をした。
それから案内されたのは、執務室があるという二階。
長官たちはここで起居しており、それぞれの部屋もここにあると言う。二階の突き当たりの部屋は広く、それぞれの机だろう、四つの大きな机と、手前には応接セットのようなソファと椅子が設えてあった。
椅子に座らせて名前を聞くと、兄はアスティー、妹はラツィアという。どんな条件を提示されるのかと怯えすら見えるアスティーに、咲羅は将来どうしたいのかを問う。
「将来……って?」
「職業としてなんになりたいか? 急に言われても思いつかない?」
「そんなの……」
うつむいたアスティーは、思い詰めたような顔をしていて。
咲羅はどう言ったらいいのかと頭を悩ませる。
「ごめんね? わたしこの世界のことよくわかってなくて。そんな難しいことを訊いたつもりはなかったの。アスティーが将来どうなりたいか決めてるなら、そういう方向の学校とか教師とか? そういうのを手配しようとしただけ。ほかの子供たちだって、進路を決める年が来たら訊いてくつもりなんだけど。あなたが一番、年齢が上なんでしょ? まだ決められないなら、そうね、近々養護院を設置することにしたから、そこを手伝いながらでも、考えてみて」
言われていることがわからないかのように、アスティーは目一杯に大きくした目で咲羅を見つめている。この言い方では通じないのかと、咲羅が言葉を探そうとすると。
「……は、しなくていいのか」
「え? 何をしなくていいって言ったの?」
「脅迫とか暗殺とか。しなくていいのか」
「それ、むしろしちゃ駄目なやつ……」
「あんたが手を汚す代わりが欲しかったんじゃ、ないの」
「手なら自分で汚す。少なくともあなたにそれは命令しない。命令されたら、全力で拒否してよ。従わなくていい」
強さを込めて放った言葉に、アスティーはますます疑いを濃くした表情で言う。
「何、考えてんの? 俺、それしかないのに。見返りなんかどうやって払うんだよ!」
「ああ……見返り」
ただ保護されることが申し訳ない、なら、咲羅もそうだった。
何か負担にならない程度の労働でも提供してもらうのでいいのかな、と考えを巡らせていると。
「俺は……ないぞ」
「なにが?」
「あんたを……その、女として喜ばせる腕」
「……そういうのは最初から考えてない。どういう扱いを受けてたのか、から、訊くべきだったんだね、ごめん」
アスティーの言葉に、彼がどうやって生きてきたのか、わずかながら背景が見えた気がした。
「すごく価値基準が違うみたいだから言うけど、わたしのいた世界では、子供は保護されて当たり前だった。アスティーからしたらわたしはただ甘いこと言ってるんだと思う。でも、妹を人質に取られて暗殺めいたことしないといけないような環境なら、そこから助けたいと思った、それだけ。助ける以上、あなたの将来も、できる限り希望を叶えたかった、ホントにそれだけのことなのよ。それをさせたくないと思ってクレイセスに引き抜いてもらったのに、同じことなんかさせないし。夜の相手? も、必要ないよ」
咲羅の言葉を食い入るように聞いているアスティーは、まだ信じられないような表情で固まっている。
「ねえ。暗殺とかまた命令されるかもって思ってたのに、なんで来てくれたの?」
咲羅が不意に疑問に思って訊ねると、アスティーは呆然としたまま答えた。
「ラツィアと……離されるって聞いたから」
そして思い出したのか、両手を握り締めて叫ぶ。
「あいつら! 俺はちゃんと言うこと聞いてたんだ! なのに、ラツィアが反抗的だから売るって……!」
なるほど、と咲羅は得心した。妹と離されるくらいならと、鞍替えしたという訳だ。
「今度紹介してね。ラツ……ラツィアの将来も、一緒に考えていこう」
咲羅が言うと、アスティーは不思議そうな目で言った。
「俺……本当に、普通に、なれるの」
「うん。この世界で『普通』に、望めることを望んで欲しいと思ってる」
答えると、アスティーの頬をまっすぐに涙が転がり落ちた。
「じゃ、じゃあ! 俺は騎士になりたい!」
涙をゴシゴシと乱暴に拭い、まっすぐな瞳をぶつけてきたアスティーに、咲羅は笑った。彼が初めて、年相応に見えた。
「騎士って、この世界じゃ憧れの職業なんだね」
リクバルドを少し思い出したが、まだ涙腺が耐えられず、慌ててアスティーに集中する。
「そしてあんたを守れるようになる! 俺、弱くはないよ。ちゃんとやれる」
「んー、その申し出は嬉しいけど、ちゃんと強くなるまで保留ね」
「なんで! だから、俺は弱くない‼」
「負けたじゃん、クロシェさんに。わりとあっさり」
手離を投げる腕は凄かったけどさ、と言うと、アスティーは押し黙った。
「彼に勝てるくらいに強くなったら、護衛騎士って言うの? それも考えるよ。今はじゃあ、騎士になるために必要なことをきちんと学んで来て。養成学校? あるんでしょ?」
黙って控えている二人の騎士を振り返ると、咲羅は確認する。
「騎士になるためにはどうすればいいんですか? アスティーは年齢的に可能です?」
「可能ですよ」
クレイセスが答え、ざっと必要なことを教えてくれる。咲羅も保護者としての自分の役割を理解し、アスティーに向き直った。
「まずは『普通』になるために、学んで来て。アスティーがきちんと一人立ちした姿を見せてくれたら、それがわたしには大きな見返りになる、かな」
自分にも救えた人がいると、自信に繋がる何かを、彼らの将来という形で求めたい。
「あんた……俺とそんなに年変わんないのに、母親みてえなこと言うんだな」
ポツリとそう言うアスティーに、少しだけ笑って目を伏せた。
「わたしは、そんないいものにはなれないよ」
アスティーの怪訝そうな視線を感じ、咲羅は顔を上げて笑った。
「じゃあ、これからよろしくね、アスティー。困ったことがあれば、相談して」
立ち上り、部屋を出ようとする咲羅に、アスティーの声が言った。
「あの……ありがとう‼」
叫ぶようにそう言ったアスティーを振り返ると。
彼からは重たい雰囲気が、払拭されて見えた。




