075.高らかに唄うは
「僕たち、結婚することにしたんだ」
「は?」
「へ?」
マーカスとメルキュールはこれまでもゼトラには度々驚かされてきた。
だが、朝起きて目を覚ましていたゼトラが、おはようの挨拶もそこそこに、にこやかに笑って告げたその言葉には、今までで一番驚かされ、呆気にとられた。
「あなた何言ってるの?」
「冗談じゃないぜ」
だが冗談でも何でもなく、至って大真面目なのは、今まで以上にベッタリと――フィオリーナはいつもの事ではあるが、アイビスまでも頬を染めて、はにかみながら、それを肯定するようにゼトラに寄りかかっていた事を見れば、そう理解するしかない。
曰く、夢を見たと言う。
とてもとても、幸せな夢。
ゼトラはフィオリーナ、アイビスと永遠の愛を誓い合い、結婚した。
二人との間に多くの子供が恵まれ、その子供たちにも子が出来て、その子にも子供が出来て……大勢の孫、曾孫、玄孫たちに囲まれる夢。
愛馬エクリプスに乗り、ユングスタインの草原を駆ける夢。
老いたゼトラは、同じように老いたフィオリーナとアイビスと共に、色鮮やかな花畑で子供達と花の冠を作り、頭に乗せて笑い合う。
勿論マーカスやメルキュールも一緒だった。
マーカスは相変わらず冒険者稼業をやっているようで世界中を旅しているようだ。
メルキュールは研究に打ち込み、次々と発明品を世に送り出す。
マーカスからたまには一緒にどうだ、と誘われてまた五人で世界を旅して回った。
他にもダニエル・アルベルト、オリバー・レクツァト、レイモンド・フォーク、ミヒャエル・アインホルンといった旧臣たちは政治や近衛兵団長と言ったそれぞれの得意分野で腕を振るい、再興を果たしたユングスタイン王国を支えている。
そして母、アリス。
アリスは穏やかに笑みを浮かべて、我が子ゼトラの姿を優しく見守っていた。
多くの者達に囲まれた幸せな夢……。
だが、その夢を見るゼトラに、もう一人のゼトラが優しく笑いかけた。
――これは夢なんかじゃない。君が掴み取る未来だ。
「え? どういうこと?」
夢の中でゼトラは、もう一人のゼトラに問いかけた。
だがもう一人のゼトラは答えず、なお優しく微笑みかけた。
――夢を現実にするんだ。それが出来るかどうかは、君次第なんだ。
その夢は遠ざかり、手を伸ばしても届かなくなって、目が覚めた。
夜明けを告げる小鳥の歌声が聞こえた。
目が覚めた時、フィオリーナとアイビスは泣き疲れてうずくまるように眠っていた。
上体を起こし、ゼトラが愛おしそうに二人の頭を撫でると、二人はすぐに目を覚ました。
そして優しく微笑みかけるゼトラにアイビスが、ついでフィオリーナが抱きついた。
「ゼトラ……!」
「ゼトラ!」
頬をこすりつけるように、首に手を回す。
その勢いにベッドに倒れ込んだが、それでもやめず、嬉し涙をこぼし、何度もその名を呼んだ。
「夢を見たよ……」
「うん……」
「どんな夢だった?」
ポツリと呟くゼトラから顔を離して、アイビスとフィオリーナが楽しげに微笑む。
「幸せな夢だったな……」
「うんうん」
ゼトラは夢のことを話した。
結婚して、二人との間にたくさんの子供を作って、孫が出来て、みんなに囲まれて、みんな笑っていて……。
たちまちフィオリーナとアイビスは頬を染め、今度は感激の涙をこぼした。
「えへへ」
「うふふ」
ゼトラが見た夢の中の自分の姿を想像して、照れくさそうに、だが喜びをいっぱいにして、また抱きつく。
ゼトラは二人の髪を撫でて、優しく引き離した。
そして真剣に、まっすぐにアイビスの瞳を見て、フィオリーナを見て、ニコリと微笑んだ。
「僕はフィオのことも、アイビスのことも好きだ。大好きだ。愛してる。どっちか選べなんて出来ない。同じくらい、愛してる」
「うん……」
「はい……」
フィオリーナとアイビスは頬に伝う涙を拭おうともせず、嬉しそうにかすかに頷く。
そして次の言葉を待つように、高まる胸の鼓動を抑えた。
「だから、結婚してくれないかな」
ゼトラの甘い囁きに二人は無言で頷いて微笑む。
アイビスがポロポロと涙をこぼして、ゼトラの肩により掛かる。
よくわからないから、と誤魔化してはいたが、その言葉をずっと待っていたかのように。
そしてフィオリーナもまた感激に瞳を潤ませながら口づけを求めるように目を閉じた。
だがゼトラはその唇ではなく、頬に軽くキスをした。
フィオリーナはそれが不満だったのか、少し戸惑うように目を開いてゼトラを見つめる。
「大人になるまで我慢……ね?」
「どうして~?」
ぷぅと頬を膨らませるフィオリーナを抱き寄せて、今度はおでこに唇を当てた。
額から唇を離すとじっとフィオリーナの瞳を見つめる。
「僕は二人のことはとても大切に思っているんだ」
「うん……」
「だから周りの人たちにもちゃんと祝福されてほしい」
「……うん!」
「だからこそ後ろ指を指されるようなことはしたくない。悲しい思いをさせたくない。真剣だからこそ、守るべき一線は守りたい。そういうことは、ちゃんと結婚してから……って思ったんだ。だから、ね?」
優しく微笑むゼトラの気持ちは真剣で、一時の浮ついたものではないと言うことは、二人にも届いたのだろう。
アイビスがゼトラの頬に唇を押し当てて、フィオリーナも負けじと唇を押し当てて、はにかむ。
「私も……私もゼトラのことが好き……愛してるわ、ゼトラ……」
「私も好き! ゼトラのことはずっと前から大好きだった!」
「ありがとう……。ふたりとも愛してるよ」
ゼトラが二人の腰に手を回して抱きすくめる。
二人はゼトラの耳元にそっと囁いた。
「不束者ですが、宜しくお願いします……」
「あう、お、お、おねがいします……」
アイビスは素直に。フィオリーナはいざとなったらぎこちなく、愛の言葉を囁く。
それにゼトラとアイビスがクスクスと笑い、ぷぅと頬を膨らませたフィオリーナに唇を押し当てた。
「んっ……」
フィオリーナは幸せのあまり、とろんと目を蕩けさせ、目を閉じる。
その頬には一筋の涙が溢れ、ゼトラの頬にぽたりと落ちて、感激に身体を震わせた。
そしてまた代わる代わるゼトラと愛を囁き合いながら今に至る。
「そ、そう」
どうやら三人とも本気らしい、と理解してメルキュールがぎこちなく笑った。
――あっさり常識を超えていくわね! この子たち!
驚きなのか、感動なのか、自分の感情がよく理解できず言葉はしどろもどろになる。
「と、とりあえず子供はまだ早いわよ! アイビスだってまだまだ子供を産めるほど身体は成長してないんだし、フィオリーナに至っては論外だからね!」
「もちろんだよ!」
ゼトラが慌てて笑ったが、メルキュールはアイビスとフィオリーナが一瞬、えー?と抗議の目をしかけたのを見逃さなかった。
「あんたたち! 冗談じゃないんだからね! わかってる!?」
大層な剣幕で目を見開いて、半ば睨みつけるように見つめるメルキュールの迫力に、少女たちはさすがにタジタジとなって、何度も頷いた。
「な、何歳まで待てばいい?」
おずおずと聞くフィオリーナに、メルキュールは戸惑う。
「そ、そうね……二十か……早くて十八くらい……かしら」
「わーん! やっぱり早く大人になりたーい!」
それを聞いてフィオリーナがジタバタとして、アイビスがクスクスと笑った。
「大きくなるまで、ちゃんと待つから……ね?」
あやすように頭を撫でて「それまで我慢しようね」と微笑みかける。
ぷーと頬を膨らませたフィオリーナがゼトラにキスをせがむように顔を近づけようとして、またメルキュールが目を吊り上げて指差した。
「それ! それも時と場所を選ぶのよ!?」
「えー?」
「アイビスとゼトラは、まあ分からなくもないけど、フィオは場所によってはビックリされるんだからね!?」
「なんで~!」
「バインクレでキャシーさんも言ってたでしょ! あなた達は一般常識からかなりかけ離れてるの!」
「ぶー!」
抗議の声を上げる時に「ぶー」と言う者はそうは見かけないが、フィオリーナのそれに一瞬吹き出して、すぐに真剣な表情に戻ったメルキュールがフィオリーナを真っ直ぐに見つめた。
「いい? あなたは別に構わないかもしれない。でもね、それで悪評が立つのはゼトラなの」
「えっ……」
「『あんな幼い子に手を出して』『幼女趣味とは如何なものか』って白い目で見られることがあるかもしれない。それで傷つくのはフィオではなくて、ゼトラなの。それでもフィオは、自分のためにキスをせがむの?」
「……」
メルキュールの真剣な言葉はゼトラの話していたことと同じであり「ちゃんと祝福されたいからこそ一線は守りたい」という意味が、フィオリーナにもようやく理解できたようだ。
長い沈黙を経て、しかし大きく頷いた。
「わかった。がまんする」
「わかればいいのよ」
ホッと胸をなでおろし、メルキュールも大きく頷いた。
視線をゼトラに戻し、ニコリを笑う。
「フォークさんとアルベルトさんが今すぐにでも会いたいからいつでも連絡してくれってリンクドスネールに通信入ってたわよ」
「あ、そうなんだ。そうだね。ちゃんと報告しないと……」
「その前にお風呂にでも入ったら? 国王様が目を覚ましたらいつでもって地階の大浴場を解放してるみたいだから」
「あ、うん。そうする」
着替えは昨夜のうちに済ませてくれていたのだろう。
こざっぱりとしていたがどこか身体が汗臭い気がして、ゼトラが鼻をひくつかせる。
アイビスとフィオリーナが一時の別れさえも惜しむように何かを訴えかけるような瞳でゼトラを見て、「じゃあまたあとでね」と唇を二人の少女に押し当てる。
少女たちはそれに満足気に頬を染め、お返しのキスをして、浴場へと向かったのだった。
大浴場で汗を流し、朝食を軽く済ませ、国王の謁見の準備が整うまでの間、また三人きりで何度も愛の言葉を囁きあいながら、しばし。
非公式、という形だったため応接間にマーカスとメルキュールとも合流して五人で謁見することになった。
だが応接間にはギュスターヴ国王は未だおらず、代わりにレイモンド・フォークとダニエル・アルベルトが既に登城していた。
応接間に通されるなり、レイモンドとアルベルトが跪く。
「無事のご帰還、安堵致しました」
「心配かけた」
「いえ、一時意識を失われていたとお伺いしましたが……」
「うん。僕にも詳しいことは分からないが、水蒙竜曰く僕の精神魂に何かあるようだ」
「コアシステム……でございますか」
「そのようだね」
ゼトラが苦笑して肩をすくめる。
自分自身が自分のことをよく分かっていない、という事実を改めて認識して戸惑っているようだ。
しかし一方でレイモンドもアルベルトも、約半年程しか離れていなかったにも関わらず、ゼトラの成長ぶりに驚いていた。
背丈もそうだが、身にまとう堂々たる振る舞いは王の座主として相応しいようにも感じていた。
目を細め、主の成長に胸を震わせる。
「では国王陛下がおいでになる前に、軽く現在の状況についてご説明させてくださいませ」
「うん。頼む」
レイモンドが頭を垂れると皆でローテーブルとソファに移り、何枚かの紙を取り出した。
その紙には数字がいくつか並び、現在のユングスタイン人保護特区の人口、集まっている軍資金、義勇軍の見込み人数、和国との戦力比較、といった情報がまとめられていた。
また宰相だったレイモンド・フォークの父と同様、崩壊するユングスタイン王国より先んじて脱出した旧政府重鎮や重職にあった者たちがカールシア大陸北部、ノースランド連邦国と話を取りまとめ、北部地域に逃れたユングスタイン人を結集させている、という報告があった。
「その規模およそ十万人前後と聞き及んでおります。こちらの南部地域と合わせれば十五万人ほどの規模になる見込みです。戦略次第ではいざ事に及んでも十分勝機はあるかと」
「そうか……」
またエイベルクにせよノースランド連邦国にせよ、結集したユングスタイン人たちに、決して暴発せぬように、とよく言い聞かせてはいるが、血気盛んな若者も多いようで抑え込むのに苦労していると言う報告を聞いて、ゼトラが露骨に顔をしかめた。
だがゼトラは微かに頷くだけで、再興の向けて興奮する様子はない。
それを見て、レイモンドが訝しがって首を傾げる。
「恐れながら、殿下。何か別の考えが?」
「うん……そうだね……」
微かに唇をかみしめ、申し訳無さそうにアルベルトをちらりと見た。
「七竜のこと、そして『極めて深刻な脅威』の邂逅のことは聞き及んでいるか?」
「ええ。そちらのマーカス殿から一応のあらましは」
「そうか。ならば分かるのでないか」
「……」
レイモンドが俯き、その問いに沈黙した。
やはりなかなか言い出しにくいのだろう。
ゼトラがその代わりに口を開く。
「事ここに及んで国同士で争っている場合ではない。人類存亡の危機である。例え相手が憎かろうと、まずは『極めて深刻な脅威』に対してどう立ち向かうか、それを共に考えるべきだと思う」
「……」
アルベルトもそれは分かっていたのだろう。
二十五年の鬱積を晴らす機会を奪われる悔しさに肩を震わせて、微かに頷いた。
「しかして先の不幸を味わった者たちにとって感情的になるなと言うのは無理な話。今はただ耐え、事が解決するまで待っていてほしい。再興軍を興すか否かは、その後だ」
ゼトラの冷静な言葉に、レイモンドは軽く息をついて、頭を深々と下げた。
「……畏まりました」
「ハッ……」
同じくアルベルトも頭を垂れて、頬を伝う悔し涙をそっと拭ったのだった。
「待たせたかな」
その時、軽くノックをしてギュスターヴ国王が入室してきた。
その後ろに山剴竜と水蒙竜の二人を引き連れて。
水蒙竜は女性器がないとは言え一見するとあられもない全裸に見えるため、その姿で堂々と城の中を歩かれては困ると言われたのだろう。
山剴竜と同じくシンプルな白のワンピース姿である。
「こちらのテュール殿と山剴竜……ユピ殿と七竜システムについて話を聞いたところだ」
「ユピ殿?」
「わしの愛称じゃ! ユーピテルよ! 水蒙竜の支援あってようやく強化外殻とのリンクが復活して諸々情報を取り出せたわ!」
「そ、そうなんだ」
カッカッカ!と相変わらずな尊大な態度ではあるがゼトラを前にすると、テュールと同じく跪き、頭を下げた。
「久しかったな、マイマスター」
「う、うん……」
以前は顔を見るなり飛び蹴りで襲いかかってきたことを考えると、あまりにも殊勝な変わりように困惑しつつ、ゼトラはとりあえず頷く。
その様子を見たギュスターヴ国王が楽しげに顔を綻ばせた。
「まあ掛けたまえ。事は急ぐが心安んじてほしい」
「はっ」
ギュスターヴ国王曰く。
エイベルクの南西、アムスト大陸のカイコルロ王国と、さらに西、南アルムス大陸のアルムシタッド王国から連絡があり、封印石に案内する用意が出来ていると言う。
一方サイアル王国とキチジュ王国は現在も封印石を捜索中という回答が届いた。
そして和国政府に対しては大使館を経由して問い合わせているが「確認中」としか返答が来ていない。
「テュール殿によると七竜は本体にシグナルを送ることができるそうだ。その応答によって封印石の大体の位置が分かるらしい。そこでまずこの二国へ向かうことを優先させたいが、どうだろうか」
「構わないと思います」
「うむ。殿下だけに全ての負担を強いて、ただ祈ることしか出来ない我が身が呪わしいよ。せめて強化外殻に搭乗して何か出来ることはないかと問うたが……」
「強化外殻の制御は全て核体に託されています。賑やかしにもなりません」
「……だそうだ」
ギュスターヴ国王の問いかけるような視線にテュールが無碍なく答えて、苦笑する。
それを見て、アルベルトが軽く息をついてゼトラを見た。
「恐れながらその悔しさは私にもあります。せめて殿下のお側でお仕えできればよいのですが……」
「気持ちはありがたく受け取っておく。だがあの戦いは既に人の手に負えないものだ。恐らくだが強化外殻の中ですら命の危険に晒されることもあるのではないか?」
「はい。『極めて深刻な脅威』の攻撃によって破損すればその被害は内部に及びます」
ゼトラの問いにテュールが頷き、ぎこちなく笑みを浮かべた。
「……というわけだから、大切な者を危険には晒したくない。もっとも、この地上に安全な場所などありはしないかもしれないけどね……」
しかしゼトラのその言葉は、アイビスとフィオリーナにとって残酷なものだった。
――ゼトラは私たちを一緒に連れて行ってくれないつもりだ……。
アイビスは顔を伏せたまま、肩を震わせた。
それはある意味で、ゼトラに裏切られたような感覚があったのかもしれない。
あれだけ永遠に愛し続けると囁きあったのに。
――どうして……。
フィオリーナが瞳に涙をためて、ゼトラを見上げた。
だがその横顔はどこか遠くを見つめていて、フィオリーナの視線には気づかないようだ。
その様子に気づいたメルキュールがそっと肩に手を伸ばし、大丈夫?と声をかけたがフィオリーナは答えず微かに首を振るしかなった。
予告。
世界に迫る危機。その『極めて深刻な脅威』と暗に一人で戦うと決意したゼトラ。
大切なものを守りたい。
その思いは少女たちに届くのか。
次回「076.愛の歌」
お楽しみに。
ブクマ、評価をつけて頂き御礼申し上げます。
本当にありがとうございます。
ブクマ、評価、感想などいただけると嬉しいです。
次回更新は2020年11月18日お昼頃の予定です。
よろしくお願いいたします。




