067.忠臣の決意は気高く
カールウェルズ魔創公国の冒険者ギルドマスターはゼトラの母、アリスの旧臣の一人であり、ミヒャエル・アインホルンと言った。
年齢はダニエル・アルベルトの一つ上で四十三。幼いアリスを連れて逃げ出した時は十八だった。
ユングスタイン王国の名家、アインホルン家の嫡男でありその将来を嘱望された存在である。
名家の出身らしく誇り高い人のようだが礼節を弁え、ゼトラがマスタールームへ入ってくると、職員を追い出すように退室を促した。
そしてそれを確認すると、すぐさま跪いて最敬礼の姿勢を取った。
「お初にお目にかかります。ミヒャエルユークレイ・アインホルンと申します。この度はアリスアトラ・ユングスタイン妃殿下のご子息に拝謁する機会に恵まれました事、至上の喜びでございます」
「ありがとう、ミヒャエルユークレイ。少し待たせてしまったかな」
「とんでもございません。ゼトラ殿下のご活躍、このミヒャエルの耳にも然と届いておりました」
ミヒャエルの性格なのか、オリバー・レクツァトやダニエル・アルベルトとは違い、感動に打ち震えて涙をこぼすようなことはなかったが、しかしゼトラとようやく巡り会えた事にその顔つきはどこか誇らしく、ゼトラの壮健ぶりにどこか安心したようにも見えた。
だがこれまでのミヒャエルのこと、母アリスの事、そしてこれまでのゼトラの旅路について話が及ぶと、その苦労をねぎらうように、時折涙ぐみながらいつまでも話が尽きないのだった。
その話よると、ダニエル・アルベルトが王都グランマリナのギルドマスターに就任してアリスを支えることを告げると、ミヒャエルもそれに倣ってカールウェルズ魔創公国へその拠点を移した。
そしてそこでも信任を得て、首都イザベリアのギルドマスターに就任した。
それは今から七年前の事で、時折イザベリアに立ち寄るアリスの支援を行いながら、その任に励んだのだった。
だが運命が一変するのは、やはり四年前のカールウェルズ魔創公国と和国の条約締結後だった。
急速に発展する魔法科学の技術によって、ちょっとした魔獣が相手なら冒険者に頼らずとも自力で解決できる手段が増えてきた。
その手段とは和国製の魔具が主であるが、カールウェルズ魔法工学研究所から、冒険者のように戦闘に熟達したものでなくても使える、また魔法を扱えずとも魔法の力を発動させる武器が提供されるようになり、次第に民間にも普及していった。
それに従い、次第にイザベリアの冒険者ギルドは閑古鳥が鳴くようになっていた。
マーカスが和国製の魔具は恐らく亜人の命を犠牲にして作られたものだろう、と指摘してその理由を説明すると、ミヒャエルは絶句した。
「……それがなんであれ、魔法科学、魔法工学がこのまま発展していけば、冒険者が不要となる時代はいずれ訪れましょう。さすれば多くの冒険者が職を失うことになります。そういった者たちのその後の身の振り方を考えるとマスターとして頭が痛いですな」
時代は魔法と科学の融合によって大きく変わろうとしていることをマーカスも実感した。
また、ミヒャエルもレイモンド・フォークよりユングスタイン王国の滅亡の真相も聞いており、にわかには信じがたい、とその判断を保留していた。
ユングスタイン王国と和国は国境を巡ってトラブルを起こしやすい地勢ではあったが、一度も直接的に争ったことはない。
征魔大戦においても徹底して中立を貫いた。
何の目的があって、そこまで人の道を外れたことができるのか。
どのような目的であれ、そこまでやるとは到底思えない。人のやることではない、人ができることではない。にわかには信じがたい。
それがミヒャエルが判断を保留した理由である。
だが、改めてゼトラの口からそれを聞いて、またニアベルクに於いてエイベルク王国内部に入り込んだ和国政府との政治の陰謀に巻き込まれたことを聞いて、ユングスタイン王国滅亡の経緯は、状況証拠の積み重ねに過ぎないものの、やはり真実であろうか、とミヒャエルは唇を噛み締めた。
どうやらミヒャエルは極めて冷静沈着な性格でその思慮の深さはアルベルト以上のようである。
無闇に感情を表に出さず、時代の流れをよく見守ろうと、努めて客観的な視点を持とうと心がけているようにも見えた。
しかしニアベルク、王都グランマリナにおけるユングスタイン人保護特区や義勇軍の集結について話が及ぶと、ミヒャエルは改めて姿勢を正してゼトラに問うた。
ユングスタイン王国の再興の意志はありやなしや、と。
「……ユングスタイン王国に非があって滅ぶべくして滅んだのならそれは運命と思う。だが不当な手段を持って滅亡したのであれば、当然ながら再興を求める声は大きくなろうかと思う。その時は号令をかけることに躊躇してはいけないと思っている」
「なるほど……」
「いずれにせよ人伝に聞いた話を鵜呑みにせず、直接和国に赴いてその真実を見極めなければいけないと思っている」
その答えに、ミヒャエルはニコリと微笑み、それは正しいものの見方だと頷いた。
しかし和国の正体が明らかになり、世界全体が和国と反和国という図式になれば、事態はユングスタインだけの問題だけではなく、あるいは全世界規模の争いになるかもしれなかった。
ミヒャエルがそれを指摘すると、ゼトラは悲しげに顔を振った。
「可能ならそれは避けたい。まずは交渉を行い、それでもダメなら、あくまで戦うのは当事国のみ。他の国も巻き込んでの戦争など、多くの者に犠牲を強いるやり方はあってはならないと思う」
「……」
その念頭にあるのは征魔大戦があることは明らかだった。
和国を盟主とした連合国と、魔族――竜角族を盟主とした連合国で世界を二分した戦いを繰り返すことはあってはならない。
ミヒャエルはその答えは王として正しいものだ、と納得しつつ内心では、ゼトラはあまりに優しすぎる、と懸念した。
そもそも交渉とは、利害がぶつかりあい、このまま衝突を繰り返せば双方に多大な被害が生じることが懸念されるからこそその場が用意されるものである。
また交渉にあたっては、双方の軍事力が均衡している場合でこそ成立するものである。
いくらゼトラの元に万を超える再興軍が結集しようと、人口数億を抱える和国の前にあっては弱小に等しい。
弱小たるユングスタインを相手に交渉はそもそも成立し得ないのだ。
だからこそ当事国のみでの解決など、夢のまた夢であり、他国を……古の七王国の力を借りるのは必須とも言える。
ゼトラはその点に於いてまだ理解が及んでいない。
ゼトラの前提にある、話し合えばどうにかなる、争うのは当事者のみ、という考えは、ある意味でゼトラらしい優しさから来るものであり、平和を愛する正義の思考である。
だがそれを相手にも同じ価値観を求めてしまっている時点で、その考えは誤りとなる。
いくら喚こうが騒ごうが、軍事的脅威ではない、痛くも痒くもない相手と話し合う必要など、和国政府には何一つないのだ。
ゼトラの前提はその一点に於いて、優しいのではなく、考えが甘い。
しかしミヒャエルは、それをまだ若いゼトラに指摘することはできなかった。
清濁併せ呑む老獪さは、世の中の酸いも甘いも知ってこそ発揮されるものであって、ゼトラにはそのような腹芸は出来ないのは明らかだった。
何より、今のゼトラは清らかな理想を掲げる無垢な存在であって欲しい、と願ったのかもしれない。
それは苦難の道を共に歩んだアリスアトラの面影を強く残すゼトラが、大人のずる賢さで穢れてほしくない、という思いが強かったのかもしれない。
だが、もしゼトラが和国政府を交渉が通用しない相手である、と判断した時、果たしてどのような行動に出るのか、想像するとミヒャエルは怖くもあった。
「ゼトラ様は、どうかそのままであって欲しいと思います」
「……そうか」
微笑み、頭を垂れるミヒャエル。
その言葉の真意を汲み取れず、ゼトラは頭をかいて誤魔化した。
「ところで、ゼトラ様はアリスアトラ様の行方について何か掴んでらっしゃいますか?」
「いや……。西の大陸に渡ったとは聞いたが……それも三年以上前のことらしいので、今はどこにいるのやら」
「なるほど……」
ミヒャエルは秘めていた思いを打ち明けるとゼトラは驚いた。
「マスターを……辞める……?」
「ええ。一年ほど前から考えていたことです」
「じゃあ冒険者としても?」
「そうなります」
「……まさか、母さんを?」
「はい。……アリスアトラ様を探す旅に出ます」
ダニエル・アルベルトやオリバー・レクツァトは未だ多くの冒険者を抱えるギルドのマスターという立場でその身を引くには忙しすぎる。
レイモンド・フォークは保護特区を手に入れ、着実に義勇軍を興す準備を進めるだろう。
ならば自分は何ができるのか、とミヒャエルは考えた。
ミヒャエルは若くして妻を病で失い、子もなく、独り身だった。
再婚する気もなく、マスターという立場だったからこそ、このまま冒険者を続けることも難しいと判断した。
カールウェルズの冒険者ギルドの閑古鳥を見れば、さしたる障害もなくその任を辞するのにも問題はなさそうだ。
なればこそ、身軽な立場を活かして主君を探しにいくべきだ、と判断した。
「あてはあるのか?」
「アリスアトラ様がどのような行動を取られるか考えると、あるいはここでは、という予想はつきます」
「それは?」
「……和国です」
「まさか!」
「最もあり得なさそうな所に行く。それが我らの愛した主君ですから」
アリスの驚くべき行動力を想像したのか、ミヒャエルは苦笑して世界地図を取り出した。
「恐らくここからさらに西へ、アルムシタッド王国へ渡海したのはレイモンド殿の情報通り間違いないかと存じます。ではその後どうするか……」
そう言ってミヒャエルはアルムシタッドから左、キチジュ王国を指し示した。
「その後こちらに戻ってこないことを見ると、そのままさらに西へ。キチジュ王国を経由して、さらに西、和国もしくは旧ユングスタイン王国へと向かったのではないかと予想しております」
「一度エイベルク王国に戻って、東へ向かった方が近いのでは?」
「それも考えましたが、王都グランマリナの東、マードル大森林を抜けた先はアルアリル大砂漠。さらにそれを抜けても和国と隔てる高山地帯が続きます。陸路伝いでは半年以上かかる距離とも言われていますから」
本来であれば、エイベルク王国から海路でサイアル王国を経由して和国に向かうカールシア大陸南海交易路を利用するのが最も妥当ではあるのだが、アリスの性格を考えると、戻ってからまた東へ向かうより、そのまま西へ向かうはずだ、とミヒャエルは判断した。
アルムシタッド王国からキチジュ王国を経由する海上路は、順風なら二ヶ月も掛からず和国にいけると言う。
「そうか……意志は固いんだね」
「えぇ、既に信の置ける者に後任を託せるよう進めています。何よりこうして和国政府の影響を目の当たりにすると、もし万が一アリスアトラ様の御身に何かあれば一生後悔しそうな気が致しまして……」
「わかった。もし母さんを……母を見つけたら良しなに頼む」
「ハッ!」
ミヒャエルはおよそ一ヶ月後を目処にギルドを辞する予定であると告げると、ちょうど開催される八公爵家トーナメント戦の話に及んだ。
それにゼトラが出場予定であることを知ると、ミヒャエルは驚きつつ、健闘を祈るのだった。
ちなみに、ゼトラとミヒャエルが話している間、フィオリーナとアイビスはと言うと、ゼトラに寄り添いながらも、終始静かに、そして時折笑顔で相槌を打つことに徹していた。
それはフィオリーナとアイビスの間で密かに繰り広げられていた、ゼトラに「ボクの恋人です」と紹介してもらおうと企んでいた事によるのだが、どうやら思惑は外れたようである。
帰り際、ミヒャエルの――
「ところで殿下のお側にお付きのご婦人は、その……どういうご関係で……?」
――という問いに、ゼトラは微妙な表情を浮かべて答えた。
「そこはまあ、そのうち」
照れ隠しするように笑う濁した答えに、フィオリーナとアイビスはションボリと肩を落とすのだった。
その後冒険者ギルドを後にした一行は、メルキュールを労いに再びカールウェルズ魔法工学研究所に立ち寄った。
メルキュールは早速ブラックボックス化してある内燃機関の基盤とにらめっこしながら、その解析に忙しそうにしていた。
「今日は泊まり込みになっちゃうかも」
「大丈夫か? 何か手伝えそうなことあるか?」
「うーん……現状は掃除と確認ばっかりで力任せなのはないなぁ。工作機械を運ぶとかになったらお願いするかも」
「わかった。いつでも呼べ」
「うん。ありがとね」
その日は宿へ戻り、トーナメント戦までの間は冒険者ギルドで修練を積んだり、時々メルキュールの手伝いをしたり、近場のちょっとした依頼をこなしたり、と過ごす事になった。
なお、一ヶ月以上の滞在ともなれば流石に宿を連泊するわけにも行かず、翌日にはカールウェルズ魔法工学研究所にほど近い場所に、寝室付きの少し広めのアパートを借りている。
余計な備え付けの家具はなく、まさに寝泊まりするだけの場所ではあるが、一ヶ月の賃料が銀貨五百枚とお手軽な価格だった事と、近くに銀貨一枚で入れる大規模温泉施設があったことも決め手である。
ただ、これに殊の外喜んだのはゼトラだった。
「最近アイビスの料理を食べてないなって思ってなかったから」
「そ、そう……」
ニコニコ顔のゼトラを見て、アイビスもまた照れながらも微笑み、フィオリーナはそれを見て思うことがあったのか。
「アイビス! 私にも料理教えて!」
「え……うん……いいよ」
そんな事がありつつ、毎日を過ごしたのだった。
だが八公爵家トーナメント戦の代理にユングスタイン亡王国に出自を持つゼトラが出場するということは、本人にその気はなくとも、政治的に重大な意味を持つことであり、それを巡って少しばかり混乱を招くことになる。
それはベアトリシュ・デュアルト夫妻が支持する公王候補との面会での事だった。
予告。
次期公王を決める八公爵家トーナメントを前に代理を立てた公爵家、アーサー・ハイウェルズと面会することになったぜトラと『明けの明星』
しかしそこにも和国の陰が忍び寄っていた。
次回「068.王たる資格とは」
お楽しみに。
ブクマ、評価をつけて頂き御礼申し上げます。
本当にありがとうございます。
ブクマ、評価、感想などいただけると嬉しいです。
次回更新は2020年11月1日お昼頃の予定です。
よろしくお願いいたします。




