057.立ち込める暗雲を
身体を震わせるアイビスの肩を抱き寄せたまま、ゼトラたちはひとまず五人で一部屋の宿にチェックインを済ませた。
とりあえず二時間後に下のレストランで、とベアトリシュと約束して部屋の前で別れる。
「だいじょうぶ……?アイビス……」
フィオリーナの心配そうな声に、健気に頷きながら、それでも肩の震えが収まりそうにないアイビスをゼトラが優しく抱き支えた。
部屋に入ると、メルキュールは早速部屋を覆うように虫殺しの魔法を走らせる。
パシン、といくつかの音が聞こえ、石が転がり落ちた。
「ここにも虫を仕込んでるなんて!」
呆れたようにメルキュールがため息をつくと多重結界を展開させた。
「よっと」
「ッ!」
部屋に入るとゼトラがアイビスを横抱きにした。
アイビスが可愛い悲鳴をあげ、頬を染めてゼトラを見つめる。
だが抵抗することなくベッドに運ばれると、横に寝かせられた。
「しばらく休んでて」
「うん……でも……」
すぐに起き上がると、モジモジとしてゼトラの横に腰掛ける。
「この方がいい……」
そう言うと、ゼトラの首に手を回して、甘えるように頬をすり合わせて抱きついてきた。
ゼトラも微笑むと、わかった、とアイビスを膝の上に座らせ、アイビスを力強く抱きしめてその背中をさする。
フィオリーナもまた微笑んで、その背中をさするように抱きしめるのだった。
その様子を微笑ましく見守っていたマーカスとメルキュールが視線を交わして頷く。
「さて風呂はどうするかね。大浴場があるみたいだが」
「そうね、私は入るつもりだけど……たぶん和国人いそうよね……」
「うぅ……」
ゼトラに全身を抱きしめられて、ようやく落ち着きを取り戻したアイビスが、また悲しげな顔で悲鳴をあげる。
「私はシャワーで済ますから……メルキュールは行って……」
ゼトラに甘えるようにその胸に顔を寄せながら上目遣いで訴えるアイビス。その儚げな可愛らしさを見て、メルキュールがキュンと胸を高鳴らせる。
「わかったわ。とりあえず一時間くらいで戻るつもりでいるからね」
「うん……いってらっしゃい……」
ゼトラに甘えながら小さく手を振るアイビスに、さらにキュンキュンしながらメルキュールも手を振り返して大浴場へと向かうのだった。
二人がいなくなって、静かになった部屋に残された三人。
なんだか気まずさを感じたようで、ゼトラが慌てた素振りで胸に顔を埋めるアイビスを優しく引き剥がした。
「アイビスとフィオリーナもシャワー浴びなくちゃ」
「え……うん……そうだね……」
のそのそと立ち上がり、シャワーを浴びるために着替えの準備をするアイビスとフィオリーナを見て、ゼトラはベランダへ避難しようとした。
だがその袖をアイビスがつまんで呼び止める。
「え、なに……?」
「えっと……その……」
「……?」
モジモジ、おずおずと上目遣いのアイビスが、頬を染めてそっぽを向く。
「一緒に入る……?」
「えぇ?」
「あ、違くて……一緒に入ってほしい……まだちょっと怖くて、その、不安だから……」
とんでもないことを言い出したアイビスを見て、しかしその目は至って本気なことを悟り、ゼトラは力なく笑って、カクンと肩を落とす。
しかし真っ赤になった顔を上げた。
「あ、あのさ、この際だから二人に行っておきたいんだけどっ」
「え……?」
「ボ、ボクもさ。男なの!」
「え、うん」
それはそうだ、何を言ってるの?と不思議な顔をするフィオリーナとアイビスにゼトラは苦笑する。
「ボクだって、二人も可愛い女の子に抱きつかれたら、こう、男の子の欲望が爆発しちゃいそうでさ……!その、なんていうか、そういうのはまだ早いと思うんだよねっ!?」
照れながら言うゼトラの言葉に、自分が何を懇願していたのかようやく理解して、アイビスの顔がボン!と火を吹くように顔が真っ赤になった。
純潔を守るように両肩を抱いて、後ずさる。
一方のフィオリーナも、両手で顔を覆ってきゃーと可愛い悲鳴をあげ、何故か嬉しそうだ。
「あうぅ」
頭を抱え、葛藤する少女は上目遣いでゼトラを見た。
「じゃ、じゃあ、シャワールームの外にいて……!お願い……!」
「き、聞こえちゃうけど!」
「聞いてていいから……っ!」
またとんでもないことを言いつつ、不安げにすがるアイビスのリクエストに応えて、背中越しに聞こえる姦しい声とシャワーの音を聞きながら、その鋼の精神力で誘惑を振り切るゼトラなのだった。
だが。
そこそこ長いシャワータイムを終えて、バスタオルで身体を包んで出てきた少女二人にゼトラはびっくりして顔を背けて目を瞑る。
色白の素肌、傷一つない美しい手足を晒し、おまたせ、と無邪気に笑うフィオリーナ。
アイビスに至っては、脚の付け根、ギリギリまでしか隠せていないバスタオル。それをちょっとめくれば女の子の大事な所が見えそうである。
それを思わず想像してゼトラは顔を赤らめる。
「どうして服を着てないのっ!?」
「えー?」
「え……着替えが濡れちゃうし……」
「ボクの話聞いてた!?いいから早く服を着てよう!その……、見えそうだから!」
また顔を真っ赤にして、アイビスはいそいそとベッドに広げた着替えを手を伸ばす。
いやでも耳に入る衣擦れの音を聞きながら、まさかこれがしばらく続くの?と想像して、ゼトラは大きくため息をつくのだった。
ゼトラも手早くシャワーを済ませて部屋着に着替えると、フィオリーナが頬を染めて、触ってもいい?と無邪気に厚い胸板から上腕二頭筋に手を這わせる。
ステキ、とうっとりとするフィオリーナに負けじと、アイビスもぴったりと身を寄せて、ゼトラの手に指を絡ませてニギニギと何度も握りしめた。ゼトラの腕に柔らかな膨らみを押し付けて穏やかな笑みを浮かべる。
ゼトラは苦笑しながら鋼の精神力で無の境地に至り、成すがままにされるしかなかった。
三人が仲睦まじく触れ合っていると、予定の一時間よりも早くメルキュールとマーカスが帰ってきた。
何故かプリプリと腹を立てており、最悪だわ!とブツブツと口を尖らせる。
「早かったね。どうしたの?」
「あいつらホント、最悪よ!マナーも何もあったもんじゃないわ!」
「どういうこと……?」
メルキュール曰く、やはり多くの和国人が大浴場に居たらしい。
それだけならまだしも、とにかく大声で煩かった。
どこそこの宿は飯が不味いだの、量が少ないだの、味が薄いだの、ベッドのスプリングが固いだの、柔らかすぎるだの、ベーベントレイクは湖が大きいだけあんまり大したことないわね、等々々々……メルキュールにとっては興味のないどうでもいい話を、ゆっくり静かに浸かりたい浴槽で、「ここはお前の家か?」と言うくらいに遠慮なく大声でまくし立てるように会話する和国人に、さすがのメルキュールも気が滅入った。
そればかりか、洗い場を占拠して動かないのだ。
わずかに空いていた洗い場も、ここは予約済みだ、と言わんばかりに手桶にシャンプーやリンスを置いてある。
それをどかそうとすると、隣で大声で喋っていた中年の和国人が「そこは友人が来るから!」と怒鳴りつけてきた。
メルキュールもさすがにキレそうになったが、ぐっと怒りを堪え、仕方なく浴槽の側で適当にシャンプーを済ませると、早々に浴場から上がったのだった。
ばったり出口で出くわしたマーカスに聞くと、男湯も同じようなものだったようだ。
「あいつら、やりたい放題だな……クソッ……ムカつくぜ……」
和国は不倶戴天の敵であるという事もあって二人の怒りはなおも収まらないようだ。
「ほんとこの国、どうなってるのかしら。五年前は和国人なんて一人も居なかったのよ」
大きくため息をついて、延々と愚痴をこぼす二人に、三人は苦笑いをしながら付き合うのだった。
そうこうしている内に、約束の時間になって五人連れたって一階のレストランに向かった。
アイビスは和国人とばったり出くわさないかとビクビクとしながらゼトラの腕にしがみつく。
フィオリーナまでも対抗するようにしがみつくので、ゼトラは実に歩きにくそうである。
そこでふと、ゼトラがマーカスを呼び止めた。
「二人はちょっと先で待ってて」
「え……」
「すぐだから」
不安げなアイビスをなだめるように、優しく追い払うと、首を傾げたマーカスに訴えた。
さすがに二人の押しが強すぎる、と。
ボクも男だから、間違いを起こしてしまいそうだ、と訴えると、マーカスは腹を抱えて吹き出した。
「ボクは本気なんだ!」
ゼトラも笑いながらではあるが、必死に訴えるとマーカスが頷く。
「わかったわかった。機を見て二人に話すさ」
「そうして……」
なおも収まらないのか、涙さえ浮かべて笑うマーカスは、苦労するなぁお前、と肩を叩くのだった。
ゼトラとアイビスは大人の体つきになろうとしているし、雰囲気に飲まれて大人の階段を駆け上がる事があっても、理解できなくはないが、さすがにフィオリーナの年頃では早すぎる。
そんな間違いが起きてしまっては保護者を自負するマーカスとメルキュールもバツが悪い。
ゼトラはてっきりそういう事には興味ないのかと思っていたマーカスだったが、鋼の精神力で耐えていただけだったと知って、少し安心したようである。
笑いつつも同情して、二人に少しは遠慮するように言う、と約束するのだった。
ベアトリシュとデュアルトの新婚夫妻と合流すると、レストランの一角、六人がけのローテーブルを据えた掘り炬燵の個室へと案内された。
「ごめんねぇ。ここしか予約とれなくってさ、ちょっと狭いんだけど」
申し訳無さそうに言うベアトリシュだったが、メルキュールはウインクしてそれを遮る。
「いいの、いいの。ちょうどいい感じよ!ね♪」
ウインクした視線の先、アイビスが頬を赤らめてそっぽを向くが、まんざらでもないようである。
そしてさも当然のようにゼトラの両脇に美少女が着席するのを見て、ベアトリシュがポカン、とした。
「最近の子は進んでるのねぇ」
「アハハ、この子たちはちょっと変わってるのよ」
フィオリーナは拳一つ分、アイビスはゼトラの肘が胸に当たらないように、そこそこ距離を空けてはいるが、傍から見れば十分近い。
六人がけのテーブルにちょうど収まった七人が、さっそくテーブルに並べられた料理を舌鼓を打つ。
ホテルの料理ということもあって、量はそこそこ少ないが、とにかく種類が多い。
カールウェルズの名物は山地で育んだ鶏らしく、鶏肉料理が中心だった。
ほどよい歯ごたえと脂の旨味、甘みが疲れた身体にふんわりと染み込んでいき、あっという間に皿を空にしていく。
「ね……どれが美味しかった?」
アイビスがコソとゼトラに耳打ちすると、うーん、と迷うように腕組する。
「どれも美味しかったけど、強いて言うならこれとこれかなぁ」
「うん……ささみのゼリー寄せと、もも肉の山賊焼きね……わかった」
ニコっと笑うアイビスは、どうやらマイレシピ帳に二つの料理をゼトラのお気に入りリストに加えたようである。
一方、メルキュールは不思議に思っていた。
個室に入って昔話に花を咲かせたが、時々ベアトリシュの歯切れが悪くなるのだ。
しかし最後のデザートが持ってきた後に、その意味がわかった。
「ちょっと失礼」
デュアルトが立ち上がると、床に手を置いて、魔力を集中させる。
床から壁に、天井に詠唱紋様が走ると、あちこちからパシンパシンと音が鳴る。
「こんなところにも仕込んでたの……?」
デュアルトが発動させた虫殺しの魔法に、驚いて目を見開く。
「お前、気づいてなかったのか?」
「私が分かるのは監視系だけよ。盗聴系だけなら、ちょっと気づかないわ」
咎めるようなマーカスの口調にカチン、と来たのかメルキュールが頬を膨らませて、抗議した。
「カールウェルズ内じゃ、どこもこんな感じですよ。和国のものと思われますけどね」
デュアルトがため息をついて、結界を発動させようとしたのを、メルキュールが止めた。
「そういうのなら、任せて」
そう言うと、指を弾いて多重結界を迅速展開させた。
「おぉ、素晴らしい展開速度ですね。是非ご師事いただいても?」
「すごい便利よ。強度は魔力依存で自由に変更できるから、魔力消費には気をつけてね」
「わかりました」
メルキュールとデュアルトの手の間で詠唱送記が済むのを待って、ベアトリシュがようやく安心したように、伸びをした。
「はー。ほんと窮屈な国になっちゃったわ、この国も」
「トリシュ教えて。どうしてここまで和国の影響が強くなっちゃったの?五年前は和国人なんて一人も見かけなかったじゃない」
「ん……そうね。実はそれをメルにも聞いてほしくて……相談したくて食事に誘ったの」
「……どういうこと?」
警戒するように眉をひそめたメルキュールを見て、ベアトリシュは一瞬言葉を言いよどんだ。
そして重い口を開いた。
カールウェルズ魔創公国が秀和臣民調和国と国交友好条約を結んだのは、今から四年前。
つまりメルキュールとマーカスが公国を去って、一年後のことだった。
その条約の中に、友好の象徴としてカールウェルズに和国人街を、和国にカールウェルズ人街の建設を認めること、というものが含まれていたらしい。
そして条約発行と同時に、大挙して和国人が押し寄せてきて、首都イザベリアはもちろん、中核都市を始めとして各都市に和国人街を建設していった。
そして建設が終わると、和国人街に定住するようになった。
和国人がもたらす富は莫大だった。
定住する和国人のために、多くの和国商人が押しかけ、様々な渡来品を持ち込んだ。
また一方で、カールウェルズの商品も大量に購入して和国へと持ち帰った。
カールウェルズは経済的に大きく潤い、首都イザベリア含め各地の都市はたった四年のうちに、あっという間に世界有数の都市群へと成長していった。
だが、話はそこでは終わらない。
多くの和国人が定住した結果、今度は政治に口を出すようになった。
当初こそカールウェルズ公国政府も一笑に付して「定住外国人にも一定の配慮はしますが、それ以上は内政干渉です」と退けていた。
だが和国人は今度は、差別的だ、和国軽視だ、非人道的だ、税金をカールウェルズ国民と同じように収めているのにその恩恵を与えないのはおかしい、と騒ぎ始め、殊更和国人への人権配慮を訴えるようになった。
カールウェルズ公国政府もその騒ぎを収めようと配慮する政策を決定した。
だが、その僅かな譲歩をきっかけに、さらなる譲歩を引き出すようになり、和国人をカールウェルズ公国民と同等に扱え、とさえ言うようになってしまった。
無論、横暴極まる和国人に対して、カールウェルズ公国民も黙ってはいなかった。
いい加減にしろ、と抗議運動は暴動に近い騒ぎまで発展したが、法務卿が親和国派だったらしく「和国に対する抗議は人種差別である。断じて許すわけにはいかない」とまで言ってしまったらしい。
その結果、和国差別主義者の早期発見を名目に、宿のあちこちに『虫』と称される監視や盗聴といった和国製の魔具が仕込まれるようになった。
そして今に至る。
「その法務卿は一体どっちの国の人間なんだ?」
マーカスが呆れたように顔をしかめる。
「和国人も何かと言えば人権を盾にするものだから、すっかり政府も及び腰になっちゃって」
「もはやこれは占領に近いですよ」
「呆れた!どうしてそんなになるまで政府は放っておいたのよ!」
「いえ、これは国民も悪いんです。カールウェルズ魔創公国は友好的な国に挟まれ、征魔大戦に於いても戦地にならず、至って平和でした。その結果、国民は政治に無関心になりすぎたんです」
和国との国交友好条約締結時、ベアトリシュは十九歳、デュアルトは二十一歳だった。
国民に直接的な参政権はないものの、条約締結にかかる意見聴取のために開催された公聴会に参加する権利はあった。
だがその公聴会には参加しなかった。
和国と条約を結ぶ、と聞いて、へぇそうなんだ、という程度の関心だった。
「こんな和国人にやりたい放題にやられるようになってようやく気づいたんです。まさか条約一つでこんな有様になるなんて」
「今じゃあ、カールウェルズ公国民の和国人評は『厚かましい友人』と『厄介な友人』よ」
「ひどい話じゃない。追い出しちゃいなよ」
「ですが、もはや公国政府内部にまで和国の影響が及んでいるんです。政権内部は反和国派と親和国派で真っ二つに割れて、喧々囂々の政策論争を繰り広げ、まともに意思決定もできず、機能不全にまで陥っています」
「それで……黙ってこのままやりたい放題やらせるつもりなの?」
「それなんですけどね……」
デュアルトが少し顔を伏せて、押し黙る。
しかし意を決したように口を開いた。
「民衆を中心とした反和国派が結集して、クーデター計画があるんです」
予告。
旧友から明かされるクーデター計画。
カールウェルズ魔創公国の窮状を訴える言葉に『明けの明星』はどう応えるのか。
次回「058.吹き飛ばす一撃」
お楽しみに。
ブクマ、評価をつけて頂き御礼申し上げます。
本当にありがとうございます。
ブクマ、評価、感想などいただけると嬉しいです。
次回更新は2020年10月22日お昼頃の予定です。
よろしくお願いいたします。




