005.運命の出逢いと
総合窓口に現れた幼さが残る十五歳ほどの少年が、新規冒険者登録をお願いします、と頭を下げる姿を見て、若き受付嬢が困惑するのは致し方ないことであろう。
その軽装な出で立ちは冒険者と言うにはあまりに心もとなく、何度も本気?と聞き直し、保護者の方はいないのかしら?と聞くに及んで、少年もついに困惑した様子である。
「保護者ってお父さんやお母さんのこと?」
その様子に気づいた他の冒険者たちが野次馬のように集まりだし、少年と受付嬢ののやり取りを面白半分、といった様子でからかうような笑い声が漏れ出す。
「そうよ。君みたいな若い子が冒険者登録をお願いしてくるのはすごく珍しいの。よほどの事情があるのかしら」
「父さんはボクが四歳の頃に死んじゃったし、母さんは行方不明なんだ。だから保護者なんていないよ。だから冒険者になれば、同じ冒険者だった母さんが見つかるんじゃないかって」
「まあそうだったのね」
「あ、そうだ。これ、もらってたんだ。ランダーさんの紹介状」
ゼトラが腰のポーチから取り出した紹介状を受け取った受付嬢は、まあ、と笑顔を見せる。
「ランダーさんはお元気だった?あの人は元々評判のいい冒険者だったのよ。五年前にひどい怪我で引退してからは宿屋業をやるっておっしゃってたけど」
「マードルの宿場町で元気にしてたよ!」
「そうだったのね!今度お休みの日に遊びに行こうかしら」
そう言って懐かしい面影を思い出したのか、微かに笑みを浮かべてランダーの紹介状を読んだ受付嬢の動きが固まる。
「あ、あの……ちなみにお母様のお名前は……何ておっしゃるのかしら?」
「ボクの母さんは、アリスっていう名前だけど……」
「え!?」
しん……と静まり返る周囲にようやく気づいたのか、ゼトラは周囲を見渡す。
多くの冒険者達もまた固唾を呑んでゼトラを見やり、まじかよ?あのアリス様の?と言った動揺の声が広がる。
「えっと、アリスって……あのアリス様!?」
「たぶん、そのアリス様かな……?」
戸惑うゼトラに受付嬢が出入り口の上あたりを指差す。
「あのアリス様?」
「え!?」
振り返ったゼトラの視線の先に人の倍はあろうかという大きな肖像画があった。
魔獣に剣をつきたて、火炎魔法を放とうと大きく手を広げるその肖像画には『蒼雷の戦姫を讃えて』というタイトルがついている。そしてその姿は、ゼトラに取っては懐かしい母の姿そのものだった。
「あ、母さんだ」
ポツリと呟くように放ったゼトラの言葉に、野次馬から大歓声が上がる。
「おおおおお!」
「マジかよ!!」
「あのアリス様のお子さんか!!」
中には、狙ってたのに、などと心疚しい言葉も聞こえたがゼトラには意味が分からなかったようである。
「あのアリス様のお子様なら、何の文句もないわ!手続きを進めましょう!」
さっきまでの態度とはうってかわり、慌ただしく書類と透明のタグを取り出した受付嬢の対応にゼトラは苦笑しながらペンを取る。
「あ、そう言えば、お名前を伺ってもよろしいかしら」
「ゼトラです!」
書類を用意しながら何気なく聞いた受付嬢は、その名前を聞いて無言でジャンプするように立ち上がると、窓口の横のカウンターを蹴り飛ばすようにして跳ね上げる。
そしてゼトラの腕を掴んで窓口の奥、冒険者ギルドのマスタールームに飛び込んだ。
「大変な失礼をば……」
ゼトラに向かって膝につくほどに頭を下げた受付嬢の後頭部に、乱れたロングヘアがばっさーと垂れる。
「点と点が線で繋がりました……」
「あ、あのあのっ。そう頭を下げられても、ボクは冒険者登録したいだけなので……っ」
慌てて手を降って遮るゼトラ。ちらりと顔を上げた受付嬢がそれを見る。
「なんという寛大な御心……」
また深々と頭を垂れて、いよいよ膝に頭が付いた。
乱暴なノックで返事を待たずに部屋に駆け込み少年を強引にソファに座らせて始めたそのやり取りを、呆気にとられて見ていた中年の男――冒険者ギルドのギルド長、ダニエル・アルベルトが我慢しきれず、といった感じで吹き出した。
オールバックのブロンドヘア、貴族が身にまとうような礼服ではあるが、痩けた頬に入った傷跡が歴戦の戦士であったことが見て取れた。
「それで、その子が例の?」
「は、はい!マスター・アルベルトッ!」
「ふむ」
キャラバンのスプリングの壊れたゴワゴワシートとは比べ物にならない、ふわふわの座り心地のソファに沈むゼトラを、じっと見つめるアルベルトの瞳が現役時代を思い出したかのように輝く。
「なるほど、たしかに素晴らしい力を秘めているように見えるな」
「わかるんですか?」
「私は魔法の才能に欠けるからそう詳しくは分からんよ」
ゼトラの質問に首をすくめたアルベルトが、ふう、とため息をつく。
「午後早くに王都から呼び出されて、こうして慣れない礼服を着させられてみたら、ゼトラと名乗る少年が冒険者として登録に来るだろうから格別の配慮をお願いしたい、とのお達しでな。もし受付に現れたらこちらへ通すように通達していたが、思いの外早かったな」
嬉しそうに目を細め、優しく微笑むアルベルトは、ふむ、ともう一度うなずく。
「二人で話がしたい。アシェ・オリビア嬢。ご苦労だった。下がっていいぞ」
「あ、はい!失礼します!」
名前を呼ばれた受付嬢はまた一度深々と頭を下げると、飛び出すように部屋から出ていった。
それを見届けたアルベルトは部屋に鍵をかけると、ゼトラの前に片膝をつき胸に右手を床に、左手を胸に当てた。
「お初にお目にかかります。私の名はダニエルユーナイト・アルベルトと申します」
王都の冒険者ギルドに登録されている冒険者の数はざっと二千を超える。
ギルドで働くスタッフも百人以上になる。
エイベルク王国を治める王家だけではなく、王国政府の要職に就く政治家や貴族。王国に住まう商人、全ての住民が冒険者ギルドの存在を無視することはできない。
まさに大組織である。
そしてダニエル・アルベルトは数多の冒険者たちの尊崇を集め、ギルドを束ねる組織の頂点に立つ男である。
冒険者ギルドも、またその長であるギルドマスターもエイベルク王国において政治的権力は有せず、欲せず、という決まりごとがある。
だがその存在感からくる発言力の大きさに、エイベルク王国政府の政治家をして『荒鷲に睨まれるのは避けたい』と恐れさせるほどである。
にも関わらず、最敬礼とも言うべきその態度はゼトラにとっても予想外だったようで、えっ、と息を飲んだ。
「そして私は、今は亡きユングスタイン王国近衛騎士団の一兵卒であり、貴方様の母君、アリスアトラ様の忠臣として共に過ごした者であります」
「母さんの……」
「いずれこのような日が来ようかと、常に忘れることもなく……。心のどこかで微かに期待しておりましたが……」
頬を伝う涙を隠すように頭を垂れて、声を震わせる。
「こうして……唯一にして絶対の、亡王国後継者たるアリスアトラ様の御子の御尊顔を拝謁出来る日に恵まれましたこと……、数少ないユングスタイン亡王国の騎士として、心より……」
そこで、万感溢れた思いに押しつぶされて言葉が続かなかった。
「あの、アルベルトさん……。顔をあげてください。ボクは母さんの子だけど、母さんのことはほとんど知らないんです。その、王国のことも全然……。なにも知らないんです……」
「なんと……。いや、なるほど……」
戸惑うゼトラの言葉に、涙を拭ったアルベルトが、じっと考えるようにうつむく。
そして考えがまとまったのか、唇を軽く噛み締めた。
「では僭越ながら貴方様の母君のこと、私が知る範囲で語る無礼をお許しくださいませ」
「母さんの……過去……?」
ゼトラに促されるように、その隣に腰を落ち着けたアルベルトは、そう言って静かに口を開くのだった。
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次回更新は2020年08月27日11時頃の予定です。
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