032.勇者は二度嗤う
ノースヴィレッジは中核都市ヴィシャールからおよそ十キロ北にある農村である。
カールシア大陸を東西に繋ぐ交易路、北海ルート、南海ルート、いずれに於いても共通するが、中核都市をいくつかの宿場町で繋ぎながら、交易路は形成されていた。
そして中核都市を中心に南北へ開拓を進め、住処を拡げつつあるのがこの世界の現状である。
ノースヴィレッジからさらに北へ行くと開拓拠点として設けられた農村が二つあるが、いずれの村も早々に放棄して壊滅に追い込まれ、その住人らはノースヴィレッジまで避難している、という報告が入っていた。
ノースヴィレッジが辛うじて魔獣の襲撃を凌いでいたのは北の入り口に高さ三十メートルほどの崖があり、地理的な戦術優位性を活かせたことだ。
崖を降りるために掘削した二本の急峻な坂道は、人が三人横並びで通れる程度に狭く、バリケードを築いて撃退していた事に依る。
一度置いたはずの剣を再び手にとって、ビルデン・キーアンドルもまた奮闘していた。
怯える住人たちを叱咤し、指揮を取りながら魔獣に立ち向かい、辛うじて踏み留まっていた。
そこに駆けつけたゼトラが声をかけた。
「ビルデンさん!」
「ゼトラ!ゼトラじゃないか!どうしてこんなところに!」
「急いで駆けつけたんだ!」
「ありがたい!崖を活かしてギリギリ防いではいるが、あまりの魔獣の数の前に耐えれそうもないんだ!」
千の魔獣の襲撃に遭った、という第一報は正しかったが、それはすぐに訂正されるべきだった。
続々と魔獣が湧き上がってきて今やその数は万を超える軍勢となっていた。
ヴィシャールを発った冒険者は、ゼトラ以外にはまだ到着していなかったが、偶然にもその地を訪れていた、もう一つの冒険者たちの姿がそこにはあった。
「ゼトラ!まさかこんなところで逢うなんて!!」
「ジョエルさん!?」
魔獣の返り血を浴びたのか、薄汚れた顔を拭きながらゼトラの姿を認めて駆け寄ってきた。
ジョエルの後ろに三人、ジョエルの冒険者パーティの男女が遅れて駆け寄る。
それぞれシアン、アンドリュー、ロクシーと名乗った冒険者たちはその姿から魔法使い、回復術師、双剣使いのようだ。
「俺達もヴィシャールを拠点に移したんだが、ここらで妙な黒装束の連中がうろついてるから正体を突き止めてくれって依頼を受けてな。それでちょうどこの村にいたんだ」
現状、復興事業関連の依頼が多数を占める王都グランマリナでは魔獣討伐や調査といったフィールドワークを得意とする自分たちの力を存分には発揮できないと判断し、そういった依頼の多いヴィシャールへと移動したようである。
なお、その『黒装束の正体を突き止めよ』という依頼を出すように村長に進言したのはビルデンその人である。
だが、意外な人物に再会して笑顔になったジョエルを引き戻すような声が右手から聞こえた。
「大変だ!こっちに手を回してくれ!!防衛線が突破されそうだ!!」
農具を武器に替えた住人の悲鳴に、ジョエルが駆け出す。
「というわけですまん!再会を喜ぶのはまたあとだッ!いくぞ!」
慌てて戻るジョエルの背中に、ゼトラが「気をつけて!」と声をかけ、背中越しに手を振って応えたジョエルを見送る。
「俺達も行こう!こっちだ!」
道の脇に植樹された砂利道を通り、ビルデンに案内されて防衛線が幾重にも敷かれた急峻な坂道を下っていく。
グウォオオオという咆哮が地から響くように聞こえ、あっちいけ!この!と格闘する住人たちの声がその苦戦ぶりを物語っていた。
バリケードに張り付いて襲いかかってくる子鬼を叩き落とし、その背後からは子鬼よりも二回り以上も大きいホブゴブリンが子鬼ごとバリケードを破壊しようと棍棒を振り回してた。
バリケードは幾度も叩かれ、大きくきしみ、木くずが飛び散る。
もはやこれ以上は持ちそうにもないと判断して、ジリジリと後ずさりする農民たちを見て、ゼトラは上を……両脇の崖の先を見た。
「っておい!ゼトラどこへいくんだ!?」
「このままじゃあラチがあかない!見晴らしのいいところにいく!!」
「どうする気だ!?」
急坂の、垂直に切り立った壁を蹴って、あっという間に崖の上に駆け上がったゼトラをビルデンが驚愕の眼差しで追いかけて呆然とした。
ゼトラは崖の上に登ると、その縁から紅い双眼が支配する荒野を見下ろした。
子鬼、ホブゴブリン、ゴブリンロード、サイクロプス、ギガースといった人型魔獣種。
アルミラージ、グリードベア、エビルウルフ、デビルライオン、デスタイガーといった獣型魔獣種。
アラクネー、ラミア、ケンタウロスといった半人半獣型魔獣種。
ヘルクラウド、ケミカルポイズンといった無象系魔獣種。
ワイバーン、サラマンダー、ケツアルコアトルといった竜型魔獣種。
デッドクロウ、フィアービークといった鳥型魔獣種。
ゼトラが王都グランマリナに滞在中、図書館で借りて読んでいた『魔獣種図鑑』に載っていた魔獣は全て揃っている。
無論、見たこともないようなおぞましい姿の魔獣も居た。
その時、ゴウ、という空気が震えるような咆哮が響いた。
荒野の彼方まで拡がる魔獣の軍勢、その最後方に、ひときわ大きい影が地から生えるように盛り上がる。
全長百メートル以上。黒い鱗が鈍い光を反射する漆黒の混沌竜、カオスドラゴン。
その存在を疑われて幻とも言われ、伝説の七竜ではないかとも噂された竜型魔獣種の王である。
巨躯から首が持ち上がると、空気を裂いて、雄叫びをあげた。
強大な魔力を帯びた魔獣の咆哮は、精神に直接ダメージを与えるのか。
武器を取る住民たちはもちろん、ビルデンたち冒険者すら足を竦ませた。怯えた目で魔獣の軍勢を見つめる。
咆哮に合わせてまるでこの世の全てを憎むように、魔獣たちが紅い瞳を爛々と輝かせて押し寄せてきた。
カオスドラゴンの口から空中に放たれた巨大な火炎の熱がはるか遠くにもかかわらず、防衛線で戦うビルデンの頬を撫で、その心は、今まさにへし折られようとしている。
だが、崖の上から見下ろすゼトラは口角をニッと上げて嗤った。
「やりがいあるね」
両手を掲げたゼトラの頭上に、巨大な、あまりも巨大な魔力の球が練り上げられる。
その異変はすぐにジョエルやビルデン始め、多くの者の目に止まった。
「な、な、なんだい、ありゃあ……」
ビルデンが愕然と見上げる。
「あれはまさか……」
「化け物……」
ジョエルは戦慄し、その仲間の女性、シアンは唖然とした。
もしもこの世界を遥か上空から見下ろせる者がいたとしたら、その異常な光景をどう見ただろうか。
広大なカールシア大陸の一角に生じた、もう一つの太陽とでも言うべきか。
その眩い魔力の輝きが、ノースヴィレッジの家屋を照らして深く濃い影を生み出していき、なおも魔力塊の膨張は止まらない。
或いは、征魔大戦を知る者がその場に居たとしたら。
人海戦術で押し寄せる和国兵を、三人の高位魔法使いのエルフ族がその生命と引き換えに殲滅させた術。それは後に禁呪指定される溶融圧壊と称された魔法。
だがゼトラにとってそれは溶融圧壊ではなかった。
「マジックアロー・マルチシュート!」
その声と同時に、巨大すぎる魔力の球が弾けた。
練り上げられた魔力の球から無数の魔法の矢が生み出され、魔獣の軍勢に降り注いでいく。
その必殺の一矢は、一撃で魔獣を葬り去っていく。
岩場の影に潜む魔獣すらも、それを追尾するかのように鋭角に曲がり、貫いてゆく。
竜型魔獣種の王、カオスドラゴンもまた、叩きつけられるような魔法の矢に地面に縫い付けられた。
阿鼻叫喚の咆哮が埋め尽くす中、波打つように魔石昇華の輝きが荒野を塗り替えていった。
その様子はノースヴィレッジに向かって飛翔するマーカスも捉えていた。
「あいつ……!世界をぶっ壊す気かッ!!」
戦慄するマーカスだったが、一方のメルキュールは限界を迎えようとしていた。
一般的な常識で言えば、或いは魔法学の権威がその場にいれば、驚愕して絶賛するであろう、十キロの距離をわずか九分と言う驚異的過ぎる速度で駆けたメルキュールの魔力が尽きようとしていた。
「も、もうだめ……これ以上は……無理ィ!」
上空十メートル、村まであと百……八十……六十メートル、というところでその悲鳴と同時に飛翔魔法、浮遊魔法、結界魔法が霧散するように消失し、そのまま慣性の法則に従って空中に投げ出された。
「おわあ!」
「キャア!」
どうにか体勢を整えたマーカスが全員を抱えてゼトラの背後に、あまりにも乱暴すぎる着地を決めた。
小石を蹴散らしながら肩を打って転がり、砂煙が舞う。
「痛ってて、みんな!大丈夫か!」
「うぅ……」
「どうにか……」
アイビスも魔力をメルキュールに供給し続けたせいか、息を荒げて倒れ込む。
気を失ったメルキュールの上に重なるようにしてフィオリーナが大の字になって目を回していた。
「みんな!」
振り返ったゼトラが駆け寄り、フィオリーナを抱き上げた。
すぐに目を覚ましたフィオリーナが笑顔を見せて、ゼトラに頬ずりして喜びの声を上げる。
「メルキュールがヤバい!診てくれないか、ゼトラ」
メルキュールを抱きかかえ、マーカスはゼトラを呼ぶ。
ゼトラは息も絶え絶えのメルキュールの手を握り、微かに魔力を送り込んだ。
淡い紅い輝きが、ゼトラの手を通してメルキュールの身体へ馴染んでいく。
少しすると、短く荒い呼吸を繰り返していたメルキュールの胸がゆっくりと落ち着いたものへと変わり、ゼトラがホッとしたように微笑んだ。
「急に強い魔力を補充しようとするとショック状態になるって聞いたことがあるから、急には治せないけど……うん。これなら大丈夫」
「そうか、よかった」
マーカスが安堵するのと同じく、目の前で起きた破壊的な奇跡に、ノースヴィレッジの住人やビルデンら冒険者たちも勝利の雄叫びを上げていた。
「やった!やりやがった!」
「勝ったんだ!」
「よかった……」
抱き合い、拳を振り上げ、魔石の荒野と化した眼前の光景に涙をこぼして歓喜に包まれる。
だが、その声はすぐに絶望に変わった。
「な、なんだあれは……!?」
一人の農民が指差した先。
魔石昇華しなかったカオスドラゴンが息を吹き返し、雄叫びを上げる。
昇華して魔石化したそれに、どこからともなく黒い瘴気がまとわりつき、再びそれは魔獣の形を成していく。
「嘘だろ……最悪だ……」
湧き上がるような魔獣たちの怨嗟の咆哮。
絶望を前に、住人たちは手にとった武器を取りこぼしてへたり込み、死を覚悟した。
だが、崖の上のゼトラはそれを見て、また嗤った。
「もうちょっと本気を出してもいいんだ」
その言葉を聞いて、その表情を見て、マーカスの背筋が凍りつき、顔が青ざめた。
あれ以上のことをやるのなら、世界はそれこそ砕かれる。
そう直感した。
「待て。やめろ」
ゼトラが掲げた右手を取って、強引に下ろさせる。
「同じことを繰り返したって、また同じ結果になるだけだ。こういうのは根元をぶっ壊さないといけないんだ」
「根元?」
「そうだ。よく見極めろ。こんな魔獣の氾濫を生み出す原因がどこかにある」
ビルデンが唯一人、防衛線に押し寄せる魔獣の軍勢に剣を振るうのをゼトラは見た。
押し寄せる魔獣の軍勢を前に、ゼトラは思い改める。
こんなひどいことをする根元は一体なにか。
万を超える魔獣の軍勢を生み出す元凶はなにか。
マーカスと共に、眼下の紅い眼の荒野をじっと見渡し……、マーカスが指差した。
「あれだッ!!」
ブラックドラゴンの懐、片隅に不自然に揺らぐ黒い霧のような瘴気に包まれた物体。
大きさはブラックドラゴンの体高の四分の一以下くらいか。
明らかに魔獣とは異なるものを、マーカスの視線を捉えた。
確かに、目を凝らすとその瘴気の塊のようなものから続々と魔獣が産み落とされるように湧き出ている。
絶命して魔石に昇華されてもあの瘴気が再び魔石から魔獣を喚び起こすのだろう。
「じゃあアレを破壊すれば?」
「ああ、綺麗サッパリ片がつくだろうよ!」
「わかった!」
崖下に降りようとしたゼトラを止めて、マーカスが大剣を構える。
「お前ほどじゃないだろうが、俺も本気を見せてやるぜ。俺が道を拓く!お前はそこをいけッ!!」
頭上に掲げた大剣に魔力を這わせ、炎が風をまとって竜巻のように渦巻いた。
人の背丈の何倍もの魔法の大剣を振りかぶり、マーカスが崖下へ飛び込む。
「おらあッ!いっけえッ!!」
勢いよく叩きつけられた炎の竜巻は、魔獣の軍勢を分け絶った。
吹き飛ばされ、放り出され、魔石昇華の碧い輝きが空に舞う。
その道はまっすぐにカオスドラゴンへと続いていた。
「ありがとう!マーカス!」
ゼトラがそれに続いて崖下に身を躍らせ、マーカスが拓いた道を駆け抜けていく。
マーカスの剣から逸れた魔獣たちがそれを塞ごうと次々と襲いかかってきたが、右へ左へショートソードを振るい、ひと薙ぎごとに魔獣が吹き飛ばされる。
そしてブラックドラゴンの脚元にたどり着いた。
咆哮を上げたブラックドラゴンから地面を溶かし尽くす火炎が放たれ、それを超速の反応で躱したゼトラが懐へ飛び込む。
そして、瘴気の塊に袈裟斬りで一太刀いれた。
同時に、魔獣たちが一斉に激痛に苦しむかのような哮り声をあげた。
剣戟の衝撃で瘴気が霧散すると、真っ赤に輝く巨大な高純度エーテル鉱が露出した。
ゼトラが憤怒に滾り、それを睨みつけた。
「あれが全ての元凶ッ!」
手応えが浅かったか、わずかに傷の入ったそれを認めて、再び地を蹴って巨大な高純度エーテル鉱に取りつき、下から上に、その背後のカオスドラゴンごと逆袈裟で斬り上げた。
一瞬の静寂があって、斬撃が空を裂いた。
巨大な高純度エーテル鉱と、カオスドラゴンの首と胴体が、歪んだ空間ごとズルリと滑り落ちる。
そして砕けた。
巨大なエーテル鉱は細かいガラスの破片のように砕け散ってキラキラと光を反射しながら空に舞い、カオスドラゴンは魔石昇華を経て砂のようにサラサラと砕け散った。
ウグォォオオオオオオオ!!!
残った魔獣の軍勢が、再び咆哮を上げた。
秩序を失ったように、魔獣たちが見境なく攻撃し始めた。
その攻撃対象は人や村へではなく、魔獣同士にさえなって、互いを攻撃し始めていた。
阿鼻叫喚の地獄絵図となって、咆哮が荒野に響く。
ちょうどその時だった。
早馬で遅れて駆けつけてきた冒険者たちも駆けつけたようだ。
続々と崖の急坂を駆け下り、魔獣たちを蹴散らしていく。
ゼトラもまたマーカスと合流すると、残った魔獣たちを片付けていくのだった。
ヴィシャールの北に発生した魔獣の大軍勢を全て斃し終わったのは第一報が入ってからおよそ一時間が過ぎた頃だった。
魔獣襲撃に伴う緊急討伐依頼は珍しかったが、その解決に至るまでの時間の早さは過去の緊急依頼を比べても群を抜いて早かった。
その称賛を浴びる歓喜の中心に、ゼトラが居た。
村人や冒険者たちがその伝説的な戦いを目の当たりにして興奮した様子でそれを褒め称える。
そしてゼトラがアリスの子だと知ると、さもありなん、と納得する者がいる一方で、いやアリス様以上だ、と絶賛する者もいた。
今回のノースヴィレッジの魔獣軍勢の討伐で、ゼトラが打ち放った巨大なマジックアロー・マルチシュートを目撃した者によって、ゼトラは『ヴィシャールの太陽』とあだ名されるようになるのは、もう少し先の話である。
いずれにせよ、この伝説的な戦いは尾ひれをつけ足しながら勇者の武勇伝の一つとして世に広まっていくのだった。
予告。
ヴィシャール北部で起きた魔獣氾濫騒動を鎮圧した『明けの明星』
謎が謎を呼ぶ騒動に、ギルドは頭を悩ませるのだった。
一方『明けの明星』は次なる街、ウルスタットへ向かう。
しかしそこでアイビスは己の過去を苛む悪夢と遭遇する。
次回「033.思わぬ邂逅は」
お楽しみに。
ここまでお読み頂きありがとうございました。
執筆を続けるモチベーションになりますので、
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次回更新は2020年09月27日お昼頃の予定です。
よろしくお願いいたします。




