003.とある冒険者と出逢い
客に提供する食堂とは別室、宿屋の主人の夫婦の部屋に招かれたゼトラは、予想以上の豪華な食事に舌鼓を打っていた。
「どうだい。うめぇだろ。うちの母ちゃんの飯はよ」
「うん!この大海老のマリネなんか最高だよ!」
「わかってるじゃないかぁ。こいつは今朝仕入れたもんさね!野菜も残さず食べなよ!」
「ありがとう!」
一心不乱に頬張るゼトラの姿をまるで我が子のように目を細めて見つめる。
ゼトラが食べる手を止めてオレンジジュースで流し込むと、目を輝けせて顔を上げる。
「そう言えば、聞きたいことがあるんだ」
「おう、なんだ」
「母さんが命の大恩人って言ってたけど、どうしてなの?」
「おぅ、そのことか」
感慨深そうに天を仰ぎ、思い出すように目を閉じる。
「あれは七年前だったか?」
「八年前さね」
「八年前か」
うなずく夫婦がさらに続ける。
「八年前、世界中で大雨が一週間続く大豪雨被害があったろ?あん時にここらマードル大森林一体も川の氾濫があって水浸しになってなあ。その大雨で森の住処を追われた魔獣共が王国のそこら中に現れたんだ」
「あれは恐ろしかったねぇ」
「気が立った魔獣共が大暴れしてよ。それを討伐しようと冒険者連中や王国の兵たちも出張ってきたんだが、いかんせん数が多すぎてな。住民共も次々に襲われたんだ」
「そんなことがあったんだね……」
「まぁな。どうしようもねぇ、どうしたらいいんだって時に、アリス様がふらりとやってきてよ」
「母さんが!」
「そうよ!かっこよかったわねぇ」
「たった一人でバッタバッタと魔獣共をなぎ倒していって追っ払っちまったんだ。以来、藍色の鎧装束をして“蒼雷の戦姫”なんて褒めそやして、王国が報奨を出そうとしたんだが、騒ぎが収まったらまたフラリと消えちまった」
「ありゃ見事なものだったねえ」
「その後の噂で、アリス様は他所の国でも同じようにフラリとやってきては街を襲う魔獣共をバッサバッサと斬りまくっていたらしい」
「すごいね!」
「だろ!?勇者だ英雄だと称える国が後を絶たなかったが、どこに腰を落ち着けることもなく、その後も世界中を飛び回っているのさ」
「母さん、すごいなぁ」
「いやそれにしてもアリス様に子供がいたなんて初耳だぜ」
「子供が居てもおかしくはないお年頃だとは思っていたけどねぇ」
「アリス様は家庭じゃどんなだったんだ?」
「すっごく優しかったよ。いつもハグしてくれた。夜寝る時にも本を読んでくれるんだ」
「へぇ。立派に子育てしてたんだな」
いつの間にか皿の上はキレイに平らげられ、それでも話は尽きることなく、夜の帳は降りていくのだった。
そして翌朝。
「どうだ、眠れたか?」
「うん!ありがとう!」
「なら良かったぜ」
旅立ちを前に、ゼトラが挨拶を済ませた所に宿屋の主人が懐から一通の書状を渡した。
「これは?」
「ゼトラは冒険者ギルドに登録もしてねぇんだろ?社会のことをよく分かってねぇ若葉なんだから丁寧に案内してやれって手紙だ。俺も一昔前に冒険者としてそれなりに評判だったんだ。まだ顔が効くなら話が通じるはずだぜ」
「ありがとう!紹介状みたいなもの?」
「まあそういうこった」
カカカ、と笑い、ゼトラの頭をくしゃくしゃと撫で付ける。
「王都までのキャラバンの出発時間は間もなくじゃなかったかい?準備はもういいのかい?」
宿屋の女が旅支度というには軽装な身なりに不安を抱いたのか、視線を合わせるように腰を落として覗き込む。
「キャラバン……?」
「ん!?」
なんのこと?と言わんばかりに首を傾げるゼトラに恐る恐る聞く。
「ちょっとゼトラちゃん、あんた王都までどうやって行くつもりさ」
「どうって……歩いて」
「本気かい!」
「おいおい」
あちゃーと額に手を当て天を仰ぐ宿屋の主人。そしてその奥さんがゼトラの肩に手を置く。
「大人の足でも一日歩いて日が暮れる前に着くか分からない距離だよ。まだ子供のあんたがそんな距離を歩けるわけないでしょう」
「そうさな。てっきり乗合馬車の予約でも取ってるだと思っていたぜ」
「そんなに遠いの?」
「ざっと五十か、六十キロくらいか?」
「そうさねぇ。とにかく今からでもキャラバンに空きがないか聞いたほうがいいわよ」
「歩くより馬車で移動するほうが普通なんだ?」
「もちろん馬車代をケチって徒歩で旅する者もいるがね。そういうのは腕の立つ冒険者が野宿する前提の旅なんだよ。ここから王都までなら馬車で移動するのが常識さ。こんな街道を徒歩で移動してたら子鬼か豚鬼か何かと間違われちまうぜ」
「あ、そうなんだね……じゃあ馬車にするよ。ありがとう」
ゼトラは宿の外を見ると確かに出立に備えて点検をしている馬車の列が騒がしそうで、その準備をしているところだった。
「ええい。乗りかかった船だ。顔なじみの奴がいるから面倒見てやらあ。ついてきな」
戸惑うゼトラに宿屋の主人がしびれを切らしたのか、そう言ってゼトラの腕を引っ張るのだった。
そして引っ張っていった先に、馬車の指揮を取る商人が居た。
「ようバース!儲かってるか!」
「おうランダーじゃないか!相変わらずカビ臭い所で宿屋ごっこをやってるみたいじゃないか」
「カビ臭いは余計だ!」
軽口を叩きながら拳を合わせて抱き合い、ニヤリと笑い合う。
「なあ乗合でもどこでもいいから、席は一つ空いてねえか?」
「んん?お前みたいなデカブツが乗れる席なんざ空いてねえけど、王都が恋しくなったか?」
「ばっかやろう。カミさん置いて王都なんざ行くかよ。乗るのはこいつだ」
そう言ってゼトラを突き出し、ゼトラがどうも、と頭を下げる。
「なんだ随分とガキじゃないか。お前こんなガキに手を出すくらい趣味が悪くなったのか」
「やめろよ阿呆。こいつアリス様の子供なんだ。冒険者志望で王都に行きたいだとよ」
「おぉ!あのアリス様の!」
驚き、喜び、ゼトラの顔をまじまじと見つめるバースという商人は、ふむ、とうなずく。
「確かにアリス様の面影があるな。アリス様は元気かい?」
「行方がわからないんだ。だから冒険者になって、母さんを探しにいくんだ」
「かぁー!おっちゃんそういう話には弱いんだ!健気だなあ!」
「だろう?わかるぜ!」
大きくうなずく大人たちに挟まれて苦笑するゼトラの肩を叩き、胸をドンと叩く。
「任せときな。乗合はあいにく満席だが、荷物を無理やりずらすなり、なんなら護衛パーティ連中を降ろしてでも席を作ってやるよ」
「任せたぜ!」
「ありがとう!」
「よし。じゃあなゼトラ。早いとこアリス様に会えるといいな!」
「ランダーさんもありがとう!元気でね!」
「おうよ!」
宿屋の主人と別れを告げたゼトラは、慌ただしく荷馬車の中を確認したり、他の商人たちと打ち合わせをする様子を見守るついでに隊列を見ていたが、そこでふと気がつく。
隊列の中央には金銀があしらわれた豪華な作りの馬車が鎮座していた。
馬にすら金があしらわれた額当てがつけられており、相当な金銭がかかっていることが伺わせた。
「あれは……お姫様のかな?」
そう思って見ていたところ、ちょうど馬車にシャーディ姫とその護衛騎士たちが乗り込もうとしていた。
王族の馬車を興味深そうに観察していたゼトラに、バースが声をかけ手招きする。
「ちょっと狭いが席が出来たぜ。この馬車に乗りな」
「ありがとう!」
元気よく頭を下げるゼトラに、いいってことよ、とバースが笑って手を振るのだった。
ゼトラが遠慮がちに馬車の後ろから覗き込むと、中には大きな荷物が隙間なく積まれており、その空いたスペースに三人の冒険者が座っていた。
「あら、可愛いお客さんね」
「ようお前がクライアントの言っていた臨時の荷物か」
「……」
それはまさしく、昨夜ゼトラの背中を目で追っていた冒険者たちだった。
深くかぶっていたフードを下ろすと、冒険者らしい鋭い眼光の男の顔が現れる。
焦げ茶に近い赤髪に、重そうな鎧と外套の下にたくましい筋肉が見え隠れする。
「席ならココが空いてるぜ。早く乗りな。間もなく出発だ」
「あ、うん」
少しだけ横にずれた男の横には確かにゼトラがギリギリ座れる程度のスペースがあった。
馬車に乗り込み、邪魔になる腰のショートソードのベルトを外して抱えると、空きスペースにお尻をねじ込んだ。
板敷きの座席スペースに無理やり打ち付けたと思われるスプリングが壊れ気味のシートがゴツゴツと臀部に当たる。
「座り心地は最悪だからな。辛くなったら言ってくれ」
「あ、大丈夫だよ。これくらいなら、まあ……」
「無理は良くないわよー。これなら歩いたほうがよほどマシってものよー」
対面に座る女性がそう言って微笑む。紺色に近い黒髪で、厚い唇がぷるりと震える顔つきが、色気を醸し出している。豊満とは言えないが、胸の膨らみが大人の女性を伺わせた。
「私の名前はメルキュール。そいつがマーカス。んで無愛想なこの子がアイビスよ。よろしくね」
「ボクはゼトラ」
「ゼトラくんね。歳はいくつなの?」
「今年で十五」
「若いわねぇ、アイビスと一つ違いかしら?」
「ふん……」
話を振られた無愛想な女の子はそっぽを向き、ゼトラに視線を合わせようともしない。マーカスと呼ばれた男と同じく赤い髪のショートヘアで、軽そうな胸当てが目につく軽装だった。
「お姉さんは……」
「うん?」
「あ、なんでもない」
ゼトラが村で暮らしていた頃、妙齢のお姉さんには年齢を聞くものではない、という教えを不意に思い出して口ごもる。
そしてその微妙そうな表情から察したのか、マーカスがプッと吹き出しながらクシャっと頭を撫でる。
「気が利くじゃないか」
その口ぶりからメルキュールも察して、クククと笑う。
「別に気にしちゃいないわよ。私は今年で二十三。ピッチピチのお姉さん真っ盛りよ~」
そう言って身体をくねらせ、胸を寄せて上げるようなポーズを取る。
「ねえゼトラくん。もう少し大きくなったらお姉さんといい事しない?」
そう言ってウインクするメルキュールに、ゼトラは頬を染めて恥ずかしそうに手を振り、やんわりと拒絶する。
「あら振られちゃった」
「バカなこと言ってないで、そろそろ出発……」
アイビスが面倒な顔でメルキュールの脇腹をつつき、くすぐったそうに身をよじるのだった。
それからなんとはなしに待っていると、出発を告げるラッパが吹かれて馬車がゆっくり動き出した。
前後十台ほどの大キャラバンである。
「よし。じゃあ早速俺は警戒に回っとくぜ」
「いってらっしゃーい」
手を振ってマーカスの背中を見送るメルキュールに、広くなった席に足を少し崩したゼトラが首をかしげる。
「警戒?」
「そうよー。ここから王都に繋がる街道の近くにマザーゴブリンが住処を作ったみたいでねー。小鬼どもがワラワラと徒党を組んで襲撃する事件がちょいちょい起きてるの。私達はその護衛任務なのよ」
「そんなことが起きてるんだ。手強いの?」
「小鬼一匹程度は大したことないんだけど、いかんせん数が多いし、頭が切れる奴も混じってるからね。腕に自信のある冒険者でもたまにやられちゃう相手ね」
へぇ、とうなずくゼトラの興味津々といった表情にメルキュールがクスっと微笑み、なお話が弾む。
「住処を見つけたって情報は入ってるから、近日中に冒険者ギルドにも討伐依頼が入るって話よ~」
「へぇ。王都の冒険者ギルドってそういう依頼が多いの?」
「そうね。ウフフ。ゼトラくんは冒険者志望かしら?」
「うん。母さんを探すんだ」
「あら、変わった動機ね」
「そうなの?」
「そうねー。大体は手っ取り早く稼げる冒険者になるやつが多いわね。手先が器用なら鍛冶屋とか裁縫屋みたいなクラフターに回る人も多いけど」
「王都にはそういうギルドがたくさんあるって聞いた!」
「あらっ。じゃあ案内は必要ないかしら?」
「あ!そう言えば冒険者ギルドの場所が分からない……」
「アハハ!」
肝心なところが抜けてるわね、と笑いながら胸に手を当て突き出す。
「私達も王都についたら報酬を受け取るのに冒険者ギルドに行かなくちゃいけないから、ついでに案内したげるわよ」
そう言ってウインクするメルキュールに、ゼトラは満面の笑顔を浮かべる。
「ありがとう!優しい人たちに会えてよかった!」
「あらあら。くすぐったいこと言うのね」
そう言って微笑むメルキュールだが、横のアイビスは相変わらずムスっとした表情でそっぽを向いていた。
そうこう話をしているうちに一時間が経つ頃。
「あ~。お尻痛いわ~。そろそろマーカスと交代するわ」
立ち上がって大きく伸びをして、腰を揉むメルキュールに、ゼトラも釣られるように立ち上がる。
「ボクも付き合っていい?護衛依頼ってどういう風にやるのか、見てみたい」
「勉強熱心ね!いいわよ!」
またウインクしたメルキュールと二人、砂利が敷かれた街道で上下左右に揺れる馬車から顔を出すと、屋根に向かって声をかける。
「マーカス~。交代よ~」
「おう」
マーカスは馬車の上に登っていたようである。
馬車に備え付けられた梯子を軽やかに降りてきたマーカスが、すれ違いざまにメルキュールの耳元でささやく。
「どうだ?」
「いい子ね。とっても」
「んで、手応えは?」
鋭い視線を送るマーカスに、メルキュールが肩をすくめてお手上げのポーズを取る。
「隙を見て魅了魔法を三回飛ばしてみたけど、あっさりレジストされたわよ」
「そうか」
「ま、ゆっくりやりましょ」
「ああ」
言葉を介さず、アイコンタクトで交わす会話にゼトラは気づいていない。
ふう、と一息ついてもう一度腰を伸ばしたメルキュールが前を見た。
頭上にギャァギャァと何か追い立てられるように騒がしく野鳥が飛び立ち、南へと飛んでいく。
王都に続く道は地平線の彼方に消え、なお続いていた。
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次回更新は2020年08月25日17時頃の予定です。
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