020.勇者は愛を知り
ゼトラを見つめる六つの紅い眼。
ゼトラもまた、重苦しい空気にただ愕然と俯いていた。
「みんな……姿が……」
白銀色の髪がびゅう、と吹いた風に揺れ、黒く禍々しい竜の鱗の如き角が光に反射して鈍く光る。
辛うじて絞り出した言葉を遮るように、メルキュールが軽く手を挙げる。
「幻装魔法よ。今まで騙しててごめんね。たった五日の仲間だったけど、これまでお終いみたい」
「俺とアイビスで仕掛ける。その隙にメルキュールは行動呪縛をかけろ。身動き取れなくなったら強制転送だ。いいな」
「効くとは思えないけどね~」
「今の腑抜けたアイツならチャンスあるだろ」
「はいはい。素直に魅了魔法が効いていればよかったのにね」
小声で打ち合わせをして武器を構えるマーカスとメルキュール。
泣きそうになりながら、どういうこと……と呟き、立ち尽くすゼトラはただそれを見つめ、また顔を伏せる。
「お前の化物じみた力を封印しなくちゃ、この世界は救われない。恨むんならそんな力を持って生まれた己の身を恨むんだな」
「……ボクは……ただみんなを助けたくて……それで夢中になって……」
「いくぞ!いいな!?アイビスッ!!」
小声で呟くゼトラと相対し、構えを取ろうともせずその姿を見ていたアイビスを見て、苛立つようなマーカスの声。
だが、アイビスは意を決したようにマーカスを見た。
「マーカス……、メルキュールも……。これは……こんなやり方は、違うと思う……」
「何ッ!?」
「あらあら」
アイビスの訴えかけるような瞳の潤みを見て、マーカスはたじろいだ。
マーカスに対して今まで見せたことのないアイビスの大きな感情の動きに動揺する。
「アイツは……ゼトラは……私と同じ……。ゼトラの気持ち……私ならわかる……」
「アイビスと同じ……ッ!?」
その言葉を聞いて、マーカスは初めてアイビスと出逢ったときのことを思い出していた。
そしてそこで何があったのか……。
人族との争いに破れた魔族を始め亜人族の残党は、世界中に四散した。
人の目を逃れるように山の奥地へ、或いは森の奥へ。
アイビスの生まれ育った所もそんな人も寄り付かないような僻地にあった。
カールシア大陸を南北に両断する高さ九千メートル級の大山脈。
偉大なる皇帝の玉座と呼ばれるその地の高山地帯の隙間にわずか三十人程度の魔族たちは暮らしていた。
氷河で削られたV字の谷の奥底、高度三千メートルの高山地帯ではまともに作物など育たない。
岩を掘り返して肥料を撒いた畑でも、やせ細った野菜や実りの少ない小麦がわずかしか採れなかった。
それでも生き延びた魔族たちは毎日のように飢えに苦しみながら、人との関わりを絶ち続け、時々迷い込む野生の獣を狩りながら細々とその生命を繋いでいた。
アイビスは人よりも長寿でありながら子ができにくい魔族にとって二十年振りに生まれた子だった。
村人たちは貧しい身でありながら殊の外喜んだ。
またアイビスは幼い頃から魔族特有の強い魔力を発揮した。
唯一の苦手としていたのは遠くまで放出する事だったが、直接触れることで発動する回復魔法を教わり、徒手空拳に魔力をまとわせ、強大な破壊力を発揮する格闘術を身につけた。
大人たちもまた、すくすくと育つアイビスの姿に良い狩人になるだろう、と期待を寄せた。
しかしそれは今から六年前。
アイビスが十歳になる頃に事件が起きる。
和国の兵による亜人狩りだった。
それまでアイビスは大人たちに征魔大戦のことを、人族の……特に和国の兵の恐ろしさを散々聞かされていた。
だからこそ、アイビスも剣を掲げ、弓を引くその恐るべき和国の兵に果敢に立ち向かった。
骨を砕き、肉を断ち、無我夢中で魔族の集落を襲う和国の兵、およそ二十名あまりを討ち果たした。
アイビスは得意げに紅い眼を輝かせたが、大人たちは喜ぶことはなかった。
むしろ恐怖の目でアイビスを遠ざけた。
忌み子。
争いを招く子。
征魔大戦を呼び起こす子。
こういうことなら、大人しく和国の刃にかかればよかった、などと言う大人たちさえいた。
どうして?みんなを助けたのに……。
じゃあ、なんで征魔大戦の事を教えてくれたの?
じゃあ、どうして和国の兵は恐ろしいなんて教えてくれたの?
アイビスの質問に答えられる大人はいなかった。
戦争の敗者の記憶はただ歪に伝わり、平穏を渇望しすぎる余り、争いこそ禁忌として扱われてしまっていた。
以来、アイビスの扱いは激変した。
目を潰され、手足を縛られ、暗い地下の倉庫に閉じ込められた。
父には罵詈雑言の呪詛を吐かれながら角を掴まれ、膝を顔面に打ち付けられた。何度も何度も腹を殴打され、足蹴され、血を吐いた。
唯一の救いは母の抱擁と回復魔法、一日一回の僅かな食料と水だけだった。
ごめんね、アイビス。母さんはこんなことくらしかできないのだけど。
そう言って涙ながらに抱擁するアイビスの母。
大人たちの目を盗んで水で湿らせた一口、二口程度のパンを、アイビスの口に押し込むのだった。
どうやって殺すのか、いつ殺すのか、大人たちの相談する声が暗い地下倉庫に微かに聞こえ、アイビスは震えているばかりだった。
しかし一週間後、争いの声が地下の倉庫に聞こえてきた。
和国の兵による再度の亜人狩りだった。
命を絶たれる叫び、悲鳴、茅葺き屋根に火を点けられた熱が地下の倉庫で怯えて震えるアイビスにも伝わった。
ああ、ここで死ぬんだ。
そう覚悟を決めたアイビスだったが、いつしか襲撃の音は静かになった。
一日経って、物音一つも立てなくなった小さな集落。
あまりの静けさに、自分は死んだのだろうか?と錯覚を覚えた。
そう考えているうちに、倉庫の扉が軋む音が聞こえた。
コツ、コツ、と石畳の足音が暗闇の中でゆっくりと近づいてくる。
しかしアイビスに気づかなかったのか、またゆっくりと遠ざかっていく。
待って、行かないで。私はここにいる。
そう叫びたかった。だが声は出なかった。
だが、微かなアイビスのうめき声に反応してくれた。
何かを押しのけるような音で、母がアイビスを隠すように農具で覆っていたのだと知った。
手足を束縛していたロープは解かれ、目を塞いでいた傷に暖かな光を感じた。
「うん。傷はキレイに治ったけど……視力は戻るのかしら。目は開けられる?」
涼やかな声だった。
ゆっくりと開けたアイビスの目に、暖かな日が差し込む。
しかしあまりにも眩しすぎて、またギュッと目を閉じて、胸に顔をうずめる。
「大丈夫そうね。慣れるまで我慢ね」
一瞬だけ見えたその姿は美しい女性だった。
艶のある白金色の髪。前髪にかかる幾筋かの青い髪と、人の証である形の整った耳。
藍色かかった軽装の鎧……。
「ごめんね、間に合わなかったみたい」
囁くような優しい声。
貴女は悪くないのに。そう想うアイビスに届く懺悔の声。
ああ、私は助かったんだ……。
気が抜けたように気を失うアイビスを抱きとめる優しい温もりが、ただ嬉しかった。
「じゃあ、あとはよろしくね」
涼やかな声が遠くで聞こえる。
「あぁ任せてくれ」
マーカスの声だった。
マーカスに抱きかかえられ、どこかに連れ去られるのだ、と朦朧とする意識で理解した。
アイビスが再び目を開けた時、そこは今まで暮らした世界から一変した。
昼も夜もない、薄昏く紫色の空。
そこは魔界と称される場所で、今まで見たこともない数の魔族の生き残りが暮らしていた。
魔族ばかりではない、エルフ族、ドワーフ族、湖には魚人族ら、ヒト族の手から逃れた亜人たちが、異界の地で穏やかな生活を送っていることを識った。
だが、大人たちに裏切られたアイビスの心は深く傷ついていた。
優しい声をかけられたが、それが裏切りの言葉へと変わるのか、とかえってアイビスを怯えさせた。
昏く伏せがちなアイビスの瞳の輝きは失われ、決まった時間に出された食事を細々と食べる日々が続いた。
どうやらこの大人たちは自分を傷つけることはしないらしい、とアイビスなりに理解するのに二年の月日を要した。
特にマーカスとメルキュールは優しかった。
……いや、アイビスにとってはうざかった。
何かに付けてボディタッチをしてくるメルキュールと初めて会話したのは、うざいんだけど!と言うアイビスの拒絶の言葉だった。
だがメルキュールは、良かった、初めて口を聞いてくれた、と明るく笑い、また抱きしめてきた。
久しぶりに感じる肌の温もりにアイビスの心は強く動かされた。
止めどもなく溢れ出る涙。
喉の奥から絞り出される声。
アイビスは村での惨劇以来、初めて泣いた。
メルキュールの腕の中でただただ涙を流し、声をあげた。
よしよし、辛かったのね、と赤子をあやすように優しく抱きしめるメルキュールの温もりの中で、アイビスはひたすら泣き続けた。
過去何があったのか、ポツリポツリとアイビスの口から語られたのは、それから半年後のことだった。
アイビスの語る凄惨な過去を知り、メルキュールもマーカスもアイビスの肩を抱いて、共に涙を流した。
アイビスもまた、その優しさに涙を流すのだった。
アイビスは一人っ子だったが、姉と兄が出来た。
マーカスとメルキュールが魔王の特命を受けてヒトの世界に旅立つと聞いて、その後を追ったのはアイビスにとって当然のことだった。
そして既にプラチナ級の凄腕冒険者として名を馳せていたマーカスの推薦で、異例の十三歳という若さで冒険者登録を果たし、人の世界を生きることになった。
幼いアイビスを連れた『明けの明星』はすぐに評判になったが、大人たちがアイビスを見るその好奇の目には、いつまで経っても慣れなかった。
人が嫌い?大人が嫌い?メルキュールに聞かれても、よく分からなかった。
アイビスはただ、その視線が嫌だった。
そして三人でいくつもの依頼をこなしながら過ごし三年後、一人の少年と出会う。
名をゼトラ・ユーベルク。
アイビスを助け出してくれた、あの女性とそっくりな子……。
屈託のない、裏表のない笑顔。
それまで感じたこともない不思議な気持ちが芽生えたのは、出逢ってすぐのことだった。
マーカスから、アイビスは食事担当だ、そう言われて腕を磨き続けて以来、料理には自信がある。
休みになった日はメルキュールとスイーツ巡りをして、その帰りに食材を買い込み、その夜は一週間分の食材の下ごしらえと、翌日のランチ用のサンドイッチを作った。
きっと依頼を受けて、お昼ごはんは外で食べるだろうから。
そう思って、用意した四人分のランチボックス。
どんな顔をするだろう、不安と期待に胸が締め付けられた。
そして受け取ってくれた。たまらない笑顔だった。
――嬉しかった。
気に入った?とからかうメルキュールは相変わらずうざかったが、その気持は大事にしてほしい、という言葉にアイビスの胸は自然と高鳴った。
そのゼトラは今、目の前で子供のように泣きじゃくっている。
「違うんだ……。ボクは、みんなを助けたくて……怖がらせるつもりはなかったんだ……」
溢れる涙を拭おうともせず、ゼトラは顔を伏せる。
「だから……嫌いにならないで……」
――ああ、同じだ。あの時の私と同じだ。
アイビスの脳裏に思い出したくない過去が蘇る。
憎悪と殺気を振りまきながら残虐な顔で襲いかかる、恐ろしい和国の兵を返り討ちにしたアイビスは、大人たちに褒められると思った。
だがその期待は大きく裏切られ、残酷な仕打ちをうけた。
マーカスもまた、涙をこぼすアイビスを見て、ふと我に返った。
恐怖に支配されていたことを自覚した。
あまりにも強大すぎる、ゼトラの恐るべき力を前にして、正常な判断力を失っていたことを。
――そうか。
マーカスはふと思う。
ゼトラは十五歳という年齢にしてはあまりにも幼い。
何も身長の低さや童顔な顔つきが幼いと感じさせるのではない。
立ち振舞い、雰囲気、口調、そういった全体的に幼さを感じさせた。
ギルドマスター、アルベルトもまたそれに近いような感覚があったに違いない。
だからこそ、師弟制度を利用してマーカスたちに預けたのだろう。
何故こうも幼いのか。
マーカスなりに考え、一つの答えを導く。
ゼトラのその強大な力。
ゼトラを育てた大人たちも、それを当然知っただろう。
その恐るべき破壊の力を……。
ゼトラが力を振るうたび、大人たちを恐れさせた。
ゼトラもまた分かっていたのだ。
恐るべき破壊の力が、大人たちを怯えさせていた事を。
だからこそ、ゼトラは成長を自ら止めたのだ。
永遠に幼く、愛される子供であろうと無意識にそうしたのだ。
――或いは……母親のアリス様さえもその力を恐れて……。
自然とマーカスは武器を降ろし、攻撃の体勢をやめていた。
メルキュールも既に魔法の杖を腰に戻している。
アイビスが震える手を胸に添え、一歩、ゆっくりと泣きじゃくるゼトラに近づく。
アイビスの胸に芽生えた感情。
それは愛したいのか、愛されたいのか……もしくは、恋をしたいのか。
はっきりとしたことは、人との接し方に不慣れな今のアイビスにはまだ分からないだろう。
――でも、一つだけ確かなことがある。
アイビスは涙で濡れるゼトラの頬を優しく掌で拭い、顔をあげさせる。
くしゃくしゃな顔で見つめ返すゼトラ。その視線にアイビスは頬を微かに赤らめ、優しく微笑んだ。
「ね。私と友達にならない?」
そう言って、メルキュールがそうしたようにアイビスはゼトラをぎこちない手付きで抱きしめた。
「アイビス……!」
肩に顔をうずめ、腰に手を回すゼトラに応え、肩を抱くアイビスも少し力を込めた。
高鳴る胸の鼓動が気づかれないかと思ったが、それでもいい、とアイビスは思いなおした。
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次回更新は2020年09月15日お昼頃の予定です。
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