013.勇者はまた一つ過去を識り
ゼトラがマーカスに連れられて訪れたのは、水濠を一つ超えた貴人街の一角、通称アカデミックエリアと呼ばれている所だった。
ここには十二歳以下向けの初等学校、魔法の扱いを教える魔術学校、癒やしの魔法の扱いを教える医療専門学校といった教育施設が集中し、エリアの外れには近衛騎士や王国軍兵の育成に特化した王立兵学校もある。
そのエリアの一角に、目的の王立図書館があった。
冒険者ギルドよりもさらに大きな建物。
右端から左端まで見渡して、広い……と思わず呟いたゼトラの開いた口が塞がらないほどの大きさである。
ゲートから入り口まで、床には黄金比で整えられた石畳が隙間なく敷き詰められ、建物は一定間隔で植えられた木で囲まれている。その落ち着いた雰囲気に思わず立ちすくむというのは仕方のないことのように思えた。
「ここが王立図書館。蔵書数は世界一とも言われている。何か知りたいことがあったら誰もがまずここを訪れるとも言う」
「すごい建物だね」
「中に入ったらもっと驚くぜ?」
建物に入ると、メガネをかけた司書の女性がカウンターに座っていた。
「タグをどうぞ」
一礼して冷たくも感じる言葉には一切無駄がない。
マーカスとゼトラ、それぞれ冒険者タグを差し出し、魔法端末にかざす。
「確認しました。冒険者ギルド所属、マーカス・マンハイムさん。……あら、ゼトラ……ユーベルクさん……!?」
クールな雰囲気を漂わせた司書がゼトラの名を確認して、ハッとした表情でゼトラを見つめ、沈黙する。
「……」
「……」
「……えっと、何か問題が……」
「はぅッ!?」
コホン、と軽く咳払いして再びクールな雰囲気に戻る。
マーカスもゼトラも、それをまるで見ていなかったかのように振る舞う。
「失礼いたしました。ご利用は?」
「個室を使いたいが空いてるかい?」
「承知しました。四十三番をご利用ください」
「どうも。二時間程度の予定だ」
「かしこまりました」
四十三と書かれたタグが付いた個室の鍵を受け取り、足音が立たないようにという配慮か、程よくクッションが効いた絨毯の感触を確かめながら、図書館へと入るのだった。
ゼトラがすごい、と思わずつぶやき立ち尽くすほどに広大な空間。
高さ三メートルの本棚が数多並び、そこには専用のレール付き脚立が備え付けられている。
本棚の隙間に置かれたテーブルやソファには、何人もの人が息を殺し、ただページをめくる静かな音だけが微かに聞こえる。
「時間が惜しい、行くぞ」
ゼトラの耳元で小声で囁き、マーカスが本棚の間に消えていく。
ゼトラも足音を立てないように、慌てて追いかける。
そして歴史、と書かれた名札の本棚のコーナーの前にマーカスが立ち止まった。
「目当ての書籍は俺が見繕うから、興味が湧いた本があればそれを持って四十三に集合だ」
「わかった」
小声で囁きあって、再び本棚の間に消えた。
ゼトラもまた左右上下に視線を動かしながら、圧倒的なその蔵書量に目眩を覚える。
興味が湧いたら、とマーカスに言われたものの、これだけ圧倒的な書籍の数を目の前にすると自分が何を目的にここに来たのか忘れてしまうような感覚にさえ陥る。
蔵書は子供向けの絵本から最高等教育レベルの研究論文まで、雑多に収められていた。
しかし国史、というラベルが貼られたコーナーで、ゼトラの心がふわりと動いた。
本の背表紙を一つ一つ目で追っていく。
『古の七王国の研究』
『エイベルク王国史』
『スクエイラ共和国史』
『カールウェルズ魔創公国史』
『秀和帝国史』
『世界の歴史概略』
『バナムル諸国連邦の歴史』
…………。
そして、ゼトラの目が止まった。
――あった。
『ユングスタイン国史』
黒色の布で装丁された分厚い背表紙に、金糸の刺繍で書かれた本のタイトル。第一巻から第十巻までの全十冊。
そしてその右側に、続刊として書かれたもう一冊。赤の背表紙に金糸の刺繍のタイトル。
『ユングスタイン亡国史』
そして、
『ユングスタイン亡国史の研究』
『ユングスタイン亡王国の今~一〇二四年最新版~』
といった本が続く。
微かに震える手を抑えるようにそっと手を伸ばし……。
しかし、本を取ることなく引っ込めた。
唇を噛み締めて、頭を振る。
――ボクにはまだ早い気がする。もっと世界のことを知らなくちゃ。
そう自分に言い聞かせるように。
結局、ゼトラが興味を持って手に伸ばしたのは一冊だけだった。
『このせかいのなりたち。よく分かる世界の神話』
という子供向けの絵本だった。
そして指定された四十三と名札の下がった個室に入る。
「すげぇ蔵書の数だろ」
「すごいね」
個室は石造りになっており、人の背丈ほどの窓ガラスから光が差し込む。相当大きな声で喋っても問題ないように、魔法で遮音性を高めている反応があった。
頷くゼトラに、その手に持つ絵本を見て、マーカスがニヤリと笑う。
「そのチョイスはある意味正解だ。神話と言っても話はシンプルで、研究論文を除けばそういう絵本で事足りる話だからな」
研究者の間では、この世界の成り立ちを記した神話は、およそ十万年から十五万年前の出来事を宗教的解釈で記したのではないか、というのが通説ということだった。
ただそれも発掘された古代文明遺跡から推測された程度のことであり、確たる証拠は一切ない、というマーカスの説明が始まる。
絵本の記述をまとめると、以下のような内容である。
かつてこの世界に地上はなく、暗闇に覆われていた。
一人の神が暗闇を訪れ、何もない世界に驚いて立ち去った。
また別の神が訪れ、時間を生み出したが何も起きないので立ち去った。
また別の神が訪れ、その世界に留まった。
その神は暗闇に覆われたその世界を寂しく思い、光を生み出した。
白、赤、緑、青、黄……虹色の輝きを見せた光の最後に、黒き光をもたらし、光が晴れると、そこには我々が住む世界が出来た。
植物、動物が神によって生み出され、世界にばらまかれた。
しかし人が住めない世界だった。
困った神は、その世界でも暮らしていける、人に近しく人ならざる者。亜人を生み出した。
すなわち草原の覇者、竜角族。
森の覇者、エルフ族。
山の覇者、ドワーフ族。
海の覇者、魚人族。
亜人たちはそれぞれの自然を大事にしながら人が住める世界へと作り変えていった。
そして神はさらなる繁栄を願い、人を作った。
人と亜人は共生し文明を育み、文化の華を咲かせ、世界は発展していった。
しかし亜人と人はいつしか住む土地を巡って争うようになった。
神は怒り、嘆き、悲しんだ。
この世界は失敗した。
そう思い、七体の竜を創り、世界に解き放った。
すなわち、山剴竜、風崔竜、水蒙竜、火崙竜、月威竜、花帖竜、草漠竜。
七体の竜は人々の争いに仲介し、世界に混乱をもたらした。
人と亜人を作り変えて争い事を好まない獣耳族を生み出した。
混沌を極め滅びゆく世界の中、人と亜人は反省し、再び手を取り合った。
協力して七竜を封印すると、その末裔は封印を守りつづけるために、国を興した。
それこそ古の七王国。
すなわち、アルムシタッド、エイベルク、カイコルロ、キチジュ、サイアル、バインクレ、ユングスタイン。
神は己の知恵の半分を妖精王に譲り、自らは人が届かぬ遠い天へと隠れた。
神に代わって妖精王が世界を見守られ、世界に平和が訪れた。
「とりあえずざっくりだが、神話は以上だ」
古の七王国や亜人、人、獣耳族が何故世界に在るのか、そういった成り立ちを含めた神話である。
七竜の伝説が神話に由来する、というのも、過去の文献、各国の国史含め、神話にしか登場しないのが理由である。
マーカスにはゼトラの瞳がキラキラと輝かせて何度も頷き、絵本に目を落とすのを見て微笑んだ。
まるで水を際限なく吸い取る乾いたスポンジのように、知らなかったことを識る悦びに満ちあふれているようにも見えた。
そして神代から幾千年がすぎ、世界には人と亜人、そして獣耳族が共生して暮らす時代がしばらく続いた。
古の七王国と呼ばれた王国から別の王国に分かたれ、住む地域を少しづつ広げながら。
しかし歴史は再び繰り返す。
時は今から約三百年前に遡る。
人と亜人が住む地を巡って再び争い始めた。
おおよそ五十年間隔で世界中の人の国と亜人、あるいは亜人に与する人の国同士で世界を二分する戦争が続いた。
そして最後の戦争となったのが八十七年前。
もっとも大規模な戦争へと発展した。
その戦争に於いて最も大きな被害を受けたのが、秀和神民調和国の前身、秀和帝国である。
秀和帝国はキチジュ王国から分派した王政国家の一つだったが、極東の果ての大草原で大いに繁栄して帝政国家を敷いた。人口は当時世界最大の三億人とも言われる。
秀和帝国は大東連合国と称して周辺諸国に参戦を促し、魔族を盟主とした亜人諸国連合と激しく争った。
その結果、禁呪魔法が飛び交い秀和帝国は人口のおよそ半分以下、一億人程度まで激減した。
しかし一方の亜人諸国連合の被害も甚大だった。
元々人の二倍程度の長寿ながら子ができにくく、人口が少ない亜人種にとって戦争の被害で多くの人命が失われることは絶対的な兵力差を生じさせることであり、結果として戦争の敗北者は亜人諸国連合だった。
亜人種族たちは安住の地を失い、国を失った。
以来、人の目の届かない未開の地へ離散し、人との関わりを断つようになったという。
この約三百年前から始まり、八十七年前に終結した約二百年に及ぶ戦争は征魔大戦と呼ばれるようになった。
その後魔法学は急速に人族の間で研究が進み、一部の禁呪指定など、体系化が進んだ。
二度と戦争で用いられぬように、という願いを込めて。
「ああ、それで……」
「ん?」
「それで、ここでは人族しか見かけないんだね……」
「そういうこった」
マーカスが肩をすくめて肯定する。
「そもそも魔法というこの不思議な力は、エーテル鉱に強く関係すると言われる」
「エーテリウム鉱とも呼ばれてる?」
「そうだ。語源的には元々エーテリウムという元素名で呼ばれていたが、液体化した物をエーテルと名付けられた。次第に化学反応を起こし、魔法発動の触媒状態となったものをエーテルと称するように変遷した」
人は大小あれどその体内にエーテルを含有すると言う。
魔法の力の強さ、すなわち魔力の高さは、含有するエーテルの力を引き出す才能によって決定されると言われる。
特に亜人種と呼ばれる種族は、エーテルを人族のそれよりもやや多く含み、エーテルの力を引き出す才覚に優れたため、魔法の扱いに長けた。
それ故に、絶対的兵数差があったにも関わらず、先の征魔大戦では亜人種も対等に戦線を維持できていたが、大東連合国の圧倒的人海戦術の前に敗北を喫した。
なお、秀和帝国は征魔大戦の終結と共に、皇帝が己が犯した罪を自ら罰して自害したと言う。
そして国名を秀和神民調和国と変えた。
和に秀でてこれを愛し、神の臣下たる民と共に世界に調和をもたらす国たれ、という願いを込めたと聞く。
ゼトラは神妙な顔つきで呟く。
「でも……秀和神民調和国……和国はその後もユングスタイン王国と領地争いを繰り返したんだよね?どうしてだろう。たくさんの人が死ぬ戦争はもうダメだ、嫌だって思わなかったのかな」
「さぁな」
マーカスが無下もなく答える。どこか虚無を感じているような……話す言葉に無力さがにじむ。
「和国に限らず……人は歴史を学んでなお、過ちを繰り返すんだと思う。八十七年も経てば当時を知る人間も居なくなる。戦争が国を守るための正義の戦いだとか、かっこいい何かと勘違いして、戦争なんか起こしちゃダメだって思わなくなるんだろうさ」
「魔族……自称魔王がまだこの世界のどこかにいるんだよね?」
「ん……まあ。そういう噂だな」
「じゃあ、魔王がまた亜人たちを引き連れて、人と戦争を起こす?この世界が大変なことになる?」
「……」
その問いにはマーカスは即答しなかった。
「さぁな。それは人次第じゃないか」
「……?」
ようやく絞り出したかのような声に、ゼトラが小首を傾げる。
「当時を知る人が居なくなってなお記憶だけが歪に引き継がれ『亜人集落の探索』なんて依頼を出しているのが和国だ。結局あの依頼は、仮に集落を見つけたら、亜人狩りをやろうって魂胆なんだと俺は睨んでいる」
「そうなんだ……?」
俺の推測だがな、と付け加え軽く息を吐く。
「だから俺たちはあんな依頼は絶対に受けない。望まない争いの元になると思うからだ」
「納得した。それはボクも賛成だよ」
「そうか」
仮に集落が見つかったとして、亜人狩りが行われれば、魔王がそれを食い止めるために再び動き出すのだろうか。
そうなると再び征魔大戦が起きるかも限らない。それを防ぐために、アリスは旅立ったのか。
――そういうことなの?母さん……。
ゼトラは思い出の水晶球に映った母の悲しげな姿を思い出し、心に問いかけるのだった。
「さて、話し込んでいたら二時間はあっという間だ」
少し暗くなった雰囲気を吹き飛ばすようにマーカスが明るい声を出した。
「え、ほんとだ」
「勉強の時間はこれくらいにして、冒険者の休日の過ごし方ってもんを教えてやるよ。ついでにうまい飯を食わしてくれる所もな」
「あ、それならマスターの奥さんに今日の晩ご飯はいらないって言ってくる」
「わかった」
幸い、アカデミックエリアからアルベルトの邸宅はほど近い所にあった。
図書館を出て駆け足で邸宅に向かうゼトラに、マーカスにはその姿が微笑ましく映るのだった。
そして喜色満面で戻ったゼトラが頷く。
「あんまり遅くならないようにって」
「日が暮れる前には帰すさ。さあ行くぞ」
「うん!」
迷う事なく粗民街を歩くマーカスの歩調に合わせるように、ゼトラも足を速めるのだった。
ユングスタイン王国亡国史と並ぶ物語の根幹を成す設定説明回でしたが、いかがだったでしょうか。
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次回更新は2020年09月08日お昼頃の予定です。
よろしくお願いいたします。




