001.勇者は故郷に別れを告げ
光を遮る暗い一室に、詠唱文様と呼ばれる実体化した魔法の詠唱文が球状を成していた。
「これが我が娘を封印している時空断絶結界だ。この状態でもう二年にもなる……」
その結界を見上げるのは、一人は多くの人々から魔王と恐れられる男。
頬から側頭にかけて禍々しく伸びる四本の角と、太い眉毛に紅く光る瞳が、人のそれとは大きく異なった。魔王と称され、畏怖の念を抱かせるには十分すぎるほどの強大な魔力が周囲の空間をわずかに歪ませていた。
そしてその隣には魔王の隣にいるにはあまりにも相応しくない少年。
艶のある白金色のショートヘア、龍の模様が入った民族衣装服を身をまとった軽装で、腰元に差したショートソードは特に珍しいものではなかったが、その使い込まれたグリップは少年が相当な使い手であることを伺わせた。
少年は、そっと結界に手を伸ばしてわずかに揺らぐ反応を見てから、魔王を振り返り、ニコリと笑う。
「うん。問題なさそうだよ」
「そうか……。よし。結界を解除してくれ」
「かしこまりました」
魔王の後ろに控えていた従者の三人のうちの一人、妖艶な雰囲気をまとわせた女性が一歩進み出て、 結界の前に立ち、手に持った錫杖を構えた。
球状の結界は黒い濁りを守るかのように中空に漂っており、淡い光を放っていた。
女がささやくような小声で結界の解除を命じる詠唱を唱え終わると、結界の輝きが急速に失われ、詠唱文様が霧散して消失する。
そして結界によって守られていた黒い霧が露わになると、制御を失ったかのように大きく蠢き始める。
「始まった……!頼む、勇者よ!我が娘を救ってやってくれ……!」
「うん!」
魔王の悲痛な叫びに応えるように、少年が黒い霧に手を伸ばし、触れる。
と、同時に、凄まじい光と衝撃波が放たれた。
「な、なんだ!?」
「きゃあ!!」
結界を解除した女性が吹き飛び、魔王の後ろに控えていた男性がそれを受け止める。
「大丈夫か!?」
「く……!ありがと!」
「そっちも平気か!?」
「問題ない……!」
驚愕、あるいは恐怖の表情にも近い面持ちで従者の三人が、眼前の光景に眼差しを向ける。
「な、何が起こってやがる!?」
「わからないわ!でもこの膨大な魔力の流れ……!とんでもない魔力があの子から発生して、それを姫様が吸いつくそうとしているんだわ!」
衝撃波が二度、三度と絶え間なく発生し、光が白く、黒く、あるいは赤色に、緑色に、青色に、黄色に、輝きを変えてゆく。虹色と一言では説明しきれないほどの輝きが溢れ出しては吸い込まれていく。
「なんという魔力の輝き……ッ!」
「この輝きは……まるで創世神話で語られる光の氾濫のようにも……!」
「冗談じゃないぜ!?これじゃあ世界がぶっ壊れちまうんじゃねえか!」
「くぅう……ッ!」
「王よ!お下がりくださいッ!」
「これは……ッ!」
「ぐわっ!」
やがて目を開けていられないほどの輝きが一室を満たしていき、最大級の衝撃波で従者も、また魔王も吹き飛ばされ、石造りの壁に打ち付けられた。
やがて光が次第に虚空に失われていく。
そして失われた光の元に、少女の手を掴む少年の姿があった。
「おぉ、あの姿は……まさしく……」
魔王の歓喜の声が全て思惑通りことが進んだことを示していた。
勇者が握るその手は白磁器のように色白だった。歳は勇者よりも五歳ほど幼く、十歳ほどであろうか。
あどけない顔つきであるが、あと数年もすれば絶世の美少女になる事を約束されているかのように美しかった。
美しい白銀色の髪は腰まで無造作に長く伸びており、紅色の瞳は宝石のようにキラキラと輝いていた。
「おはよう」
「あ……お、おはよ……」
唐突な目覚めの挨拶に戸惑いながら返す少女に、人懐っこい笑顔で見つめる勇者。
「ボクの名前はゼトラ」
少女の手を握る勇者の手は優しく、そして温かった。その心地よい暖かさに少女も応えて握り返す。
「君の名前を聞いてもいいかい?」
「私……私の名前は……フィオリーナ……」
「フィオリーナ、よろしくね」
「よろしく……ゼトラ……」
いつしか勇者を見つめる頬に赤みが差し、鼓動が高まっていく。互いの瞳に吸い寄せられるように視線が絡み合う。
「あ……と、と、とりあえず、服、着よっか」
「え……?え……」
ふと冷静になって、紳士の嗜みとしてそっぽを向く勇者に、ハッとした表情で己の露わになった素肌を確認した少女の悲鳴が部屋にこだまするのだった。
「ふにゃあーーーー!!」
◇ ◇ ◇
この物語は、そんな勇者と魔王の娘が出会う、少し前から始まる。
天を衝くような山脈で四方を囲まれた森の中に、小さな村があった。
高地にあるにも関わらず広葉樹が広がるその森は、そこで暮らす人々に自然の恵みを与え、山から注ぐ清らかな雪解け水は穏やかな川のせせらぎとなり、農業や放牧といった自然に根ざした村の一次産業を支え、また、そこで働く者たちの乾いた喉を潤した。
岩山の裾野まで広がる羊や馬の放牧地。川から引いた用水路沿いに広がる麦を始め、様々な野菜を育む農耕地。そして人口千名ほどの村人の住処となる二階建ての住宅地が密集しており、その中心には高さ三十メートルの石作りの見張り台がこの長閑な村を見守っていた。
山地に囲まれた村の面積はおよそ三十平方キロほどになろうか。その村の北側に村の全景を一望できる丘があり、そこには樹齢千年を超えるとも伝わる立派な大樹があった。
人の一生以上の樹齢を重ねてなお、その枝葉の茂りは衰えることもなく、幹の太さは二十五メートルほどと言われていた。
そこで暮らす村人からは『神が昼寝をする樹』と称されるように、根が大きく張り巡らされており、
時には根を枕に、あるいは腰掛けて談笑する場として村人たちに愛されていた。
その大樹の下で座禅を組む少年が一人。
堅く、濃い緑の葉を茂らせた枝葉は初夏の蒸し暑い日差しを遮るには十分な日陰を作り、くるぶしまで生えた草原を優しく撫でる風は、少年の気持ちを落ち着かせた。
艷やかな白金色の髪は爽やかな印象を受けるショートヘア、前髪だけ碧色の髪の毛が幾筋か混じっている。
静かに、そして深く、一定のリズムで刻む呼吸。目をつむり、己が内面と向き合うその姿は神々しささえも感じたが、それに似つかわしくない姿がもうひとり。
少年の膝を枕に、猫耳の少女が鼻提灯を膨らませて口元をモゴモゴとさせていた。
「うにゃー……。もう食べられないのにゃー……」
猫耳少女の寝言に少年の眉はピクリと動いたが、落ち着きを取り戻したかのように大きく息を吐いた。
体つきはヒトのそれと変わらず、ささやかな胸の膨らみは、あと数年もすれば年頃の娘へと育つのだと伺わせる。
唯一、ヒトとは異なる頭部から生えた猫耳をピクリと震わせ、猫手のように丸めた両手でくせっ毛の強い藍色の髪の毛をかきあげると、ゆっくり息を吐いて深い眠りに落ちたようである。
丘の麓から吹きあげてくる爽やかな風が大樹に届くのに合わせたように光が予兆もなく中空に現れ、美しい鈴のような声でその静寂を破った。
「ゼトラ!ゼトラァ!やっぱりここに居た!獲物を見つけたってさ!」
大人の顔ほどの大きさの光の玉は、半透明の四枚羽を羽ばたかせる妖精の形となってその少年――ゼトラの鼻筋に抱きついた。
それに合わせるように静かに目を明けたゼトラは、紺碧色の瞳を何度も瞬いて、妖精を優しく掌に乗せた。
妖精は愛おしそうに頬を染めてちょこんと掌に座ったが、視線を落とした先に、なおゼトラの膝枕で惰眠を貪る存在に気づいたようである。
「あー!ニアはまたゼトラの邪魔をして!」
「ふにゃ!?」
妖精はフワリと猫耳少女の額に飛び移り、ペシペシと額を叩く。
「ふにゃにゃ!痛いにゃ!」
弾けた鼻提灯に目を白黒させながら飛び起きた猫耳少女は、あたりを見回す。
「なんにゃ!ヒュイにゃ!びっくりするにゃ!」
「ニアはゼトラの瞑想を邪魔しちゃダメなんだよ!」
「ニアはゼトラの愛玩奴隷だからそばにいて癒やしてあげないと行けないのニャ!」
「まあまあ、ふたりとも」
キーキーと甲高い声を上げる二人の少女をなだめるようにゼトラが間に入り立ち上がる。
焦げ茶のカーゴパンツに、白のロングシャツというラフな格好。大樹に立てかけていた刃渡り五十センチメートルほどのショートソードを装備したベルトを腰に戻したゼトラは、うっとりと見つめるヒュイに視線を返す。
「獲物はどこにいるの?」
「そうだった!」
くるりくるりと踊るようにゼトラの周りを楽しげに舞うヒュイはゼトラの肩に飛び移ると、小さな腕を精一杯伸ばしてまっすぐに南を指し示す。
「南の森で見つけたから、サンドラの放牧地に誘導するって!」
「わかった!ありがと、ヒュイ!」
「うふふ!」
こそばゆそうに照れたヒュイは嬉しそうにクルリと宙返りしながらニアの頭の上に飛び移る。
「気をつけてね!」
「うん!」
元気よく応えたゼトラは、文字通り矢の如く空を駆け、あっという間に三キロ先の森まで消えた。それを見送ったヒュイは、ニアの髪を軽くひっぱり口を尖らせる。
「ニアもたまには狩猟を手伝いなさいよ!」
「ふにゃにゃー。愛玩奴隷のニアは毒味するのが仕事にゃー」
「んもう!」
「ヒュイはそんな怒りっぽいとゼトラに嫌われるにゃ」
「ゼトラには怒ったことないもの!」
村に戻りながらキーキーと甲高い声をあげる口喧嘩がしばらく収まることはなかった。
一方その頃、南の森では、全長三メートルはあろうかという手負いの大猪が逃げ惑っていた。
背中に刺さった矢など忘れたかのように、樹木に体をぶつけ、あるいはなぎ倒し、追手から逃れようとめちゃくちゃに走り回る。
「ユガ!今だ!」
「おうよ!」
それを追う十騎ほどの騎馬狩人は左右から声を掛け合い、火球が大猪の足元に炸裂する。
その衝撃によろめき誘導されるように、獣はついに森を抜けて放牧地へ飛び出す。そして放牧地を囲む柵に衝突してのめるように横転した。
痛みと恐怖に狂う猪から五十メートルほど離れた先には、さきほどの少年――ゼトラが無防備に立ちはだかっていた。
猪はそれを捉えたのか、猛然と土煙をあげてゼトラに向かって突進を始める。
それを確かめたゼトラは空に手を伸ばすと、魔力を練り上げ、それに応えるように弓矢が浮かび上がる。
「マジックアロー!」
真っ直ぐに猪の額を捉えた魔法の弓矢。
「シュート!」
ゼトラの声と同時に、光の筋が大猪の額を貫く。
体重三百キロの巨体が着弾と同時に高々と空中を飛び、何度も回転してズシン、という衝撃音があたりに響き渡り大地が揺れた。
「おお!」
「やった!」
騎馬の大人たちが歓声を上げて大猪を取り囲み、正確に射抜いたその傷跡で一撃で仕留めたことを確認した。
「うむ。見事だ」
年長の、狩人の指揮をとっていた男が満足そうに笑みを浮かべてゼトラにサムズアップで称賛を送り、ゼトラもニコリと微笑んで手を上げて応えた。
「ゼトラもようやく力を制御できるようになったな」
「うむ。跡形も残らないほど木っ端微塵にしていた頃に比べれば随分と成長したものだ」
村人の腹を満たす明日の食料となるべく、あっという間に肉の塊と化していく解体作業の合間に大人たちは笑顔で話すが、その表情はどこか寂しげでもある。
「僕も手伝おうか?」
解体作業を覗き込むゼトラに、年長の大人――ヒトのそれよりも長く尖った耳を持つ青年は手を止めて優しく微笑みゼトラに目を向ける。
「ここは私たちに任せて、先に長老に報告へ向かいなさい」
「うん、わかった」
素直にうなずいて集落に戻るゼトラの背中に大人たちは目を細め、解体作業に戻る。
「これで長老の旅立ちの許可もでような」
「寂しくなる」
日は傾きはじめ、虫の声が夕方の訪れを告げていた。
時を移してその日の夜。
子どもたちを寝付かせた十名ほどの大人たちが長老の家に集まっていた。
この村における最年長であり、村での決め事を行う長老は、胸元まで生やしたその豊かなヒゲをなでつけ、その横に座り、真っ直ぐな瞳で見つめるゼトラを優しく見つめ返す。
「みな、今日はよく集まってくれた」
老いた声が一同を労い、それに応えるように会釈を返す。
「今日集まってもらったのは他でもない。ゼトラの兼ねての願いにより旅立ちを認めるかどうか、みなの意見を聴きたい」
ゆっくりと見渡し、発言を促された一人の青年が手を挙げる。
それに長老がうなずくと、口を開く。
「兼ねてより旅立ちの条件として出していた、力の制御について問題ないことは私が保証しますよ。鮮やかな一撃でした。我らエルフ族はゼトラの旅立ちに異論はありません」
「うむ」
その発言に満足してうなずく長老は、他の者達に目を向けた。
「我ら竜角族も異論はありません」
「同じくヒト族を代表して異論ない事を申し上げますわ」
「寂しくなるけど私達フェアリー族も異論なし!」
ヒトの耳が位置する所に代わって黒く鋭く尖った竜の角を生やした青年が手を挙げ、それに続いて壮年のヒトの女性と、ヒュイがうなずいて同調した。
「ふむ。ではワシからもドワーフ族を代表してゼトラの旅立ちを認めよう」
「みんな、ありがとう!」
ゼトラが満面の笑みを浮かべて頭を下げると、自然と拍手が湧いた。
「でもゼトラ、旅の目的のお母さん探し、何かアテはあるの?」
ゼトラの周りをくるくると回るヒュイの不安そうな声に拍手が止む。
「その事についてだがな、お主の母親から託されたものがある」
「母さんが!?」
「うむ」
深くうなずく長老が側仕えの少女に目配せすると、少女が奥から大事そうに古びた箱を抱えてきた。
「お主の母がいずれお主も旅に出ると言い出すであろうから、その時はこれを見せよ、と託したものだ」
「これは……」
「ふむ……メッセージを未来に届ける『想いの水晶玉』じゃな。触れてみよ。血縁者の接触が起動キーと聞いておる」
「わかった」
ゼトラがそっと水晶玉に手を伸ばすと、音もなく真白に輝きだし、魔力が漂い始めた。
そして光が水晶玉の上に人の形を成していく。
「母さん!」
「おぉ、アリス様……!」
その姿に、ゼトラだけでなく村人たちからも懐かしむ声が上がった。
「ゼトラ……私のかわいい子、ゼトラ……」
静かに語りかけるその姿にみな押し黙って耳を傾ける。
「幼いあなたを置いて旅にでることをどうか許してほしい、と思います……。これはあなたのためでもあり、滅亡の危機に瀕する世界を救うための旅なのです」
「滅亡の危機……?」
眉を潜めて首をかしげるゼトラに母が優しく、しかし悲しげに微笑む。
「旅の行き先は、いまだ自分でも分かっていませんが……もしあなたが大きくなって、私の後を追うように旅に出るとしたら……世界をくまなく見て回るといいでしょう。今、この世界で何が起きているのか、まっすぐな瞳で見てご覧なさい。そして、旅の行き着く、その先に私もいるはずです」
そこで言葉をつまらせ、頬を伝う涙を拭うとまた口を開く。
「ゼトラ、愛しい私の子……。遠く離れていても私は片時もあなたのことを忘れません。いつか……あなたと再会できる日がくると……。待っていますね……」
涙で途切れ途切れになりながらメッセージは終わり、光が空中に四散して、水晶玉も光を失った。
「母さん……」
「アリス様……」
子を想う母の言葉に、そして、それでもなお使命感に駆られて旅立とうとする母の姿に、鼻をすすり惜しむように漏れ聞こえた。
「ゼトラ、お主の母は何か重大な使命を抱えて旅立ったようだ」
「うん……」
「お主なら急げば世界を回ることなど容易いことだろう。だがこの世界を一歩づつ歩き、市井の人々に耳を傾け、時には弱者を助けることこそ母に追いつく早道であろうと思う」
「うん、わかった」
素直にうなずくゼトラに長老は優しく抱きしめ、人々もゼトラに別れを惜しむ声をかける。
「ちょ、ちょっと待つにゃ!」
別れを惜しむ声をかき消すように声を挙げたのは猫耳族のニアである。
「ニアはゼトラのニアにゃ!ゼトラが居なくなるなら誰の世話になればいいのにゃ!」
「ニアちゃんはうちで面倒見てあげるわよ」
ヒト族の壮年の女が微笑み、ニアの頭を撫でると、それに反応して嬉しそうに尻尾をぶんぶんと振り回す。
「にゃにゃ!ショーウェンさんとこにゃ!ご飯が美味しいとこにゃ!なら安心にゃー!」
「現金なやつ!」
爆笑の渦が巻き起こり、ゼトラと共に過ごす夜が更けていく。それぞれが思いをいだき、別れを惜しみ、旅の無事を祈るのであった。
翌朝。
夜が明けて間もない頃に、数人の大人たちに見送られ、少年は村をあとにしようとしていた。
「ヒュイ、村の外まで見送ってあげてなさい」
「わかったわ」
長老に促されて、ゼトラとヒュイは村の外れにある小さな祠に入る。
「村から出るのにこんな転送魔法陣を使わないといけないなんて、面倒よね」
じゃれつくように肩に止まったヒュイにゼトラは微笑み、見送る村人たちに手を振った。
「じゃあ、行ってきます!母さんと会えたら、一緒に戻ってくるよ!」
「うむ。待っておるぞ」
手を振り返し、発動した転送魔法陣から姿を消したのを確認すると、ふう、と息をつく。
「いってしまったのう」
「寂しくなります」
長老に応えたのはエルフ族の代表の青年だった。
「ゼトラは私達が誇る立派な子に育ちました。困っている者を放っておけない素直で優しい性格は、きっと多くの者に好かれるでしょう。皆、あの子の成長を楽しみに見守り、心の底からあの子愛しています。ですが……」
表情を曇らせてエルフ族の青年が言葉を続ける。
「ですが、本気を出せばこの世界なと一瞬でめちゃくちゃにしかねない、あの底知れない力に心のどこかで……。本能的に恐怖していました……」
「……」
「心のどこかで、肩から重荷が降りた、と安堵しているのが正直なところです。あの素直な性格が心悪き者に利用されないことを祈るばかりですよ……」
「そうさな……」
そうして振り返る視線の先、天を衝くような山脈の一角に、丸く抉られた山があった。
風化現象によって所々崖崩れが起きてはいたが、その不自然さはなお色濃く残っていた。
それが当時五歳のゼトラが、魔力を暴走させて放たれた魔法によって出来たものだと説明されて信じられる者がどれほどいようか。
それほどまでに巨大な破壊の痕跡であり、恐怖を覚えるには十分なものであった。
以来、村の大人たちはゼトラが力を制御できるように徹底的に教えこんできた。己の内面と向き合い、座禅を組んで精神を落ち着かせるのもその訓練の一貫であった。
その力で世界を滅ぼす事にならないように。
その力が世界を救うものとなるように。
そんな想いを込めて村人たちは旅立った母の代わりにゼトラを愛し、育てた。
複雑な表情で見守る大人たちの想いは、果たして母を追って旅立った少年に届くのか。
長い物語は始まったばかりである。
久しぶりの投稿になります。
ブクマ、評価、感想などいただけると嬉しいです。
次回更新は2020年08月21日11時頃の予定です。
よろしくお願いいたします。