母親という存在
「うわぁーん」
誰かが泣いている。
「おかあさーんどこぉー」
子供の泣き声だ。母親とはぐれてしまったのだろうか。公園で一人泣いている。
あぁ違う。あれは私だ。この後の展開を私は知っている。
「おかあさん!」
公園の入り口に立っている母。しかし、私の呼びかけに応えることはない。
「待って、いかないでよぉ!」
呼びかけても無駄。その人は私たちなんてどうでもいいのだから。
「おかあさーん!」
そうして夢の中の母は泣き叫ぶ私を置いて消えていった。
嫌な夢を見た。時折見るこの夢。
あんなヤツどうでもいい。
「麗華、ごはん出来たぞ」
「そんな言ったって、頼んだのを並べただけでしょ」
「そ、そうなんだけどな」
時刻は20時。父が準備したおかけであれからゆっくり休むことができた。
テーブルにはオードブルやケーキまで様々な料理が用意されている。
「なにこれ、なんでこんなに豪華なの」
特別な日だと言ってサプライズなのか詳細までは話してくれな父。とりあえず、席について、料理を眺めているとあることに気付いた。
「席が一個空いているんだけど」
「いいから、いいから」
ニコニコとした様子で不振がる私を宥める父。
誰かが来るのだろうか。いやでも知り合いなんて限られているし。この季節に会いに来る人なんてうちにはそうそういない。じゃああれは何。
「いいから食べなさい。後で来るかもしれないから」
来る“かも”しれない?どういうことだろう。
私の疑問を無視して、いただきますと食べ始めてしまう父。
まぁいいや。せっかくのごちそうも冷めてしまうから、私も食べてしまおう。その来るかもしれない人には申し訳ないけど。
「いただきます・・・」
それからは各々食事を楽しんだ。日常会話はもちろん、他にもいろいろ。
でも父が言ったその人が来ることはなかった。
「来ないね。お父さんが言ってた人」
「あぁ」
時間が経つにつれ父の表情は暗くなった。余程その人に会いたかったらしい。
サプライズもお開きになったのか、徐々に父はその人について語りだした。
「実はな」
「うん」
「今日はお前のお母さんの誕生日なんだ」
「・・・」
「ごめんな」
何に対する謝罪だろうか。あの人が来ないことなんて当たり前じゃないか。
何を期待しているのよ。馬鹿じゃない。
「昨日お母さんから電話があったんだ」
「あの人はなんて?!」
あの人から電話が来るのは初めてだ。なんのために電話をしてきたのだろうか。
「早く逃げろ、と言っていた。よくわからなかったが」
「なにそれ、他には」
「それだけだった」
それ、だ、け?
あぁそう・・・。
「それで、お父さんはどうしたかったの」
「久々にお母さんに会いたかったんだけどな。今日は誕生日パーティーをするからと伝えたんだが」
「それでパーティーね、なるほど。で、あの人に伝えたけど来なかったんだ」
「あぁ」
「馬鹿じゃないの」
蔑むようにして父を睨む。父は変わらず暗い表情で、しかし次の瞬間にはしょうがないとヘラヘラと笑っていた。
父は昔からこうだ。あの人との思い出に縋って何も変わっていない。段々と怒りがふつふつと沸いて思いのまま叫ぶ。
「いい加減現実見てよ!あの人は私たちを捨てたの」
「麗華・・・」
「誕生日なんて祝う必要も価値もない!いつまであの人に執着しているの。ほかの男のところに行ったクズじゃない」
「そう言うな、お母さんは―――」
「あんなやつ母親じゃない!」
お父さんにこんなに怒ったのは初めてかもしれない。
普段から大きな声なんて出さないから頭が痛い。でもナヨナヨしている父に腹が立ってしょうがなかった。
「・・・大きな声出してごめん。だけどもうあの人の話はしないで」
「わかった・・・」
これ以上父と顔を合わせてあの人の話をすることはできなかった。
あの人の話になるといつもこうだ。あの人のことを忘れたい私と覚えていたい父。どうやってもこのことだけは私たちの間で相容れることはなかった。
「片づけて部屋戻るね」
「いやいい、俺がやるから。疲れただろ。付き合わせてごめんな」
乾いた笑顔が余計父を惨めに見せた。
あのひとのために父がこんな表情をすることにイライラする。全てはあの人が悪くて父はただあの人を愛しただけなのに。
これだから愛だの恋だのは嫌いなんだ。