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第42話  聖ミカエルの夢

夏樹の帰国の日が近づきました。

 夏樹の帰国が一週間後に迫った日、シモンの叔母の経営する食堂で食事をすることになった。


「今日は君の送別会だよ!」


 テーブルにご馳走が並ぶ。カスレと呼ばれる白いんげん豆の煮込み、豚のスペアリブのコンフィ・マスタードソースがけに、キャロット・ロペはニンジンのサラダ、にんにく入りジャガイモのグラタングラタンはフィノワ、ムール貝の白ワイン蒸し、そして店自慢のキッシュ・ロレーヌ……。


「君がいなくなると寂しいよ」


 食事にかぶりつきながらシモンが言う。


「食いながら言われると説得力ないぜ。それにしても、やっぱスペアリブはいいな! 食べごたえがある! マスタードソースも美味い!」


 肉と骨の間にナイフを入れれば、はらりと剥がれる柔らかさに、夏樹は感激する。


 若い青年たちの旺盛な食欲の前には、別れを惜しむ時間も無いようだ。


 食後にムース・オ・ショコラとコーヒーが出され、ようやく話ができるようになった。

 いつものことだと夏樹は思う。


「そう言えば君、モンサンミッシェルに行ったんだって?」


 シモンが飲みかけのコーヒーをテーブルに置きながら言った。


「ああ」


「僕も行ったことがあるけど、島に泊ったよ。夜のライトアップと夜明けの風景が素晴らしいんだ」


「随分ロマンティックだな」


 夏樹が関心なさそうに言う。


「君ほどじゃないよ」


「へぇ。何を根拠に?」


「恋人と行くために、モンサンミッシェルを取っておいたんだろ? 僕は、ここにきてすぐに叔母さんと行ったよ」


 夏樹は、シモンと彼の叔母がものすごい勢いでオムレツを食べる姿を想像する。

 胸やけがしそうだ。

 だが、シモンの考察はいい線をいっている。

 心の中を見透かされたようで、面白くない。


(軽口叩きやがって。帰国前に一度けじめをつけないとな)


 一人心の中で呟く。

 

「ちょっと待ってね。叔母さんが呼んでる」


 シモンが席を立った。

 

 シモンを待つ間、城砦で茉莉香を見つめたことを思い出す。

 彼女の長い髪が風になびく姿を見て、人目をはばからず抱きしめたくなった。


 あのとき、

 

「夜景を見よう」

 

 そう誘いたかった。

 そして、島の宿に泊まり、二人だけの夜を過ごしたかったのだ。


 オムレツを食べ、荘厳な礼拝堂を見、修道士が瞑想をした静謐な回廊を歩き、水に浮かぶ神秘の修道院に心を奪われた。

 

 だが、なによりも自分が求めたことは……。

 茉莉香との二人きりの時間だったのではないか?

 彼女と夜を過ごし、暁の光に染まるモンサンミッシェルを見たかったのではないか……。

 もし、あのとき言っていれば、茉莉香はついてきてくれただろう。


 だが、あの日は茉莉香を帰したことは正しかったと思う。

 由里のもとへ、両親のもとへ……。

  

 夏樹は茉莉香との出会いから、今までのことを思い出す。

 自分の真実が明らかにされるたびに、自分は茉莉香に乞い求めてきたのだ。


 許して欲しい。


 受け入れて欲しい


 と……。


 いつも茉莉香は自分を許し、受入れてくれた。

 今まで人と繋がりを求めたことはない。一人で生きていける。そう思っていた。

 だが、茉莉香だけは失いたくない。


「それにしても……あのときは驚いたな……」


 茉莉香が澤本知佳に会いに行った日を思い出す。

 理由も分からず、それが嬉しかった。

 誰もが自分の事だけを考え、前を向いて生きていく。だが、茉莉香だけが知佳を見捨てなかったのだ。


「大変だったけどな」

 

 思わず苦笑いをする。


 そんな茉莉香が愛しくて、つい、慰めの言葉を口にしたのだが、突然泣き出されてしまった。


 茉莉香の優しさと温かさが、目に映る世界を彩のあるものに変えてくれた。

 彼女を失えば世界は再び閉ざされ、生きる意義を失ってしまうだろう。

 

 これ以上茉莉香を悲しませたくはない……。




 ……が……



「ねぇ。夏樹。日本に帰ったら卒業して、建築士の資格を取るつもりかい?」


 シモンの言葉が夏樹の思索を破る。

 彼はいつの間にか席に戻っていた。


「ああ。卒業すると受験資格が得られるんだ。合格した後、二年間の実務経験で免許が取れる」


 思わず我に返る。


「まずは試験に合格しないとな」


「じゃあ、僕と同じころになるね」


 シモンは、来年DEEAを取得する。その二年後、卒業と同時にDEA取得し、アーキテクチャ(建築士)と名乗ることができる。

 その後、実務講習などで建築家協会に登録できるようになるまでには、なんだかんだで、一年はかかる。


「そうだな」


「フランスで資格を取るつもりはない? 外国人でも、一定の条件を満たせば取得できるよ」


「それは知っているけど “一定の条件”ってのが、曖昧なんだよな」

 

 留学中に、夏樹はパリで仕事をしたいと考えるようになっていた。

 

 フランスでは、建築物は文化的な公共の財産という認識が深く根付いている。

 伝統を重んじながらも、斬新なコンサートホールや美術館が作られているのだ。

 

 古いものと新しいものが混在する街。

 パリは、夏樹を魅了して()まない。


 資格がなければ、共同経営のパートナー名義で仕事をすることになる。


 夏樹は自分の名前で仕事がしたいのだ。


「日本の大学を卒業した後、修士留学をする気はないかい? また同級生になれる」


「気色悪いこと言うなよ」


 シモンの言葉に、夏樹がげんなりとした顔をする。


(だが、その手もある)

 

 容易なことではないが、日本の大学を卒業していれば、修士課程一年目から入学することができるのだ。

 

 それにしても……シモンは、いつも自分の考えを先取りし過ぎるきらいがある。


(やはり、けじめをつけておかないとな)


 他人に気持ちをはかられるのは気分が悪い。


「ところで、サントノリ通りのブティックは完成したの?」


 シモンが尋ねる。


「いや、間に合わなかった」


 できれば自分の目で完成を確かめたかった。

 それが心残りだ。


「でも、すごいね。君の年であの建設に係われたのは」


「ああ。ガスパールに感謝しなくちゃな」


 ガスパールの言葉を思い出す。


「君が戻ってくれば、いつでも歓迎するよ」


 彼は夏樹の手を握ってそう言った。

 その手は熱く力強かった。


 ガスパールは在学中に事実上の独立を果たし、二十五歳で結婚したという。


「俺たち、二十五歳の時なにしてんだろうな」


 夏樹が独り言のようにつぶやく。


「そうだねぇ。免許は取得できているはずだけど……」


 夏樹はシモンより一つ年上だ。

 夏樹は十九歳で大学に入学している。

 シモンよりも一年遅れる。


「どのみち……」


 シモンが言う。


「僕たちが自分の力で仕事をするのは、まだ先なんだね」

 

 そう言ってため息をついた。


「そうだな。だけど、早く一人前になりたい」


 茉莉香のためにも。

 自分たちはまだ、夢の入り口に立ったばかりなのだ。


「まずは、夏樹の留学生活が無事終了したことを祝って! 乾杯! ほら、また料理が来たよ! さっき追加してくれるように頼んできたんだ」


 シモンがグラスをとると、彼の叔母が料理の乗った皿を運んできた。

 チーズ、生ハム、パテ、ウィンナ。そしてワイン……。


「おいおい。まだ食うのかよ!」


 シモンの食欲に夏樹がうんざりしたように言う。


 夏樹の帰国の日が近づいていた。






イラストは青羽さんから頂いた夏樹です。(*^_^*)


   挿絵(By みてみん)







    ※ご興味があれば、お読みください。


ENSA:L'Ecole nationale superieure d'architecture

ライセンスの資格を与えるアーキテクチャの卒業証書

(国立高等建築学校の卒業証明書)

DEA;diplome d'Etat d'architecte conferant le grade de master

修士号(DEA)を授与する建築の州の卒業証書

(修士課程を授与する建築士の国家証明書)

 

上手い訳が見つからなくてスミマセン。(^-^;

 

前期3年、後期2年で、学位が与えられ、建築士として名乗ることができるようになり、それに加え、約一年の実務講習で協会に登録することができます。

登録が無くても一事務員として働くことはできますが、建築の実務に携わるためには、この登録が欠かせません。また、将来独立して事務所を立ち上げるためにも必要です。


日本とフランスでは、建築士の位置づけが違います。

日本の建築学科が、主に大学の工学部にあり、業務内容が広範囲に渡ることに比べ、フランスでは建築士と建築技術者の仕事が明確に分けられています。

フランスでの建築士のお仕事は、文化芸術色の強いものとなります。


ここまで読んでいただきましてありがとうございました。

次回が、第二章の最終話となります。

宜しくお願いいたします。

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