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第26話  読書の秋 -パリの風ー

茉莉香の日常からスタートします。

 茉莉香と亘は、新作の“アップル・キャラメルティー”を試飲している。


「美味しい! 林檎とキャラメルの風味がぴったりですね」


「そうだね。今泉君の一押しなんだけど、今年の秋冬はこれが売れそうだ」

 

 林檎の風味とキャラメルの甘みがよく合う。

 ベースはケニアで、家庭でも手軽に淹れることができそうだ。テイクアウトも増えるだろう。


「由里さんがこれに合うデザートを用意すると言っていたよ」


「何かしら? 楽しみですね」

 

 由里がどんなものを作るのだろうか?

 きっと素敵なアイディアがあるに違いない。




 新学期が始まった。茉莉香は、専門課程を決める準備をはじめなくてはならない。沙也加はすでに、芸術、文化、歴史について総合的に学ぶ“芸術文化クラス”に進むことが内定したが、茉莉香は未だ決められずにいる。


「いけない! 作業の途中で……集中しなくちゃ……」


 茉莉香は自室の片づけをしているところだった。


「進路のことも大切だけど、今の問題は、これね……」


 呟いて、本棚に目をやる。


 ここのところ、本が増えてきた。普段読まない物は、実家に送るか処分しなくてはならない。


 ……が……


「これは夜眠るときに読むのにちょうどいいし、こっちは調べ物に使うし……」


 遅々として作業がはかどらない。


「これはどうしようかしら……」

 

 一冊の本を手に取る。


「まぁ、なつかしい」


 思わず笑みがこぼれた。


 『プチ・ニコラ』

 

 それは、『Le Petit Nicolas』という、フランス語を学ぶ者ならば、一度は耳にする有名な児童書だ。ニコラという男の子が日常で繰り広げる騒動が描かれている。ストーリーはシンプルだが、フランス人の生活を垣間見ることができる。


「これ、私が中学生の時に初めて読んだフランス語の本だわ」


 ページをめくると、初めて原書を読み切った時の喜びが湧き上がってくる。


 

 楽しいストーリーと愛らしいイラストに引き込まれ、時を忘れて読み続けたことを思い出す。

 辞書を引き、専用の単語帳も作ったのだ。

 

「このあと『星の王子さま』や『悪童日記』を読んだのね……」


 どれも、茉莉香の心を温かいもので満たしてくれた作品ばかりだ。

 茉莉香は時を忘れ、本に没頭する。


「いけない。私ったら……つい。片付けがすすまない。でも、フランス語ってやっぱり素敵だわ。本を読むのも楽しい!」


 茉莉香は忘れていた大事なことを思い出そうとしていた。

 自分が本当に好きなことは何なのか? ……だ。


「そうだわ! 私は、フランス文学が好きで、仏文科を選んだのよ! 自分の好きなこと。 それを大切にすればいいんじゃないかしら?」


 茉莉香は考えた。

 

「でも、何をしようかしら?」


 よいアイディアが、今にも浮かびそうだ。


 そして、それは……

 

「学校では読まないフランス語の本を読んでみよう!」


 なぜ今まで思いつかなかったのだろう?

 自分の好きなことを見つめ直すことで、何か見つかるかもしれない。

 

 茉莉香は素早くスマホを手に取り、夏樹に連絡をとった。


「えっ? フランスで流行てる本で、日本で出版されてないやつ? わかったよ。すぐに送るから」


 夏樹は快く引き受け、早速、十冊程度を送ってくれた。

 小包を開けた瞬間、紙とインクの匂いが漂う。

 茉莉香はそれを吸い込んだ。

 鮮やかなイラストの描かれた本が詰め込まれている。

 


 追うように夏樹から連絡があった。


「これからも目に着いたらどんどん送るから!」


「ありがとう」


 辞書を片手に、送られてきた本を読む。

 どれも学校では得られない“今”を感じさせるものばかりだ。

 茉莉香は、心の中に風が吹くのを感じる。


 ーー パリに息づく季節の風だ。 ーー

 

 それにしても、夏樹は忙しいはずだ。それなのに、短期間でこれだけの選りすぐりの書物を送ってくることに驚かずにはいられない。

 

 こういう時の夏樹は、本当に頼りになる存在だと茉莉香は思う。

 

 その中で、特に惹かれたのは、茉莉香と同じ二十歳(はたち)の女流作家のものだ。

 

 年上の男性との大人びた恋愛を描いた作品で、ネットで著者のプロフィールを調べたところ、彼女の実体験がモデルになっているという噂もある。


 突如現れた新星として、注目の的となっている存在だ。

 

 主人公は、エコール・デ・ボザールで美術を学ぶ女子学生。海外赴任から戻ったばかりの父の部下に再会し、恋心を抱く。亡き妻を忘れられない彼に、彼女は奔放なアプローチを繰り返す。

 やがて男は……


「うわー! すごい! 情熱的と言うか大胆と言うか……これを私と同い年の人が書いたなんて」


 作品は繊細に主人公心の機微を描きながらも、誘惑のシーンは大胆で、茉莉香は思わず顔を赤らめずにはいられない。


「こ、これは、芸術作品なのよ。そうよ!」


 茉莉香は、自分に言い聞せかる。

 自分は、決して不純な気持ちで読んでいるわけではない。

 芸術鑑賞をしているのだ!


 ……が、未知の世界に興味を持たずにはいらない自分を疚しく感じてしまう。


 だが、共感さえ許さない格調高さに、茉莉香は引き込まれていく。恋愛小説ということで、若い女性読者が多いとのことだが、どの世代にも通用する文芸作品だと思う。


 読み終わった後、茉莉香は、ふっと、ため息をついた。


「才能のある人って、やっぱり若くして世に出てくるものなのね」


 無駄なことだと知りながらも、平凡な自分と比べてしまう。

 だが、落ち込んでいる時間はない。


「さあ!まずは、これを全部読んでしまわないと!」


 茉莉香は自分の頬をぴしゃりと叩く。

 

 夜は、日に日に長さを増していく。

 茉莉香の読書の秋は、まだ始まったばかりだった。









。.。・.。゜+。。.。・.。゜+。。.。・.。゜+。。.。・.。゜+。。.。・.。*゜゜

エコール・デ・ボザール

17世紀に設立されたフランスの高等美術学校です。

建築、絵画、彫刻の分野に芸術家を輩出し、現在、建築は分離しています。

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ここまで読んでいただいてありがとうございました。

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