第10話 調和と情熱について
今日は夏樹君はりきってます。
その日の課題は『パリ市街地の都市再開発の提案』だった。
パリの市街地の中から地域を選んで、それを模型によって表現する実習だ。
二人組で行われるが、組合せは学校側が決める。
実習の行われる部屋は明るい光彩が差し込み、広さもそれなりにある。
だが、壁一面に貼られた図面や作業台に並べられた模型、そして学生たちの熱気で、息苦しいほどだ。
学生たちは一斉に機敏な動作で作業を進めていく。
何かを作り上げたい! 何かを掴みたい!
彼らの目がそう物語っている。
夏樹のパートナーはシモンだった。
「なんか面倒な奴と組まされたな」
シモンに対する嫌がらせは、夏樹と係わるようになってから収まったようだ。
「俺はお守りじゃないって!」
皆が自分の目的のために必死なのだ。
我が身を守ることさえできない人間の面倒を見る義理はない。
それにしても……シモンが嫌がらせを受け続けることが、夏樹には理解できない。確かに、動きが鈍くていらいらするが、いい大人がそんなことで苛めをするものだろうか?
だが、今日はそんなことはどうでもいい。
「今日の課題は興味がそそられるな!」
事前に構想を練ってこの日に備えてきた。
講義の一環とは言え、パリの都市計画をシミレーションすることができるのだ。
期待に胸が高鳴る。
「俺が主導権を握って、奴に足を引っ張られないようにしないと。今日は思いっきりやってやる!」
夏樹が用意してきたプランのことを考えていると、
「ねぇ、どこにする?」
シモンが消え入りそうな小さな声で聞いてきた。
いつもながら緊張感がない態度だと思うが、それは無視する。
「ここさ! 5区と6区だ!」
夏樹は即座に答えると、足で地面を踏みつける。
「えっ? カルチェラタン」
カルチェラタンは、大学のほかにグランゼコールと呼ばれる高等職業訓練学校も複数存在する学生の街だ。
歴史と芸術の街でもあり、美術学校も近い。彼らの通う大学があるのもこの地域だ。
シモンが怖気づくのも無理はないだろう。
セーヌ川周辺で再開発が進んでいるが、それとは事情が違うのだ。
「ああ」
夏樹がうなずく。
シモンは、はじめは戸惑っていたが、丸々とした手と細い指で、器用に模型を組み立てていった。
「こいつは……」
夏樹が思わず息を飲む。
シモンのデザインは、目新しい個性やオリジナリティこそないが、おっとりとして品が良い。
そして、なによりも夏樹を驚かせたのは、建築物を街に融合させるアイディアに富んでいることだ。地形や立地をうまく利用してそれを実現させていく。建築物の独立した個性は弱まるが、バランスが素晴らしい。
シモンを一言で表現すると、“調和”という言葉が最も相応しい。
夏樹は心に熱いものが灯るのを感じた。
シモンに触発され、それに合わせたデザインを練り直す。
だが夏樹には自分のすべきことがあるのだ。
「この日のために準備してきたんだ! 俺も譲れない!」
イマジネーションの翼が広がっていく。
誰にも止めることはできない。
思いが次々と形を成していく。
いつか自分がこの街をつくり変えるのだ!
そんなことさえ出来るような気持ちになる。
「植物園の横にレジャー施設を建てる。それから高層アパート」
見る見る間に、ガラス張りの施設と、塔のようにそびえ立つ円柱型のアパートを作り上げた。
「ええ! そんなところに!? そんな物を!」
シモンが悲鳴のような声を小さくあげるが、夏樹はどんどん作業を進めていく。
顔面蒼白になりながらも、シモンがそれに合わせる。
二人は時を忘れて、模型を組み立て続けた。
「お前やるじゃん。見直したぜ」
帰り道に夏樹が満足そうに言うと、
「そうかい? 僕はひやひやしたよ。教授も呆れていた。いくら実習だからって、あんな、レジャー施設や高層マンションをこのカルチェラタンにバンバン建てちゃうなんて……」
夏樹は、教授の呆れ困惑した様子を思い出しながら、
「そうだったかな?」
と、だけ言った。
シモンが思い切ったように、
「ねぇ。夏樹。お腹空かない? また、叔母さんのところに行こうよ。君にご馳走したいって言っているんだ」
と、夏樹を誘った。
「ああ。いいな」
「本当? 今日は随分あっさり承知してくれたね」
シモンが意外そうに言う。
「これは借りだ。いつか返す」
自分が侮っている相手にご馳走になるのは気が引けるが、認めた相手なら悪い気はしない。借りは返せばいいのだ。
それにシモンとならば、いずれ何かやってみたいと思う。
シモンと夏樹はシモンの叔母の店に向かう。
サンジェルマン・デ・プレ教会近くの小道を進んだところにある小さな店だ。
キッチンはオープン式で、正面から入るとシェフが調理する姿を目にすることができる。シェフは痩せた男で、シモンの叔母の夫だ。
店は夫婦二人で切り盛りをしている。
二人掛けの座席が二つ、四人掛けが三つ。クリーム色の敷物の上に白いテーブルクロスがかけられ、壁にはパリの街や、花の水彩画か飾られている。
穏やかなオレンジ色の照明が、店内を温かく照らしていた。
「まぁ! 二人ともよく来たわね。今日は、たくさん食べていってね!」
シモンの叔母は彼に似ていた。大柄な体に、丸々とした手と細い指を待つ。
気性は朗らかで、夏樹の再訪を心から歓迎してくれた。
ミモザサラダ、牛頬肉の赤ワイン煮込み、キッシュロレーヌ、ワインも振舞われた。
「パンは好きなだけ食べていいわよ!」
シモンの叔母は言った。
「これ、美味いな。この牛頬肉! 柔らかいし、コクがあって……ワインにも合う!」
口に入れた途端、ほろりと肉の繊維がほぐれていくのを味わいながら夏樹が言う。
付け合わせは、蕪、ニンジン、ブロッコリーの温野菜だ。
「これ、蕪の葉だな? 揚げて塩胡椒で味付けしてある。うまい!」
夏樹がぱりぱりと音を立てながら蕪の葉を食べていると、
「キッシュも美味しいだろ? 叔母さんの特製なんだ!」
シモンがキッシュを頬張る。
やがて、デザートにタルトシトロンとコーヒーが出される。
満腹になった二人の間に、ようやく会話が交わされようとしていた。
「お前、センスはいいけど、守りに入り過ぎてないか? 伝統や文化を守るのはいいけれど、やり過ぎると観光客は喜んでも、街は活力を失うぞ」
夏樹の言葉にシモンが下を向いて、もじもじとする。
やれやれ。
夏樹はため息をつく。
もう少しまともな話ができる相手だと思ったが、間違いなのだろうか?
「お前さあ。実力あるんだから、もっと堂々としていろよ。お前みたいな奴がうじうじとしてるのが、一番腹が立つんだ」
夏樹は苛めの原因は、シモンの才能に対する嫉妬だと考える。
シモンは、はっとした後、力を振り絞るように、
「そんなこと言ったって、伝統は大事だよ。君みたいに周囲に溶け込まない建物を建てていたら景観がぶち壊しだ!」
と言った。
「いつもそうしてればいいんだよ」
夏樹が笑顔を見せる。
「そうかな……」
「そうさ!」
二人は、どちらからともなく笑いだした。
次はシモンが質問を投げかける。
「ねぇ。夏樹。君は日本人留学生とうまくいっていないの?」
「なんだよ。いきなり。飯がまずくなる」
「この前のピエールが言っていたことだけど、日本人から聞いたんだよね?」
「ああ。俺もそう思う」
「どうして上手くいってないの?」
「どうしてって……気が合わない。それだけだよ」
「なんとなく想像はつくよ。この前のピエールのことだって、一番言われたくないことだったろうよ……あんなに事を大きくして……」
シモンの言葉に夏樹はまったく興味を示さない。
諦めたのか、シモンは話題を変えてきた。
「ねぇ。君。夏休みはどうするんだい?」
「えっ? ああ、そう言えば、まだ決めてない。パリを離れてどこか旅行をしたいと思っているけど……」
バイトの給料も入るだろう。
やりくりをすればなんとかなるはずだ。
「ねぇ。僕の故郷に来ない? 中世の街並みがそのまま残っている街なんだ。きっと、君の気に入るよ」
「へぇ……」
中世の面影を残す街。
椅子から身を乗り出して話を聞こうとする。
……が、再び椅子に深く座り直した。
「だけどなぁ……」
また借りを作るのは気が引ける。
「叔母さんが、君のことを僕の両親に話をしたら、ぜひ会いたいって言うんだ。僕の家に泊れば、宿泊費が浮くよ。食事も出すからさぁ。浮いたお金で、周辺の都市を周ればいい。見るところは沢山あるよ!」
中世の風情が残る街。確かに魅力的だ。ぜひ行きたい。だが……。
決めあぐねている夏樹にシモンが言った。
「それにね……美食の街としても知られているんだ。美味しいんだよ……フォアグラが……」
「……」
“フォアグラ”
魅力的な響きだ。せっかくフランスにいるのだ。一度は食べたい。
だが……。
夏樹は、まだ迷っている。
「……そうだなぁ。お前の両親の顔も見てみたい気もするが……」
独り言のように、ぼそりと言うと、
「本当?約束だからね! 絶対にきてね!」
シモンの声は嬉しそうだ。
「ちょっ、ちょと、待てよ!……」
シモンはすっかりその気になっている。
夏樹はシモンの故郷を訪れることになりそうだ。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。