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第6話  悪い子探し

悪い子がいると、ほらあの人が探しに来ます。

 岩下義孝は、週二のペースで店を訪れるようになった。

 

 すいているときはテーブル席、混んでいるときはカウンター席に座る。彼自らが移動するので、最低限の気遣いができることに亘はひとまず安心した。

 ここでの義孝を見る限りでは、二度も学級崩壊を起こした子どもには見えない。


 義孝は席で静かに勉強をしたり、本を読んだりしている。きちんと計画を立てているようで、動きに無駄がない。その姿は亘を感心させるほどだった。


 客たちは彼がいないがごとく振舞う。声をかける者もいないし、中学生が昼間からカフェにいることを咎める者もいない。彼の母親の読みは見事にあたった。

 義孝が自分から声をかけるのは茉莉香だけだった。茉莉香は義孝が年齢に合わぬ言葉を口にするたびに、おかしそうに笑う。

 本人はそれで気を悪くすることもなく話を続け、いっそう茉莉香を面白がらせるのだ。

 

 二人の様子を見ると微笑ましくさえあり、亘は義孝が由里の頭を悩ませていることさえ忘れそうになる。

 


 ある日、閉店時間を過ぎても義孝は帰らなかった。


「僕も片づけを手伝うよ!」


 食器やポットから、一本のスプーンにいたるまで、すべて由里が()りすぐったものばかりだ。亘でさえ細心の注意を払っている。


「だめだよ。義孝君。どれも大切なものだから」


「大丈夫だよ。僕、家でいつもやっているから」


 意外にも、義孝の食器の扱いは丁寧だった。食器と食器が触れ合わないように、静かに棚に収めていく。


「僕ねぇ。どこに何をしまうか覚えちゃったよ」


 少ない人数で店を切り盛りするために、収納場所を徹底させているが、なにしろ数が多い。亘も、はじめはそれで苦労した記憶がある。

 義孝はそれを厨房で食事をする間に、一人で覚えてしまったのだ。


 棚に引き出しに、あるべきところに手早く片付けていく。並べ方もきれいだ。


 亘は義孝の注意深さと記憶力に舌を巻いた。

 

 茉莉香と義孝は、おしゃべりをしながら作業をすすめていく。

 茉莉香は義孝がませたことを言うたびに、くすくすと笑った。

  

「茉莉香の彼はパリにいるの?」


 彼は厨房で大人たちの会話をいつの間にか聞いていた。


「えっ?」


 突然夏樹の話題になり、茉莉香は慌てた。


「その人と結婚するの?」


「そんな……私もいろいろやりたいことがあるし」


 茉莉香は、なんとか質問をはぐらかそうとしている。


 が、少年は茉莉香が思いもかけぬ言葉を口にした。


「茉莉香のやりたい事って何? 実際に、今、何かしているの?」


「え?」

 

 義孝の言葉に茉莉香の顔色が変わる。

 義孝はその様子に気づかないのか、そのまま続けた。


「その年で準備していなければ、何もみつからないよ。それに、茉莉香の彼は野心家みたいだから、仕事に夢中になって家庭は顧みない。家事も育児も茉莉香が全部一人でしなきゃいけなくなる。どんな仕事についても、結婚したら茉莉香は彼のサポートに回らなきゃいけないから、仕事を続けるのは難しいよ」

 

 茉莉香が驚いているが、それを見ていた亘も同様だった。

 彼の言葉は妙な説得力があるが、ところどころおかしい。所詮、頭でっかちな子どもなのだ。決めつけたような物言いがそれを表している。


「茉莉香ちゃん。義孝君の言うことを真に受けないように……」


 亘が言うが、茉莉香の耳には入らないようで、呆然と立ち尽くしている。


「義孝君! 大人をからかうと……」


 と、亘が言いかけたときだ。


「こちゃあぎえだあぐだれがぁ!」

 

 声をあげたのは米三だった。ものすごい形相で、義孝を軽々と抱え上げて、尻を叩こうとしている。

 

 亘は唖然とした。いつもの温厚な米三とは別人のようだ。しかも何を言っているかわからない。


「助けて!」


 さすがの義孝も恐れをなして悲鳴をあげる。足をばたつかて逃れようとするが、米三の腕力にはかなわない。


「米三さん! だめですよ」


 亘と茉莉香が止めに入るが、


「こんなふざけた子どもは、しっかり大人が叱らなくちゃいけません!」


 米三は義孝を離そうとしない。


「お願い! 米三さん!」


 亘と茉莉香が必死に説得すると、ようやく義孝を離した。



「義孝君。大丈夫?」


 茉莉香が駆け寄る。

 米三の剣幕に、義孝の言葉は茉莉香の頭から吹っ飛んでしまった。

 自分に対する非礼は忘れ、義孝の身を真剣に案じている。

 

 義孝は地面に尻をついて呆然としている。


「大丈夫? ケガはない?」


「うん。大丈夫」


 我に返った義孝が力なく言う。


 茉莉香は義孝の無事を確認すると、ほっと胸をなでおろしているようだった。


「失礼しました」

 

 米三が丁寧に頭を下げる。

 彼の言葉はなめらかな標準語に戻っていた。いつもの低音のゆったりとした口調だ。


「それにしても凄い腕力ですね。体を鍛えているんですか?」


 亘は、米三が義孝を軽々と抱え上げた姿を思い浮かべた。

 いくら小柄でも、義孝は中学生である。


「いえ、東京に出てくるまでは実家の畑仕事を手伝っていました。毎日、鎌で作物を刈ったり、(くわ)で畑を耕していました。スポーツは、大学でバドミントンをやりましたが、そのとき測定したら握力が60ありました」


 亘は思わず言葉を飲み込む。そして、彼がこの年齢で、前川氏とつい最近まで世界中を周ることができたことに合点がいった。

 

 茶葉の産地は中国やインドの山間部である。彼は強靭な体力でその過酷な旅を続けてきたのだ。

 

 そして、理解できないほどの東北訛りから、彼がいかに努力をして標準語を身に着けたがうかがえる。


「義孝君。いいね。あまり大人をからかっちゃいけない」


「からかってなんか…………!」


 義孝は抗議を試みるが、


「まだ言うか!」


 米三の険しい顔を見て黙ってしまった。

 

「はい。義孝くん。オレンジジュースよ」

 

 茉莉香が持ってきたジュースを飲んで、ようやく人心地ついたようだ。

 


 


 あれから数日が経った。

 亘は、米三とのことが義孝の母親の耳に入ることを、密かに恐れていた。

 “暴力カフェ”などと、苦情を言われてはたまったものではない。

 だが、それは杞憂に終わったようで、義孝は相変わらず、読書をし、手の空いた茉莉香に話しかけている。


 玲子の耳には入っていないようだ。


(やれやれ……)


 亘は紅茶を飲みながら、ようやく安堵することができた。


米三さんの言葉を翻訳すると、


「この呆れた悪ガキがぁ」


と、なります。


ここまで読んでいただいてありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 米三さん、凄いな…… 義孝くんはこんな経験ないだろうから驚いたのは間違いないだろうけど、これがきっかけで相手を尊重することも覚えてくれるといいですね。
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