第3話 ただ君の笑顔が見ていたかっただけなんだ-2
周囲が固唾を呑んで様子を伺っているのがわかる。
鼓動が高鳴る。
(落ち着いて……)
気持ちを集中させ、段取りを瞬時に決めなければならない。
(大丈夫。できるはずだ)
自分を励ます。
製図台横のデスクに模型を並べ、上から見下ろした。
(さて……どうするか? まずは模型の採寸だな……)
模型の平らな側面に、デスクに水平に定規をあてカッターの刃を添える。
そして刃の先端を面に突き立て、一気に引く。
ーー ザシュッ ーー
ボードを切る音が勢いよく室内に走り抜けた。
「うわっ!」
誰かの声が悲鳴のように響いた。
(ちょっと思い切りが良すぎたかな?)
だが、迷いはない。
模型を図面化する。あるいは逆に図面を模型に起こす。
学校で与えられた課題とは別に、何度も自主的に練習してきたことだ。
ピロティや中庭の部分は、歪まないよう丁寧に刃を入れる。
一階部分が切断され、建物の平面図が現れた。
(よし! 切り口も滑らかだ!)
そして、平面図の採寸をする。
同様に二階部分も切断し、採寸をした。
もう一つの模型は垂直に切り下し、できた断面図を採寸する。
測った寸法をメモし、フリーハンドで簡単な間取り図を描く。
これを基に模型の平面図と断面図を描くのだ。
製図台に向かい作業に取り掛かった。
迷うことなく素早く判断し、描き上げていく。
平面図と断面図をそれぞれ描き、
(吹き抜けの表現もしなくちゃな)
吹き抜けを描き込むと図面は完成した。
やれるだけのことはやった。
問題はないはずだ。自信はある。
だが、審判が下るまでは気が抜けない。
男は腕を組んだまま図面を見つめている。
やがて、
「丁寧な仕上がりだ。スピードもある」
と言った。
「国立建築大学の学生だって? バイトの面接に来たんだよね」
そう言って、手を差し出すと夏樹の手をとった。
そして、
「明日から来てくれたまえ。待っているよ」
と言った。
彼は、この事務所のボスだった。
夢を見るように帰った夏樹を、厳しい現実が待っていた。
その夜は、四月だというのにひどく冷え込んだ。
「だからストーブ直せっていったんだ! 何やってたんだ? あの大家は!」
今さらながら腹立たしい。
手持ちの服を見るが、十分な防寒ができるものはない。夏樹はもともと持ち物が少なかった。それにどれも長く使ったものばかりで古びている。
その中で、茉莉香から空港で渡されたカバンだけが、新しく美しい。
夏樹は茉莉香のことを思った。
日本に残したもので、心残りは彼女のことしかない。
それなのにだ!
自分のしたことはどうだ!
「もっと早くに言えばよかった」
一人つぶやく。
なぜ、言わなかったのだろうか?
確かに、結果が出るまでは軽々しく口に出すべきではない。
だが、それだけだろうか?
自分に問いかける。
ぎりぎりまで、茉莉香と楽しい時間を過ごしたかったのではないか?
笑顔の彼女と一緒にいたかったのではないだろうか?
その結果、ひどく傷つけてしまった。
「あー! 俺って、サイテイ!」
一人の部屋で叫びたい気持ちになる。
今まで、いろいろな人間を悪しざまに言ってきたが、今の自分より嫌な奴はいないだろうと思う。
今こうしているのも、二人のためなのか、自分のためなのかわからない。
彼は前に進むことしか知らなかった。
だが、悩んでいる暇はない。
明日も早い。
やるべきことが多すぎる。
だが、茉莉香には会いたかった。会って彼女の笑顔を見たいと思う。
ただ、笑顔を見ていたかった。それだけだったのだ。
夏樹は、毛布を被って凍える夜を過ごした。
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