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お茶を飲みながら  -季節の風にのって-  作者: 志戸呂 玲萌音
第一章 -リラの園の眠り姫ー
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第24話   ジンジャーブレッドマンとチャイ

 年末が近くなると、紅茶ブランドles() quatre(カトル) saisons(セゾン)では、福袋を売り出す。

 ブランド名のロゴの入った紙製の袋に茶葉や道具が入っている。

 ネット販売や、デパートと同じものを一割ほど安くカフェで提供している。

 

 茶葉はダージリンやアッサムなどのオーソドックスな種類を組み合わせたものと、フレーバーティーのセットのどちらかを選べるのだ。それに、お茶を淹れるための小物が何品か入っている。ティースプーンや、ティスティング用のカップ、茶葉の計量器、タイマー、砂時計などのどれかである。

 常連客達には周知であるため、発売開始とともに売れ切れる恒例の人気商品だ。


「わー! このティースプーンかわいい! 欲しいわ!」


 と、茉莉香が言うと、


「私はこの砂時計がいいわ」


 と、未希が言う。


 茶葉に関しては、ふたりともフレーバーティーが好みのようだ。

 

 また、この季節は、さまざまの茶葉の秋摘み(オータムナム)の注文も増える。

 コクと甘みがあることが特徴である。


 寒い日にはチャイもよい。シナモンやカルダモンなど数種類のスパイスを加えた深い味わいはミルクとよく合い、体を温めてくれる。


 チャイは、由里がクリスマス・シーズンに合わせて焼菓子に加えたジンジャーブレッドマンにもマッチする。


 クリスマスが近づき、街はイルミネーションに彩られている。


 その日、亘がいつものように茶葉の在庫をチェックしていると、茉莉香と未希がクリスマスの話をはじめた。


「茉莉香ちゃん。クリスマスはどうするの?」


 未希が茉莉香に聞く。


「うーん。家に帰ってもいいんだけれど……ママと二人だけになるのは、ちょっと気まずいの……」


 茉莉香が胸の内を未希に打ち明けている。

 彼女が自分のことで、踏み込んだ話をすることは珍しい。

 未希とそれだけ打ち解けた関係になったということだろう。


「私ね。毎年、劇団の仲間と一緒にぱーっと騒ぐんだけど、なんか今年はそういう気持ちになれないのよね」


 未希の気持ちはある意味正しい。クリスマスは本来、パーっと騒ぐためのものではないはずだ。


 そのとき茉莉香が思い出したように言う。


「そうだ。亘さんにクリスマス会を頼んだんだわ」


「えっ? それ、すごくいい!」


 二人が亘にそれを伝えに来た。


「そうだねぇ」


 もし、茉莉香の両親を呼べば、娘の生活ぶりを知ることで安心するだろうし、由里の家族を呼ぶのもいいかもしれない。彼女の夫もこの時期は比較的時間がとれるはずである。

 

 だが、この店ではそれでは手狭(てぜま)だ。


「考えてみるけど、ここだとちょっと狭いんだよね」


 亘の“考える”は、現実を目指していることを知る二人は喜んだ。


「なんとか場所がとれるようにするからね」


 亘は言った。



 その時、平日には珍しい来客があった。荒木耕一(あらきこういち)である。彼は、亘の父親の会社の傘下にある企業にエンジニアとして勤務している。

 

 かつて、亘の主催していた研究会に、社交辞令を真に受けてやって来たという経緯(いきさつ)がある。


 気さくというか、人懐こいというか、その上あまり物事にこだわらない人間であるが、その向学心は亘も舌を巻くほどだ。


 茉莉香も未希も、この陽気な訪問者を快く迎えた。

 荒木はウヴァのミルクティとチョコレートムースを注文する。


「こんばんは。岸田さん。動画の監修の件、引き受けてくださるそうですね」


 引き受けるもなにも、自分がどれほどしつこく食い下がって来たかを忘れたのだろうかと、亘は思った。


「ああ、その件ね」


 そっけなく言う。


「その、謝礼もしたいのですが」


「それはいいよ。それよりも僕の名前は出さないでね」

 

 自分の名前を出さないということは、話が持ち上がった当初からの二人の約束だ。

 

 謝礼の件に関しては、亘は受け取るとしたら、それなりの金額を要求するつもりでいる。それは、安月給の荒木に払いきれる額ではない。


「そんな。悪いですね」


 荒木にそこを()(はかる)ることができるはずもなく、ただ、経費がかからないことに安堵するだけだった。


「荒木さんの動画って、すっごくわかりやすいのよ!」


 と、茉莉香が言う。


「授業で理解しきれなかったこともわかりやすく説明してくれるの」


 茉莉香は荒木の動画の大ファンだ。


「僕ねぇ、学校の成績があまりよくなかったんで、自分のような苦労をした人の役に立ちたかったんだ」


 荒木が照れたように言うと、


「へぇー。私も見てみようっと」


 未希が感心したように言う。


 亘は、荒木の志の高さは認めているものの、なぜか評価する気になれなかった。

 これは、夏樹には感じられない苛立ちである。夏樹の方が、よほど口も態度も悪いのに、荒木に対するような不満を感じることがない。


 だが、荒木に協力することが正しいという確信のようなものがあった。


「それじゃあ、後でデータを送ってくれればいいから。それに、手続き上必要なことを書いておいてくれれば、それに従うよ」


 由里に知れれば、


「また、人のことばかり」


 と、非難されそうだと亘は思った。


 由里に非難されずとも、今、自分がいろいろと抱え込み過ぎていることはわかっている。

 年末用の福袋、冬季のメニュー、荒木の動画、どこで開催するかもわからないクリスマス・パーティー……。


 今までクリスマスをどう過ごしていたのだろうかと、亘は考える。

 去年は、由里の店の引継ぎの為に、ばたばたと慌ただしかった。

 

 その前は?

 

 それまでは、一人書斎に籠り書物に囲まれて過ごしていた。友人と過ごすことも、実家で家族と過ごすこともない。les quatre saisonsも夜には閉店し、由里は家族のもとへ帰って行ったのだった。


 亘はそれが当然だと思っていた。


「亘さん。荒木さんがお帰りですよ」


 茉莉香が声をかける。

 

 荒木が何度も、頭を下げて帰って行く。

 

 人の学びの役に立ちたい。

 荒木はそう言った。


 “学校の成績がよくなかった”というが、果たして、それだけだろうか?

 もしかしたら、荒木にも人に言えない心情があるのかもしれないと、亘は考えるようになった。

 

 亘が顔をあげると、荒木はもう一度頭を下げて店を出るところだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 何だろう。荒木さん、結構いい人のように思えるけれど……
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