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目覚めの前

「さて……と……」


 茉莉香は部屋を見渡した。


「掃除はこれで済んだわね。荷物は引き払ったし……」


 部屋に残った備え付けの家具には白い覆いをかけた。

 窓には日よけのシートも貼り、カーテンも閉め切った。

 両親が時折、風を通すためにここを訪れるだろう。


「随分ここに長く住んだけど、今日でお別れね」


 言い知れぬ寂しさが込み上げてくる。


 だが、もうすぐ新しい生活が始まろうとしているのだ。


 すでに新居も決めてある。

 カルチェラタン近くの古いアパートだが、中はリフォームが施され清潔だった。1LDK。広さは充分とは言えないが、家賃も安く、夏樹の職場にも、les quatre saisonsパリ支店にも近い。


「住むところが決まっているのは、何よりも安心ね」


 二人で探し歩いたが、茉莉香も夏樹もいっぺんでその物件が気に入った。


 家具は、安いものを数少なく買って済ますことにしたが、夏樹が一つだけこだわったものがある。


 オーク材のテーブルだ。


「これをリビングに置こう。そして、二人の共同の作業場にするんだ」


 素敵な提案だと茉莉香は思った。


 仕事に集中したり、時折会話をしたり……。

 互いの存在を感じながら過ごす。

 

 考えるだけで心が温かくなるようだ。


 年が明ければ、そんな時間が持てなくなるかもしれない。


 夏樹の仕事が忙しくなるのだ。


 だが、それまでの記憶は、きっと茉莉香の心を勇気づけてくれる。

 オーク材のテーブルを前にするたびに、思い出が蘇るのだ。


 再び部屋を見渡す。


 沙也加は、修士課程中に見合いをし、終了と同時に結婚をした。

 白無垢姿の沙也加を思う。


 茉莉香はデスクの置いてあった場所に目を向けた。


「翻訳の仕事も終わったし」


 原稿を渡すとき、


「後は、私たちに任せてください!」


 そう樫木は言った。

 今は刊行を待つだけだ。


 クロエは間隔を置いて新作を発表している。

 そのたびに、表現力が上がり、深みも増しているのだ。

 彼女の仕事を続けるならば、茉莉香自身も精進しなければならない。


 義孝は……。

 フランスへの留学が決まった。

 玲子は意外とあっさりと納得したそうだ。

 もっとも、研究室のしかるべきポストに就いた亘の説得があってのことだが……。


「亘さんは、お店に来ているかしら?」


 最後に挨拶をして行こうと思う。



 亘は四月から研究所に戻ったが、時折、部下の機嫌が悪いからと、les quatre saisonsに時間を潰しにやって来た。


 なぜ亘が部下にそれほど気を遣うのか?

 詳しい事情は聞かされていない。


 由里は、


「お互いに立場をわきまえるべきよ!」

 

 と、腹を立てていたが、亘が店に来てくれれば茉莉香は嬉しかった。


 ……だが……


 その亘とも会えなくなる。

 由里とも……。


 自分が去るのだ。


 夏樹と共にパリで暮らすために……。

 夏樹は日本の資格も持っている。

 日本で仕事をすることもあるだろうが、それがいつになるかはわからない。


 気が付くと、部屋がほんのりと金色の光に包まれている。


「そろそろ日も暮れてきたわ。暗くなる前に部屋を出なきゃ」


 夕陽がカーテン越しに、家具に掛けた白い覆いを照らす。

 眩い夏が終わろうとしていた。


 茉莉香は扉に鍵をかけ、その場を離れた。










 



交響的間奏曲は、『眠れる森の美女』の第2幕第1場と2場との間に演奏されます。

場内は暗く、照明が当たるのはオーケストラのみ。バイオリンが奏でる優美な主旋律は、豪華絢爛なこ の舞台の中で、静かで瞑想的でさえあります。

終わりと始まりを感じさせる旋律に耳を傾けながら、観客たちはヒロインの幸せを祈るのかもしれません。

 









 ※ ご参考までに 


バレエ「眠りの森の美女」第18曲 第2幕 間奏曲、マリインスキー劇場

- YouTube https://www.youtube.com/watch?v=6eXRLSdgZSM&t=194s


 

 


 






次話は、いよいよエピローグです。


よろしくお願いいたします。

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