第10話 学生コンペ-3
コレットを送り届けた帰り道、夏樹はシモンをスマホで呼び出した。
「おい! シモン! 学校近くのいつものカフェで待ってろ!」
そして、待ち合わせ場所に走って行った。
「走ってきたのかい!? この暑さの中を!? なんて無茶するんだ!?」
息を切らして店に入ってきた夏樹を見て、シモンが驚いている。
彼にしては、珍しく語気が強い。
待ち合わせたカフェのテラス席からは、セーヌ川の向こうにシテ島が見える。
シモンは安価なカウンター席に座って待っていた。
夏樹はシモンの隣に倒れ込むように座り、しばらくの間呼吸を整えていた。
呼吸が落ち着いたころ、シモンが尋ねてきた。
「発想が逆ってどういうこと?」
瞳が期待に輝いている。
「つまりだな……」
夏樹が言いかけると、
「お決まりですか?」
ウエイトレスが注文を取りに来た。
「エスプレッソ二つ」
シモンに体を向けたまま、夏樹が注文をする。
「だからな。俺たちは、子どもの目線で考えていたんだ」
「だって、キッズルームだもの。子どもの遊び場だよ?」
「だけど、選択するのは、親だ」
「!」
「あの場には、親が落ち着いて子どもを見守る場所がない。子どもが楽しく遊べればいいと言うわけではないんだ。子どもの安全な姿を見守ることが大切なんだ」
「あ……」
シモンも気づいたようだ。
ウエイトレスがエスプレッソの入ったカップを運んできた。
「ありがとう」
夏樹は礼を言い、カップに砂糖を入れた。
スプーンでかき混ぜ、口に含む。
エスプレッソの苦みと砂糖の甘さ……。
走り疲れた体に染み渡るようだ。
「つまりだ……」
夏樹が再び話し始め、シモンが身を乗り出す。
「買い物のついでに寄るにしても、買い物を待つ間面倒をみるにしても、保護者がリラックスした状態で、子どもを見守る場所が必要なんだ」
「そうか!」
「ここから先は、俺のアパートで」
会計を済ませると、二人は夏樹のアパートに向かった。
夏樹は、交換留学中に借りたアパートに、再び住んでいる。
「狭いし、冷房の調子が良くないけど我慢してくれ。ただ、ここは、夜遅くまで打ち合わせをしていても、あれこれ言われる心配だけはないんだ。住人が皆、遅いんでね」
部屋に入ると、夏樹はスケッチブックを広げ、鉛筆を走らせる。
「まずは部屋の間取りがこうだ……」
ざっくりとメモのような図面を描く。
間取りは頭に入っている。
そして、
「まずは、保護者のためのスペースを作る。こういう椅子を、視界が塞がらないように配置する」
夏樹がスケッチブックに背もたれが円形のローソファーを描く。
大人が座ると頭が出る高さだ。
「座面からひじ掛けまで一続きのもので、ゆったりと座れる幅にするんだ。これで、他の親子と隔離され、自分の子どもに集中できる。ローソファーだから、子どもとも目線が近くなる」
「なるほど!」
「子どもが部屋のどこにいても見守れるように、視界を遮らない配置にする。ソファーの座高が低いから、それが可能になる」
「!」
「……あとは……部屋全体のデザインだが……」
いくら学生のアイデアが欲しいと言っても、やはり、親子が好むようなデザインが望まれるだろう。
「それなら任せてくれよ!」
シモンが言う。
「僕は、部屋全体のインテリアを考えておいたんだ。色鉛筆を持ってきたよ! 君は突然動き出すから、持ち歩いていたよ」
シモンが鞄から、ごそごそと色鉛筆を取り出す。
「お前にしては上出来だ」
夏樹とシモンは目を合わせると、互いに笑った。
シモンが鉛筆で下書きをし、それに色を付けていく。
見る見る間に、アイデアが形を成していった。
シェルピンクの壁。描かれた常緑樹には、白いハトが止まり、小鹿、うさぎ、羊……。草の陰から愛らしい動物たちが姿をのぞかせている。
遊具を置く棚はアイボリー。本棚も。
床は、若草色のカーペットを敷き詰める。子どもが転んでもケガをしないように、厚手のものだ。
「ちょっと、一般受けを狙い過ぎじゃないか?」
夏樹が不満げに言うが、
「僕はオーソドックスな方がいいと思う」
シモンは譲らない。
「言うじゃん?」
夏樹がにやりと笑う。
「……だめ……かな……?」
シモンが怯む。
だが、
「いいアイデアだよ。お前らしい」
夏樹が笑うと、シモンの目が嬉しそうに輝いた。
繊細で統一感がある。
気持ちも休まるだろう。
「ソファーはカナリア色にしよう」
夏樹が提案する。
「いいね! アクセントになる!」
「さあ! 一気に仕上げようぜ! どうせ夏休みだ! まずは図面を描いて、模型を作る。図面は俺が描く。模型は二人で作ろう。シモン! イラストの精度を上げてくれ。具体的に表現するほど、説得力が増す!」
今、夏樹とシモンは同じ目的に向かって走り出した。
互いに意見を出し合い、批判し、合意する。
「やっぱり暑いな……。窓は全開にしているけど……」
風はそよともしない。
しきりに汗を拭っては、ペットボトルの水をガブ飲みする。
「シモン! 腹が空いたら、棚にバケットがあるから、それで済ませてくれ!」
「わかったよ!」
シモンは素早くバケットをかじると、水で流し込み、再び作業に戻った。
暑さ、息苦しさ、飢え、渇き……そんなものは苦にはならない。
二人を妨げるものはなにもないのだ。
新しいものを創り出したい!
情熱が二人の心を一つにしていた。
コンペの締め切りは近い。
眠れない夏の夜。二人は創作の世界にのめり込んでいった。
ここまで読んでいただきましてありがとうございました。