第6話 昼下がりのミーティング
茉莉香があるお誘いを受けます。
夏休みまで、あと数日というある日のことだ。
「茉莉香ちゃん夏摘みが入荷したよ」
亘が茉莉香に言う。
「それは楽しみですね♪」
「そうだね。ダージリンの醍醐味はやっぱり夏摘みだからね」
「パリの支店へも?」
「うん」
夜になったら、夏樹に電話をして教えよう。
茉莉香は思った。
「茉莉香ちゃん。夏休みは何か予定があるの?」
「はい。沙也加ちゃんと、どこかお出かけしようと思って。……それと、樫木さんからお誘いがあって……」
「ああ。例の?」
茉莉香は、樫木から文芸部のミーティングに参加しないかと誘われていた。
「はい」
「いつ? 行っておいでよ。瑞枝さんも手伝ってくれるし」
瑞枝は昨年休学して、半年間の交換留学へ行っていたため、現在、大学四年生だ。
映像関連の翻訳業を志望していて、精力的に活動しながら、将来を模索している。
卒業後に仕事についても、カフェでバイトを続けることを望んでいる。翻訳家は圧倒的にフリーランスが多いのだ。
「ありがとうございます。……でも」
茉莉香が表情を曇らせた。
「不安は分かるよ。でも、せっかくの機会なんだから、がんばって」
「はい!」
やはり樫木の誘いを受けよう。
茉莉香は決意した。
樫木に参加の意思を伝えると、当日のテーマとメンバーの名前が、メールで送られていた。
電話口で、
「社内の有志のミーティングですので、そんなに気張らなくて平気ですよ。リラックスして来ください」
そう言われたが、バイトの時と違い企画に係わるのだから、気楽ではいられない。
育修社に到着すると、会議室に案内された。
「いらっしゃい!」
社内のメンバーはすでに揃っている。樫木を含めて四人で、なごやかに談笑していた。
一見、仕事の集まりには見えない。
「今日はね。こうやって雑談をしながら、何かアイディアがあればっ……て、感じなの。浅見さんもあったら、気楽に話してね。一般の人の意見も新鮮だわ」
そうなのだ。
自分などに、重要な決定を下すような話し合いに参加させるような樫木ではない。
茉莉香は、自分の気負いを恥じると共に、緊張が和らいできた。
テーマは、「最近のフランス文学について」だ。すでに日本で発売されているものから、未だ翻訳されていないものまで、さまざまな書籍が話題にあがる。
樫木が進行を務めているが、彼女が促さなくとも、テンポよく会話が続く。
(なんだか楽しいわ!)
なんといっても、自分の好きなことが話題とされているのだ。
しかも、みな楽しそうに話していて、仕事の一環であることを忘れそうになる。
(社会人って、やっぱり学生とは違うのね。みんな生き生きしている。仕事が大好きなんだわ)
聞いているだけで、気持ちが高まってくる。
が……
「浅見さんも、原書でいろいろ読んでいるのよね? 何か好きなものは?」
メンバーの視線が、いっせいに茉莉香に向かう。
それは、温かく好意的だった。
それに励まされるように……
「私、面白いと思ったのは……」
夏樹が送ってきた本のタイトルの一つをあげた。
「へぇ! 私それ、読んだことないわ!」
「僕も!」
皆が茉莉香の話に関心を持ってくれている。
「ねぇ。どういうお話? 教えて!」
周囲に押され、たどたどしく話し始めたが、次第に緊張が解け、本の楽しさを存分に伝えることができた。
「お疲れさまでした!」
ミーティングは、三十分程度だったが、茉莉香にはもっと長く感じられた。
「ありがとう浅見さん。バイト代お支払するから」
樫木が言うと、
「そんな! いただけません!」
茉莉香は辞退を試みる。
「受け取ってください! とてもいい刺激になったわ!」
そう言って、樫木は茉莉香を玄関まで送った。
そして別れ際に、
「あと、浅見さん。皆が浅見さんによろしくって。これからもぜひ、一緒に仕事をしたいって言っていましたよ」
そして、
「文学に造詣が深くて、新しいものに対する好奇心が強い。誠実で、コミュニケーション能力が高い人。言うことなしですよ!」
と言った。
茉莉香は、このミーティングが自分を見定める為に行われたことを初めて知った。
夜になり、夏樹へ電話をした。
夏摘みがパリ支店へ入荷したことを告げるためだ。
それに……今日のミーティングの話もしたい。
「へぇ!」
夏樹が電話口で言った。
「茉莉香ちゃん凄いじゃん!」
喜んでくれている。
「ええ。編集者の人たちって、みんなキラキラしていて……」
うらやましい。
その言葉を呑み込んだ。
もし、就職していれば……。
考えないわけではない。
だが、大学卒業後、進学を希望したのは自分だ。
専門性を高めるために。
どんな状況でも活かせるスキルを身に着けるために。
夏樹と生きていくためには、それが必要だと知ったからだ。
「あ、夏樹さん。夏摘みが入荷したの。パリの支店にも」
「そう。……俺も買う」
「同じお茶を一緒に飲めるのね」
「やめてくれよ。なんか、恥ずかしいよ。そういうの」
それを聞いた茉莉香がクスクスと笑った。
同じように夢に向かい、そして静かなひとときを持つ。
離れていても、心が繋がるような気がする。
今はそれをを信じたい。
おやすみなさい。
体に気を付けて。
声を掛け合い、電話を終わらせた。
ここまで読んでいただきましてありがとうございました。