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第1話 新しい制服

第四章のスタートです。

お楽しみいただけますと幸いです。

 les() quatre(カトル) saison(セゾン)のパリ支店は、まずまず成功したと言っていいだろう。

 サンジェルマン=デ=プレ教会近くの路地裏にある小さな店は、買い物客で混雑するというほどではないが、客足が途絶えるとこともない。


 パリ出店と同時に売り出された“marica(マリカ)”は、愛飲家たちの間で、密かなブームとなった。

 前川氏は、“marica”のために、特別仕様の茶缶を用意した。


 茉莉香(ジャスミン)をモチーフとした花輪と、その中にヘッドドレスを着けた少女の横顔のシルエットが描かれている。

 少女は、十代後半くらいだろう。まだあどけなさの残る顔立ちが愛らしい。


 缶の濃緑色の地に、花輪と少女の白いシルエットが浮かぶデザインだ。


 この茶葉は、どういうわけか、普段使いよりも、特別な日の贈り物として購入されるようになった。

 

 恋人同士で贈り合うこともあるという。


 “marica”を贈ると愛が実る。

 そんな噂が伝説のように広まった。


「これは予想外だったわね」


 意外な展開に最も驚いたのは前川夫妻だった。


 そして、日本のles quatre saisonでは、客たちの間で、モデルとなっている少女が誰かが、密かに囁かれているが、それを表立って言う者はいない。


 les quatre saisonは、少しも変わらない。

 客は近くに住む常連客ばかりだ。

 ネットに書き込む者もいない。

 

 まるで、この店を誰にも教えたくはないというように……。


 自分と親しい人のためだけの場所。

 les quatre saisonsは、そんな人々に愛されていた。






 夏樹が留学をしてから半年が過ぎ、茉莉香(まりか)は大学を卒業し、大学院に進学した。


「……でも、よかったわ。沙也加ちゃんも一緒で」


 二人は駅前のカフェで話をしている。


 沙也加(さやか)は茉莉香のクラスメイトで、色白のふっくらとした顔立ちが、愛らしい。

 ふんわりとウェーブのかかったおかっぱの髪は、つい触りたい気持ちにかられる。


 沙也加も大学院に進学することになった。

 茉莉香にとっては心強い。

 

 白石沙也加(しらいしさやか)は、幼稚園から茉莉香とともに精涼学院に通っている。

 やさしく、内気で、おっとりとした性格で、茉莉香が気兼ねなく付き合える数少ない友達の一人だ。


「うん。パパが世話してくれる就職先がね、修士を持っていた方が、向こうでやりやすいだろうって」


 沙也加がアイスティーのストローを、時折、軽くつまんでは、グラスをかき回していた。


 沙也加の祖父は、ある文化団体の理事を務めている。

 彼女の父親は、祖父の口利きで、沙也加を就職させようとしていた。


「そういうものなのね……」


「うん。そうみたい」


「ところで、夏樹さん、日本の建築士の資格は?」


「無事合格したわ」


「あとは、フランスの資格ね。でも、茉莉香ちゃんの彼って、凄く頑張り屋さんね」


「ええ」


 茉莉香が笑顔でうなずく。


「じゃあ、今日はこれで」


 二人は別れの挨拶を交わした。







 その翌日のことだ。


「お休みの日に来てもらって悪かったわね」


 今日は日曜日。店は休みだが、茉莉香は由里に呼び出されていた。


「いいえ」


 茉莉香が笑顔でこたえる。

 

 由里は、カフェles quatre saisonのオーナーだ。

 今日は、ベージュのアンサンブルに、茶のタイトスカートを履いている。

 カーデガンは、同色のビーズや刺繍の施されたものだ。

 肩まで伸びた髪をゆるく巻き、フェミニンなたたずまい。

 上品で快活な女性だ。

 毎朝、食材を届けに店にやってくる。




「新しい制服ができたわ。試着してくれないかしら?」


「まぁ! もうできたんですね」


 先日、採寸が行われたばかりだ。


「楽しみです」


 箱をかけると、たたまれたメイド服が現れた。


「じゃ〜ん♪」


 するすると音を立てて、由里がそれを取り出す。


「わぁ! 素敵!」


 茉莉香は制服を持って、更衣室に行くと、それを身に着けた。


 形は変わらない。色も。


 だが、何かが違う。


 色は変わらず黒だ。だが、光の加減で濃いグレーにも見える。

 生地はウールでさらりとしている。


 着替え終わると、鏡に姿を映す。


 もともと古風(クラシカル)なヴィクトリア朝のものだったが、それに趣が増したようだ。


 黒は眼にやさしく、自然に空間に溶け込む。

 生地のさらさらとした質感が、見た目にも感じられた。

 エプロンの白は、わずかに生成りで、服との馴染みもよい。フリルやレースはより上質な素材が使用され、高級感がある。ヘッドドレスもだ。

 

 そして、それは茉莉香によく似合った。


 黒曜石のように輝く瞳。だが、それは(しとや)やかさを増し、夜の湖のような静かな光を湛える。

 艶のある黒い髪は、静かに下に流れていく。

 面立ちは、以前に比べややほっそりとし、凛とした品の良さを(かも)し出していた。

 肌はいっそう白くなり、ほんのりと輝いている。

 長い睫毛はやさしさを、軽く結んだ小さな口元は、思慮深さをうかがわせた。

 

 血色の好いふっくらとした頬、愛らしい顔立ち。

 

 だが、以前とは何かが違う。



 身ごろも、スカートも、ふわりと風をはらんでいる。

 後ろ姿を見ようと体の向きを変えると、ひらりと翻った。


 (すそ)さばきも軽やかで、楚々とした動きを繰り出す。


 更衣室から出ると、


「まぁ! よく似合うわ! やっぱり新しくしてよかったわ」


「本当に素敵です! デザインまで変わるなんて思いませんでした」


「ええ。茉莉香ちゃんが、すごく綺麗になったし……大人っぽくなったから、もっと質のよいものにした方が合うと思ったの。本当によく似合うわ!」


 自分はそれほど変わっただろうか? 人から見てわかるほどに……。


「本当に綺麗になったわよ。やっぱりねぇ〜」


 由里がうっとりとしたように言う。

 何を想像しているのだろうか?

 気にはなるが、あえて聞かないことにした。


 だが、

 もしかしたら……。

 誰かを愛するということが、人を変えるのかもしれない。

 そんなことを考えた。


「ねぇ。茉莉香ちゃん。そちらに立って」


 由里が壁の方を指さす。


「記念撮影しましょう。夏樹クンに送ってあげるわ」


「いえ……。そんな……」


 なんだか恥ずかしい。

 

 だが……。


「お願いします」


 やはりうれしい。


 そのあと、店内で、外の緑地帯で写真を何枚か撮った。


 時折、


 “ほら! 笑って” とか、“そのお花を手に持って! あ、次はカップね!” などのリクエストにこたえ、さながら、ちょっとした撮影会のようだった。


 その甲斐あって、どの写真も、茉莉香の生き生きとした表情をとらえていた。


「きっと喜んでくれるわよ。茉莉香ちゃんのスマホにも送るから」


「ありがとうございます」



 夏樹は写真を見て、どう思うだろうか?

 喜んでくれるだろうか?

 綺麗だと思ってくれるだろうか?


「お客様も綺麗になった茉莉香ちゃんを見て、きっとびっくりするわよ」


「まぁ!」


 由里の言葉に、茉莉香が小さく笑った。


 

 始まったばかりの大学院生活、新しい制服。

 茉莉香は、新生活のスタートに希望を抱いた。



ここまで読んでいただきましてありがとうございました。

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