2-14話 死闘
第ニ章:弱者を喰らう獣:
止めろ! ツキカを……… !?
緑樹の腕に囚われて、身動きの出来ない少女に向かって、食獣植物の牙が獰猛に喰らいついた。
その一瞬、高いステータスで強引に身を捻った月歌が、苦悶の表情に顔を歪ませる。
可憐な右腕と靭やかな右脚を失った細身が、鮮やかな鮮血を宙に振り撒いていた。食い千切られた少女の手足が、壊された人形の部位のように、合わせ葉の隙間から滑り落ちていく。
ぁ………………………。
大翔は絶句したまま、その無惨な光景を凝視するしかなかった。自分の手の届かない距離で、何より大切で愛しいと想う少女が、非情にも手足をもがれていた…。
まるで自分の一部を失ったかのように、耐え難い衝撃に全身が硬直してしまう。鋭い痛みが脳裏に走ると、不意に胸が息苦しさを覚えて喘いでしまった…。
「な、何でだよ……… ?」
うっと、吐き気が込み上げると、ふらついてその場に倒れそうになった。
その転がり落ちる、血塗れの手脚に喰らいつこうと、巨大な海星型の大口が迫り上がってくる。急激な出血で、悪寒に震える月歌は、それでも勝ち気に薄笑みを浮かべていた。
「っ… どうぞ… これも一緒に召し上がれ」
『倉庫』から引き出した円筒形の金属は、あの日大翔に頼んで作ってもらった、気体処理用の鉄製タンクだった。
石鹸を作るとき生成した苛性ソーダの副産物が、大量の水素ガスとなって残ってしまうのだ。水素自体は着火しても、炎を上げて燃え上がるだけで、大きく爆発することは稀だった。しかし、そこに適度の酸素が混合すると、瞬間的に燃焼して激しく爆発を起こす。
そのタンクには4:6の混合比で、水素と酸素が圧縮されて詰まっていた。
「あなたの… 口の中には… っ…… 魔法障壁が無いものね… ?」
豚獣人を喰らう口の裏側に、偶然にも魔力弾が命中した時、はっきりと確信したのだ。魔法障壁が守っているのは、体表部だけなのだと…。
獣喰らいは、血に塗れた彼女の手脚と一緒に、水素タンクに猛然と喰いついた。
反射的に閉じられた醜い百合花の内部で、鋭利な突起の並びが、タンクの表面を何度も貫く。気体が吹き出す乾いた音が鳴り、バリバリと鉄管を噛み砕く顎部が、違和感を感じたのか半端に開いた。
その隙間に落ちていく、魔力を通した携帯コンロが、魔法陣を浮かべて発熱を始めていた…。
カッと閃光で眼が眩むと、獣喰らいの百合花が、爆炎を引いて四方に千切れ飛んでいた。樽状の幹から豪快に炎を吹き上げると、脚部のような醜い木の根が、激しく暴れながら萎れていく。
「ツキカぁぁぁぁ!!!」
巨大な松明のように、激しく燃え上がる怪物を見上げて、大翔が悲痛な叫びを上げていた。ゴォッと熱気が此方まで届くと、思わず片腕で顔を隠した。
キュキュキュゥゥッ!!! キュキュゥゥッ!!
甲高い悲鳴を上げて、炎の内部から何かの影が飛び出してくる。苔生したモスグリーンの躯体は、全裸の女性のようなシルエットで、それは一見して、大型の悲泣樹にしか見えなかった。
「ふふっ… 本当に良く燃えて… るね」
その澄んだ声音に驚くと、自分の影上に座り込む、黒髪の少女に気がついた。
「ツキカ…? おまえ…… そうか影移動か…?」
すぐに少女に寄り添って、優しく背を支えて横たえる。みるみるうちに血の溜まりが、岩場の窪みにへと広がっていく…。
「……… ツキカこそ… どれだけの無茶するんだよ… ?」
手脚を失った傷口は、皮が千切れて骨までが顕になり、未だに出血がドクドクと続いていた。間近で見るその惨状は、目を背けたくなる程に悲惨なものだ…。
こんな大怪我…… 手のつけようが無いじゃないか…。
彼の瞳に大粒の涙が溢れてくる…。
「まだ… よ… あの悲泣樹… 本体を倒して… この戦いを終わらして… !」
少女の叫びに大翔は唇を噛みしめると、身体に炎が燃え移り、狂ったように暴れている元凶を凝視する。
君には、まったく敵わない……。
「あぁ… まかせろ!」
なけなしの魔力を消費して、凶悪になった魔力腕を右左に召喚する。その透明の豪腕が、人サイズの化物の本体を、鷲掴みにして首を締めた。
ピィキィィィィィ!?
メキメキと木が折れる音が響き、そのまま此方まで引きずると、右腕の短剣一本で、その顔面に連撃を突き立てる。悲鳴を上げようとする口内に、魔力弾を撃ち込んで破裂させ、本気の連打突きが眼や鼻を削ぐと、顔面が縦に割れ初めていた。
二度目の連撃がついに頭を叩き割ると、あえて使っていた『魔封じの短剣』が、魔法封印の付与を発動した。直後に周囲を埋める狂った森が急速に枯れ始め、魔力を失った樹木の腕や凶悪な食獣植物までが、一斉に萎びて崩れていく。
右側の魔力腕で首元を握り潰したまま、もう一対の透明な腕が、気を纏って力任せに殴り始めた。バキッ!ゴキ!と本体が砕けひび割れると、表面の樹皮が無残に剥がれ、腕は折れ曲がり、脚は弾けて木片となり散らばった。
やはり悲泣樹の上位種らしく、魔法障壁の鎧を失った今、物理攻撃には驚くほど脆かった。
更に残りの気力も使って連撃を打ち込むと、それは魔力腕を介し気の衝撃となり、ボロボロの木偶を粉砕してしまう。
後には頭部の割れた緑色の首だけが、魔力腕に掴まれ、ゴミ袋のように垂れ下がっていた。
ポロン ポロン ポロンと何度も効果音が鳴り、レベルが連続して上がっていく。それでも安心出来ないのか、その裂けた木人形を『倉庫』に収納してして、ようやくと最悪のユニークモンスターを、撃破した事を確信できた。
「倒せたのか……… ゴフッ」
放心していた大翔が大量の血を吐くと、積もった落ち葉の中に顔から崩れ落ちてしまう。血が足りないのか、意識が朦朧として、視界が明暗を繰り返していた。
気付けばステータスゲージのほぼ全てが、限界に近かった…。
まだ倒れるな… ツキカを…。
霞む意識を強引に引き戻すと、仰向けに身を転がして、視界を背後に向けようとした。片目に染みる血の色に、黒い血溜まりとそこに倒れている、壊れた人形のような姿を見つけてしまう。
「…… ツ… キカ…」
彼は気力を振り絞って立ち上がり、震える脚部を腕で支えると、片脚を引きずりながら、それでも必死に一歩一歩を踏み出していく。
気が強くいつも冷めた物言いの君は、それでも恥じらう仕草が可愛いらしい、怖がりな普通の女の子だから…。
今なら、そんな面倒な少女の側にこそ、自分の場所がある気がした。
早くツキカの元へ…… きっと、ひどく怖がってるから…。
より早く駆けつけようと、体力を削りながら強引に歩を進めれば、血を引きずる足跡が悲劇のように残されていく。
ようやくと月歌の傍らまでたどり着くと、血の海で眠るような、片手片脚の欠けた無惨な少女を見下ろした。びちゃっと、その中に身を屈めると、血に濡れて乱れた黒髪を、そっと片側に手で纏める。
少女の陶器のような美しい肌は、真っ青で生気も無く、美しく整った鼻筋や唇の膨らみが、造り物のようで哀しくなった。
「ツキカ…… どうにか終わったよ…」
血の中で眠る人形に向かって、そう小さく語りかける。彼女の肩口に、自分の額を押し付けると「うっ…」と気持ちが高まって、涙が溢れて止まらなくなった。
両膝を少女の血で濡らしながら、いつまでも黒髪を優しく撫ぜる…。
「そう……… 倒せたの… ね… ?」
泣きぼくろのある目尻が、優しく弧を描くと、少女は薄く瞳を開く。
「あぁ… そうだな、奴は粉々だ… 君のおかげだよ」
嗚咽を必死に堪えながら、少女の耳元で囁いた。覗き込むように顔を下げると、つっと涙が溢れ落ちて、少女の頬を濡らしてしまった。
「…… ヒロトの… 怪我は……? ヒールするから…」
長い睫毛を瞬きさせても、視線は何もとらえずに彷徨ってしまう。多分、何も見えていないのだろう… 迷うように伸ばされる華奢な指を、彼は大事そうに両手で包み込んだ。
「大丈夫平気だよ…… 結局は君に守ってもらった」
少女はゆっくりと、首を左右に降ってみせる。
「かっこ悪い、な…… オレ…」
次々と流れ落ちる涙に、握り締めた指は濡れ、声が掠れて言葉に詰まった。
「ふふっ… 君は… 格好良かったわ… わたしの騎士だよ… ずっと守ってくれた…… そう感じてた」
すると握った少女の指から力が抜け、美しい二重が眠るように閉じられてしまう。
「ねぇヒロ… すごく寒いわ…… あのときみたいに…」
「あぁ… ダメだ逝くな! 側にいてくれ! オレたち相棒なんだろ…?」
必死の言葉に答えるように、もう一度だけ冷たい細指が柔らかく握り返してくる。
「ぁぁ… そっか…… 死にたくないなぁ…… もう少し一緒に… 側に… 居たかった…… な」
綺麗に巻いた睫毛の縁から、大粒の涙が溢れて頬を伝った。
「ねぇ… わたしを… 見つけて…… くれて……… ありがと… ね」
月歌の細身が脱力して、血の中に身を沈めた…。
:ツキカ ササラギ:
体力0/154 〔Died〕
魔力6/388 〔Warning〕
気力5/98 〔Warning〕
「………………………」
手の中から滑り落ちる、細く綺麗な指先が悲しかった。僅かに微笑みを浮かべて、眠るようなその表情が悲しかった。無惨に失った、肩口と太腿の傷口が、痛ましくて悲しいのだ。
「……… ぁ…」
そして何より… 自分が少女を守れなかった事が、猛烈に苦しかった…。
「うっ… っ… あぁ… ぁぁぁぁ…」
悲哀と憤怒が同時に湧き上がり、言葉にならない絶望を、天に向かって吐き出した。しかしそれは嗚咽にしかならず、激しい感情のまま月歌の亡骸を抱き起こす。
「…… 君が… 好きだ…」
その本心だけが、やっと口から言葉になる… しかし何もかもが遅かった…。
もう彼女が、上から目線でからかってきたり、制作した物を見て目を丸くしたり、寝ぼけて背に抱きつくことは無い… あの幸せそうな眠り姫の横顔は、永遠に失われてしまったのだ。
俺こそ、君に出会えて幸せだったんだ。こんなに楽しかったのは、きっと、この世界が初めてだ…。
愛しい少女の亡骸が、光に解けて七色の粒子に崩れていく。
「い、嫌だ… いかないでくれ…」
少年はまるで子供のように、激しく首を横に振る。大事な腕の中の感触を、手放すまいと強く抱き締めた。
しかし月歌の細身は、無情にも腕から溢れていくと、美しく大気に溢れ風に巻かれて消えてしまった…。
………………………。
大翔は放心状態のまま、ただ曇天の空を見上げている。彼の腕には血で汚れた革鎧と、主を失った金色の指輪だけが残されていた。
無感情にその遺品を収納すると、意識が暗転して脚を滑らせるように転倒してしまう。パラパラと雨粒が落ちてくると、雨音が枯れ草を一斉に叩き始めた。それは次第に強くなり、温い降雨が荒れ地を白く煙らせた。
ブフゥッ! ブフゥォ!!
何者かの気配が、岩盤の上に登ってくると、それは転がった大翔を取り囲もうと移動してくる。
そうして先頭の猪頭が、鼻息も荒く手の大斧を振り上げた。血と錆で汚れ、刃の欠けた大斧が、雨粒を割いて打ち下ろされる。と、そう見えた瞬間に、豚の両腕が肘から先が切り離されていた。
「……… うるさい」
いつの間にか、ゆらりと立ち上がる満身創痍の少年が、異様な眼光で豚獣人どもを睨みつける。
部落の生き残り15頭ほどの群れが、その強烈な殺気に当てられ、攻めあぐねてしまった。本降りの雨筋の中、ずぶ濡れの大翔から流れた出血が、点々と滴って岩場を赤く染めている。
一瞬、水飛沫が跳ね上がると、彼が疾風の極意で、群れのど真ん中に突っ込んでいた。手前の2頭の豚獣人が、片脚ずつを失ってぶつかるように転倒した。
「どうでも良い… もう… こんな世界、意味が無い…」
彼は片腕を垂らし、脚を引きずって不安定に立っているだけだ。なのに豚共は萎縮して半歩ずつ後ずさっていく。刃が一閃に水滴を切り裂くと、豚の指がバラっと切断されて、握っていた剣が岩場に落ちた。恐怖に歪んだ豚の耳穴に、大翔の短剣が根本まで突き刺さっている。
ブフゥォォォッ!!!
族長らしい大柄の一匹が、畏怖を含んだ叫びを上げると、全頭が一斉に武器を構えて襲い掛かった。
その巨体から振り下ろされる、凶悪な武器の切り筋を、殆どその場を動かずにフラフラと紙一重で躱してしまう。そしてその反撃もまた、視認できない程の攻撃速度となっていた。
喉を、こめかみを、背からの心臓を一突きにされて、次々に倒されていく豚獣人が、雨に打たれて濡れそぼっていく。
濡れ髪が顔に張り付いて、ほとんど眼を開いてもいない… それでも圧倒的な剣術と気功のみで、凶暴な敵を斬り捨てていく様は、怒れる鬼神のように残忍だった。
無敵に見えた大翔が、7頭目を斬り殺した直後、突然と身を崩して両膝を岩に付いてしまった。背と脇腹の出血が、ついに彼の体力を限界まで消耗していた。
すぐに巨大な棍棒に横殴りされ、濡れ雑巾のように吹き飛ばされる。手放された短剣が、大きな音を立てて、荒れ地へと転がり落ちていった。
「痛ってぇ………… ハァハァ… もう… 良いだろ? 酷く疲れたよ…」
辛うじて腕当てで防御はしたが、それでも骨を粉砕され、脇腹の傷が悲惨な程に裂けていた。仰向けに寝転がった彼に向かって、地響きを上げて豚獣人どもが殺到してくる。
「ハァハァ… ツキカ…」
仄暗い低層雲から落ちてくる雨粒を見上げながら、幻の月歌を大事そうに胸に抱く。
「ハァ… ハァ… 生まれ変わるなら…」
視界の中で振り下ろされる豚戦士の大鉈が、他人事のように滲んで見えた。
「また… 君の居る世界に……」
……………………………………………。
:ヒロト シマナ:
体力0/227 〔Died〕
魔力2/321 〔Warning〕
気力1/182 〔Warning〕
ー You are dead ー
凶獣の森で目覚めて10日目の夕刻… 月歌と大翔は、相次いで死亡した…。
ご指摘ご感想、↓の☆(ポイント)評価など頂けると、大変に励みになります。




