Epilogue-2話 天色の消失
:エピローグ:
その夜香音は長い長い夢を見た。
それは沖縄で生まれた前世よりも、もっと以前のふたりの女性の物語… ひとりは幕末の混乱を、もうひとりは更に古い時代に、小さな国を治めていた豪族の姫として生きた記憶だった。
「ずっと… 側に居てくれたんだね… ユイ…」
その幕末に起きた新政府軍と旧幕府軍との戦いの中で、命を落とした少女こそが、あの氷取沢 ユイの前世なのだ。
呪縛から解かれたはずの彼女は、夢の中で、香音が来るのを待っていたと笑顔で言う。
「だってカノンは危なっかしいんだもの… それでもわたしを、あの泥の牢獄から救い出してくれたんだよ? 大事な大事なわたしの良い娘を、待っているぐらいなんでもないよ」
夢の案内役となったユイが、優しく香音の背中を抱いた。
「それに… わたしの事も、みんな思い出してくれたんでしょ?」
「うん、わたし達って… 何て狭い人間関係を繰り返してきたのかな… ?」
「あはは… それこそが互いを運命ずけられた魂の伴侶ってやつなんだよ… でも、その関係を歪めてしまったから、こんなにも苦悩する事になったのだけど…」
「ほんとにボク達は、何て遠回りをしていたんだろ。でも、それもおしまいなんだね… あぁ… もっと一緒に居たいのに、やっと巡り逢えたのに… 生への渇望がこんなにも魅惑的なんて… この欲望に抗うなんてボクには無理だよ」
「そうだね… ずっとそれを望んでいたものね。カノンは過去の全ての罪と贖罪を、心から受け入れたわ… だから地獄での苦行はもう終わり…」
そう言ってユイは少女の背を押して、夢の世界から追い出そうとする…。
「うん… そうだねユイ、ようやくボクの番なんだね…」
そしてその夢見こそが、桜咲が残した贈り物だという事を、彼女が知る由も無かった…。
「ヒロト… 海が見たいんだ…」
夢から覚めた香音が、半裸で寝入っている少年を揺り起こす。少女はすでに、いつもの完全装備に着替えていて、開け放たれた窓の外では、明るい空色が夜の名残を水平線へと押しやっていた。
あと半刻もすれば、岬の東側から朝日が差し込んでくるのだろう。
「え… どうした… ? 海ってなに?」
まだ寝ぼけている彼の手を引いて、テラスから飛び降りた少女が、崖下の真っ白な砂浜へと階段を駆け下りていく。
そうして走り込んだビーチは、踏み締めるたびにキュキュと音を立て、最後には慌てて服を着る大翔を残して、ひとり浪打際まで走っていってしまった。
ようやくと濡れた海辺へたどり着くと、当たり前のように月歌も追いついて来て「おはよう」と彼の手を握る。そうして並んで足元を濡らし、波に戯れる蜜色の髪の少女を、ただ黙って見詰めていた。
すると香音は波を追い越して二人の前に駆け戻ると、最初に月歌を大事そうに抱き締め、そして大翔に向き直り少し照れたように胸に顔を埋めてしまう。
「ボクは… 君たちと居る時間が、とても愛しいんだ… ほんとうはずっと続いて欲しいと思ってた」
「カノン… やっぱり君も…」
もう隠しても仕方ないと、少女は笑顔で頷きながら、回した腕を精一杯に引き締める。
ありがとうなのか… 行かないでなのか… 忘れないでか… いやみんな忘れてと言うべきか… 咄嗟に色んな感情が溢れ出して困惑してしまう。
結局少年は続く言葉を見付けられずに、蜂蜜色の髪を何度も何度も撫ぜるしか出来なかった。
すると香音は、まるで子供に戻ったように、彼の腕から逃げるように沖の波間へと駆け出した。
「なんだ… 世界って、こんなにも綺麗だったんだね…」
明けていく渚に膝まで濡らし、少女は髪を振り撒きなが、両手を広げてくるくると踊って見せる。
そんな事も分からないぐらい、ボクはいつも張り詰めていたんだね…。
「ねぇヒロト! 海ってやっぱり気持ち良いよ!! 距離を置くなんてバカみたい!」
そう言う香音は、頬を涙と波飛沫に濡らしながら、美しい渚で踊るように跳ねまわる。
明け方の空は雲一つ無くて、岬を超えて差し込む朝日が、幸せそうに涙する香音を眩しく照らし出していた… そんな波と戯れる少女を、波打ち際に並んだ大翔と月歌が、寂しそうな笑顔で見守っている。
それが最後の姿だと知っているから… その完璧で美しい瞬間を見逃すまいと必死になった。
「今なら… みんなの気持が分かるんだ… 全部この世界に、置いていけば良いんだよね… ?」
まるで心のしがらみを手放すように、鎧や装備を次々と脱ぎ落としていく少女… 彼女の後には神剣や神官装備が、点々と波間に残されて洗われている。
「ごめん… もう抗えないや… ふたりに逢えて幸せだった… これっきりなんて寂しいよ、寂しくて、そしてどこか晴れやかなんだ…」
蜂蜜色の髪をふわりと巻き上げ、振り向くエルフの美少女は笑顔のままで泣いている。
「でも、きっと心の深部で覚えてる… みんなの事を忘れない。この美しい渚を、この夜明けを魂に焼き付けるから」
その声は穏やかで愛しいそうに… それでも少しだけ震えていた。
「オレも約束するよ。忘れない… カノンに恋した事を… 寄り添って支えてくれたあの日々も…」
ようやくと絞り出した大翔の言葉を、受け止めるように自身を抱き締める少女。
「あぁ… もう… ありがとうヒロト心から愛してる… さようならツキカ、逢えて嬉しかった。大好きだよ! ふたりはボクにとって永遠に特別だ!」
ワンピースに透ける、祈るような香音の姿が、空の色にゆっくりと解けていく… それはまるで輝く天使の翼のように、朝日の中で幻想的に滲んで見えた。
「ふふ… そしてさようなら… 残酷で美しい最悪のクズ世界っ…!!!」
煌めく水面に溶けるような、哀しげに澄んだ天色の消失… 眼に涙を浮かべたまま美しくはにかむ香音は、最後まで二人を見詰めたまま、神々しくも空へと昇っていった…。
かつて敵味方に『イリィの災厄』と恐れられた、最凶で可憐なエルフの少女は、大事なふたりに見送られ穏やかに消失した。
「香音は… 哀しげな青色だったな…」
「大丈夫よカノン… あなたはきっと、幸せな来世にたどり着けるから…」
渚には彼女の残した神剣メルハーンが斜めに立って、日差しを白銀に返していた。
それに… 助けてもらったのはわたしの方なのよ… カノン… 。
「いっちゃったね…」
「ああ… また二人きりだな… ?」
「そうね… でも、ヒロとならそれも良いの… 一緒にこの世界に来れた事を、心から感謝してる。大好きなのよ。心底あなたに惚れてるわ…」
「オレも… ずっと君を想ってたんだ。もう何処にも行かないでくれ」
そう言って繋いだままの手を解くと、指を絡めて恋人繋ぎに握り直した。少女はそれが嬉しいのか、何度も悪戯するように握りかえしてくる。
そうしてふたり残された浜辺に立ち尽くし、遠くから押し寄せる波のチューブを見詰めていた。
「本当に此処は美しくて、酷く歪だよな… 数か月の狭い期間をずっと繰り返している。そんな表裏が繋がって輪になった、時間的に閉じた世界なんてさ」
唐突にそんな話を振られて、少女は驚いて首を傾げる。それはみんなで推測したただの仮説で、そこまで言い切れる根拠は無いはずだ。
「どうして夜妖精が、あれほど抜きん出て強力なのか… それはこの閉じた時間軸の中で、夜だけが世界を区切れる特別な事象だからだろ? 時間の概念があやふやな大陸で、唯一今日と明日を明確に別けるのが夜だからだ」
少年はそう言葉にしながら、優しい表情で少女の横顔を覗き込む。
「この閉じられた贖罪の箱庭を、刻む事が出来るのが夜妖精なんだ。と……」
彼女の表情が戸惑いから、ひとつの確信を得たように小さく微笑んだ。
「そう… 力説したのは君だろ? カノン……?」
彼は月歌を真っ直ぐに見下ろしながら、黒髪の少女をそう呼んだ。
二人はしばらく探り合う様に見つめていたが、くすりと柔らかく頷くと、どちからともなく互いを抱き寄せていた。そうして香音にしたように、艶やかな黒髪に何度も指先を滑らせる…。
いつの間にか嬉し涙が溢れてくると、少年は月歌の腰を抱え上げて、その場でくるんと回ってみせた。
「ふふっ… わたしは何んて答えればいいんだろ…? 今さっき感動的なお別れをしたのにね?」
「あぁ、本当に胸が詰まるぐらい愛しくて、行ってしまうのが哀しかった…。でも、また逢えて嬉しいよ… 君はいつからカノンの生まれ変わりだと気づいていたんだ?」
月歌は困ったように少しだけ考え込むと、落ち着かせるために彼の背を優しくさする。
「始めてあの娘に再会したとき… 一気にカノンとして過ごした記憶が、鮮明に蘇ってきたわ。前世の記憶を取り戻した感覚。ヒロトにもわかるでしょ?」
「あの時の涙は、そういう意味があったのか…」
「そうして思い出したカノンの記憶を、眠り続けるあの娘の耳元で、ずっと話し掛けてみたのよ。今、あなたとヒロは奇跡の再会をしているだってね… そしたら効果てきめんに眠りから覚めるんだもの。わたしたち… どれだけ貴方に逢いたかったのよ?」
「ぷっ」
「うふふ」
そこで同時に吹き出してしまうと、ようやく正面から互いに見詰め合うふたり。泣き笑いする彼女の表情は、驚くほど香音に似ていて胸が熱くなる。
「カノンはそれを知ってたのかな?」
「いいえ… あの娘はたぶん知らないままかな…? 結構頑張って隠してたから」
でも、心のどこかでは気づいていたのかも?
自分の中にある彼女の記憶を探りながら、月歌は愛しそうに微笑んでいた…。
カノンは少し哀し気な、天色の消失になりました… そしてカノンとツキカの不思議な関係も明かされます。沢山ヒントを撒いておいたので、気づいた方も居たように思います。
やはりまったく書き切れなかったので、あと1話を追加です。次話で本当に完結します!
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