シャワー
私はもうこの時期から壊れていたのだろう。毎日暴言を吐かれ続け、もはや指導の範疇を超えている。
だが私にはわからない。
「お前が悪い」と強調された事も要因としてあるのか自己否定感も強まっていく。
同時に「職人業界は厳しいもの。暴言は当たり前。」という考えも頭をよぎる。
その2つの考えが重なるとどうなるだろうか。
つまり
「職人は厳しいものだしこれぐらい普通。まず自分が悪いから言われてるんだし親方は悪くない。」
となる。
本来いくら指導とは言え、限度というものがある。
今だからわかることだが、普通部下の指導に「バカアホ死ね殺す」これらの事を日に10回以上繰り返し言うのは明らかにおかしい事だ。パワハラだ。
だが当時の自分にそんな事はわからない。
いくら耳が悪いと言われようと、いくら仕事が遅いと言われようと、いくら死ね殺すと言われようと、全て自分が悪い。
5月下旬。本格的に自分が壊れ始める。
親方は先にも述べているように、自分の発言が無視されるのを異常なほど嫌う。別に無視している訳ではなく本当に聞こえないのだが、言っても無駄だ。「すみません」と謝るしかない。
親方から私に声がかかった際はまず一言「はい」。
親方から私に指示があった際は「わかりました」。
親方から私に暴言があった際は「すみません」。
親方から私に指導があった際は「ありがとうございます」。
毎日朝5時半に起きシャワーを浴び、出勤する準備をする。
シャワーを浴びながら
「はい。わかりました。すみません。ありがとうございます。はい。わかりました。すみません。ありがとうございます。はい。わかりました。すみません。ありがとうございます。はい。わかりました。すみません。ありがとうございます。はい。わかりました。すみません。ありがとうございます。はい。わかりました。すみません。ありがとうございます。はい。わかりました。すみません。ありがとうございます。」
ひたすら連呼して体に染み込ませる。
私は凡人。こうでもしないと返事もまともに出来ない人間。これが当時の私の日課だ。
今なら明らかにこれを異常と言えるだろう。だが当時の私は一人暮らしである。止める人はいないしまず私はこれを異常だと思っていない。
誰だって怒られたくない。暴言を言われたくない。ならどうするか。返事ができないということで怒られるのであれば返事をマスターしよう。これが5月の私が出した結論だった。
凡人な私は実際問題こうでもしないと変わることはできないし、何よりこれのおかげで効果はあった。
常に頭の中に「はい。わかりました。すみません。ありがとうございます。」の4つを浮かべているので、何かを言われた際すぐに言葉を言える。
異常か異常じゃないかは重要じゃない。例え異常であろうとそれに効果があるならやる。もう暴言を吐かれたくない。つらいし嫌だ。
だがこの方法が後に仇となる。もう私は何が正解かわからない。




