1995年1月17日神戸
夢と目覚めの間で、私はその音を聞いた。地面が響く、ゴオという音。高速道路の入り口近く、幹線道路に面した私の家では聞きなれた音だ。
いつの間に眠ったかわからない、炬燵の中で音を数えていた。ところがいつまでも鳴り止まない。
「こんな長いトレーラー、曲がれないよな」
そんな思いで目を覚ますと、消した覚えのないテレビと電気が消えていた。それどころか窓の外の街灯の明かりもない。文字通りの真っ暗闇。
「これは……地震だ」
そう気がついたと同時に家が大きく揺らぎだした。
炬燵布団の端っこを握り締めながら、私はどことはわからないその闇をしばらく見つめていた。
「もうすぐ収まるはず」
言い聞かせるようにつぶやくが、揺れは激しさを増すばかりだった。たまらなくなって、炬燵にもぐりこむとすぐに揺れは収まった。
そおっと顔を出す。普段はあけるのに苦労する立て付けの悪い窓が豪快に開いている。暗闇に慣れた目に、少しはなれた建物が見える。そしてそこに火花が散ったのが見えたかと思うと、その瞬間、先ほどとは比べ物にならないほど、一気にそして激しく地面が唸り、揺れ始めた。
「わっ!!」
たまらず悲鳴を上げて、炬燵にもぐり身体を丸める。隣で二歳になる前の娘の泣き声がした。その声を聞くまで、隣に娘が寝ていたことさえ思い出せなかった。娘の脚を掴んで、炬燵の中に引きずり込んだ。
どれくらいそうしていたかはわからない。ただ娘を抱きしめ、炬燵の上に落ちてくるブラウン管のテレビや蛍光灯の衝撃に耐えていた。
収まってからも、しばらくは炬燵の中にいた気がする。
「大丈夫? みんな無事?」
最初に聞いたのは誰の声だろう。妹、弟、母と次々に家族の声が聞こえ、私も答えた。
「外に出るよ」
そういわれたときにはすでに準備を始めていた。だいぶ目は慣れてはいたものの、洋服がどこにあるかわからない。がくがくと震える手で手探りで着られそうなものを探す。わんわん泣いている娘に苛立つ。
「ママがいるから大丈夫。泣くな!」
その一言で、嘘のようにぴたりと泣き止んだ。
寒くないように洋服を着せ、小さな毛布を巻きつけた娘を、母か妹に手渡した。私の部屋から外に続く階段に出るためには、ダイニングを通らなければならない。そこは割れたガラスや食器の破片が海を作っていた。私の脱出用に靴を受け取り、自分の荷物を取りにいった。娘の紙おむつ、財布の入った鞄。持ち手を引っ張っても、びくともしない。容赦なく襲ってくる余震。もう感覚もなく、震え続ける手。
「落ち着け、落ち着け……上のものをのければ、取れるはず」
私は鞄にのしかかっているものの間に手を突っ込み、片手で持ち上げて、もう片方の手で鞄を引きずり出した。後にわかるのだか、持ち上げたものは電子ピアノの鍵盤部分だった。
外に出てみてさらに愕然とした。建物がない。私の家は鉄筋だったので、家自体は壊れていない。ところが隣の木造の家は地面から一メートルの高さに二階部分があるのだ。
「これはまずい」
思っていたよりも随分と酷い。関東にいる親戚は全滅したと思った。神戸でこんな被害なのだから、静岡辺りを中心に、福島から三重くらいまでは海底に沈んだと思ったのだ。
家から十メートルほどの広場で、私は娘や、近所のおじいさんやおばあさんや、他の子供たちやお母さんたちと、毛布や布団に包まっていた。日は昇り始めていたと思う。ラジオでは震源が大阪だと告げている。
「関東の親戚は無事か」
安堵した。娘は私の腕の中で、自分の指をずっとくわえて離さない。
近所には同級生も住んでいたのだが、避難してきた姿を見た覚えはない。近所にいたのは男子ばかりだったので、多分救助に借り出されていたのだろう。弟の姿も見た覚えはない。そういえば、妹の姿も、母の姿も見なかった。ただ呆然と、ラジオを食い入るように見つめていた二件隣のおばあさんの姿だけが目に焼きついている。
どれくらい立ったのか。広場の向こうの区役所の人がやってきた。区役所の建物は無事である。開放するのでそちらに移動してくださいとのことだった。
娘を抱いて、三階の広い多目的スペースに到着した。二十メートルほどある壁は前面ガラス張りだったが、全く被害を受けていない様子だった。だが、その東側の三分の一、少し離れて見える景色は火の海だった。
まるで映画でも見ているようだった。これが茜色なのだろうというオレンジの焔。もうもうと立ち上がる黒煙。こちらまで押し寄せてくるのも時間の問題なのではないかと話す人のささやき声。きな臭い匂い。たった今あの焔の下で死んでいく人たちがいる恐怖。助けきれず、逃げるしかない人の絶望。そんな地獄絵図が脳裏に浮かぶのに、その魂を焼き尽くす焔を見て、
「なんて綺麗なんだろう」と思った。娘をしっかりと抱き、凛とした母親の顔をしていたが、私の心と体と頭は完全にバランスを失っていた。私はすでに崩壊していた。




