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短編?

Heads or Tails

作者: 稲荷竜

 なにも持っていなかった男の話だ。


 彼には名前がなかった。彼には家がなかった。彼は自分の親の顔も知らなかったし、自分が育ったゴミと死体の積み上がったスラム以外の世界を知らなかった。


 彼が知っているのは、この世界に生きる者ならば誰でも当たり前に知っているたった一つのルールだけ。



『すべてがコイントスで決まる』。



 比喩じゃない。真実、投げたコインの表裏、どちらに賭けてどちらが出たかで、あらゆる勝敗が決まるし、それ以外の方法によって勝負をしてはならないと神様が決めているのだ。


 (Heads)(or)裏か(Tails)

 誰にだって平等に表は出るし、誰しもが平等に裏を引くことがあるという真実を、彼は知っていた。


 ところが彼は貧乏で、大通りには身なりのいい連中がいつも変わらず――ここが重要だ――いつも、変わらず、歩き続けている。


 彼はコインで表が出れば自分もあの大通りに行けると考えたが、どうやらそれは、勘違いだったらしい。


 ある日彼は己の人生を賭けてコイントスを挑んだ。

 表を選んで、勝利した。

 得たのは、ひとかけらのパンだけだった。


 格差があった。

 ゴミ溜めで始まった彼の人生は、パン一切れぶんの価値しかなかったのだ。


 彼は気付く。

 コイントスですべてが決まるなら、重要なのはコインを投げる瞬間ではない。

 いかに不平等に、いかに自分に都合良く、いかに賭けの品物をテーブルに乗せさせることができるか――


 すなわち、賭けが始まる、『前』だ。

 なにも持っていない彼は賭けを通して一つ、新たなモノを手に入れる。

 それはカビの生えた硬い一切れのパンではない。



「俺の人生に価値がないなら――価値があるように偽装しよう」



 彼は嘘を覚えた。

 敵により多くを賭けさせるために、空っぽな自分をふくらませる必要性を覚えたのだ。



 この世界の人々は争いを好まなかった。


 特に『すでに持っている連中』を勝負のテーブルに引きずり出すのは簡単なことではない。


 大きく賭けるには元手が必要で、その元手の元手となるものさえ、彼にはなかった。


 でも、彼は言葉を操った。

 そうして他者の大事なものを勝負のテーブルへ引っ張りだし、スラムでの地位を獲得した。


 次に彼は、身なりを整えることを覚えた。

 そうして彼は信用を勝ち得、大通りの連中との賭けを成立させた。

 いつしか勝負用の一張羅は何着も増えていき、表通りを歩いても誰も顔をしかめないような、立派な青年の容姿を手に入れた。


 敗北してすべてを失うことはあったが、彼はそのたびやり直した。

 やり直すたびに、彼は着実に色々なものを得ていく。

 己の成長に喜びを感じるその人生は、資産がなくとも家がなくとも豊かなものだと言えただろう。


 どのような地位になっても、どのようなものを賭けのテーブルに乗せろと言われても、彼は断らなかったし、勝負から逃げなかった。

 最初、彼は大通りを行き交う豊かな人々の列に混ざりたくて勝負師の人生を始めたが――

 続けるうち、いつしか勝負自体が目的となっていったのだろう。


 最初は勝ったり負けたりだった彼の人生は、次第に勝ち続けるだけのものとなった。


 どのような大きな勝負で勝っても喜ぶ様子一つ見せない彼に、周囲は無気味さを覚えていった。


『あまりに勝利への喜びがない。ひょっとしてイカサマをおこなっているのではないか?』


 そう不審がる者ももちろんいて、賭けの前にコインを検められたりもしたが、彼の扱うコインはイカサマ用のものではなく、彼は運勢で勝利を続けているのだと、誰しもが認めることになった。


 この時、誰かが彼に「なぜあなたは勝ち続けることができるのか?」と問いかけた。

 すると彼は、至極つまらなさそうに、こう答えたという。


「神様とコイントスをして、絶対に負けないようにしてもらったんだ」



 彼の発言を真実と受け止める者もあったし、冗談だととる者もいた。

 割合的には後者の方が多かっただろう――『常に勝ち続ける豪運』より、『神様と勝負をした』というほうが、真実味に欠けていたのだ。


 誰も神様の居場所を知らない。

 ただ、ルールがあって、それには実行力が伴うことを誰しもが知っているだけ。


 次第に神様と勝負をした話は忘れ去られ、彼の強すぎる勝負運だけが語られるようになっていった。


 だけれど、彼の晩年を世話した者のごく一部だけが、知ることがある。



「神様は世界中のどこにでも耳をそばだてていて、勝負をしたければなにもない場所にコインを放れば良い。


 ただし、対価は必要だ。賭けのテーブルに『神様の力』を乗せてもらうのは、並大抵のことじゃあなかった。


 俺がなにを差し出し、神様から『勝ち続ける人生』を得たのか?


 それはね、『勝利の喜び』だよ。


 ――ああ、つまらない人生だった」



 彼は勝利に満ちた人生に、何一つ満足していなかったのだ。


 これは、なにも持っていなかった男の話。

 なにもかもを手に入れて、その代わりに大事なものを差し出した彼の、満たされているようにしか見えない人生。

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