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海賊と三体の供物

 ヴィカーリオ海賊団の技術者メーヴォ=クラーガが処刑されてふた月。

 すっかり世間では処刑の話題は掻き消えたように思われたが、水面下では蝕の民の処刑と日蝕が重なった事の神託的演出によって、蝕の民を神の使いだとか言って崇める新興宗教みたいなもんが蔓延り出している。

 実際に最近では世界中で不作や不漁、日照や水害、極端な高気温や低気温が確認されている。本当に、あの日蝕の日を境に異常気象が立て続けに起こっていて、人々は蝕の民の呪いであるとか、神の怒りをかったのだと恐れを成している。

 不漁を理由に海から去った漁師は内地で不作に喘ぎ、内地で不作を嘆いた者は海で不漁に膝を折った。熱波と寒波で老人や子供が犠牲になり、食糧不足で病人は早々に床を空けて土に還った。人々は着実に世界の終わりを感じ取っていた。新興宗教にでも縋らねば、金や備蓄の少ない貧困層たちはすぐにその数を減らす。

 そんな陸上の有様のおかげで、海底作業をする為の人手を集める事に苦労しなかったのは在り難かった。メーヴォ本人や蝕の民についてつまらない憶測やデタラメな風評が伴うのは腹立たしいが、メーヴォの幻が処刑直前に演説した『海賊王が正義であった』と言う文言は、十分に下々の者たちに浸透していた。

『ヴィカーリオ海賊団、海賊王ラースタチカの名の元に、新たな世界へ到る為の"志願者"を募る』

 そう噂を流し、日時を決めて港へ船をやれば、数十人の志願者が集まった。皆、陸にも海にも稼ぎ場所を失った下層民たちだ。その中から手に職のある者や飢饉や異常気象にも耐えられた体力のある者を餞別し海賊へ転向させ、残った者たちは人魚の奴隷にする。

 グラハナ海域の海上に、予定通り中古船が三隻。それに乗せられた志願者がおよそ二百人。内、海賊へ転向した者が三十名。残り百七十に及ぶ人魚の奴隷が確保出来た事は、幸先の良い出だしだった。

 海上では青サハギン族の国兼移動船パーヴァウィック号を仮の中心に据え、三隻の中古船が横並びになっていた。小島ほどもある巨大な船、パーヴァウィック号はそれ自体がサハギン族の国である。この毒の海域に留まる間、サハギン王イェスタフが持つ、供物の盾を使って船へ組み上げる海水や周辺の空気を浄化しているらしい。中古船三隻には魔法による浄化を施してあるが、それの補助もしてくれている。

 サハギン族はヴィカーリオ海賊団の古参水夫たちとすぐに仲良くなった。クラーケン族の仲間がいたのだから、人外種の恐ろしい外見などすぐに見慣れたようだ。

 仮契約を結んだ俺の『呼び声』に応えた鉄鳥が本来の姿である海竜に姿を変え、その先導で浄化の魔法を施したサハギン族の精鋭三十名を、海底に沈んだグラハナトゥエーカへと案内した。毒素が強いと部隊長が口にしながらも、エリザベート号から剪定した浄化の樹の木片を媒介に解毒魔法を纏った彼らは海底場所を特定、記録してくれた。人魚の奴隷たちを引き連れ、グラハナトゥエーカの中心部にある例の城の内部に中継地点を作るなどして、メタンハイドレートを採掘する準備は着々と整っている。

 俺はと言えば、グラハナトゥエーカの中心の位置確認に海に潜った以降の仕事はなく、先日レヴの元に届いた灰燼海賊団船長ニコラスからの会談の取り付けに合わせ、この現場へとエリザベート号を停泊させ約束の時を待っていた。

 俺が直々に現場を取り仕切る事はしない。俺はあくまで『王様』なので、『民』の士気を上げる為に一番最初に演説をしたり、肝心要の仕事をしただけ。海賊に転向した三十人の為に行われた演説で、俺は亡国の再建を宣言し、これに貢献した者は一等親までの身内を新生グラハナトゥエーカに住まわせる事を約束した。先行きの見えない世界情勢の中で、生き延びれる率の高そうなこの話に、志願者たちの士気も上がった。勿論逆らえばサハギンの餌、または人魚の奴隷なのは言わずと知れていて、従順に俺たちの指示に従っている。

 ただ、俺の姿が見えると、新旧問わず人々の士気は上がるようだ。国王は民に寄り添わなくてはいけない。それは船長である自分が今まで水夫たちにそう接して来た事とまったく同じだ。やる事は何ら変わってはいない。それならそれで、簡単で良いんだけどな!

 こうやって一箇所に留まるよりは、各地から物資を集めて、ついでに陸の状況も見ながらあっちこっちに行く方が俺としては気が楽だ。


 グラハナトゥエーカ再興の現場を見たい、そして会談がしたいと言うニコラスに予定を合わせてグラハナ入りしたのが三日前。会談は三日後。およそ一週間余裕を持ったはずだが、結果的には丁度良い日取りだった。

「船長!船です!灰燼のアンフィトリーテ号です!」

 ドタドタと足音を響かせ、見張りがエリザベート号へと乗り込んで来た。

「おっし、行くか」

 先代海賊王の右腕様に、二代目様の偉業を知らしめてやろうじゃねぇの!

 そんな勢いはあったものの、やっぱりニコラス本人を前にするのは少しばかり緊張する。あの人の正体を知り、且つ信頼を得ているとは言え、あまり動かない表情からは内面を知る事が叶わず、大抵ニコラスの独壇場になるからだ。この人から有利を取れた試しがねぇ。本人は随分と俺たちの事を買ってくれているようだが、メーヴォがいない今、難しかったり面倒な話を解釈してくれる解説役がいないのは正直困る。

『船長殿!是非わたくしめをご同行させて下さいませ。灰燼公とは久方ぶりに話をしとうございます』

「そっか、お前大旦那の知り合いだっけな」

 ならばと鉄鳥を連れ立って、接舷したアンフィトリーテ号から降りて来たニコラスを出迎えた。

「見事なものだ」

 開口一番にニコラスはグラハナトゥエーカの基礎とも言うべき船団を見た感想を伝えて来た。アンタは褒めて人を煽てるタイプでしたっけ?

「三海種王を束ねるはとな。過去にも多くの人々が夢見た物語が現実になろうとしている」

「海賊王が成した、海賊の為の海があるならば、今度は海賊の為の国が必要って事さ」

 別に最初からそれを目指して海賊やってたワケじゃねぇけどな。そうさ、気が付いたら海は俺たちのものになってたし、メーヴォが言うから、可能だと言ったから、海賊の為の国を造る事にした。俺は、俺が認められる場所を造りたかっただけだったのに、気が付いたら国の王だと皆が俺を呼ぶ。煽てられて国を治めるのも、一度きりの人生ならば一興だ。

「早速で悪いが、魔弾の。内密に話がしたい。誰にも話を聞かれない場所を用意出来るか?」

 切り出しの早さは大旦那のいつもの話だが、内密にって事は大旦那の素性に関わる、つまり、供物についての話がしたいって事だろうか。

「今このご時勢に事情なんでね。鉄鳥には護衛ついでに来て貰いますが、そいつは了承頂けるってことで?」

「彼ならば構わん。むしろ、事情を話してしかるべき部類だ」

 やはり供物についての話と見て間違いないだろう。興味津々だろう甲板の水夫たちを払い、緊急時以外は近付くなと釘を刺し、エリザベート号の船長室へとニコラスを連れ立って移動した。

 結界を張っても?と聞かれたので、これは相当な事態だと察しが付いて寒気がした。扉に指先で何かを描いた後、すんっと波音が遠ざかるのが分かった。やっぱり元陸の供物だと言うこの人の力は凄い。これ相当高度な結界魔法だぜ。

 書斎机の前にある二人掛けのソファにニコラスを促し、俺は正面の一人掛けの椅子に座った。

「こんな風に会談を申し付けてくるとは思わなかったよ、大旦那。どう言う風の吹き回しだ?メーヴォの件でも、副船長が代筆で一筆送って来ただけだったのに」

 半ば嫌味も含めそう問えば、話と言えばそれが本題でな、とニコラスは口を開いた。

「メーヴォ=クラーガの処刑に関して思うところがあってな。独断で調べさせてもらった」

「そいつは構わねぇけど、それで何かが分かって、此処に来たと?」

「そうだ。伝えなければならない事がある。その前に、あの処刑についての所見は?」

「世界中がメーヴォの処刑は滞りなく終わったと胸張ってますけどね、あれは偽の処刑だった。幻の処刑だったってね、鉄鳥がメーヴォの無事と一緒に伝えてくれましたよ」

 そうか、とニコラスはほぼ動く事のない表情を、僅かに安堵の方へと緩めた。

「これだけの偉業を成そうとする中で、片割れの喪失は大きかろうと思っていたが、安心した。ならばその次の話をしよう」

「次の話……?アンタもあれを幻だったと言って信じるのか?」

「むしろ、俺はあの処刑の真偽と、メーヴォ=クラーガの安否を伝えに来た」

 マジかよ。でもそれは鉄鳥によって既に俺に知らされている。

「次の話、ってのは……もしかして、ゴーンブール海軍の裏で大きな力を持ったヤツが暗躍してるって、そう言う話ですか?」

「そうだ。供物が動いた」

 供物が、動いた?動いたって、え?

『灰燼公!それは、つまり、空の供物が、でございますか!』

「空の、供物?何か知ってんのか鉄鳥!」

『……いえ、いえ……ああ、何か思い出し掛けたのでございます。けれど、ああ、やはり思い出せません!』

「……すまん、順を追って話そう。端折ってしまうのは俺の悪い癖だな」

 ええ、もう、頼みますよ大旦那。自分で言うのもなんだが、こう言う話を察するのは苦手なんだ。鉄鳥だってアテにならない。

「例の処刑を幻だと言ったな」

「ええ、相当な術士が動いてるんだろうってね」

「あの幻の処刑場を作り上げたのが、空の供物だ」

「……じゃあ、つまり、空の供物が海軍の裏で手を引いてるって事ですか!」

「それで間違いは無い。あの処刑が行われた後、あの現場に出向いて、魔力の残滓を調べた結果だ」

 おい、おいなんだって?空の供物が、メーヴォの処刑に関わったと言うのか?いったい何故!

「空の供物が、世界を終わらせる為に動き出したのだ。もう既に貴様も知っているだろう?この世界の供物が、今どう在るのかを」

「……り、陸の供物であるアンタが、その責を放棄して世界から切り離されて……海の供物は、もうとっくの昔に、いない」

「そうだ。今、世界の意思、神の意思を全う出来るのは、空の供物しかいない。それが、巨大な力を使って動いた」

 いや、確かにスケールのでかい話はして来た。そうは言ったって、ココでそこまでの話になるのか!

「……供物が、神の意思を全うしたら、世界が、終わるのか?」

 無言でニコラスが頷き、更に言葉を重ねた。

「グラハナトゥエーカの再興を急げ。千年保ったとは言え、先に海のが失われ、俺もその席を退いて久しい。空の一人で何処まで出来るか分からんが、既にその片鱗は出始めている」

 世界的な異常気象、飢饉。日蝕の日に合わせられたメーヴォの、蝕の民の処刑。海賊王による生き残るべき人間の選定。世界の終わり。

「そんな、でかい話なんすか?」

「そうだ、海賊王ラースタチカが成そうとする夢物語と同じくらいに、大きな話だ」

 おいおい、世界の終わりと同等に並ぶ話か?

 では、具体的に俺は何をしたら良い?

 そう助言をもらえるものだと思って、口を開きかけた瞬間だ。

「お頭!」

 ドン、と扉が叩かれ、パリンと空気が割れる感触と共に、波の音が耳に戻って来た。レヴが扉の前でソワソワと足踏みしている。

「お頭!使役便です!お父上からの、使役便です!」

 その言葉に俺はニコラスを置き去りに立ち上がった。扉を開けて立ち尽くすレヴから真っ白な上質紙の封書を受け取る。端を乱暴に破って、中の書面を開けると、赤のインクで、達筆な一言。


『クリストフ=アンダーソンに注意されたし』






 時は少し遡る。

 世界的な処刑を前に、彼は一言、言った。

「悪趣味だ。それに、あの場面であんな風に長口上するもんか」

 それを聞いた男は、ハハ、と乾いた笑いを落とした。

 それを横で聞いていた男は、ケッと小さく唾を吐いた。


 時は更に遡る。

 世界的な処刑の数日前へ。


「さて、何処から話をしようか、ヴィカーリオ海賊団の蝕の技術者、メーヴォ=クラーガ」

「でしたら、先ほど飲み損ねた紅茶の代わりでも用意してからにして下さい。良いものがあるんじゃないですか?」

「貴様な、自分の立場が分かってるのか?」

「それならばお前のご主人に文句を言うんだな。殺しもせずに誘拐したのはそいつだからな」

 ふん、と鼻を鳴らせ、座らされた上等な椅子の背もたれにどっかりと沈み込む。じろりと向かいのソファに座る赤髪の男を見返した。

 ゴーンブール海軍提督クリストフ=アンダーソン。その横に控えるのは、癖っ毛の黒髪の青年ヴィヤーダ=ヴァケラ。僕を誘拐し、海軍の拠点へと連れ帰った張本人。僕の姿は何らかの魔法で隠され、僕は提督の執務室の横にある書斎へと連れ込まれた。自身が使う為の調度品と、湯を沸かして茶を煎れる簡易キッチンがあって、壁一面に本が立ち並ぶ、個人使用するには随分と横暴が過ぎる部屋だ。

「私の計画に協力して欲しいんだ、メーヴォ=クラーガ。君たちに損は無い。良い事だらけの話だ。そして時を争う事態なのをご理解頂こう」

「それはヴィカーリオ海賊団を通してもらえない話なんですか?」

「ああ、そうだ。私たちと、君の、秘密の作戦だ」

 何が秘密の作戦だ。三海種王たちと結託が出来て、グラハナトゥエーカ再興が始動する、これからが一番大事な時期だったと言うのに。

『あるじ様。ですが、此処は大人しく彼らの要求を呑んだ方が得策かと思われますぞ』

「そうそう、君の従者の方が物分りが良い。一先ず親睦を深めようでは無いか」

 その言葉に心臓が飛び跳ねた。鉄鳥の声を、聞いている?

「私の話をしよう。私の半生の話だ。それを聞けば否応にも了解したくなる話だ。ヴィヤーダ君、お茶を煎れてもらっても?」

「はぁ?結局出すのか?俺の仕事を増やさないでくれるか?」

「君にはカステラがあるよ。好きだろう?」

 物に釣られた部下の男が、しかし渋々と言う風に部屋にある小さめのキッチンに立った。

 そんなしち面倒臭い、と思う反面、鉄鳥の声を聞くこの存在に強く興味を引かれた。

「聞いてくれるかな、私の半生を。そして是非とも聞かせてくれないか?君の話を」

「分かりました。聞きましょう、貴方の話を。計画に協力するかどうかはそれから決めます」

 喉で低く笑ったクリストフ提督は、テーブルへ並べられた、上等なティーカップを手に、語り出した。

「まず何から話そうか」

 何処かで聞いたような質問に対し、僕はいつだったか誰かに言ったようにその返答を返した。

「では、貴方は何者だ?」

 ふむ、と提督は笑みを崩す事無く紅茶を一口啜った。

「熱っ!ヴィヤーダ君、お茶が熱いよ」

「ハァ?煎れてやってんだから文句言うんじゃねぇ」

 不思議な上下関係だと二人を眺めながら、僕はこの海軍提督に常々疑問に思っていた事をぶつけた。

「そもそも気になっては居たんだ。若くして海軍提督に就き、その手腕を振るい、幅広い交友はゴーンブールから遠くバルツァサーラの国立聖歌教会に通じる。そしてレヴの影を使った使役獣を一発で浄化させるだけの光の魔法の使い手。僕を誘拐する際に張った結界の高度さ。到底人間技じゃない。貴方はまず人型の人外種で間違いないと踏んでいる」

 僕の仮説に対して、提督はパッと顔を明るくして笑った。

「素晴らしい!その観察眼、考察力!流石だメーヴォ=クラーガ。蝕の民の技術者として、蝕眼の二つ名を持つに到っただけある。そうだ、私はもう人間で無い者だ」

「後天的に外れた者か」

 極稀に、後天的に高位の魔物や闇の力を持つ者と契約をする事で人の枠から外れる者たちがいる。例えば以前相手にした海賊狩りの男が中途半端ではあるがそれに該当するし、ベルサーヌ号の面々も大よそこれに該当するだろう。かつて人でありながら、魔の者の手を取って人から外れた者、それがゴーンブール海軍の重鎮たる提督の正体か。

 そう納得しかけた思考を覆す言葉が続いた。

「そうだ。長く長く、生きた。私は、供物の契約者だ」

 ゾワッと走った悪寒を気取られないように、務めて冷静であれただろう。

「なるほど……それならば、全ての仮定に答えが出る」

「おや、それ程驚かないな」

 此処暫くそう言うスケールの大きい話ばかり聞いて来たから、感覚が麻痺したのが半分。もう半分は既に供物本人に会っていたからと言うのもある。後天的に外れた、と言われてまさかとは思わないでもなかったが、よくもまあそんな都合の良い話があったものだ。

「昨年、元陸の供物だと言う男と会って話をしましたよ。先日は三海種の王たちと謁見し、海の供物について話を聞きました。今更、供物の契約者だと言われても、もう大して驚きませんよ」

 肝が据わっているねぇと笑った提督は、では、と口を改めた。

「紹介しよう、空の供物ジズのヴィヤーダ君だ」

 ティーカップにかけようと思った指先が思わず震え、カチャンとカップとソーサーが音を立てた。翻した手で部屋の隅に座っている青年を紹介した提督の言葉の軽さに驚く。なるほど、と更に得心が行くと共に、とんでもない所に連れ込まれたものだと他人事のように感嘆が込み上げた。

 海の供物は千年前に神の御許へと還り、陸の供物は五百年前にその責から退いた。残った空の供物が、今此処にこうして契約者と共にある。それが何を意味するのか。仮定を出そうとする思考が暗がりに落ちていく。

 供物だ、と紹介されたのは黒い髪の側近と思われる青年。鋭い眼光の青年はジロリと此方を睨んでいる。

「紹介に預かったが、俺はお前を生かしておく事には反対してるんだ。海賊と言うヤツは心底気にくわねぇ。けど、お前を生かしてどうにかしねぇと世界は廻らねぇんだ」

「さて、彼の話は追々。私の話を聞いてくれたまえ。何時何処で、何故私が供物と契約したのか、知りたいだろう?いや、知っておいて貰わなければ、これからの話が出来ないのだ」

「長丁場になりそうですね。貴方、提督としての執務があるのでは?」

 嫌味を一つ返してやれば、高らかに笑って提督は心配するなと、優雅に紅茶を飲んだ。

「私が此処にいる間、どうとでもなるように調整してあるのさ」

 私との時間を満喫してくれたまえ、とまで言われ、胸焼けがしそうで紅茶を一口流し込んだ。味なんて全然分からず、ただとても良い香りがした事だけが印象に残った。


 クリストフは中流貴族の生まれだった。出世欲の強い両親の元、習えるものはなんだって習った。とは言え、それが出世に役立った覚えはなく、クリストフはゴーンブール海軍に入隊し、やがて海兵として海に出た。本人の出世欲が薄く、海兵として海を行く事がただ楽しかった。船乗りの方が向いている。そう彼自身も感じていた。いつかは自分の船で海を行くのだ、と。

 それが叶わないと知ったのが二十代後半の頃。当時まだ隣国として同盟関係になかったフレイスブレイユとの海戦中に、彼は親友を亡くし、そこで自身も死ぬかと思われた。

「そんな時に彼がね、私を助けてくれたのさ」

 部屋の隅に置かれた椅子に座って胡坐をかき、茶菓子を頬張る供物だと言う青年を、ちらりとクリストフ提督が見やる。

「死の間際、人の命が最も輝く瞬間に獣は惹かれる……と言うのは、神話の時代から続く伝承ですね」

「そう。そして私もそれに漏れる事無く契約を果たした。私は痛覚を失ったが生き延びた。契約のタイミングを間違えたのさ。痛みを失ったまま、私の時は止まってしまった」

 そこまで聞いて、はたと僕は一つの疑問に当たった。

「……待て、その話は……その話は、何時の話なんだ?」

 ゴーンブールとフレイスブレイユが同盟を結ばずに、陸でも海でも戦争をしていた当時だって?

 それは、つまり、蝕の民がグラハナトゥエーカに流れ着く以前の話だぞ?

 僕があからさまに動揺したのを逃さず、提督は恍惚とした、何処か邪悪とも取れる笑みを浮かべて、言った。

「そうだ、私はずっと世界を廻す為に待っていたのだよ、千年以上も前から、ずっと!グラハナトゥエーカに移民が辿り着き、世界の均衡を崩し、終末の戦争が始まり、世界がシフトする日を、待っているのだ」

 私はずっとそれを待ち焦がれていたのだ。と、そう言う提督の顔は、年老いた老人のようにも、全ての覇権を手中に収めかけた王のようにも見えた。

「ところが、グラハナトゥエーカに流れ着いた大きな命がこの世界に帰依してしまったが為に、私は、我々供物は、審判の時を引き伸ばす事を余儀なくされた。海の供物レヴィアタンは一足先に神の元へ逝ってしまったが故に、その力を三海種の王へ託さねばならなくなり、残された陸と空の供物は二人だけで世界を廻さねばならなくなった。所がどうだ!陸の供物ベヒモスは海賊王などと言う存在に現を抜かし、その責を放棄した。残された空の供物と、その契約者である私の無念が分かるか?」

 そんなもの、想像したくも無い。信じていた同胞に裏切られる無念など、知りたくも無い。陸の供物が海賊に感化されその責を捨てたとなれば、先ほど空の供物だと名乗った青年が海賊を毛嫌いするのも頷ける。

「……ふぅ、少し興奮してしまった、すまないね。この憤怒と無念とが私たちの行動材料だ。そして私たちはようやく、再び世界を廻す機会を得たのさ」

「僕たちヴィカーリオ海賊団が大きな力を手にし、世界の均衡が崩れようとするこの時代、この世界の流れが、終わりの始まりだと、そう言うんだな」

 穏やかに「話が早くて助かる」と言う返事を笑みで返された。

 世界が終わる、と言う、今までで一番大きな規模の話が来て、若干どころか僕は結構焦っていた。グラハナトゥエーカ再興を成さんが為にあちこち奔走していたと言うのに、国が興る前に世界が終わってしまったら意味がない。

「……貴方は一番最初に言いましたね。計画に協力しろと」

「ああ、言ったとも。では話そう。私は世界を廻す為の計画を練っている。そこで君が必要になる。君と、そしてヴィカーリオ海賊団が必要だ。まず、君を処刑する」

 あまりに唐突な計画の前提に反論するのも馬鹿馬鹿しくなった。つくづく処刑場に縁があるんだな、僕は。

「僕に協力を依頼しながら、僕を殺すのか?」

「なぁに、死んだ振りをすれば良いのさ。それは此方で手筈を整える。君は処刑される前に、集まった民衆を前にこう宣言する。『世界は終わるぞ』と」

「世界の終わりを宣言した蝕の民の末裔。それで世界の何が動くと言うんだ?」

「動くとも。世界は終わりに向かって軋み出す。そして、何か計画しているのだろう?ヴィカーリオ海賊団は」

「何処まで察している?」

 おどけたように肩を竦ませた提督が首を横に振る。

「なに、ヴィカーリオ海賊団が箱舟になればそれで結構。此方が持っているのはその程度の情報さ」

「……嘘が上手い。まあ良いでしょう。僕らの計画についても後で話します。で、僕の処刑を偽装した後、ゴーンブールは戦争を起こす、と」

 ご名答、と提督は手を叩いた。

「そこで君の協力が必要だ。蝕の民の失われた箱舟を私は探している」

「失われた箱舟、だって?」

「グラハナトゥエーカに流れ着いた移民が乗っていたと言う巨大な船さ。それがあればゴーンブール海軍の戦力は他国を遥かに上回るだろう。故に、世界を終わらせる大戦勃発の引き金としては十分だ。君には、私が集めた蝕の民の資料を読み解いてもらい、箱舟の発掘の手掛かりを探してもらう。資料はほら、この通り」

 大きく両手を広げた提督が示したのは、天井にまで届く壁一面の本棚だ。まさか、まさかこの本が全部、蝕の民に関連する書物だと言うのか?

 ああ、何ていう話だろうか。

 世界を廻す事を望み、世界を終わらせる事を切と願う供物とその契約者が戦争を起こし、僕らヴィカーリオ海賊団は、選ばれた者だけが住める国を興そうとしている。その利害の一致をどうして断れようか。

「……では、僕らの計画についても、一から話さないといけませんね」

 すっかり覚めてしまった紅茶を一息に飲み干し、部屋の端で暇そうにしていた空の供物ジズのヴィヤーダに空のカップを振って見せた。

「お代わりを頼むよ。此方の話も長くなるんでね」

 ハァ?と嫌そうに顔を歪めた青年に、クリストフ提督までも空のカップを見せて、お代わりを催促した。


九話 おわり


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