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海賊と父親

 ヴィカーリオ海賊団の技術者メーヴォ=クラーガが処刑されてひと月。ゴーンブール領海からヴィカーリオ海賊団の主船エリザベート号は離れ、南のコスタペンニーネを目指していた。

「まさか、貴方が行くと言い出すとは思いませんでした」

 副船長エトワールの苦笑を、似たような苦笑で返して、俺は水平線に見え始めた島影に視線をやった。

 南の島国コスタペンニーネの一番東、一番大きな島がコスタペンニーネの本国と呼ばれる首都のある大陸だ。東の本国から西に、尾を引くように大小様々な離島が存在するのがコスタペンニーネと言う島国だ。本国から離れた離島であるほど、国からの監視の目が遠い。国の形と似て大小様々な、多種多様な悪党が跋扈する悪事の温床でもある。

 此処から俺たちは名を上げる事が出来た。そう話をした俺の宝の鍵は居ない。その隙間風に何度目か分からない溜息を吐いて、俺は甲板長に声をかけた。

「カルム!グリアグラヴィーナ島の港に停泊する際は、偽名を使わなくて良い。ラースタチカの名前を出せ」

「え、良いんですか?」

 後ろに立っていたエトワールからも動揺の気配が伺えた。

「構わねぇ。俺の名前を出して、船守に停泊料金を弾んでやれ」

「……分かりました」

「ラース、良いんですか?」

 物分りの良い返事をする甲板長カルムとは反対に、副船長エトワールが険しい顔で此方を睨む。険しい顔じゃねぇな、コレは心配してる時の顔だ。

「良い。俺が来た事を知らせるにはそれで十分だろ。面倒クセェ小細工はなしだ」

「……そう、ですか。分かりました」

 焦っている自覚はある。このひと月、レヴに当たらせて各国の動向を探らせ、世界的に高名な魔術師や魔導師がゴーンブールと関わったかどうかを探らせた。

 しかし結果はなしのつぶて。何処の国も凶悪な元殺人鬼にして極悪海賊メーヴォ=クラーガの死を喜び安堵するばかりで、ヴィカーリオ海賊団の動向に注意しろと通達が回る程度しか動きはなく、高名な術士導師が動いたと言う情報もなかった。ゴーンブールに処刑場全体に高度な幻術を投影するような強大な力を持つ魔術師魔導師がいると言う情報も無く、世間一般的に出回っている情報は全て『滞りなく極悪人メーヴォ=クラーガの処刑が執行された』と言う事実のみだった。

 あの現場を、俺の横で見ていたレヴでさえ、自分が見ていたアレが真実で、何が偽りなのか混乱しているような雰囲気があった。長く生きているとは言え、人間の年齢換算なら未成年のレヴに、何が真実なのかを突き止めるのは難しい話だろう。

 俺が鉄鳥の声を聞き、メーヴォが無事である事、あの処刑が幻術であった事を聞いた、それを信じたと言う主観のでしかない。そんな細く微かな手掛かりだけでは、溢れる世間の情報に簡単に飲まれてしまう。自分たちが信じて疑わないメーヴォの生存と言うルートは、それこそが幻であり、俺は滑稽な行動をしているのかも知れない恐怖感。

 焦っている。何か、鉄鳥の言葉以外の情報が欲しい。焦っているからこそ、この手を使うしかない。海の魔物たちから挙って『海賊王』と戴冠されて尚、俺はちっぽけな人間で『こども』であるのだ。

「……貴方が、そう言うなら、もう腹積もりは変わらないんでしょう?信じますよ」

 海風の中にあってもはっきり聞こえる溜息の後、長年信頼し続けた従兄の言葉が俺の背を押した。

「ああ、行くぞ、フェルディナンドの本家に。……親父に、会いに行く」

 徐々に姿を見せた港街は、コスタペンニーネ本国の主要都市だった。


 今世紀最も恐れるべき海賊団の船長、ラースタチカ=フェルディナンド=ヴィカーリオ率いる通称死弾が、堂々と名乗りを上げてコスタペンニーネの主要都市に乗り込んできた!となればそりゃあもう港街は大騒ぎだ。

 だが、国軍の大きな駐在所があるにも関わらず、兵隊は俺たちを見てみぬ振り。コスタペンニーネでは、国の政治家や重鎮よりも海賊の支持率の方が高い。だから下手に海賊たちを捕らえれば暴動に及ぶ危険性もある。とは言え、此処まで名が売れた俺たちを前にしても動く事が無いとは思わなかった。メーヴォの処刑を受けて、コスタペンニーネではより海賊に対する扱いを慎重にせざるを得ないのかも知れない。特に、この『トウモロコシの街』では、国以上に幅を利かせている人物がいるのだ。

 兵士が騒がないってんなら、堂々と闊歩してやるだけだ。港で一番大きな食堂で俺を筆頭に主要面子で飯を食い、一番大きな宿で俺はその晩を一人で過ごした。

 女を呼ぶ気にもなれず、煌々と輝く月を見上げた。大手を振って街を闊歩して、大盤振る舞いが出来るこんな気分が良い夜は、本当ならメーヴォと一緒に酒を飲んで下らない話を語り合いたい。殺しの手口、次に強化する武器や大砲の話、船やアジトの設備の話、蝕の民の武具についての話、お互いの過去の話。

 キラキラ光る月の光に、メーヴォの蝕の瞳の光を思い出して、俺は深く溜息を吐いた。横になったベッドでいつの間にか眠っていた。

 翌朝、鉄鳥がカツンカツンと窓を突く音で目を醒ました。

『おはようございます、船長殿!本日は副船長殿とお出掛けと伺っております。わたくしめもご一緒致しましょうか?』

「……いや、お前を連れてくと、後でメーヴォに笑い話のネタをくれてやる事になっちまう。お前は船で留守番だ」

『左様でございますか……』

 見るからに羽が下がり気味になってしょんぼりとする鉄鳥に、ワリィな、と言葉を残して見送り、俺は宿の朝食を取った。堂々と名乗って泊まったもんだから、朝から随分手の込んだ料理が結構な量で並び、宿の店主には悪いが適当に食べ散らかして宿を出た。朝からンなに食えるワケねーだろ常識的に考えて!

「おはようございます」

「おう、出迎えご苦労」

 見覚えのある顔の男が手綱を持つ馬車が宿の前で待っていて、スンっとした顔の副船長エトワールがキャリッジから朝の挨拶を投げかけた。大きめの羽付帽子を被って、上等な赤いコートを着ているエトワールは身内の贔屓目を引いても中々ハンサムで女の目を引く。それを褒め言葉にしても、本人は鼻の上に皺を寄せて嫌がるだろうけどな。

 俺がキャリッジに乗り込むと、馬車はゴトゴトと街道を進み始めた。

「コートと帽子を持ってきましたよ」

「さんきゅ」

 受け取った鞄の中には、濃い緑色のコートと揃いの帽子が入っていた。普段なら殆ど着る事がない船長としての晴れ着だ。俺を捨てた親父に嫌味もたっぷりに顔を見せに行こうと言うのだから、せめて見得は張って損は無い。

「ところでラース。貴方フェルディナンド家に面会の都合は付けたんですか?」

「いや?してねぇ」

「アナタね!フェルディナンド家の頭首を相手に、約束無しで行こうって言うんですか?」

 確かにあの男は多忙な人間だ。とは言え、昨日堂々と港に停泊し、偽名を使うまでも無く街で過ごした。この街を牛耳るあの男の耳にこの情報が入っていないのはおかしい。

「そもそもよ、実の息子が会いに行くってんだ、別段そんな事務的なモンはいらねぇだろうよ」

「あのねぇ、そう言う話では無いんですよ?」

「この海賊王が街に来たってんなら、この街の長に会うのがそれこそ筋ってもんだ。なら身を空けて待つのも長の務めじゃねぇか?」

「……本当に、常識外れですよ」

 たっぷりと嫌味を篭めてエトワールが渋い顔をして、それ以降口を噤んだ。その顔がいつも俺を諌めた後の呆れた顔ではなく、大物を相手に突然押しかけるその緊張に強張っていた。

 そりゃあ当然だ。俺だって大きく構えてはいるが、全部虚勢でしかない。幼い頃会って以来、一度として顔を見た事もなければ話をした事すら思い出せない。今会ったところでそれが自分の父親だと言う感慨すら沸かないだろう。それでも、今はあの男に会わなければならない。レヴの持つ情報網ですら届かない、国の奥底を探るには、奥底へと繋がる人脈を持つ者の協力が必要だ。

 俺を信じる仲間たちが居る。彼らの信頼に答えるには、船長自らが出来る事をしなければならない。メーヴォが言う時を待つ以外に、俺は俺ができる最良を選択しなければならない。だから、俺は忌み嫌ったコスタペンニーネに船を寄せ、金輪際会いたくもなかった親父の元へと向かっているんだ。

 ゴトゴトと不定期に揺れる馬車の音を聞きながら、弾け飛びそうな心臓を抱えて、俺は静かに目を閉じた。


「見えて来ました、フェルディナンド家の屋敷です」

 手綱を握る水夫がキャリッジの中に声をかける。それを聞いてから、俺はゆっくり目を開けた。

 窓の外に広がっていたのは、広いトウモロコシ畑の向こうにぽつんと佇む白い屋敷だった。距離感がおかしくなりそうな光景だったが、ゴーンブール海軍提督のお屋敷や、バルツァサーラの奴隷商人の屋敷、敷地に負けない広大さだ。

「広いですね」

「そりゃあな。コスタペンニーネの影の支配者様だぜ。国の重鎮にも圧力をかけられる。だからこそ、俺はフェルディナンド商会の名前を使ったし、封蝋印だって似せて偽造した。だから、コスタペンニーネには近寄りたくなかったし、会いたくなかった」

 奥の手だ、本当に。俺の矜持や自尊心をめいっぱい削ぎ落として此処に来た。此処でなら望む結果が出ると信じて、俺自身に課した枷を解いた。

「レヴですら探れない国の奥を探ろうってんだ。もう、形振り構ってられねえ。腹を決めろ、エトワール」

「ええ、貴方もね」

 馬車はトウモロコシ畑を過ぎて屋敷の門前へと至る。門は開け放たれており、恐らく歓迎されているのだろうと馬車を進ませた。馬車は程なく屋敷の正面に止まり、御者役をしていた水夫がキャリッジの戸を開けた。

 俺はコートを羽織り、帽子を片手にキャリッジを降りた。目の前に聳える屋敷と、その正面玄関の扉が俺を圧倒するが、腹の底に燻る火を燃え上がらせて俺は帽子を被って足を踏み出した。

 扉は鍵も掛かっておらず、屋敷の中にズカズカと俺が入り込んだ事で、中で掃除をしていたメイドが飛び上がって姿を消した。恐らく俺の来訪は想定済み。門も扉も開けておき好きに入らせろ、と。ああ、何故だろうな、アンタが何処で俺を待っているのか分かるぜ。

 俺に続いてエトワールが屋敷に入ったのを確認し、俺は親父がいるであろう書斎目指して真っ直ぐに歩き出した。エトワールが慌てたような足音をカーペットに響かせて続く。

 屋敷の正面玄関を入って目の前の階段を上がって右側の廊下。廊下の突き当たり、奥から三番目の部屋。一番奥の部屋はトウモロコシ畑が一望出来る控え室。奥から二番目の部屋は親父との面会室だ。

 書斎の扉をノックも無しに勢いよく開ける。最早全て勢いで押し通るしかない。

「……さて、不躾な不届き者の侵入、と言う訳ではなさそうだな」

 すっかり白髪になっても、その奥に微かな緑色を残した長い髪を翻して、一人の老人が振り返った。書斎の窓寄りに置かれた机を前に、背後の窓から差す光を後光の様に背負った男。厳つい顔に鋭い赤の眼光。その長い髪すらも老いを感じさせない力強さを放つオーラのように背に流して、男は俺を見据えた。

「我が息子、ラースタチカ!よくぞこの屋敷に戻った!」

「好きで戻って来たワケじゃねぇよ、クソ親父」

 ルクレツィオ=フェルディナンド。俺の実の父親にして、コスタペンニーネの影の支配者。商業を牛耳り、国の根幹たる一次産業を牛耳った。女を侍らせ、腹違いの子を拵えるだけ拵え、国の重鎮や多くの政治家を相手に玉の輿や政略結婚をさせまくった悪の親玉みてぇな男だ。俺もその子供たちの内の一人ではある訳だが。

「まさかお前が此処まで名を上げるとは思わなかったよ。フェルディナンドの名を使って、随分とやんちゃをしてくれたものだ」

 おうおう、此処までの大器を成してまだヤンチャと来た。この親父様は何処まで悪党なんだか底が知れねぇ。実父ながらにドン引きするぜ。

「そちらはオーヴァンの子息だな。ご両親が嘆いていたぞ。今から帰れる体ではないだろうが、仕送りの一つもくれてやったらどうだ?」

「……ご心配の程をお掛けします。ですが、あの家へ未練も何もありませんので。大方、フェルディナンド家より養子でも行ったのではありませんか?私の代わりをご用意頂いた事は感謝しますよ、大叔父様」

 おぉ……エトワールも口に出すところは言うもんだな。流石、ヴィカーリオ海賊団の裏の顔だぜ。

 ふん、とそんなエトワールの言葉すら想定内と言う風に小さく笑うと、親父は仰々しく俺に手を向けて口を開いた。

「それで、ただ昔話をしに戻ってきた訳でもあるまい?用件は何だ?」

 私はこう見えて多忙なんだよ、と嗤う男に、血の繋がりを感じて嫌気が差した。相手より有利に立つ為に先に口を開くやり方は、俺にも覚えがある。

「ウチの水夫が処刑されたネタは聞き及んでるだろ。アレの真相を探りてぇ」

「ふむ」

 一呼吸置いて、親父は口を開き、饒舌に喋った。おお、随分楽しそうなこった。

「ヴィカーリオ海賊団の実質ナンバーツーであったメーヴォ=クラーガの事だな。世紀の処刑だ。是非私も見たかったが、流石にゴーンブール領まで出向く訳にも行かなくてな。残念ながら人伝に聞いたものさ。海賊王を讃え、人々に呪詛を吐き、高らかに笑って死んだそうじゃないか。最高に猟奇的で、真に海賊であったな」

「ああ、そのメーヴォの処刑だ。あれは巨大な幻影だった。ゴーンブールに強大な力を持った術士か魔導師が加担してるんじゃねぇかと踏んでるがな、その裏まで俺の情報屋じゃあ届かねぇ。アンタの情報網を当たりてぇ」

 ふふん、と親父が勝ち誇ったように笑う。恐怖で世界を手玉に取った男が、自分に頼み事をして来たぞ、と。そう言う笑みだ。

「メーヴォ=クラーガはゴーンブールで処刑された。それが真実ではないと、そう言うのかねラースタチカ。それ程あの男が大切かね」

「俺の命の次にアイツの命がある」

「随分と言うものだ。それが海賊王への道に必要だった片割れかね」

 そうだ、と即答した俺に、やはり親父はくっくと笑った。

「安くは無いぞ。この私の情報網を、この私を使おうと言うのだ。相応の対価が必要なのは分かっているな?」

「分かってるに決まってんだろ」

 言って、俺は大股で机の前に歩み寄り、腰に下げていた小さ目の麻袋を机の上に叩き付けた。中からは色とりどり、大小様々な宝石やその原石が転がり出た。その中にはかなり上出来の骨ダイヤも入れておいた。この男の持つ換金ルートならば、コスタペンニーネの小さめの離島一つくらい買い取れるくらいの値打ちものだ。

 エトワールですらその質と量にひゅっと息を呑んだ。メーヴォがいたら激怒するレベルの出費だ。この男を相手に出し渋りは出来ない。宝石や原石の真贋を見定める目は世界でも指折り。コスタペーンニーネ政府にも深く内通し、ゴーンブールの裏にまでその腕を伸ばせるであろう手腕は伊達じゃあない。

 だが……応じるか?この程度で。

「ふぅむ。……中々良い物を扱うようだな。それでこそフェルディナンドを名乗るに値する。だが、足りんな」

 やっぱりか。ああ、チクショウ。この程度で動く男だとは思っちゃいねぇよ。これでも足りないと言うのか、とエトワールがあからさまに動揺するのが分かる。

「……おい、エトワール。わざわざ鉄鳥を連れて来なかったんだからな。メーヴォには、黙っとけよ」

 え?とエトワールが聞き返す間も無く、俺は帽子を脱いで膝を折った。上等な絨毯は両膝と額を擦り付けてもちっとも痛くない。それが逆に腹立たしさを増幅させる。

「どうか、お願いします。俺たちに力を貸してください!」

 そう俺が言い切った瞬間に、すうっと息を吸った親父が、破裂した様に笑った。

「ふっはははは!良いぞ、ラースタチカ!いいや、海賊王ラースタチカ!あっははは、これは愉快だ、海賊王が、私に頭を下げ、額を地に着けたぞ!」

 腹を抱え、額に手をやって大仰に、何処か芝居がかった様に親父は笑った。それが此方に向き直った瞬間、その赤の目がギラリと光った。

「そうだ、その頭にこそ下げさせる価値がある!金品に換えられぬ価値がある!やはり貴様はそれも良く分かって居る。素晴らしいぞラースタチカ!我が息子よ!」

 顔を上げれば、凶悪なまでの満面の笑みを此方に向けて、親父は俺を絶賛した。

「……なら」

「うむ、うむ!良いだろう。海賊王たるお前が、そうして己の矜持すらも地に捨ててまで求める男の情報、この私が、探ってやろう!」

 良し、やった!これでゴーンブールの真の動向が知れる。俺のちっぽけな矜持なんて、メーヴォを救い出す事に比べたら何ら惜しくない。深い溜息を吐いて、俺は立ち上がった。背後のエトワールからも安堵の気配が伺える。良いか、お前絶対にこの事は秘密だぞ?

「早速ゴーンブール海軍の裏を取ろうじゃあないか。得た情報の使役便は、お前に送れば問題ないな?どうせコスタペンニーネに留まる気も無いのだろう?ああ、まったく惜しい人材だよラースタチカ。私の後を継ぐ才能をお前は持ち合わせていた。本当に惜しいよ」

 今から鞍替えなぞせんのだろう?と視線が訴えてくる。俺は帽子を被りなおしてフンと笑い飛ばした。

「俺は海賊王ラースタチカだ。フェルディナンドの名前が惜しけりゃ返してやるぜ」

「何を言う。それこそ私の仕事にも箔が付くと言うものだ。是非今後も名乗ってくれて結構だ」

 そうだろうよ、と鼻の頭に皺を寄せて睨み返してやれば、楽しそうに親父は執務机の椅子に腰を落とした。

「さて、これで話は終わりだ。一仕事も増えた事だ。そろそろお開きとしよう」

 私は多忙なのだよ、と笑う男の顔が、最初に見た喰えない商人の顔をしていた。

「ああ、なら俺たちもさっさと引き上げるとするよ。やる事は山積みなんでね」

「そうすると良い。吉報を待ちたまえ!」

 言って、親父は机の上にばら撒かれた宝石を掻き集め麻袋に入れると、俺に向かって投げ返した。

「餞別だ、持って行け」

 まるっと返しただけじゃねぇかと言ってやりたかったが、麻袋の中に金色に光る懐中時計が入っているのが見えて、俺は思わず虫唾が入るのを覚えた。

「ケッ、質に下ろしてやる。クソ親父」

 中指を立てて見せ、俺はコートを翻して書斎を出た。大股に歩いて真っ直ぐ屋敷を出る。

「良かったですね、上手くいって」

「上手くいかない想定はしてねぇ。此処で駄目だったら、後がなかったんだ。絶対にどうにかする覚悟で来んだよ、コッチは」

「……ふふ、貴方らしいですよ」

 低く笑うエトワールに癇癪の一つもくれてやりたかったが、今はさっさと此処からおさらばしたかった。

 正面玄関の前に停まりっぱなしだった馬車に足早に乗り込んで、御者役の水夫に出せ、と短く伝えた。

 もう二度と此処には来ない。此処には関わらない。受け取った麻袋の中から金色に輝く懐中時計を取り出す。蓋の天面にフェルディナンド家の家紋が入った成金趣味の時計なんて、出所すら分かり切っていて質に下ろしたところで二束三文だ。クソ親父が、こんなもんくれて寄越しやがって。

「とっととくたばれ!」

 馬車の窓からそれを高く投げ捨て、瞬時にイディアエリージェを構えると、落下する時計を撃ち抜く。ど真ん中に穴の開いた懐中時計は、フェルディナンド家の門の前にガチャンと音を立てて落ちた。



 港に戻れば、多少の人目はあったものの、総じてこの街の人々は海賊王と言えど別段驚くものでも無いと言いたげに平穏だった。

 船の前では買い込んだ物資を積み込む作業をする面々と鉢合わせ、皆一様に結果を気にしているようだった。

「お前ら、交渉は成立した!これよりエリザベート号は当初の予定通り、グラハナトゥエーカ再興の為の計画実行に移る!メーヴォの留守に弛んでんじゃねぇぞ!」

 一喝を入れてやれば、水夫たちはみな表情を明るくして、せっせと作業の戻っていった。

「メーヴォさんの存在の大きさに、驚きますね」

「……それを一番肝に銘じてるのは俺だぜ?」

 苦笑しながら言ってやれば、ようやくエトワールも表情を崩した。

 船上で作業する面々には、すぐにこの交渉が成立した話が伝播し、俺はそれ以上の説明をするまでも無くまっすぐ船長室に戻った。

『船長殿!お疲れ様でございます!』

 扉を開けて帽子を机に投げ出すと同時に、部屋で待機していた鉄鳥が賑やかに俺の周りを旋回した。

「朗報だぜ鉄鳥。フェルディナンドの頭首が協力を受けてくれたぜ。何らかの情報が来るまで、俺たちは計画を遂行するぞ」

『あぁ、何と喜ばしい!これであるじ様の後を一歩追いかけられると言うものです!どうか、どうかご無事でおいで下さいあるじ様……!』

 お前がメーヴォの無事を伝えたクセに何を言っているんだ。

 ……真実をそれと知りながら、記憶を改竄されたその思考では、自らの言動にすら真実を見出せない。自らの見聞きした物が幻影である可能性だって否定しきれない。そんな鉄鳥のもどかしさは、俺が一番分かっている。

 だからこそ、行動出来る範囲の事は全てやっておかなければ気がすまなかった。ただ時期が来るまで待てと言うのは性に合わない。どんな手であれ、メーヴォは奪還する。アイツは、俺たちの仲間で、俺の大事な相棒で、大事な宝の鍵だ。

「鉄鳥、メーヴォの事も心配だが、アイツが居ない間に計画に遅れが出たとなれば、何を言われるかわからねぇからな。暫くは忙しくなるぞ」

『ドンと来いでございます!わたくし、こう見えて結構な力持ちでございますぞ!何なりと、お申し付けくださいませ!』

 張り切る俺たちは互いに安堵を隠して笑いあった。

「お頭!た、大変です!」

 一息入れて昼寝でもしようかとコートを置いた途端だった。レヴがノックも無しに船長室の扉を開けて駆け込んで来た。

「なんだ!何か情報を掴めたか!」

 レヴが来ると言う事は何らかの動きがあったと言う事だ。逸る鼓動を抑えつつ、俺はレヴに向き直った。

「あ、あの!メーヴォさんに、ついての情報では、ないのですが」

 はぁはぁと上がる息を整えながら前置きをしたレヴが、震える手で一通の封書を俺に差し出した。

「か、灰燼海賊団のニコラス船長から、お頭宛に使役便が届きました」

「ニコラスの大旦那から……?」

 受け取った封書には恐ろしくなるほど繊細な筆遣いで灰燼海賊団の海賊旗のマークが描かれていた。髑髏の刻まれた封蝋を剥がして中身を取り出せば、二枚の便箋に短く要件のみが書かれていた。

『話がある』『指定された日時に、指定の場所へ』『海賊王ラースタチカへ』

「……大旦那から、話?」

 綴られた達筆な文字に、底知れぬ恐怖を感じて背筋が冷えた。しかし、海賊王の冠言葉と共に綴られた宛名に、彼ならば何かを知っているのかも知れないと言う期待感も沸いた。今はどんな些細な情報だって欲しい。それが俺たちを取り囲むどんな情報でも良い。

「エトワールを呼べ!此処からの航路を決めるぞ!」

「は、はい!」

 走り出したレヴを見送り、俺は便箋を見返していた。

 灰燼海賊団ニコラスは、かつて海賊王と呼ばれた男の右腕だった男だ。それが、今現在の俺を『海賊王』と呼んだ。それが、どれ程の意味を含んでいるのか、正直俺の頭では分からない。ただ、俺をそう呼んでも良いと認めている事は確かなんだ。だから、大旦那は自らの出自を俺とメーヴォに開示してくれた。

 その大旦那ニコラスが、俺に話があると言う。ならば、それに応えぬ訳にはいかないのだ。

『船長殿、灰燼公と、お会いになるのですね』

「ああ、大旦那の身の上話以上に驚く事はもうねぇだろうからな」

 逸る心音を落ち着けるように、俺は少しだけ息を吐いた。


第八話 おわり

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