海賊とサハギンの王様
サハギン族への仲介を依頼する為、白亜の竜人オリイ氏の乗る幽霊商船ベルサーヌと合流。此方の事情を話すと彼はサハギン族への仲介を快諾してくれました。
合流したファーヴボールド島南沖から、リッツ大陸を陸沿いに北上。通常なら潮の流れが逆向きで、強い風を待って進む海域ですが、ベルサーヌ号(それの核となるキャスリン)の不思議な力に僚船となったエリザベート号も便乗する形で、潮の流れを気にする事無くヴェルリッツの北の海域へと到達する事が出来ました。
以前この海域に立ち寄った頃は乾季の頃で風が冷たかったのを思い出しました。そう言えば前回ヴェルリッツに立ち寄った時はラース船長が大変な事になって、私も肝を冷やしたものです。船医としてあの場に居合わせられたのは、船長の持つ幸運だったのでしょう。この海は私、マルトが大きな経験を積んだ海でもありました。
北の海を領土とするサハギン族との謁見を取り付けるため、ヴェルリッツの北の海に到達し早一週間。ちょっと行って来る、と海に潜ったオリイさんを初日に見送り、三日後に戻って来たオリイさんが「支度があるらしい」と言うサハギン族からの伝言を貰ってから四日が経過しました。
支度を待つ間に、サハギンの国へ行く面々が顔を揃え打ち合わせをしました。サハギン族の事を少しでも知っておく必要があるからです。
人魚の国の使者として少年水夫で人魚の国マグナフォス第十三王子アベルくん。
クラーケンの国の使者として、クラーケンの国ルルティエの戦士ルナーさん。
ヴィカーリオ海賊団からはラース船長が三国の橋渡し役として参加。そしてサハギンへの仲介をしてくれた幽霊商船ベルサーヌに乗るオリイさん。
そして意外にも、サハギンの国からの指名で蝕眼の異名を持つ、蝕の民の末裔にしてヴィカーリオ海賊団の技術者メーヴォさんが同行する事になりました。
「何故僕が呼ばれたのか分からない」
「そいつはコッチだって驚いた話さ。最近海の上で噂の人間が、蝕の瞳の民ならば連れて来て欲しいって、現王から伝達が来たんだ」
当然の事ながら、集落の入口付近で待たされ、伝令によって言伝を受けたオリイさんは、王の真意を測る事が出来なかったわけだ。
「正直に言うと、サハギンの国は内部情勢が良くねぇんだろうな。俺の知っている王から代替わりした可能性もある。憶測でしかないが、集落は廃れているように見えた」
「サハギン族ってのは、赤と青だっけ?二種類に分かれるって言ったな。で、今から行く国を構えてるのが青のサハギン族だったよな」
「そうです。人魚の国と同盟と言うか、保守協定が組まれているのが青サハギンたちの国です」
青サハギンたちの国パーヴァウィックは、他の種族たちの国に比べてとても小さいそうです。しかしその守りは堅く、恐らくサハギン王の持つ供物の武具の力で結界を張っているのではないか、と我々は結論付けました。
「サハギンの国については我々も詳しくは存じないのが現状。彼らよりは赤のサハギン族が各海で起こす紛争や悶着の方が問題視されているのが海の中の現状でござる」
ルナーさんが言うには、パーヴァウィックから離反した赤いサハギンの一族が各海に散らばり繁殖し、少数精鋭ながら他種族や人間とも揉め事を起こしているそうです。
「蒼林の東辺りじゃ赤サハギンの被害が結構出てるって聞くな。そいつらは、青のサハギンたちとは無関係で、むしろ青サハギンの奴らは評判を落とされて迷惑してるって所か」
「世界が終わりに向かうとすれば、少数で生き残るのは難しいだろう。三海種王の同盟と僕らがきっちり協力関係を組めれば、赤サハギンの問題は自然消滅すると思う」
「正直、群れて何かをしようってのは性に合わねぇが、海底から燃料を採掘しようだとか、国を起こそうってんだから、他からの協力なしじゃどうにもならねぇ。兎に角、今はアンタを信じて青サハギンからの接触を待つしかねぇな」
そうラース船長がまとめたのと同時に、ジョンが昼餉の支度が出来たと呼ぶ声が続き、我々は海上での質素でありながら充実した昼食を取る事にしたのです。
そして、サハギンの国への来訪は唐突に始まりました。
八日目の昼過ぎ、ベルサーヌ号のアナベルさんが、エリザベート号の甲板でクラーガ隊と一緒にモップ掃除に走り回っていた足を止めました。
「……船が来るわ」
それと同時にエリザベート号の右舷海面に水柱が上がり、海中の巨大クラゲの中で待機していたはずのルナーさんが甲板にその巨体を躍らせました。
「船が!船が浮上してまいりますぞ!」
一体何の事だ、とエリザベート号、ベルサーヌ号の水夫が理解する間も無く、突如停泊する二隻から十挺身ほど離れた海面が山の様に盛り上がりました。勿論投錨しているとは言え、海面に浮かんでいる船はそれに引っ張られるように大きく揺れ、波の山が割れた衝撃に発生した大波に船が傾きました。
「何でも良いから掴まって!」
「拙者の触手を掴まれよ!」
甲板で掃除を見守っていた私は、揺れで倒れ転がった水夫に手を貸し、柱に結ばれていたロープを掴んで、船が元に戻るまで耐えました。ルナーさんは半分くらい擬態を解いて、やはり転がった水夫の手を取って甲板に踏み止まってくれました。やはり人外として一番飛び抜けていたのはアナベルさんで、彼女はモップが甲板に固定され、それを支えに立っているのではないかと勘違いしてしまうほど、直立不動でエリザベート号の甲板で立ち竦んで、波の向こうに現れたそれを凝視していました。
やっとの事で波が収まり、私たちは波の山から現れたそれを視認しました。
船です。とても巨大な船です。灰燼海賊団のフリゲート艦以上の、それがまるで一つの島であるようにも見える、巨大な船。海底に長く在ったのか、マストには帆ではなく海藻が生い茂り、珊瑚や海藻が複雑に絡まり合い、まるで装甲のように船底を覆っています。
「おいおい……なんだってんだ。こんな所で何がお出ましだぁ?」
船長室で昼寝すると言っていたラース船長は船の傾きでベッドから落ちたのでしょう。渋い顔にボサボサの髪で甲板に出て来ると、突如出現した船に目を丸めました。
「なんだありゃ」
「おい、ラース船長!迎えが来たぞ!」
ラース船長の疑問の言葉にかぶさるように、ベルサーヌ号の甲板からオリイさんが叫びます。
「ありゃあサハギン王の船だ!アレが、サハギンの国パーヴァウィック号だ!」
船が国だ、と。俄かには信じられないオリイさんの言葉に、しかしそれを信じざるを得ない光景が広がっていたのです。
パーヴァウィック号の甲板には、青い体表のサハギン族が隊列を組んで並び、その中央に一際大きな個体が佇んでいたのです。
「あれが今のサハギン族の王か」
目を細めたオリイさんの視線の先で、白い大きな旗がパーヴァウィック号の甲板で揺れているのが確認出来ました。
エリザベート号の左舷側にベルサーヌ号、右舷側にパーヴァウィック号が並んで停泊し、必然的に中央のエリザベート号の甲板に要人が顔を揃える事になりました。
甲板の中央にいつものように大きな樽を置いて境界線にします。サハギン族の王とその側近二名、護衛兵四名がエリザベート号に乗り込んで来て、ラース船長を筆頭にアベルくん、ルナーさん、オリイさん、メーヴォさんが樽の前でそれを迎えました。私ですか?一応の救護班と言う建前の野次馬です。
一番前に立って乗り込んで来たサハギン族の王は、他の従者のサハギンよりも一回り身体が大きく、全体的に細身ではありますがルナーさんに負けじ劣らずの大男です。概ね人の身体に似た作りをしているようですが、体表は青く大きな目がギョロリとしているのがちょっと怖い印象を受けます。額の中央から後頭部にかけて王冠のように大きな鰭が生えているのが特徴的で、他の鰭も大きく立派です。
「使いの者も渡さず、直接来訪した事をまず詫びます。私は青サハギン族の現王、イェスタフです」
このような場を設けて頂き光栄です、とイェスタフ陛下は想像以上に穏やかにラース船長に挨拶をしました。翻訳の魔法が使えるという事は、中々高度な魔法使いのようです。
「王様ってんで畏まる場面が多かったんでね、アンタみたいにフランクなのはありがたいぜ」
「私は王位を継承してまだ数年……魔術にばかりかまけていたので、政はまだまだ見習いと言う有様です」
「……親父さんは、前王は、崩御されたか?」
オリイさんが少しだけ渋い顔で問うと、イェスタフ陛下は大きな目を伏せて一つ頷いて返しました。
「……そうか」
「三年……間も無く四年になろうと思います。前王の崩御、遺言で急遽三男の私が王位を継ぐ事になり、今でも兄たちに政を習いながらパーヴァウィックを治める事で手一杯の日々です」
苦笑して後ろに控えていた側近と思わしき二名に笑い掛けた事で、それがお二人の兄君であると察しが付きました。
「父上が私の何に期待なさったのか、ようやく分かった気がします。オリイおじ様、またお会い出来て光栄です」
「……おう。あのチビスケが王様とはな」
「ええ、王様です。なので、今日は皆様と良いお話が出来る様に尽力しますので、よろしくお願いします」
なんと庶民的な王様でしょうか。後ろに立つ兄君たちの渋く呆れたような顔に反して、イェスタフ陛下のニコニコと穏やかな雰囲気に此方も自然と肩の力が抜けてしまいます。護衛の兵士たちはそれが王の良い所だ、と言わんばかりに誇らしげな顔をしているように見えるのは、私の錯覚でしょうか。この王は、民の事を一番に考えてくれる。前王はそれを分かってらしたのだろうなぁと、勝手に私は納得しました。
「さて、そんじゃあ長い話になるんでな、海の住人が乾かないようにしながら会談といきますか」
ルナーさん一家やアベルくんの為にと、クラーケンの国で購入して来た海藻のお茶をお出しして、ラース船長が場を取り仕切りながら話を進めました。お茶を出したジョンが、この急遽の会談に出せる茶菓子がない!と大慌てで人魚の国で教わった海中種用の茶菓子の製作に取り掛かりました。
立ち話も疲れるので、とクラゲの体表組織から織り上げた海水クッションを人外種の面々に配り、人間である線長たちにはフカフカの綿製クッションが配られ、海賊流と言う体で、甲板に皆が座り込みました。
では、とラース船長が境界線の樽の横に座り、口を開きました。
グラハナ海域の海底に眠る資源の採掘、それに伴う人材確保に人魚の国から許可を得た事。地下資源採掘場と同時に浮島を造り、海賊の国を興す事。
それらに伴って浄化されるであろう海底の土地を、三海種王同盟に融通する事で、海底国家の後ろ盾を得たい事。
人魚の国マグナフォスの国王モーゼズ、クラーケンの国ルルティエの国王イェーヴがそれに賛同した事。
そして、イェーヴ女王陛下が世界の終わりを示唆した事。順を追って、時々ラース船長に代わってメーヴォさんが説明をしました。その間にお茶のお変わりと焼きたての茶菓子も配られ、ジョンが慌しく舞台裏を仕切っています。お疲れ様です。
「ああ……やはり、イェーヴ様は感付いておられたのですね」
深い溜息に背後にいた兄君たちが若い王に何やら謝罪しているような雰囲気がありました。それを諌める王の顔はやはり穏やかだ。
(若い王、と言ってもオリイさんと知り合いと言う事は二百年からは生きているのでしょうから、若いと言うのは失礼ですかね……)
そんな事を頭の端に追いやりつつ、人魚の国とクラーケンの国からの書状に目を通したイェスタフ王が、溜息とも感嘆とも付かない息を吐いて肩を落としました。
「三海種同盟は供物の剣と共に私が受け継ぎました。これを改めて強化出来るなら、私の内政にも後ろ盾を得る事が出来ます。願っても無い申し出です」
「では、この話にサハギンの国も異論はないと言う事で」
「はい、天の贈り物の瞳を持つ、蝕の民の末裔、メーヴォ師。そして進化を求めた海賊の王ラース船長。あなた方の進化と終焉の道に我らパーヴァウィック号も僚船となって共に往く事を約束しましょう」
ラース船長とメーヴォさんが顔を見合わせ、よし、と頷きあうのを見て私もホッと息を吐きました。
これで三海種の王たちに正式に認められた形で、グラハナ海域の採掘、そしてグラハナトゥエーカの再興に事を起こせるのです。
「そこでラース船長、お願いがあります。三海種王同盟を改める為に、二国の王と会談の場を設けたいと思います。サハギン族から使いの者を出して二国の王へと一報を届けます。船長には、三海種王同盟の再結託に際して、立会人として見届けて頂きたい。それは同時に、三海種王が貴方を新たな海の王として認める事にもなりましょう」
うわぉ、とラース船長が肩を竦めるのをメーヴォさんが肘鉄で諌めます。
「そりゃ光栄な事で」
「此方としても都合が良い。三海種王が揃う場で、グラハナトゥエーカ再興の確認が出来るなら願ったり叶ったりだ」
「会合の場所は、三海種の国のそれぞれの中央点に当たる『星のへそ』と呼ばれる海域があります。人間たちの国で言う、海洋国家の南西になります。私は逸早くこのパーヴァウィック号を南下させましょう」
「え、あの船が国なんだって話じゃなかったのか?国ごと南に行くって……しかもあの辺りから海水温上がるけど平気なの?」
ラース船長が目を丸めて問うと、ふふっと笑ったイェスタフ王の変わりに、ラース船長の後ろにいたオリイさんがその答えを口にしました。
「言葉が足りなかったな。サハギン族ってのは本来定住しない一族なんだ。定期的に移動して適時拠点を構えるのさ。ただ、前王の時代から此処に居たって事は、青サハギンの国の内政もガタガタだったって事だろ」
面目ありませんがその通りです、とイェスタフ王は頭を下げた。
「前王時代にオリイ様の尽力を頂き、何とか此処まで持ち直したと言うのが実情。オリイ様が去った後、二百年定住の形を取り、減った民の繁殖政策を行いました。同時にこのパーヴァウィック号を国として、そして船として強化する事も致しました」
オリイさんがサハギン族と懇意にしていた当時、サハギンの国にもなんらかの危機が訪れていたのでしょう。竜人であるオリイさんがその力を貸し、危機を乗り越えた。竜の目を渡してまで青サハギンの一族の存亡を救った。彼は救国の勇者じゃないですか。
「オリイ様、こうして我々が錨を上げ、新たに進むに至りました事を報告し、これをお返ししたく、お持ちしました」
イェスタフ王の背後に控えていた兵士が、海藻の包みを王へと渡し、それを王自らの手でオリイさんへと返還しました。
「……俺の目か」
海藻を剥がされ出て来たのは、丸い水球の中に漂う眼球でした。深い青の虹彩が、水球の中で爛々と光っているようでした。
「我々は、もうその力が無くても繁殖し、支え合う事が出来ます。これから三海種王が同盟を新たにし、終わりに向かって世界が動く中で、これはオリイ様に必要な力。長らく、お借りした事を感謝し、お返し致します」
深く頭を下げたイェスタフ王に、オリイさんは優しく目を細め、そして豪快に笑いました。
「そうか、そうか。返してくれるなら、受け取らねぇとそう決めたお前さんが困るわな。おい、アナベル!今更生身の部品が増えちまったんだけどよ、どうすりゃいい?」
水球を掲げて、エリザベート号の甲板の隅にいたアナベル嬢へとオリイさんが問いかけると、彼女は軽い足取りでオリイさんの横に並びました。肩から下げていた小箱、キャスリンをがぱっと開けると、途端、エリザベート号の甲板に寒風が吹き荒んだように、その場にいた全員がその冷気に肩を震わせました。
「此処に入れて。完全に凍ったら、オリイさんの目に戻しましょう」
「それ冷たくねぇか?」
「温かかったら貴方が溶けてしまうわ。もう貴方の体温なんて無いのよ」
それもそうか、と笑ったオリイさんが、水球の中から眼球を取り出すと、ころりとキャスリンの中へ仕舞いました。
「……オリイ様は、そうですか……凍られたのですね」
「お前さんなら、大体分かるだろ。オレはそう言う訳で、ベルサーヌって船に乗る事にした。ヴィカーリオ海賊団の仲間だ」
「それなら、私たちも共通の仲間です。また、石織りを拝見したいですし、魔法の話も聞かせて頂きたいです」
「王様に聞かせられる話なんてねぇよ」
照れた様に顔を背けたオリイさんに、一同が和んだところで、イェスタフ王がまた声色を改めて口を開きました。
「オリイ様が目覚められ、三海種王が同盟を改めるに到り、世界の終わりと称された海賊船長ラースタチカ様。そして、王の技術者たる蝕の瞳を持つメーヴォ様。私は、父から受け継いだ王の役目を果たさなければなりません」
突然名を呼ばれたラース船長とメーヴォさんが居住まいを正しました。
「我々サハギン族の祖先は、蝕の民と深く関わりを持ちました」
その言葉に、二人の背が震えるのが遠目からも分かりました。
「海底の土地を転々とする祖先たちに、船を持ち、それを国として往く事を教えて下さったのは、他でもない、貴方と同じ目を持つ技術者でありました。我々の祖先は、星のへそ近海で蝕の民に技術を提供され、そして加護の力を受け継いだのです」
さっと手を上げたイェスタフ王の合図で、先ほどとは別の兵士が王へと盾を渡しました。それを見た瞬間に、メーヴォさんが身を乗り出しました。
「アクヴォリーオガルディ。水瓶座の名を冠する、ご覧の通り蝕の民の武具の一つです。この盾の力のおかげで、我々の船パーヴァウィック号は此処まで大きくなる事が出来ました。これからは、私が供物の剣でこの船を護る番です。蝕の民へと、グラハナトゥエーカの名の元へ、これを返還いたします」
サハギン族は、弱い存在だった。それが数奇な運命の元、護られ、庇護され、そして成長し、強くなった。
きっと、あの兄君たちでは竜の目のや蝕の民の盾の返還をしなかっただろう。三種海同盟の再結託は成せたとしても、そこまでだっただろう。それが出来る弟君だからこそ、前王は、お父上は彼を選んだ。自分が護り、成長させた民を護れる力を持っていると、そう見抜いておられたのだろう。
「僕は、これまでに蝕の民の十三星座の武器を多く蒐集して来ました。こうして、人の幸せを呼び込む武具は珍しいです。それが、盾としての特性でしょうか」
それを受け取ったメーヴォさんが、盾の表に刻まれた竜の紋章に目を細めました。
「一定範囲に結界を張る力を有しています。我々はこの盾で船の守りを固め、供物の剣で敵を排除し、竜の目の力で繁殖する個体の生命力を補って、ようやく此処まで最盛する事が出来ました。これからは、二王に協力を仰ぎ、私がこの剣で民を守ります。次は、グラハナトゥエーカを守る力として、お納め下さい」
「……はは、こんなに穏便に、恭しく十三星座武器を手に入れられるとは思わなかったよ。イェスタフ王、ご協力ありがとうございます」
その言葉の後に、無駄な戦いをしなくて済んだ、と言う言葉が隠れていたような気がしましたが、メーヴォさんも流石に穏便に済ませようとしているようです。
「この同盟を持って、我々サハギン族はいくつかの恩返しにしたいと思っています。海賊王ラースタチカ殿、どうぞ、よろしくお願いします」
海賊王、と呼ばれてラース船長が苦笑いで返します。大口を叩く割に、いざとなると少し尻込みをする。それが横の相棒に突かれて、ふん、と胸を張る。そんなとっても人間臭いラース船長だからこそ、私たちは支えなければと思ってしまうんでしょう。
「まだ海賊王の名には少し早いぜ、イェスタフ王。三海種王に戴冠でもされてからにしようぜ」
それは王への態度ではなく、同盟者への協力の同意を促す動きでした。自然な動きで差し出されたラース船長の右手を、少し驚いた顔で、若く勇ましいサハギンの王が取り、サハギンとの協力を確かめ合いました。
イェスタフ王の申し出に従い、僕らは大所帯でゴーンブールの西を目指し、リッツ大陸と森海大陸の間を南下する事になった。エリザベート号とベルサーヌが海上を航行する後ろに、ルナー氏の巨大クラゲが先導する形でパーヴァウィック号が海底を航行すると言う、凄い船団の出来上がりだ。
イェスタフ王の書状はレヴが速達の使役便で送る事にした。これなら大陸をまたいでも一週間で届きます、と言う自信たっぷりの言葉に、王も魔族のその力をお借りしましょうと快諾してくれた。返信の魔力も篭めた、と言うレヴの使役便なら、返事を送り返してもらっても二週間ちょっとで事足りる。僕らが会談の場に到達する頃には、他二国の王も星のへそへと到達するだろう。
大陸の海峡を行く船の甲板で、僕はこれからの事を頭の中いっぱいに描く。
終末の戦だかなんだか知らないが、人が大勢死ぬならば清々する。その為の武器がいるならいくらでも作り出してやるとも。死の商人なんて小さい話じゃ収まらない。かつて繁栄し、多くの国がその技術力を羨んだ幻の国のように。その力に全ての者が平伏し、それを求める為に人々が血で血を洗い殺し合う。勝ち残った者が、より人々を抹殺する為の強力な武器を手に出来る。海賊の王の名の元、弱者を排他する世界が訪れるんだ。
あぁ、なんて、素晴らしい世界だ。
ふふっと思わず零れた笑みに、ご機嫌だな、と後ろから声をかけられた。
「ようメーヴォ」
「やあ、ラース。良い航海だな」
「あぁ、史上最高に良い航海だ」
ほれ、と差し出された小さめの酒瓶を受け取り、僅かに西に傾きだした空の下で僕らは乾杯した。
「なあ、メーヴォ。ここんところの事、どう思う?」
「どうって?」
出来すぎじゃねぇか?と言うラースの顔に不安が滲んでいた。
「上手く行く流れが来てて、これはそろそろ堕ちる頃なんじゃないかって?」
「そ。最初は人魚の国に、お宅のお子さんの鱗を悪用するぜってそれだけの話だったろ?」
海底からお宝を採掘する。それだけの話だったはずだ。それが、いつの間にか海賊の国の話にまでなってた。
「今更ビビッてるか?」
「おう、この半年、やべぇくらいトントン拍子で色んな事が決まって、進んでるだろ。これはそろそろ大きくコケそうだぞってさ」
僕が計画した海賊王への道が信用ならないと言うのか。そう凄めば、そんな事はないさ、とおどけてラースが苦笑する。
「此処まで上手く事が運びすぎちまって、多少の失敗が怖いって言うか、抱える物が大きくなりすぎて、俺の手に収まらなくなってねぇか、どうなんだろうなってさ」
「お前、やっぱりと言うか、ビビリだよな」
よせやい、と顔を覆ったラースに、褒めてない、と突っ込みを入れつつ、僕はそれを鼻で笑ってやった。
「安心しろラース。お前が抱えるべき荷物の量は変わっちゃいない。エリザベート号と、その水夫。アジトにいる団員で何も変わってない。ただ協力する相手が増えるだけだ。ベルサーヌ号が、人魚の国、クラーケンの国、サハギンの国がお前に協力する。お前の荷物は変わっちゃいない。むしろその負担は軽くなるんだ。三海種王たちは僕らの計画が順調に進まないと海底の土地が手に入らない。だからむしろ守ってもらえるって事なんだぞ」
「……あー!」
なんだその、今それに気付いたと言う顔は。
「そっか。そうかーなるほどな!確かにそうだ!俺たちの計画がどっかで駄目になったら、最終的に海の浄化は出来ないし、海の土地が手に入らないんだ。王様たちから責任を持つって言うより、王様たちが俺たちを支える責任を負うのか!ホントだ、俺たちの計画ってそう言う事なんだ!」
「本当に今更だぞラース。頼むぞ海賊王ラース様」
えへへーと誤魔化すようにラースが顔を緩めた。
そうだ。お前はそうやって笑って胸を張って、堂々としていなきゃいけないんだ。虚勢の王であり、虚構を実像に結ぶ為の偶像でも在り、全てを導く王である。お前は人を使い、導く者なんだ。
差し出した空瓶の底にラースが酒瓶を打ち付け、僕らは暮れ出した夕日を前に、約束を新たにした。
船団を組んで南への航路を取って一月半。時々港で食料品の補給をしながら、海上では釣りや捕鯨もしながら星のへそと呼ばれる海域近海へと到った。
ゴーンブール南西の港でアナスタシア号と合流し、一部の水夫が今後の計画のためにアジトへの帰還をする手筈を確認した。
「じゃ、行って来るな!お前も陸にいる間気をつけろよ」
「ああ、油断は禁物だからな」
要役職の面々を乗せ、エリザベート号とパーヴァウィック号が港を離れて行った。アナスタシア号に僕とレヴ(とコール)が居残り、クラーガ隊の面々も今後の工房建造に関しての計画の確認に港へ残った。
ベルサーヌ号も港に停泊し、今回は出る幕の無かったオリイさんやその他の面々がそう多くは無い物資補給と、陸地を楽しんでいた。オリイさんの右目には青の竜の目が戻った訳だが、まだ定着していない、何かの拍子に落ちてしまいそうだと笑っていた。
エリザベート号を見送った翌日。僕は変装用眼鏡をかけ、金髪のカツラを被って、いつもとはまったく違う色のロングベストを身につけて身支度をした。鉄鳥は懐に隠し持つ。マルトと一緒に練習した例の変装技術がこんな所でも役立つ。アナスタシア号の甲板に出たら、船長のジェイソンさんが「あれ?どちら様で?」と声を掛けてきて笑ってしまった。
「すみません、僕です、メーヴォです」
「あ、あぁービックリしたぜメーヴォさん。目も違って見えるし、完全に別人だな」
「ちょっと町に行って来るんで、その為の変装です」
「なるほどな。一応アンタ重要人物だからな。気をつけてくれよ」
「レヴも付いて来るって言ってるんで、平気ですよ」
「おお、そうかい。じゃあ、たまには羽根を伸ばして来いや」
行って来ます、と言い残して、僕らは船を降りた。
小さめの港町に大きめの商船が二隻停泊していると言う事で、町の中は多少賑やかだった。雑貨屋の少ない品揃えの本棚から数年前に発行された技術書を見つけて購入し、その足で喫茶店へと向かった。酒場はごろつきやならず者も多い。酒は船でいくらでも飲めば良い。喫茶店なら静かに本を読めるし、僕を狙うような輩は喫茶店には立ち寄らないだろう。
『さすがあるじ様。状況を吟味されて最高の手を考え抜かれる』
……流石に僕だってもう学習したって話だ。酒場で何度騒動を起こした事か。
商店街の末尾に、老人たちの憩いの場としてかろうじて残存するような喫茶店へと入り、珍しい一見さんに顔を綻ばせた老主人に紅茶はあるかと尋ね、安物で良ければと返事を貰ってカウンター席に陣取った。
手荷物の本を取り出せば、紅茶を出してから老主人が話しかけて来る事も無く、僕は薄めの紅茶で口を濁しながら、ゆっくりと読書に集中した。
どれ程時間が経っただろう。不意に、隣の席に男が座った。
席ならば他も空いているだろうに、と思った瞬間、その場に何らかの結界が張られたような違和感を感じた。ドラゴノアの巫女から加護を受けてから、以前より魔法の感知が出来る様になったが、まさかこんな所で事を起こそうとするヤツが居るなんて!
『鉄鳥、分かるか?』
『……あるじ様、いけません、これは、いけませんぞ』
レヴ様の気配が途絶えました、と鉄鳥の言葉が続いて血の気が引いて後頭部がジワリと熱を持った。ああ、くそったれ!
「蝕眼のメーヴォ。ようやくその姿を捉える事が出来た」
髪色も目の色も変装で変えたと言うのに、横に座った男は確かに僕の名を呼んだ。長い赤い髪をまとめた中年の男。顔立ちは端整で、老主人によって差し出されたティーカップを取る仕草は優雅ささえ感じられた。
「間に合ってよかった。君に用事がある。このカップの中身を空にしたら、同行願えるだろうか」
誰が行くか、と喉まで言葉が出かかった瞬間、背後に気配を感じて僕は押し黙った。この結界を張った主だろう。僕ですらそれが強大な魔力を放つ何者かである事が感じられるほど、それは存在感を顕わにしていた。
この危機的状況にも関わらず、喫茶店の老主人も、客の老人たちもボケてしまったと言うにはおかしいほど、平時と変わらずカウンターの前に立ち談笑を楽しんでいる。
「……細工したのか」
「話が早くて助かる。此処の住人たちを人質に君の同行を願ったところで、君は気にせず逃げ出すだろうと思ってね。先に手は打たせてもらったよ」
闇の中に居る彼には、状況を持ち帰って貰わなくては困る。と言葉が続き、今頃レヴが青ざめているだろうと思うと申し訳なさで眉間に皺が寄った。
「……目的は何だ」
「君の誘拐、と言うところだな、メーヴォ=クラーガ」
「海軍提督が単独で、直々に僕を逮捕か」
「違うね。言ったよ。誘拐だと」
睨みつけた先で、ゴーンブール海軍提督クリストフ=アンダーソンが不敵に笑った。
四章五話おわり




