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幽霊船と竜人

 人魚の国に引き続き、クラーケンの国で商談交渉に行ったはずのラース船長他一同が、良い話と悪い話の二つを持ち帰って一月。次の目的地である北の海を目指しつつ、途中停泊した港で物資補給と同時に情報収集をしたレヴが、浮かない顔で船長を訪ねた事で、恒例の作戦会議が開かれた。

「石織の竜人、白亜のオリイと言う人物について調べる事が出来たんですが……」

 なんとも歯切れの悪い情報屋レヴの言葉に、難航するんやろうな、とその場におった一同が察した。レヴほどの情報通が完璧な答えを出せんと言いよどむっちゅー事は、つまりそう言うこっちゃ。

「とりあえず分かった事だけで良い。その後の事はそれを聞いてから考える」

 ラース船長の言葉に、小さく返事をしたレヴが結果を報告した。

「オリイと名乗った竜人族の男性は、人間の商人に雇われて特殊な『石織り』をしていた記録がありました。ただそれも随分と古い商談記録を探ってようやく出て来た情報です」

 レヴが調査出来る情報網は、主に人種らの活動履歴や商談記録などが主力や。海底の情報は大して調べられんそうじゃ。

「石織りと言うのは、自然界の魔素を収束させて結晶化する、竜人の一部が使える高度な魔法技術です。彼が商人と契約して石織りをしていたのは既に百五十年ほど前の話で、最後に彼を雇用していたのがアデニチェル家である事は分かりました。ですが、現在アデニチェル家は没落して、跡取りの長男が失踪。長女が婿を取って存続していますが、ほぼ一般家庭と変わらない様子でした」

「で、オリイについても知らねぇと」

 はい、と俯いたレヴに手元の籠を差し出してやれば、ちぃっとだけ顔を明るくしてビスケットを口にした。浮かん顔やなぁ。何でも調べられるっちゅう自信がぐらつけばしゃあない話や。もそもそとビスケットを飲み下し、レヴはそれでもと口を開く。

「アデニチェル家は先代、現在の頭首の父親が事業に失敗したとかで没落したそうです。祖父、曽祖父の代の情報を改めて検索中です」

「船長殿、某からも知らせでござる」

 巨体のルナーが挙手と共に一歩前に出る。薄曇が日を遮る甲板の上、主要役職の面々と共にルナー、樽入りのアベルが情報開示に揃っとった。

「城の情報通に話を通して調べさせました。白亜のオリイと名乗る竜人は、サハギン族のある部族と懇意にしており、その部族の為に竜の目を譲り渡したとか」

 竜人族の連中は基本的に単独で行動し、あんまし他人と干渉せんのが一般的や。一人でも強大な力を持ち、ドラゴンを使役するとか使役されるとか、色んな噂があるが、最近ではその存在次第が珍しいくらいには減ってもうた種族や。

「強大な力を秘める目を譲渡する程サハギンに入れ込んでいたようですが、その後は人種の社会に紛れ込み、サハギンとの繋がりを絶ったそうでござる」

 人社会に入り込み、石を織る力で雇われ、財を成し富を得て失踪しよった。何がしたかったんやと不思議に思えるが、その見えないところに、ワシらの力になる何らかの理由が隠されておるんじゃろう。

「人魚の国からはあまり良い情報は得られませんでした。ただ、サハギン族について少し……」

 言うてアベルが報告したのは、サハギン族は一枚岩の国家集団ではなく、現在王として供物の武具を持ち、一族を統治するのは青サハギンの部族である事。それとは若干種の異なる赤サハギンの一党が王家に反発し、内戦状態にある事を告げた。

「国境付近で他種族と小競り合いをするのは決まって赤サハギン族です。彼らは王族の意向に沿わず独自に領土を広げようと画策しているそうです。なので、青サハギンの一族からも敵視されていると……」

 渋茶でも口にしたようなシワシワ顔のラース船長が盛大な溜息と共に

「そう言う話ほんっとうにわっかんない!」

と諸手を挙げたところで、副船長はんがやっぱり渋い顔で

「我々の障害は赤サハギンの一族であり、青サハギンへの仲介役となる竜人を捜査しなくてはいけないと言う事です」

と現状を簡潔にまとめてくれはった。流石やなぁエトワールはん。

 で、そのオリイはんの情報を探して方々に情報提供を呼びかけているっちゅう訳や。

 五強と言われる他海賊団にも報酬を弾んでレヴやマルトの使役獣で便を飛ばしぃの、レヴはレヴで独自のツテで情報を集めとる。

 そんな中、ワシにツテがあるかと言えばそんな事は無く。精々今連絡が取れるのは幽霊船水夫になっちまったピエール元船長くらいのもんや。何でもええから情報が欲しい言うもんで、ワシの名義でマルトの使役獣である青翅蝶で便りを送ったところや。報酬にはうんまい炎龍鍋を驕るとも一筆書いてやったんや。そうすりゃ例の不死者の女子も協力してくれるかもしれん、てな。

 五強海賊の他からの情報も大体レヴが調べられた情報と変わらんかった。レヴやルナー、アベルらの情報がそろって尚、ワシの出した便りの返事は返ってこん。不死者になってもうて時間の感覚を違えてもうたんやろ、と暢気に構えて作戦会議でビスケットの籠を回して終わった時や。

 ふわり、と甲板の上に青い光が降り立った。ピエールのところに使いに出しとった使役便や!空になったビスケットの籠に降り立った青翅蝶がふわりと消えると、籠の中に一通の封書が残った。

「おい、ジョン。それ何処からの返事だ?」

「……ピエールんとこからや」

 恐ろしく整った著名に見覚えがあり、ワシはそいつを開封し、メッセージカードを広げた。

「なんだって?」

「……なあ船長。最近のワシらはおっそろしい運の中におるようじゃぞ」

 思わず込み上げてくる笑いを抑え、ワシが差し出したカードを手に取ったラース船長がそれを見て「は、はっ!」と笑った。




 久方ぶりに目が覚めた。目を醒ましたところでそこに日の光は当たらない。目を開けても閉じていようと闇である事は変わらない。

 ぐっと動かした身体には珊瑚などが付着していて、動く度にバキバキと音を立ててそれらは崩れ落ちた。吸い込んだ息は水と共に体内に入り込もうとするが、展開しておいた水中呼吸の法程式によって浄化され、酸素だけが肺に吸い込まれる。

 日も届かない深い海の底で、俺は目覚めた。どれだけの間眠っていただろうか。どうやらまだ世界は惰性の中に在るようだ。さて、久方ぶりの海と人界を見てやろうか。

 身体に付いた珊瑚や貝、土を落としながら海面を目指す。海中に漂う魔素の量に若干の変化があった。海に魔素が満ちている。何らかの因子が働き、海が、世界が動き出している。そんな予感があった。だからこそ、今こうして目が覚めたのかも知れない。

 竜人族の端くれ、世界を覆う神の意思とでも言うべき、大きな魔素の働きは感じられる。神がようやく終焉に向けて動き出したのだ。さて、では俺はどう言う役回りを得るのだろうかな。これは楽しみだ。

 真っ直ぐに海面を目指し上昇を続けると、水圧に適応していた体中がギシギシミリミリと軋み出した。海中の魔素を引き寄せ集め、体内に巡る魔力の流れを補強する為に取り込む。軋む身体に即席の回復魔法を重ね掛けした、急速再生の法程式に魔素を燃焼させながら、俺は海面へと到達した。

 水中呼吸の法程式から肺呼吸へ切り替え、肺いっぱいに空気を吸い込んだ。

「ぷっはぁ!」

 さぁて、海の上に漂い出てどうしたもんかな。その昔は客船から飛び降りて海の潜ったものだから、帰りの手立てなど考えても居なかった。兎に角早いところ身を隠したかったのだ。運良く船舶が通る事もあるだろうか。

 ぐるり、と周囲を見ようと首を回した瞬間だった。不意に上から影が落ちた。

 ごつん、ごりごりごり!

 次の瞬間には体が何かにぶつかって、それの下へと巻き込まれていた。再び水の中に引き戻され、それが船であると察しが付いた時には、既に俺は竜骨の下敷きになっていた。竜人が竜骨に轢かれるってどう言うジョークだ?

 ごりごりごろごろ。海中であるのを忘れるくらいに硬い樹の船底に轢き擂られて、ようやく俺は船尾へと転がり出た。俺の上を通り過ぎて行った灰色の船の船尾楼に人影が見えて、思わず俺は叫んだ。咄嗟にキチンと声が出たのは行幸だった。

「なにしてくれてんじゃワレェ!ヒト轢いて何も言わねぇつもりかコラァ!」

「……元気そうね」

「引き上げるぞ、念のため」

 海面に漂う俺を見下ろしたのは、巨躯の人狼とその肩に乗った少女の二揃えの目だった。


 小さな箱を肩から下げた少女、大柄な体躯の人狼、ペストマスクの男、冒険者風の平凡な男。それがその船の主要な乗組員だった。

「大きな角に白い髪の貴方は誰?」

 船に引き上げられ、掠り傷一つ無い頑丈な俺に驚きつつも、少女が俺に話しかけてきた。ごわごわのタオルで身体を拭きながら、熱風の法程式を展開して身体を乾かした。

「俺は白亜の竜人。オリイってんだ」

「なるほどね、だから頑丈なの。私はアナベル。商船ベルサーヌ号の水夫よ」

「幽霊商船、の間違いじゃねぇのか?」

 そう言葉を返せば、アナベルと名乗った少女は「あら」と微笑んだ。

「話の早いのは竜人だから?分かるの?」

 そりゃあこれだけ異様な魔素が漂っていれば否応にも分かると言うもんだ。

「生気の無ぇ水夫たちにお嬢ちゃん。この船全体を覆っている魔素はこの通常世界のもんじゃねぇ。魔界か死界に通じる狭間の魔素だ」

 あらあら、と少女は老婆のように老獪に微笑む。

「大きな角に体の鱗、宝石の目の竜人さん。オリイさんはどうしてこんな海の真ん中に浮かび上がって来たの?」

 突然浮き出してきたからベルサーヌの舵を切れなかったわ、とアナベルは不思議そうに、しかし楽しそうに言葉を紡ぐ。

「おう。ついさっきまで、海の底で寝てたんだ。少し前まで人間と契約して遊んでたんだがな。そいつが死んじまって、遺産相続に俺の処遇がどうしたこうしたって話になってな。面倒クセェから海ン中潜って寝て待ってた」

「果報は寝て待て、ね」

「で、今は海賊歴何年だ?」

 問うと、アナベルは横に居た人狼に視線で問いを投げ渡した。覚えてないのか。幽霊船の水夫ならばそんなものか。同じように呆れたような溜息を一つ落とし、人狼が思いの他落ち着いた声色で俺の問いに答えた。

「今は海賊歴五八四年、世界歴で言うと二三五六年だ」

 寝ていたのは百二、三十年と言うところか。であるならば、アイツの子孫も代替わりして追い掛けられるとかそう言う話もなくなっただろう。

「ふんふん、なるほどな。ならニルの関係者も早々には出会わねぇだろう。これでまた清々と遊べるってもんだ」

「ニル?ニルなら此処にいるわよ?」

 はぁ?目を丸くした俺に、アナベルが冒険者風の男を指差した。男はハナムシでも噛み潰したような苦い顔で「自分に振るな」と言いたげに顔を逸らした。

「おめぇもニルってのか」

「……それは愛称。俺はニーデンベルク」

「ニル・ジではなかったか。まさかと思うが、お前アデニチェルの子孫か?」

 言葉にならない言葉が僅かに口から漏れ、動揺が顔に出ていた。

「これは長い話になりそうだな。御仁、船で轢いてしまった無礼の詫びに飯を出そう。長く眠っていたなら腹も空いているだろう。話はゆっくりその場で」

「ハァ?オイ、ワン公!その流れだと俺様がまた面倒事を引き受ける事になるだろうが!」

 人狼が場を制し、場所を変えようと提案したところに、ペストマスクの男が恐ろしい早口でそれを遮った。

「ビル、アンタの腕は世界一だって分かってんだ。この海のど真ん中で一宿一飯の恩義礼儀が、これ以上なく最短でこの御仁を納得させる最善の手だと思わないか?」

「ほぉーなるほどなるほどな。獣の分際で礼だの仁義にばかり背を正すのは狼ゆえの性質か?良いだろう、良いじゃあないか。俺様の腕が竜の胃すらも掴める事を証明してやる」

「ええ、それが良いわ。よろしくねビルシュテレン」

 人狼の言葉を後押しするようにアナベルも口を開けば、すっかり載せられたペストマスクの男、ビルシュテレンは船内へと大股で歩いて行った。

「助かるわピエール。貴方のそう言う采配、ありがたいわ」

「立ち話をするにはこのお客人、話が込み入っていそうだからな。そらニル。逃げるんじゃないぞ」

 既に三歩ほど輪から離れていたニーデンベルクに人狼ピエールが釘を刺した。

 何にでも首を突っ込んでいったニルとは正反対の反応を見せるニーデンベルクに、世代が変わったものだ、と内心呟いた。


 食堂に通され、大柄な人狼ピエールが食前酒だと言ってエールを出してくれた。こんな海の真っ只中で温くなっちまったエールなんぞ、と思ったが、一先ず礼儀だとグラスを手に取るとそれがキンキンに冷えていて驚いた。

「不思議に思うか?この幽霊船ベルサーヌは冷却に関してはピカイチでな」

「飯の生気まで吸い取って冷やしちまう訳でも無かろう。この船のカラクリについては後々聞き出そう」

 それを聞く事が叶うかな?と苦笑した人狼ピエールは、諦め切れずにソワソワと落ち着かないニーデンベルクにも食前酒のエールを注いだ。

「人との出会いは何らかの意味があると言う。そろそろ腹を括れ。人の繋がりはそう簡単に切れるものではないと言う事だ」

「……クソ、こんな所まで来て家の話を聞きたくはなかった」

 がっくりと項垂れるニーデンベルクに苦笑する人狼ピエールと、変わらず微笑を崩さないのがアナベルと言ったあの少女だ。あの少女が実質この船の船長だ。場を支配する確固たる何かを持っている。

「さあ!用意出来たぞ貴様ら!その凡俗な胃に俺様の上出来で最高のランチを見舞ってやろう!」

 沈んだ食堂に自信たっぷりの大声が響き渡る。仕立て屋だと聞いたが、手先の器用さや味覚が優れている点などで料理もこなすそうだ。

 焼き立てだろう丸い白パン、玉ねぎとベーコンのスープ、サーモンのムニエルが並んだ。船の上でこんなに豪勢な飯が食えると言うのは、客船でも早々にあるまい。高々百二十年そこらでそこまで技術革新があったと言うのか?

 エールで喉を潤し、スープの玉ねぎを口に含めば、くたくたに煮込まれたそれは口の中で甘さを伴ってふわりと溶けた。パンは表面に塩がまぶされていて、小麦の甘さが引き立って美味い。サーモンのムニエルは塩加減が絶妙で、パンを頬張るのが止まらなくなった。食後に出されたオレンジもキンと冷えていて、食後酒のグラッパと良く合った。

「さて、昼食の後の腹ごなしに、話を伺えるだろうか」

「おう、俺もそこの若いニルに色々聞きてぇ」

 名指ししたニーデンベルクは俺が話すことは無いとでも言いたげに顔を逸らしてばかりだ。

「ニル、放浪癖と手癖の悪さで此処に留まる事になったツケを払う時が来たのよ。いい加減、貴方もこの船での生活を良しとしてるのだから、過去の話は吐き出して捨てると思いなさいな」

 アナベルの諭すような言葉に、ぐっと口を噤んだニーデンベルクは、観念したように視線を俺に返した。

「俺の家は確かに貴族のアデニチェルだ。だけど、父の代でアデニチェルの爵位は返還された。爺さんたちがどんな事をしていたのかは、ろくに知らされちゃいない」

 早口で捲くし立てると同時に「今の俺はニル=アルヴィングだ」と言葉を締めた。

「なるほどなぁ……やっぱりあの息子に孫は、アイツほどの才能はなかったって話か」

「ふぅむ、オリイさん。アンタはニルの家の事を何処まで知ってるんだ?」

 口を噤んだニーデンベルクに変わって、人狼ピエールが言葉を投げた。

「俺が知ってるのは、ニル・ジ=アインテ=アデニチェルの奴の事だけだ。アイツは貴族でありながら世界各地を冒険して回り、多くの種族から信頼を得た馬鹿野郎だ。何処と何処の家の家主が喧嘩してると聞けば仲裁に入って最善策を押し付けて回る、そう言う傍迷惑な野郎さ」

 溌剌として、時々突然へこんだと思えば、美味い飯と美味い酒ですぐに機嫌を直す。どんなことにでも全力でぶつかって行くような馬鹿な男だった。だから俺も惹かれた。

「俺もそうやって仲介されて奴に丸め込まれた口さ。サハギン族との揉め事を適当な所で切り上げて、人間社会に身を隠す為に奴について行ったのさ」

「随分と人誑しだったんだな、ニルの爺様とやらは」

「ニルジ爺さんは俺のひい爺さんに当たる。顔も知らなければ、そんな話だって聞いた事無い」

「まあ、そうだろうな。ニルの得た信頼ってのは、そのまま奴の稼ぎ口になった。俺の石織りもそうだが、色んな種族の技術者とのパイプは遺産としては莫大だ。そう簡単に管理出来るもんじゃあねぇ。だからアイツが死んだ時にはその遺産相続だって言って、そりゃあもうとんでもない騒動になったんだ」

 ニル・ジは結婚して身を落ち着けたが、世界各地を渡り歩いた事、各地の技術者と連絡を取り続けていた事、頻繁に技術者の下を訪れてはその工芸品や職人の作った品々を買い上げていた事が仇となった。その死の間際に自分が愛人だとか、隠し子であったと、様々な理由をつけて奴の遺産を狙う輩が現れた。

「本当に馬鹿な男さ。そう言うポッと出の輩にまで金を残したいと言い出してな。馬鹿を言えと妻と息子がそれを阻止したがな、結局息子に技術者たちの連絡先は半分ほどしか伝えられず、技術者たちへの解約金がそりゃあ良い金額支払われた。俺もそうやって切られた口さ」

 ニルジの息子がその後どうしていたのかは知らない。金をもらってニルジを弔った後、息子たちに残って欲しいと言われたが奴らに義理は無かった。たらふく食って客船に乗り込むと、海のど真ん中で飛び降りて潜った。そして寝た。

「此処で偶然ニルジのひ孫と出会えたのは、まあ何かの縁だろうな」

「……俺は、そう言うのを信じないほうでな」

「何を信じるかは、お前の自由さ」

 そう笑ってやると、ふふ、とアナベルが楽しそうに笑った。

「ニル、貴方の事を知る事がようやく出来たわ。意外と面倒な生い立ちだったのね」

「……爺さんが各地にいる職人と契約してパトロンをしているのは知ってたけど、その事業を引き継いだ親父が遊び呆けて全部駄目にした。俺と姉は母に連れられて別居して……母の実家も中流貴族だったから、金に困る事は無かったけど、いつも母は親父の愚痴を口にしていた。あんなの、もう聞きたくなくて家を出たんだ」

 搾り出すようにニーデンベルクは吐き出した。

「そう、それが聞けて良かったわ。もう貴方の耳に母親の声は届かないわ」

「……ああ、そうだな。もう、家の夢を見ることも無い」

 溜息をついたニーデンベルクの顔は、何処か清々しかった。


「さぁて、今時分のニルについては分かった。で、アナベルと言ったな嬢ちゃん。今度はアンタの話を聞かせてくれ」

「あら、私?私はしがない商船水夫よ」

 嘘を吐け、とその言葉を一蹴し、俺は少女の目を睨み付けた。

「死界の魔素をこれだけ濃く纏った幽霊船なんぞが存在してたまるか。この船は幽霊船ですらない、死界そのものだ」

 フフ、と少女が笑う。老婆が笑うように、魔女が微笑むように、薔薇が綻ぶように、少女は嗤う。

 なんでもお見通しなのねと言って、少女はテーブルの上に小振りなチェストを取り出した。ベルトが付いていて、常にアナベルが下げていたものだ。

「おい、アナベル。良いのか?」

 人狼ピエールがそれに釘を刺した。

「別に良いのよ。此処まで察しが付いている相手に、秘密にする必要も無いわ」

「……御仁、貴殿の過去を聞き、仲間の親族の関係者であったとは言え、完全に貴殿を信じた訳では無い事を俺は口にしておくぞ」

 少女の安寧を望む守護たる人狼が余所者を警戒する。御伽噺の定番で、良くある話だ。故に、それの予想は付いているとしても、俺は試したくなるのだ。誰かに似てお節介になったものだと、自身を嘲笑いながら面倒事に首を突っ込みたがる。

「ならどうしたら信頼とやらを得られる?俺もお仲間になれば問題はねぇか?」

「それがどう言う意味か、分かっていっているのか?アンタは」

「こちとら竜人だ。半分近くは眠っていたとは言え、既に三百年は生きて、生き飽きて退屈してんだ。お前らみてぇな風変わりな連中にどうこうされようと、今更の話だ」

「生き飽きているなら、良くない話よ。貴方は言ったわ、此処は死界の船だと」

 少女は口にする。老婆が諭すように、魔女が誘うように。

「死を望むならば陸へ送るわ。些細な生を貪るのなら仲間として歓迎する、それが幽霊商船ベルサーヌ、そして、キャスリンの導きよ」

 ひやり、と空気が変わるのが分かった。海底でも感じた事のない、骨の髄、臓腑の奥底まで凍りつかせる冷気。それを発しているのは、他でもないアナベルの持つ小箱だった。

「なるほど、生きる事に執着し続ける妄念が必要って事か。確かに生き飽いてたらよくねぇ話だ」

 けどな、と俺は言葉を続ける。

「おめぇらみてぇな面白い存在がこの百年の間に出て来たって事は、今世界中が面白しれぇ事になってる真っ最中だ。それを最後まで見るには、この船はある意味最高の舞台って事じゃあねぇか。逃す手があるかよ」

 込み上げてくる高揚感に、口元が歪むのが抑えられなかった。

 そう、と何かを納得したように微笑んだアナベルに、横に座っていたピエール、興味無さげだったニルまでも此方を伺っていた事で、全員の承認が得られたのだと察した。

「蛇が微笑んだ知恵の実よ、どうぞ食べて」

 ガパリ、と開いた小箱の中から、アナベルが一つの林檎を取り出して、俺へと投げた。

 手にとってその冷たさに思わず取り落としそうになった。

「ヘルレデイスの氷壷、私はキャスリンと呼んでいるけれどね。洗礼をどうぞ」

「なるほど、死の国の食物か。確かに、死界そのものの船だ」

 牙を立てて林檎に齧り付けば、永久凍土に牙を立てたように頭にまで冷たさが響き渡った。

「ようこそ、ベルサーヌへ」

「おう、世話になるぜ」

 ふん、と鼻息を鳴らしたピエールが、守ってもらわねばならぬ決まりがある、と口を開いた。

「キャスリンで生成されたヨモツヘグイ……俺が勝手に呼んでいるだけだが、死の国の食物を口にしたアンタは無事に不死者の仲間入りを果たした。どんな攻撃を受けようと、肉体を損傷しようと、今の形に復元する。ただし、今後定期的にこのヨモツヘグイを食べなければ、その身体はあっと言う間に融解する」

 ヘルレデイスの氷壷の洗礼を受け、幽霊商船ベルサーヌの仲間になった者の掟はこうだ。

 一、不死者の身体はキャスリン(ヘルレデイスの氷壷)の創り上げた結界の中、ベルサーヌ号の周辺で有効となる。

 一、上陸した際の下船時間は三時間まで。それ以上船から離れると肉体が融解する事。

 一、不死者となった者は定期的にキャスリンで生成された凍った食物を摂取する事。怠ると身体が融解する。

 一、年に一度、二十日間連続して死の国に帰還して休息を取らなければならない。

 他、無闇に不死者の仲間を増やさない事、キャスリンの事を外部に漏らしてはいけない、など。

「私たちはつい先日、死の国へ二十日間の休息に行ってきたばかりなの。オリイさんはこのタイミングで仲間になったから、来年の休息には一緒に行けそうね」

「なるほど、此処は要するに氷付けの保管庫か。俺たちは氷漬けにされたワケで、保管場所から離れれば溶けるし、再冷凍しなければ溶ける、と」

「察しが良くて助かるわ」

「その箱は、キャスリンは何処で手に入れた?」

「物心ついた頃には持っていたわ。私、捨て子なの。海を漂っていたところをこのベルサーヌに拾われた」

 後はお察しの通りよ、とアナベルは手元のカップを引き寄せ、中の紅茶を一口啜った。

「この後の予定は?」

「キャスリンが導くまま、気ままに海を漂う、と答えたいところだけど、何処かの港に一度停泊するわ。食糧を買い込まなくちゃ」

「なるほど、ならば適当に今時分の情報でも仕入れるとするかな」

 話が付いたな、と思ったところで、食事の片付けを終わらせたらしいペストマスクの男がまたも大声と共に食堂に入って来た。コイツはそう言うタイプらしい。

「話が付いたな?よし新入り、貴様の得意技は何だ?それで金稼ぎが出来るならば甲板掃除係りは免除してやるぞ!そして見ろ!全員見ろ!また厄介事が舞い込んで来たぞ!にっくきヴィカーリオ海賊団からいつもの使役便だ!ええい、忌々しい!また何の実りも無い仕事を押し付けに便りが届いたぞ!あの船長の鼻と技術者の蝕眼を得る為だとは言え、こんな小間使いをさせられて良い訳が無い!そうだ!良くない!だが着てしまった物を見なかった事には出来ない!それ!」

 良くそれだけ喋れるものだ。聞いているコッチの喉が渇く。ペストマスクの男、ビルシュテレンがアナベルに一通の手紙を渡すと、それはそのまま横のピエールへと横流しされた。

「貴方宛てよ」

「ふむ……ジョンからか」

 大きな体躯から見ると手紙がやけに小さく見える。ピエールが開封した手紙に目を通す頃には、ビルシュテレンとニルが食堂を後にしようとしていた。此処の面々は随分自由に行動しているらしい。

 じっと此方を見る視線に視線を返せば、手紙を読んでいたピエールと目が合った。

「なんだ?」

「……オリイさん」

「オリイでいい」

「オリイ、アンタ、白亜の竜人、と名乗ったな?」

 そうだが、と返すと、ピエールは人狼特有の表情の読めなさが嘘のように笑っていた。

「石織りの、白亜の竜人オリイ。アンタが浮き上がってきたのも、ベルサーヌがそこに通りがかったのも、何か大きな運の上に流れていたんだろうな」

「ピエール、ジョンさんからの手紙、なんて書いてあったの?」

「オリイ、アンタ辛いモノはいける口か?アナベルが大好物の炎龍鍋を馳走してくれるって、知り合いからの招待状が届いたぞ」

 はぁ?辛いものは好きだが、度が過ぎると食えんぞ?

 あらやだ嬉しい!と喜ぶアナベルを他所に、狼の口が大きく笑った。

「アンタはサハギンと因縁があったそうだな。俺の知り合いの海賊船長が、アンタの事を探してるってよ」

 海賊が、俺を?それにサハギンが何でって?おい、早々にその役回りが回ってきたって事か?これは本当に面白い事になってきやがった。

「おい、詳しく聞かせろ」



第三話おわり


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