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海賊と海軍提督

 グラハナトゥエーカ再興計画について話し終える頃には、日はすっかり暮れていた。

「素晴らしい!」

 計画の全貌を聞いたクリストフ提督はパンと手を叩いて、まるで子供の様に喜んだ。

「いい加減にしとけ!何時だと思ってんだ」

 それとは反対に、イライラと顔中で不満を訴えるヴィヤーダが時計を指差して提督を咎めた。

「流石に俺の幻術だって限度がある!早く飯食うぞ」

「分かったよヴィヤーダくん。さて、楽しい閑談の時間は一先ず終わりのようだ。君たちの冒険の話はまた聞かせてくれ。それよりも明日、君の処刑の打ち合わせをしよう。それが急務だ」

 今日はすっかり話し込んでしまったね、と苦笑して提督は席を立った。

「この部屋は特別製だ。そのミニキッチンは好きに使ってくれて構わない。軽食くらいは好きに食べてくれたまえ」

 此方の返事を待つ前に、提督と供物の青年は部屋を去って行った。

「……はぁ。提督相手に語り部なんて、冗談にも程がある」

『しかしあるじ様の話は聞き易く、わたくしも聞き入ってしまいましたぞ!』

『気楽に言ってくれるよ、お前は』

 固まってしまった身体を伸ばして、僕は上等なソファに変装用のコートを投げてミニキッチンへと移動した。紅茶のセットが一揃えと、パンの入った籠、ジャムの瓶、干した肉や果実の入った瓶が並んでいる。キッチンと食料の入った棚、その横の扉にはご丁寧にトイレの表示があった。

「此処に篭って蝕の民の遺した書物を解読をしろって話か」

 風呂はどうするんだと言ってやりたかったが、トイレを覗くとシャワーが併設されていて、完全にこの部屋だけで生活が出来る状態だった。手が込みすぎている。

『先ほど提督はこの部屋は特別とおっしゃっておりましたが……』

『まさか、此処まで引き篭もりに優しい仕様だとは思わなかったよ』

 こんな研究施設はヴィカーリオ海賊団でも与えられなかった。ちょっと此処で研究して帰りたいが、そうも言ってはいられない。時計の針は既に夜の七時を越えている。流石にラースが心配している頃だ。きっとレヴからの報告も行っているだろう。

 せめて此処があの街の何処なのかくらいは把握して、鉄鳥だけでも帰らせて僕の無事を報告しておきたい。

 そう思って、すっかり夜の帳に支配された窓辺へと足を向ける。ガチン、と鍵の掛かった取っ手に半ばやはりか、と吐こうと思った息が喉に詰まった。

「……何だ?……此処は、何処だ?」

 窓の外に広がっていたのは、港街特有の夜に賑わう酒場などの明かりの無い、まばらな街明かりの夜景だった。

 僕を攫ったあの街では無いのだけは確かだと言える。港街では夜が一番活気付くからだ。酒場の明かりすら遠く小さい、街灯もない内陸の街のように思える。そうだ!港の夜独特の、衝突を避けるために点けられる船尾灯の列が見えないんだ。

 一体どのタイミングで転移魔法を使ったんだ?あの喫茶店から去る時は、確かに彼らに両脇を固められて路地裏を歩いた。海軍の駐屯所らしき大きな建物に入った。提督へ敬礼する兵士を見た……。

 待てよ?確かに海軍の建物に入って、兵士ともすれ違ったが、誰も僕を捕らえた事を喜んだり、提督の活躍を労ったりしていなかったぞ?つまり?つまり、僕とレヴを遮断した結界はその後も僕を外界から遮断し続けていたと言う事か?

 僕を捕らえた事を隠蔽しつつ、しかし偽の処刑を行うと言った。明日その真意は語られるのだろうけれど、あの提督、流石に供物の契約者だと自称するだけの事はしているらしい。強いてどのタイミングで転移したのかと仮定するならば。

「……この部屋に入った時、か」

 当然外から鍵が掛けられて空かないドアノブを一握りし、僕はようやく出て来た溜息に今日の所の敗北を認めた。

 ミニキッチンから簡単な夕食になりそうなパンやドライフルーツを見繕って、テーブルに夕食として並べた。二つに割ったパンの間にフルーツのジャムを塗って、ドライフルーツを挟んで食べる。船内でもたまにやる甘い夕食に舌鼓を打って、金持ち海軍の上等なドライフルーツの味を噛み締めた。



 翌日、ソファで寝起きしシャワーも浴びて、朝食はミニキッチンに置かれた、塩胡椒で味をつけた干し肉をパンに挟んで食べた。朝食の後、待てど暮らせど提督も供物の青年ヴィヤーダも部屋に訪れず、僕は本棚の書物を手に取って斜め読みをした。

 斜め読みで終わらせられるはずが無かった。かつてのグラハナトゥエーカの繁栄の記録の伝承であったり、蝕の民が流者である事を証明する医学的検証の記録だったり。これ程の蔵書を良くぞ集めたものだと感嘆が溢れ、夢中になって書物を読み漁った。昼食に手を止めるのすら時間が惜しくて、ドライフルーツとナッツを適当に摘んで終わりにしたくらいだ。

 扉をノックする音が響いたのは昼を過ぎて随分経った頃。邪魔しないでくれと喉まで出掛かった言葉を飲み下し、扉を空けて入って来た二人に視線をやる。

「やあ、早速やっているじゃあないか」

「世界中探して資料が見つからない筈です。此処に全部あった。貴方が独占していた」

 そう言ってやれば、人聞きが悪いなぁとクリストフ提督は苦笑した。

「私が書物を保護し、所蔵していた。君の様な蝕の民の賢人が現われるまで、私はともすれば処分されかねない書物を確保していたと言う訳だ」

「海洋学者ギルベルト氏の研究資料も此処にある。処分されたのではなく、貴方が隠し持っていた」

「うん。彼の研究は素晴らしかった。だからこそ、核心に迫りすぎたからこそ、否定された。だから、禁書にすらなり得た資料を私が確保した」

 確保した、としたり顔で言うが、蝕の民の危険性、異端性を千年前から確信し、それを洗練させて来たのだからこの人には驚かされる。洗練された蝕の民の情報は、僕と言う先祖返りであり、異端性を孕んだ人物の登場で真価を発揮する。

 世界の均衡を崩す決定的人材。破壊の力を持って、世界の終わりの王を生み出す存在。

「……貴方がこうして蝕の民を尊重してくれているのは分かりました。この資料たちは僕も興味がある。暫くの間は、協力関係に落ち着きましょう」

「やはり君は聡明だ。良かった。では、君の処刑についての話をしよう」

 急務だ、と言った僕の処刑について。昨日と同じようにソファに座った提督が「ヴィヤーダ君、紅茶を一杯頼むよ」とお決まりらしい台詞を口にして、茶缶を投げつけられていた。

「てめぇで煎れろ!」

「ありがとうございますっ!」

 何なんだこの二人は!


「君の処刑は三日後だ」

 結局提督自らがミニキッチンで三人分の紅茶を煎れて、新たに持ち込んだらしいクッキーを茶菓子に僕の処刑についての話が始まった。

「今日は朝からメーヴォ=クラーガ捕縛とその処刑についての緊急会議だった。ヴィヤーダ君は捕縛の手柄で報奨金が出たくらいだ。処刑は三日後に、ゴーンブールの最南端の街で実行だ。今日、国中に向けて君の捕縛と処刑を発表した。君たちの船も、三日あれば移動出来るだろう」

「仲間が僕を助けに来ると?」

 来るさ、と提督は笑ってティーカップに口をつけた。

「君の処刑の報を受けて、ヴィカーリオ海賊団は必ず移動し、ラースタチカ船長は処刑場に現われるだろう。何、君はこの部屋から出る必要は無いがね」

 何しろ、供物の獣ジズによる幻影の処刑なのだから。何て便利な話だ。精巧な幻によるメーヴォ=クラーガと、処刑人と兵士まで、全て幻で傀儡だ。それが人形劇よろしく舞台の上で処刑を演じる。

「で、ラースたちが来る事を予測しておきながら処刑を実行する。僕の幻を救わせるのか?何故三日後である必要がある。さっさと処刑したと事実だけを広めれば手っ取り早いと言うのに」

「この日でなくてはならない。三日後、空の太陽が消える。処刑は実行され、メーヴォ=クラーガは亡き者となると同時に太陽が失われ、蝕が起こる」

 日蝕が起こるのを予測していると言うのか?流石は供物とその契約者と言うべきか。天体予測まで可能なほどの知識を持っているのか。しかし、日食が起こる場で蝕の民の生き残りが処刑されるとなれば、それは世界的にも衝撃を与える事になるだろう。

「なるほど……それは民衆を虜にする素晴らしい処刑になるだろうな。だが、ヴィカーリオ海賊団の力を甘く見ないほうが良いぞ」

 それが幻であろうと、そこで仲間が殺されかけるならば、何も知らないラースたちは必ず妨害行為に出るし、僕の幻を救出するだろう。

「なに、妨害はさせない。君の使い魔をヴィカーリオ海賊団に帰還させる。それで君の無事を知らせれば、彼らも無駄な妨害はしないだろう」

 それだと、僕の無事を知る事になるのはラースのみと言うことになる。ラースの指示ならその場でどんな光景が広がったとしても、皆思い止まってくれるだろうか。海軍の処刑場で無駄な大立ち回りをして計画に支障が出ては意味がない。

 それよりも、鉄鳥を帰す事で僕が孤立する事も危険ではある。

「僕の使い魔を帰す事を条件に、僕の身の安全は確保されるんだろうな」

「勿論。君がいなければ我々の計画にも支障が出る。最低限でも、君には蝕の民の箱舟の場所を特定してもらわなければならない」

『あるじ様!わたくしめが必ずや船長殿に御身のご無事をお伝えします』

「……使い魔を帰す事で、首謀者である貴方たちの情報もヴィカーリオ海賊団に渡る事になるのも、承知の上か?」

 ニコニコと笑顔を崩さない提督が、案の定その対策についても口を開いた。

「それについても大丈夫。メーヴォ=クラーガの無事は伝えさせるが、私たちの記憶に関しては制限を掛けさせてもらおう」

 安心したまえ、彼が全て滞りなく施術してくれる、と提督は供物の獣の青年に手を翻す。

「勿論、残念な事に君に拒否権と言うものは無い。分かっているだろう?」

「ええ。最低限の条件が分かった上に、暫くはこれらの書物の研究が出来る事が分かってホッとしました。どうせ、使い魔が貴方たちの情報を持ち帰らなくても、僕の無事さえ分かれば、この場所や首謀者の情報など、彼らはいくらでも得る事でしょう」

 僕の処刑などと言う一大ショーを、本人主演ではなく幻影で見せるのは心苦しいが、その演出すら計画に取り込んでいくだろう。ヴィカーリオ海賊団の『力』と言うのは、そう言うものだ。

 裏打ちされた安心が、自信となって顔に出たのだろう。提督がパン、と手を叩いて、堪えるように口元を両手で隠して笑った。

「ふふふ。やはり、神は私たちを見捨てたりしなかった。待ちに待ったこの賢人を見たまえよヴィヤーダ君。なんと頼りがいがあり、心強い悪党では無いか」

「ケッ、知らねぇよ!」

 悪態で返した青年を他所に、提督は紅茶を飲み干して席を立った。

「君が物分りがよくて良かったよ、メーヴォ=クラーガ。残りの時間は、君たちの冒険の話を聞かさせくれないか?グラハナトゥエーカ再興の計画についても、その前提となる三海種の王たちの話も……蝕の民の失われた国について探った話も興味深いよ」

「折角ですが、お断りします。僕は一刻も早く此処の研究をしたい」

 すっぱりと断ると、目を丸めた提督が、やがてふにゃりと残念そうに表情を崩した。

「そうか、残念だ。なあメーヴォ=クラーガ。君たちの物語は語り継ぐべきだよ。編纂者を見つけたまえ」

 この世に必要だ。正義が正義として意味を成さず、人を騙し、陥れ、蹴落とし、それで平然と我が道を行く悪でなければ生き残れないこんな時代に、悪の物語は必要だ。

「一人の海賊が王になるまでの物語だ。多くの仲間と、多くの冒険、航海の日々。これは素晴らしい物語になるぞ」

 海賊たちの物語ね。それを楽しもうと言うのが海軍提督その人であり、最も正義と呼ばれるものに近しい存在である、神を敬うべき供物の契約者が悪を讃えている、こんな滑稽な話、誰が信じる。

「是非とも、終焉のその先で、海賊王の物語を聞きたいものだ」

「悪が悪で赦される世界を、供物の契約者である貴方が作り上げてしまえば、いずれ語られることでしょう」

 それは楽しみだ、と言って、提督はキッチンでティーカップを洗い出した。どうせすぐに彼らも退出する事だろう。僕はそれら全てを無視して、本棚から新たに数冊の本を取ってテーブルに広げ、解読を再開した。



 水晶に映る世界的な処刑を前に、思わず僕は悪態を言っていた。

「悪趣味だ。それに、あの場面であんな風に長口上するもんか」

 それを聞いたクリストフ提督は、ハハ、と乾いた笑いを落とした。横で聞いていた供物の青年ヴィヤーダは、ケッと小さく唾を吐いた。

 鉄鳥が真っ直ぐに空に向かって飛び、それをラースがキャッチしてから姿が消えた。レヴの影に隠れたのだろう。

 ラースの姿を見て胸がざわついた。心配を掛けている事、それでも僕の無事が伝えられた事、僕の首が落ちる様を見たであろうラースの感想が気になるとか、至極どうでも良い事まで脳裏を過ぎった。

 水晶の中で映像の再生が終わると、クリストフ提督が「どうだった?」と再度感想を求めて来たが「やっぱり悪趣味だ」と返して、目の前に広げた書物へと視線を戻した。


 処刑の日から何日経っただろう。

 暦が無いから仕方なく与えられた紙で日付を数えていたが、解読に集中する余りひと月ほどで数えるのを忘れ始めてもう数えていない。外からの情報は遮断され、日付の感覚も失われた。ただ窓から見える景色が移ろい行く事で僅かに季節が見て取れた。

 内陸の集落である事、農業が主な産業だろう事、水不足が続き、その後水害が起こった事だけが何となく知れた。部屋の温度は一定で変化する事無く、外に見える風景さえ、何処か別の土地の物を見せている幻なのではないかと思えるほどだった。

 ヴィカーリオ海賊団がその後どうなったか、教えて欲しいと言った所で提督は苦笑するだけで何も応えず、ヴィヤーダは口を開く度に「沈んだ」と悪態をついた。ならば、きっと彼らの計画に支障ない程度に、むしろそれ以上の成果を出しているに違いない。彼らがそ知らぬ態度を取っている間は、ヴィカーリオ海賊団は問題ない。

 僕の方はと言えば、もうほぼ箱舟の位置は特定していた。それを提督に開示する事無く、僕はひたすら蝕の民についての書物を読み漁った。頭の中に留めきれるだけの情報を得る為に、彼らについて、僕の興味の赴くままに文字を読み漁った。

 楽しい以外の言葉が見つからなかったし、ラースに申し訳ないと思いながら、今しばらく救出には来ないでくれと願っていた。

「薄情なヤツだな」

 部屋で僕の監視役に就いていたヴィヤーダが僕の胸の内を詠んだのだろう。何の前触れも無く僕に言い放った。

「言うが良いさ。僕の状況が分かれば、ラースだって許すはずだからな」

 ケッ、とやはり短く舌打ちをしてヴィヤーダはソファに座って僕を正面から睨み付けた。

「それが信頼か」

「……そうだろうな」

 彼が僕に対して話しかけてくるのは珍しかったから、ペンを置いて視線を少しだけ彼へと向けた。

 癖の強い黒髪に、金の瞳。見覚えがあると思った。彼のそれは灰燼海賊団の船長ニコラスのそれと似ているのだ。同じ供物の獣であった彼らは、人の形を取ると似るのだろうか。そんな事を問えば、きっと彼は激昂するだろう。彼のニコラスへの憎悪は計れない。

「お前の事なんざ探してねぇかも知れないんだぞ」

「……探しているさ。形振り構わず僕の情報を探っているだろうよ。だが、計画の進行も忘れない。ラースはそう言うヤツだ」

「クソ、お前なんか本当に処刑してやれれば良かったんだ」

 その言葉に引っかかりを感じた。供物だと言うのに、ニコラスのように冷静ではないように思えるし、彼には何処か幼稚さを覚える。カマを掛けてみるか?

「言ってくれるな。なら、さっさと殺せばよかったんじゃないか?」

「殺せねぇからイライラしてんだよ。ぶっ殺すぞ」

 殺せないとか殺すとか、どっちだ。

「お前も提督と一緒に千年も機会を伺い、待っていた。供物の契約ってのはどちらかの意志で解約出来るんだろう?それをしなかったんなら、お前だって彼を信頼しているって事だろ」

「うるせぇボケ!契約したところでこの千年間の事情を説明するのも面倒だし、今更アイツ以外の奴を探すのも面倒なだけだ!」

「なるほど」

 思わず少し笑ってしまった。長年連れ添った腐れ縁と言う事か。

 自分と共に神に仕えるはずだった仲間が先に往き、責を違え、一人頼るべきは事情を良く知る契約者一人。信頼の意味が分かるからこそ、海賊である僕の余裕が腹立たしいし、これ以上の機会は逃せないから僕を生かさねばならない。子供のように、矛盾する気持ちに折り合いが付けられないのだ。

「そろそろ話せって言われてんだ。聞けよ、俺の話を」

「何を話すって言うんだ?計画以外に僕に利用価値があるとでも?」

「そうだ。てめぇは陸の奴の後釜になる」

「……は?」

「お前は陸の供物になれ」

「直球で来たな。ええと……」

 何処から説明してもらうべきだ?なんだって?供物になれ?陸の?陸の獣はニコラスで、その責は既に神の元に返されたとか言ってなかったか?

 思わず目頭を押さえて、伊達眼鏡をかけなおした。

「陸の獣は灰燼海賊団のニコラス船長、と言う点を確認しておいて構わないな?彼は元供物の獣で、しかし神から与えられた供物の責を放棄した」

「そうだ。海賊なんぞに現を抜かした大馬鹿野郎だ」

「うん。で、だ。供物の役割ってのは人間が引き受けられるものなのか?」

「そうに決まってんだろ。供物の伝承知ってんだろ。供物は元々は人間だったんだ」

「……うん、そうだな。だが、既に失われている陸の供物の力をどう継承する。それは何故僕でなくてはならない?」

「それ説明しろってか。面倒くせぇな」

「説明してもらって、納得出来なければ力を得たとしても使う事が出来ない」

 至極正論を叩き付ければ、うぐっとたじろぎつつもヴィヤーダは口を開いた。

「海のも陸のもいない今、俺一人で世界を次のステージにシフトさせるには出力が足りねぇんだ。だからカミサマから、陸の奴の力を引き継げる奴を探せって言われてんだ、俺は」

 千年前、グラハナトゥエーカに流れ着いたのは、平行世界に存在した神だった。神とそれを慕う民たちが世界の均衡を崩し、世界は終焉を迎え、供物たちは契約者に自らの肉を食わせ、神の元へ還り次の世界へと成るはずだった。

 しかし海の供物が神の元に還った時、既に星の命の許容量が溢れていた。グラハナトゥエーカと共に海に沈んだ異世界の神の魂が、星の中へと還ってしまったが為に、溢れた生命力では新たな世界が創れないと神が判断した。神は供物たちを止め、失われた海の供物の力を三つの武具に分けて三海種の王たちへ託した。

 それから程なく、星に満ちすぎた生命力が人口増加と言う形で地表に現われた。大陸には人が溢れ、争い、人は道具のように使われる時代も訪れた。

「……生命力の浪費か。無駄に産まれ、無駄に増え、無駄に死ぬ。それを誰も咎めなくなる。生命の進化が止まり、停滞する……そう言う事か」

「察しが良くて助かる。お前らだって相当数の人間を浪費しただろう。海賊って奴らは気にくわねぇが、そこだけは褒めてやれるぜ」

 浪費され、消費された命は煮詰められ、洗練されて厳選された。だからこそ、このタイミングだったのだ。金冠日蝕の起こる日、人々が無益に殺され、星の生命力が研鑽される年、第二の海賊王がその国を興すこの時代!

「今の時代が世界の終焉に適しているのは分かった。何故、僕なのだ。海賊王の側近と言うのは分かる。世界の終わりに際して生き延びるべき人類を確保するグラハナトゥエーカの従事者である事も分かる。だが、それだけだ。それ以上に僕である必要性を聞きたい」

 思わず食い気味になっていた。僕の顔はヴィヤーダを真正面から捕らえていた。僕の真円の蝕の瞳はギラギラと輝いているだろう。

「お前が蝕の民だからだ」

 スパッと答えられたそれに、僅かに息を呑んだ。

「俺だって神に仕える神の一部だ。だが、力はあるが万能じゃあねぇ。一人で、世界の空だけ再生させたところで、人が乗るべき大陸が再生出来なきゃ、新しい世界にシフトする意味がねぇ。陸の供物を急造だとしても取り繕わなきゃいけない。それが神の意思だ。そして、失われた陸の供物の力に変わる力は、この世界の神が受け入れた異世界の神の力で補われる。だから、異世界の民の力を強く顕現させたお前でなきゃ務まらねぇんだ」

 突きつけられた事実に面食らった。なるほど、そう言う事で僕らは選ばれたのか。深く、溜息が込み上げた。

「……なるほどな。理解した。だから、全て偶然のようで必然的に事象が合致したのか。神のご意志、とやらは凄いな」

「俺がさっさとお前を始末したいのに出来ない理由が分かったか」

「ああ、ようやく理解した」

 ドラゴノアと呼んだあの世界の神たちと、その伴侶たる神子から加護を受けた僕が獣になる。なるほど、良く出来た話じゃあないか。

「引き受けよう。供物の獣がどれほどの力を持つのか、試してやる」

 僕の身体にこの世界の魔力が殆どなかった事の意味もようやく納得がいった。つまり僕は、異世界の神が持っていた膨大な魔力を受け入れるために空っぽだったんだ。ドラゴノアの神の力を内包し、やがてこの世界に馴染ませる為に僕は供物の獣になる。

 ああ、何て唾棄すべき神の計画。全て神とやらの手の内だ。

「クソッたれな神とやらに、次の世界も悪の跋扈する世界を作って中指を立ててやろうじゃないか」

「ケッ、クリスの言ってた悪の為の寓話が通用すれば良いがな」

 言って、ヴィヤーダは僕の額をバチンと指で弾いた。

「痛った!」

「チッ……本当にお前異世界の神の力を受け継ぐだけの器に用意されてたって事か」

「器……神子の加護か」

 叩かれた額を摩る内に、ジワリと脳に何かが染み込むのが分かった。ゾワッと鳥肌が立ったが、それが自分の中に馴染んでいくのも分かった。

 不思議な感覚を思い出した。幼い時に妹の手を繋いで家に駆け込んだ時の安心感の様な。家族や工房の従業員を全て殺した時の安堵感の様な。処刑場で「来い」と言った男の手を掴んだ時の高揚感の様な。懐かしさを伴った不思議な感覚だった。

「フンッ……俺はやる事はやったからな。あとはクリスの用件をやってやれよ!でないといつまで経ってもこっから出られねぇぞ」

「……なら、提督を呼んで、適当な頃に来るように言ってくれ」

 最後まで殊勝な態度の僕に苛立つように舌打ちを残し、ヴィヤーダは部屋から出て行った。



 数日後、クリストフ提督に蝕の民の箱舟が沈んだと思われる海域の座標を説明した。

「素晴らしい!」

 やはり彼はパンと手を叩いてその成果を喜んだ。



 見るかね?と提督によって部屋に持ち込まれた、比較的最近発行されたらしいゴシップ誌には『海賊王による民の選抜』『消えた住民』と言う記事があった。

 ゴシップ誌の発行日に、あの処刑から三ヶ月ほど過ぎている事が分かった。季節は確実に移り変わり、窓の外では冷たい風に人々が肩を寄せ合って、やがて餓死していく様が見えた。


 ゴーンブール海軍が大掛かりな計画に打って出たとヴィヤーダから聞いた。

「船のサルベージだ。あれは船の形をしてるがな、潜水艦って言ってな。海の中を自在に、大量の武器や兵士を搭載して移動出来る代物だ。信じられるか?鉄の船だ。遥かに高度な文明の技術だ。この世界の技術じゃあ歯がたたねぇ。だからゴーンブールはそれを手にして、終末に向けた大戦を起こすぞ」

 流石は供物の獣。並行世界に存在する高度な文明の知識すら持ち得ているんだろう。

「蜂の巣を突くだけの簡単な開戦だな」

 あっと言う間に貧民が死に絶え、僅かに残った兵士たちが飢えに苦しみながら敵国の弱った兵を殺す。陸地は混乱に満ちるだろう。

 だからこそ、海賊王は救い足り得る。

 

 それは満月の夜だった。

 何故か寝る気になれず、ソファに座って窓を眺めていた。窓の外には月明かりでぼんやり白む濃紺の空しか見えない。星の光すら、月の明かりに喰われて見えない。

 獣の力とやらを受け継いだらしい僕の頭の中は、まるで底なし沼のように部屋中にあった蝕の民の書物の文字を呑み込んでいった。同時に、それらは僕の奥に芽生えた懐かしさと合致していった。嫌な感覚ではなかったが、自分の中に別の誰かの感覚が芽生えたようで奇妙だった。それもいつか消えるだろう、と。不思議な確信があった。

 満月の夜に、月明かりが照らすのはすっかり人の居なくなった廃村。日照に水害、飢饉に徴兵。幼い者と老いた者が数を減らし、働き手は戦場に駆り出され、女たちだけでは力仕事もままならず、末端の小さな集落はどんどん無くなって、陸の人々はその数を減らしつつある。

 僕の処刑から半年と経たず、終末の戦の開戦が囁かれ、世界は終わり始めていた。

 動く物は風に囁かれた枯れ木が精々と言うこんな夜に、廃村を走る影があった。

 それは真っ直ぐにその建物に向かって走った。強く、誰かに呼ばれているような気がする。声は近付いていた。

 コンコン、とノックの音がした。

 背後の扉ではなく、ぴっちり閉じられたはずの窓が音を上げた。

 そこに何があるのか、僕には手に取る様に分かった。

 ドロリとした闇が窓を覆うと同時に、窓硝子にヒビが入った。音を立てずに、静かに窓硝子が割れ、闇が這い出した。

 ドロリ、と。闇から人影が立ち上がった。

「メーヴォ……!」

 待ちわびたその声に何と応えれば良いだろう。その言葉は分かり切っている。

「随分待たせてくれたな。来ないかと思ってたよ、ラース」

 月明かりに照らされた、木漏れ日色の髪の大きな三つ編み。

「お前な……それ今言うのかよ」

「良いだろ?僕らの再会にピッタリだ」

「ヘッ……その高慢ちきな態度、間違いなくお前だよ。無事で良かったぜ。帰るぞ、メーヴォ」

 差し出された左手を、僕も左手で握り返し、ソファから立ち上がった。

 まるでその瞬間を舞台裾で待っていたように、扉が開いた。その先に、提督と青年が立っていた。

 読まれていた?とラースが素早く構えたが、僕はそれを制した。

「ラース、必要ない」

 僕の言葉に驚いたラースだったが、手元の銃を収めた。

「行くのかね?」

「ああ、世話になった」

「残念だ」

 行こう、と驚いていて固まっているラースを促して、僕らは窓辺へと足を進めた。

「メーヴォ=クラーガ。最後に一つ聞かせてくれ」

 窓辺で足を止めた僕らに、提督が口を開いた。

「君は薔薇の女海賊、パセーロ=ローゼスを知っているかい?」

「……いいえ?噂程度は聞きましたが、存じ上げませんね」

「そうかい。では、良い旅を」

 提督の言葉を背に、僕らは窓から外へと飛び出し、仲間の待つ馬車目掛けて走り出した。


四章十話 おわり


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