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ぼくと執事と守りたい街  作者: たかと
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園長先生との再会

 施設に行ってみよう、そう思えるようになったのは交流会の二日後だった。


 ぼくの頭の中はぐちゃぐちゃだった。あまりにもいろいろなことがあって、まとまりがついていなかった。お主人として採用されるかどうか、おばさんの入院、佐伯選手の逮捕、施設がなくなったこと、ぼくを支えていたものが一斉に揺らいでいた。


 何か行動を起こさないといけない、そうしないと頭が壊れてしまいそうだった。一日ベッドで考えて出した結論は、ぼくの原点である施設へ行ってみることだった。そこに行けば何かがつかめるかもしれない。もう運営はしていないと言うけれど、取り壊されてはいないはず。


 朝食もそこそこにぼくは家を出た。夜まで戻ってこれないかもしれないと言うと、りょうちゃんはお弁当をつくってくれようとした。ぼくはそれを断わった。施設には、最低限のもの以外は何も持っていきたくなかった。


 施設は電車に揺られた二時間ほどの位置にある。といっても駅近くに建っているわけじゃないから、かなりの距離を歩かないといけない。幸いその日は曇り勝ちで、気温も夏としては低かった。タクシーはあえて使わなかった。


 汗をかいて到着した施設はがらんとしていた。きょうちゃんの言葉どおりだった。そこには誰もいなかった。フェンスに囲まれた敷地は静かで、子供の声は響いていない。置き去りにされた遊具は子供に遊んでもらえるのを待っているかのようで、建っている平屋の建物はどこか汚れて見えた。


 目じりに涙がたまるのがわかった。覚悟はしていたけれど、どうしようもない寂しさをおさえることはできなかった。


「仕方なかったんですよ」


 その落ち着いた声はぼくの横からしたものだった。そっちを見ると、品のいい服を来た白髪のおばさんがいた。


「いろいろありましたからね、存続させることは難しかったんです」


「どうしてもですか」ぼくは涙を拭った。


「ええ」


 おばあさんはフェンスの向こうを見たまま答える。


「大きく扱われましたからね、やむをえないんです」


「園長先生はいま何しているんですか」


 園長先生がこっちに顔を向けた。


「もしかして、悠太くん?」


 おばあさん――園長先生はぼくに顔を近づけた。そうですと答えると、目を丸くした。


「あら本当に? まあ、ごめんなさい。すっかり見違えてしまって。もう何年ぶりかしら」


「五年です」


「そう。もうそんなに経つのね」


 園長先生は懐かしむように目を閉じた。


「今日はどうしたの」


「確かめにきたんです」


「子供たちの様子を?」


「いえ、施設がなくなってるかどうかをです」


「そう。マスコミに大きく報道されたものね。じゃあ説明はいらないわね」


 園長先生は、ふたたび施設のほうを見た。


「見てのとおり。ここにはもう誰もいないのよ」


「あの話は、本当のことなんですか」


「あの話?」


「佐伯選手のことです」


「知らないの?」


 ぼくは無言で園長先生の目を見つめた。


「中に入りましょう」


 園長先生は鍵で施設の門を開けた。ぼくはその後についていった。


「あの子はね、とてもおとなしい子だったのよ」


 園長先生は狭いグラウンドに立ち、周囲を見回した。


「あなたと同じようにね。動物が好きな子で、いつも本ばかり読んでいた。ほかの子たちとも打ち解けることもなく、部屋の隅っこにいることが多かった。いまでも思い出すわ。あの子のさびしそうな横顔を」


 そう話す園長先生の口調は穏やかで、憎しみとか、そんな感情はうかがい知れなかった。


「先生は、恨んでないんですか」


「佐伯くんのこと? ええ、恨んでないわよ」 


「どうしてですか。彼のせいで、施設は潰れたんですよ」


「どうしてかしらね。子供たちの次の場所は見つけることができたし、ほかの先生の仕事も見つかったからかしら。もともと存続が危ぶまれていたこともあって、覚悟はできていたという部分もあるわね。それに申し訳ないという気持ちがあるからかもしれないわね」


「申し訳ない、ですか」


「ええ。あなたも知っているように、あの子は有名になっても頻繁にここを訪れていた。それは子供のためであると、ずっとわたしは思っていた。子供たちに生きる力を与えるために、自分の言葉で勇気付けるために、施設に足を運んでいたとばかり思っていた。でも本当にそうだったのかしら、と後でふと思ったの。あの子にはもっと違う目的があったのではないかと。わたしたちはあの子に感謝するばかりで、その気持ちに気づいてあげることはできなかった。あの子はきっと、わたしたちに話を聞いてもらいたかったのだと思うわ。あんなふうに立派になったからこそ、甘えられる場所を欲していた。彼はまだ子供だったのね。わたしはその気持ちに気づいてあげることができなかった。あの子を救世主みたいに扱うばかりで、彼の本心に気づいてあげることはできなかった。わたしはそれを後悔しているの」


 ぼくのイメージの中の佐伯選手はとても強い人だ。けど、園長先生のその話を聞いてぼくは思い出した。佐伯選手は時折、不思議な表情を浮かべることがあったのを。それは無表情に近い、けれどなにかしら感情をうかがわせるような表情だった。遠くを見るような目をしているのにどこも見ていないような感じで、なんだか子供みたいだな、と思ったことがある。


「だからね、この前、彼に会いに行ったの。気持ちに気づいて上げられなかったことを謝りたかったし、繊細な子だったから、万が一のこともありえるんじゃないか、そういう心配もあった。でも、彼は思いのほか元気だった。悩んでいる様子なんてなかった。時折笑顔も浮かべて、それは自然な表情に見えた。心労をうかがわせるしぐさもなかった。今後の活動について語る余裕もって、前向きだという印象を持った。わたしはほっとした。これなら大丈夫、と雑談をする程度で済ませ、わたしは家に帰った」


 園長先生は口元を手で覆った。


「そして、愕然とした。施設のときと同じように彼が大人を演じていたことに、そこで気づいたの。いいえ、無意識のうちに一歩身を引いていたのかもしれない。本音では慰めを求めていることを知っていたのに、誰かに心の壁をやぶってほしいと願っていることも知っていたのに、わたしはそうしなかった。彼が弱い人間であることを認められず、彼が子供たちの英雄であることを否定したくなかった」


 二本の腕がぼくを包んだ。


「ごめんね、ほんとうにごめんね」


 園長先生に抱かれ、ぼくは目をつぶった。そうして施設時代の記憶を甦らせた。

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