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ぼくと執事と守りたい街  作者: たかと
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友達との再会

 八月に入ってまもなく、交流会が行われることになった。


 交流会とはお主人同士がお互いの龍館を訪問しあい、話し合いの場を持つイベントのこと。お主人というのは家で過ごすだけで生活できる職業。そうなると中にはこもりがちになる人もいる。外との接触を極端に絶ってしまうと、それは不健全な精神状態につながり、龍館にとってもよくない。


 それを防ぐ工夫として考えられたのが今日行われる交流会。定期的に外からの刺激を与え、常に人らしくあることを意識させる。家に誰かを招いてもてなすという行為は、建物にも建物らしいという自覚を促す効果があるという。ちなみになぜお主人同士となっているかというと、一般の人は仕事でもないと龍館の中に足を踏み入れることには抵抗があるからだ。


 いまだに龍館で暮らしているぼくは、はたして交流会を開く権利があるのか疑問に思っている。違和感というべきかもしれない。こうして玄関ホールで相手が来るのを待ちながら、そばに控える執事のほうを目だけを動かして見る。執事は相変わらず態度をはっきりさせていない。採用とも不採用とも言わずに、ぼくは宙ぶらりんの状態が続いている。


「前を向いておけ」


 執事が前を見たままそう言った。人の気配を感じ取ったらしいことがまもなくわかった。コンコン、とノッカーの音がした。


 今日来ることになっているのは、りょうちゃんのお姉さん、葵さんが担当している子だという。女性のお主人で、年齢はぼくと一緒らしい。一年くらい前からお主人をやっているらしいから、一応は先輩ということになる。どんな人がくるんだろう、ぼくは緊張に身を固くしながら、執事が扉を開けるのを待った。


 ゆっくりと観音開きの重厚な扉が開いていく。明るい日差しが館内に入り込む。


「ゆうくん?」


 扉の向こうにいたのは、知り合いの女の子だった。



「それにしても驚いた。まさかゆうくんがご主人だとは思わなかったから」


 応接間のソファに座るなり、きょうちゃんは言った。ぼくの正面にいる松木響子、通称きょうちゃんは施設で一緒だった女の子だ。


「いつころからやってるの?」


 執事が淹れた紅茶に口をつけ、きょうちゃんは言った。


「一月前くらいかな」


「もう正式な契約はした?」


「ううん、まだ。きょうちゃんはちゃんとしたお主人なんだよね」


「うん。もう一年やってる」


「すごいね。立派なお主人なんだ」


「そうでもないよ。まだまだ未熟。この前も感染者による事件が起きたし」


 こうして話していると、自然と過去の記憶が甦ってくる。きょうちゃんは施設時代の数少ない友達といえる女の子だった。すごく元気な子で、誰とでも仲良くなれるという印象があった。いつも笑顔が絶えなくて、ぼくみたいにふさぎ込むような子にも明るく声をかける、きょうちゃんはそんな子だった。


 ずいぶん変わったな、とぼくは思う。改めてきょうちゃんを観察すると、昔の印象とはずいぶん違っている。最初に見たとき、彼女がきょうちゃんであることに気づけたのが意外に思えてくる。


 まったくの別人というほどではないけれど、おかっぱみたいな髪型は肩を越える長さまで伸びているし、顔立ちもはっきりしている。化粧でもしているのかな。しゃべり方は落ち着いているし、黒いドレスも大人びている。きょうちゃんと別れたのはぼくが一之瀬家に移ったときだから、およそ五年ぶりの再会だった。


 それにしてもどうしてきょうちゃんはお主人をやっているんだろう、とぼくは疑問に思う。そこにはなにか理由があるはずだけど、ときょうちゃんの顔を見詰めていると、彼女と目が合う。恥ずかしさに、ぼくは目をそらした。きょうちゃんは気にした風もなく懐かしそうに笑った。


「ゆうくんは変わってないね。あの頃の面影がそのまま残ってる」


「まだ五年しか経ってないし、そんなに急には変わらないよ」


「五年、か」


 きょうちゃんはそうかみ締めるように言った。


「うん。ついこの前みたいな感じもするけどね」


「そうだね。わたしも同じ。あの頃の記憶はすごく鮮明に残っている」


「ぼくはあんまり思い出したくはないよ」


 それが本音だった。施設での記憶はどうしても両親の死と直結してしまう。


「そう? わたしは逆。あのころが一番楽しかった。十年ちょっと生きてるだけでこういう表現は大げさなのかもしれないけど」


 きょうちゃんはくすりと笑った。


 そういえばぼくはきょうちゃんの過去を知らないな、とぼくはぼんやり思った。


「まあ、佐伯選手と出会えたことくらいかな、いい記憶って言ったら」


「ふーん」


 そう言ってきょうちゃんは窺うようにしてぼくを見た。


「ゆうくんは、もしかして知らないのかな。あのこと」


「あのこと?」


「うん」


 そう言った後、きょうちゃんはしばらく口を開かなかった。


「ねえ、一つ聞いてもいいかな?」


「何?」


「ゆうくんはさ、最近施設に戻ったことある?」


「施設に? ううん」


 ぼくは首を振った。


「施設を出てからは、一度もないけど」


「いま施設がどんな状況にあるのかも知らない?」


「なんのこと?」


 思わせぶりな発言に、ぼくの胸がざわついた。なんとなくいやな予感がした。


「あの選手に関係してるんだけど」


「佐伯選手がどうかした?」


「そう、よく施設に来ていた、あのサッカー選手がね」


「うん」


「捕まったの」


 ぼくは耳を疑った。というか確実に聞き間違いだと思った。つかまったなんて物騒な言葉が出る場面ではない。


「いまなんて言ったの?」


「警察に逮捕されたの、あの選手が」


「警察に? 逮捕?」


 警察に逮捕。それじゃまるで犯罪者じゃないか。ぼくはバカらしくなって笑った。


「何言ってるの、きょうちゃん。佐伯選手が警察に捕まるわけないじゃないか」


「その様子だと、本当に知らないみたいだね」


「知らないも何も、そんなことありえないよ」


「ありえない」


 きょうちゃんはそうつぶやくように言うと、薄く笑った。すごく冷たい感じのする笑い方だった。


「じゃあ、ゆうくんはあの選手の近況を知ってるの?」


「佐伯選手は怪我をして、療養中だけど」


「怪我の箇所は?」


「足だけど」


「そう、彼は接触プレーで足を骨折したんだよね。それはいつのこと?」


「ねえ、りょうちゃん。これって」


「いいから答えて」


「四月だよ」


「いまは何月?」


「八月だけど」


「彼はまだ復帰していないよね。それはどうして」


 正直なところ、それはぼくも疑問だった。佐伯選手の怪我は骨折とともに靭帯も損傷していて、最低でも全治二ヶ月とされていた。あれから四ヶ月経ったいまなら、もう治っていてもおかしくない。


 佐伯選手の所属しているチームはこの町とは関係がないし、大きなクラブでもないのでテレビではやらない。ぼくが仕入れる情報と言うのは雑誌やテレビからの結果でしかない。先発に名前を連ねているか、ゴールを決めたか、それだけの情報でぼくは一喜一憂する。ぼくの興味はチームではなく、佐伯選手個人だったのでしばらくは雑誌も読まずにいた。


 そろそろ復帰したかな、と六月くらいに久しぶりにサッカー雑誌を開いてみても、彼の名前は載っていなかった。そのときはまだ完治していないのだろうと思った。毎週雑誌を立ち読みでチェックしていても、佐伯という名前は一向に出てこない。テレビ番組のダイジェストでもやらない。ぼくはかなり心配していた。彼はすでに三十歳を過ぎていて、サッカー選手としては高齢とみなされる場合が多い。怪我をきっかけに、チームの構想から外れてしまったのではないか、とぼくは危惧していた。


「警察に捕まったからだよ」


 きょうちゃんはぼくの危惧を否定した。悪い形に。


「未成年の女の子とホテルに一緒にいったから」


「未成年?」


 ぼくの声が震えている。


「そ、それのどこがおかしいのさ。十九歳だってべつに結婚はできるんだよ」


「少女と言ったほうがわかりやすいかな。十五歳の女子高校生って週刊誌には書いてあった」


「じゅ、十五歳」


「中学を卒業したばかりの、という点がかなり強調されていたよ」


「だとしても、ホテルに入ったのがいけないなんてことはないよ。気分が悪くなったとか、食事をおごったとか、そういうことだってありえるじゃない」


 そうだ、とぼくは自分に言い聞かせた。施設の出身者の子が佐伯選手にご飯とかおごってもらったのを、誤解されたに違いない。高級なホテルのレストランというのは、恵まれずに育った子供たちには憧れの場所だ。


「警察だってそこまでバカじゃないよ。そもそもラブホテルだよ。そこに入る目的なんて一つしかないよ」


「ら、ラブホテル?」


「そうだよ。普通の高級なホテルだと思ってた? 違うよ。あの選手は、中学を卒業したばかりの女子高生とラブホテルに行って、警察に捕まったの」


「う、嘘だよ」


 ぼくはソファから立ち上がった。


「そ、そんなの、でたらめに決まってる! 佐伯選手がそんなことするわけないじゃないか!」


「事実だよ」


 きょうちゃんは冷めた目でぼくのことを見上げた。


「その影響で彼はサッカーチームを解雇された。試合に出ていないのはそのせい」


「し、信じられるわけがない」


 ぼくは拳を握り締めた。


「だって彼は、彼は」


「未成年が関わっている神経質な話題。だから、マスコミでも一時的に大きく報道はしたけれど、すぐに下火になった。こういうの扱いが難しいし、事件ならほかにもある。サッカー雑誌ではそういうこと大々的に特集なんて組まないだろうし、ゆうくんが知らないのもおかしくないのかもしれない」


「……」


「でもこれは事実。ちょっと前の週刊誌を見れば乗っているし、知り合いに聞けば知っている人のほうが多いと思う」


 きょうちゃんは嘘をつかない子だった、とぼくはふいに思い出した。わたし嘘は嫌いが口癖で、ほかの子供の嘘にも厳しいのがきょうちゃんという子だった。ぼくがあることで嘘をついたとき、思い切り殴られた痛みは昨日のことのように思い出せる。次に嘘ついたら、一生口を聞いてあげない。そう言ったときのきょうちゃんはほんと鬼のようだった。


「でも、でも、そんなの」


 信じたくはない。でもきょうちゃんは嘘をつかない子だし、そもそもそんな嘘をつくメリットがない。ぼくは少しでもその可能性を頭に思い浮かべ、愕然とし、崩れるようにしてソファに腰を下ろした。


「ねえゆうくん、その結果何が起こったかわかる?」


「何が」


 ぼくは力のない声で聞き返した。全身が急に重くなり、考えることが面倒になった。交流会の目的なんてどうでもよくなり、頭の中は佐伯選手のことだけで占められていた。


「施設がなくなったの」


 ぼくの頭が真っ白になった。


「施設の運営って結構厳しいんだよね。子供を養うだけでもお金がかかるし、保育士なんかの人件費も馬鹿にはならない。わたしたちのいたところもそう。財政状態はきつくて、いつなくなってもおかしくなかった」


「……」


「それを支えていたのがあの選手。自分の年俸から支出するだけじゃなく、懇意にしている企業や資産家も回ってお金を集めていた。施設の存在がマスコミに取り上げられ、全国から寄付も集まった。おかげで施設の運営はうまくいっていたんだよね」


「……」


「でも捕まった。彼はプロではなくなり、支援者もどんどん手を引いていった。寄付もなくなった。子供に手を出した男が親をなくした子供たちに援助をしていた、これじゃ風聞が悪すぎるもん。関係していると思われるのもいやだしね。そういうわけで施設の存続は不可能になった」


「きょうちゃんがお主人になったのは、施設を救うためなの」


 ぼくは声を絞り出して聞いた。


 きょうちゃんはうなずいた。


「うん。あの選手が逮捕されたのは最近のことだけど、どの道プロでは長くやっていけないから。引退したらあの施設がどうなるかはわからない。だからわたしが変わりに支援しようって思ったの。ご主人なら安定した収入があるから」


「でも、きょうちゃんには夢があったよね。学校の先生になりたいって、何度も言ってたよね」


「うん。でも、もう諦めたよ」


 きょうちゃんはさばさばとした口調で言った。


「あの施設を救うためならなんでもする、それくらい感謝してるんだ。あの施設やそこで働いてる人たちのおかげでいまの自分がある。思い出もたくさんある。あそこを絶対につぶしたくない」


「でも、もうないんでしょ」


「再開することはできるよ。前より規模は小さくなってもいい。お金をためて、わたしが取り戻す」


 静かな口調で語るきょうちゃんに、ぼくは圧倒されていた。きょうちゃんから伝わる真剣で強い想いに、それが事実であることを確信した。


 ぼくはなんだか恥ずかしくなった。そんなこと、一度だって考えたことがなかった。


「子供たちは、どうなったの?」


「ほかの施設に移ったの」


 よかった、とぼくは思った。突然見捨てられたりはしないだろうけど、気分が落ち込む中で、どうにかよい情報を見つけようとぼくは必死になっていた。


「ねえ、ゆうくん。さっきの質問、わたしがしてもいい?」


 ほっとしていると、きょうちゃんがそう聞いてきた。


「どうしてご主人になろうと思ったのか、その理由を教えて」


 一之瀬家にいづらくなったから、とぼくは答えた。どうにもなじむことができなくて、家を出てきたのだと。


「ふーん、そうなんだ」


 きょうちゃんは紅茶の入ったカップを持ち上げ、液体の表面に息を吹きかけた。


「一之瀬さんってよさそうな人たちにみえたけど、実際はそうじゃなかったのかな」


「そんなことはないよ」


 悪い人たちではなかった、とぼくはテーブルに視線を落として続けた。確かにおばさんの態度なんかが冷たいと感じることはあったけれど、虐待みたいなことは一切なかった。ただ、ちょっとしたすれ違いがあったりして、関係がぎくしゃくしてしまったのだと。


「ちょっとした、ね」


「うん。いろいろ気を遣うこともあって、結構大変だったんだ」


「そっか。じゃあ一之瀬さんは納得したんだ」


「ううん。何も言わないで出てきたんだ。そういうこと言うのも面倒だったし」


「面倒、ね」


「あ、そうだ。ぼくも協力するよ。施設を助けるために」


「最低だね」


 ぼくが顔を上げたとき、きょうちゃんは笑っていた。子供の時と変わらない晴れやさわやかな笑顔だった。聞き間違いかな、と思った次の瞬間、ぼくはずぶぬれになっていた。きょうちゃんがぼくにむかって紅茶をぶちまけたのだ。


「ゆうくん、最低だよ」


 ぼくは呆然として、瞬きを繰り返すことしかできなかった。生ぬるい液体が全身を流れ落ちている。


「ちょっとしたすれ違い? 関係がぎくしゃくした? ゆうくん、君、何言ってるの、何ふざけたこと言ってるのよ!」


 きょうちゃんは笑顔を消して、恐ろしい形相で立ち上がった。怒っている。きょうちゃんはなぜか怒っていた。


「ねえ、わかってるの。自分がどれだけ恵まれてるか、ゆうくんはわかってるの!? 施設で暮らしている子供たちの中で引き取り手があるのはほんの一部なんだよ。わたしだってそう。多くの子供たちは家族を持てずに世の中に出て行かなければならない。それって大変なことだよ。学費なんかの現実的な問題ばかりじゃない、進学したり就職したりで環境が変わったときの精神的な支えとか社会に適応するための助言とか、そういうものって家族がいるといないのでは全然違う。なにか困ったときとか、悩んだりしたときとか、近くにいるだけで強くなれる、そういうのが家族なんだよ。そしてそれは望んでえられるものじゃない。お金を払えばつくれるものじゃない。それをゆうくんは自分で捨てたって言うの、ちょっとしたすれ違いでゆうくんは家族を捨てたって言うの!」


 ものすごい剣幕に、ぼくは目を合わせていることができなかった。うつむきながら言い返した。


「ぼ、ぼくだっていろいろつらかったし」


「つらかった? 何甘えたこと言ってるのよ! それくらい我慢すればいいじゃない! 一之瀬さんは血も繋がっていないゆうくんを家族として迎えてくれた。それ以上、望むものなんてどこにあるっていうの!」


「でも、でも」


「ゆうくんは考えた? 施設で暮らしてる子供たちの顔を、少しは思い返してみたの? してないよね。そうしてたら絶対にそんなまねできないもの。家族を捨てるなんて、そんなひどい裏切りは、絶対にできない」


「一之瀬のみんなは、ぼくの家族じゃない」


「ゆうくんはわがままだよ」


 きょうちゃんは扉に向かって歩き出した。


 待ってよ、とぼくは呼び止めた。きょうちゃんは足をとめた。ぼくは言うべき言葉が見つからなかった。


「さよなら」

 最後にそう言って、葵さんとともに部屋を出た。

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