メイドとの出会い
執事に対するぼくの疑惑は、龍館につく途中でいったん消えることとなった。森の道でひとり立ち止まっていると、背後から声がかかったからだ。橘くんの話を何度も頭の中で繰り返していたぼくが振り返ると、そこには二人の女性が立っていた。
ぼくは目を疑った。驚いたのはその格好だった。そこには二人のメイドが立っていた。レースのついたエプロンみたいな服を着ていたから一目瞭然だった。二人とももちろん女性で、年齢は若干離れている。ひとりは二十歳前後、もうひとりは中学生か高校生くらい。姉妹みたいに見える。青々しく葉を茂らせる木に挟まれた道をこちらに向かって歩いてくる。
「ちょっとよろしいですか」
年上のメイドさんがぼくの目の前で立ち止まった。凛々しい顔をしている。後ろで一本に束ねられた髪の毛が肩に垂れている。
「もしかしてあなたが、龍館のご主人でしょうか?」
メイドさんはぼくのことを知っているらしい。一応この町では有名人らしいからそれはおかしくない。それにしてもメイド? どうしてこんなところにいるのだろう。そういえば以前、執事がメイドも龍館で働いてるなんて言ってたけど。
「そうですけど」
ぼくは警戒心を拭いきれず、疑わしそうに答えた。それを察したのか、年上のメイドさんは晴れやかな笑顔を浮かべた。その瞬間湧き上がった警戒心はすっと消えていた。
「やはりそうですか」
メイドさんは二人揃ってきれいなお辞儀をした。
「はじめまして。龍館保存協会より派遣された瀬野と申します」
「龍館保存協会?」
聞いたことのない単語。龍館というのはぼくがお世話になっているあの洋館だろうけど、保存協会とはなんなのだろう。
「ご存知ないですか? 葛西から何も聞いてません?」
「かさい?」
と聞いてぼくが真っ先に思い浮かべたのは火事のそれだった。話の流れですぐに違うと気づき、続いて家庭裁判所の略称に切り替え、それもおかしいと却下をすると、ほかに思い当たる言葉はなかった。
「葛西とはこの先の龍館に勤める執事の名字ですよ」
かさいかさい、とつぶやくぼくにメイドさんが教えてくれた。それでぼくは葛西という漢字を当てはめることができた。葛西。執事の名字。これまで執事としか呼んでいなかった人物の苗字を今日、初めて知った。
「ご存知なかったんですか?」
ぼくは無言でうなずいた。
「重ねて失礼ですけど、龍館のご主人で間違いないですよね」
その聞き方にはぼくを不審に思っているというよりは、状況をはかりかねて困惑しているような響きがあった。
「一応、お主人とは呼ばれていますけど」
「一之瀬悠太さんですよね」
「はい、そうです」
そういえばぼくはまだ一之瀬悠太なのだろうか。お主人として正式に契約した場合、戸籍も龍館に移されると聞いていた。そうなった場合、はたして名字はどうなるのだろう。葛西とかになるのだろうか。
「普段は葛西のことをなんと呼んでます?」
「え? 執事とか君とかですけど」
「何かしらの名前では呼んでいない」
「ええ」
「そうですか。状況はだいたいわかりました。あら」
ふいにメイドさんがしゃがんだ。地面に手をつき、何かをつかむ仕種をした。
「封印が緩んでいるようですね。とりあえず、龍館へ急ぎましょう」