インタビュー
「ちょっと君、待ちたまえ」
週明けの月曜日、授業の終わった放課後、教室を出ようとしたぼくはそんな声を背後に聞いた。友達のいないぼくはまさか自分に向けられたものだとは思わず、バスの時刻表を思い浮かべながら廊下を歩いていた。
「おい君、聞こえないのか」
階段を降りる寸前に肩をつかまれた。
さっきの声だ、と思いながら顔を振り向かせる。そこには腕を伸ばす男子生徒が立っていた。
「え、ぼく?」
「そうだ、君だ。一之瀬悠太くん」
ぼくは完全に振り返り、その男子に向き直った。メガネをかけた真面目そうな人物。記憶にない顔。
「だ、誰?」
「ぼくは橘佳澄。報道部に所属している二年だ」
「報道部?」
聞いたことがない。というかぼくは部活に入るつもりは最初からなかったので、どういった種類の部活が存在しているのかすら把握はしていなかったのだけれど。
「悪しき新聞部から独立したばかりの新興の部活だ」
「その報道部がなんの用?」
実のところ、ぼくは急いでいた。龍館に帰るにはバスに乗る必要がある。龍館前、なんてバス停は存在していないから、もっとも近いバス停から歩く必要がある。これが結構距離があって、徒歩で軽く一時間はかかる。そもそも龍館とは人が近づかないことを前提としているわけだから仕方がないわけだけれど、暗くなってから鬱蒼とした木々の間を歩くのはできれば避けたい。
「君の話を聞きたくてね」
橘くんは人差し指で軽くメガネを押し上げた。
そう言われ、ぼくが真っ先に思い浮かべたのはタクシーの運転手の事件だった。報道部がどのようなクラブかはわからないけれど、報道と名前がつくなら事件というものに興味をもってもおかしくはない。
「あの事件について話せることは何もないけど」
事件の第一発見者となったぼくと執事は、長く拘束されることはなかった。警察署で軽く事情を説明すると、その日のうちに解放された。警察官の態度も高圧的ではなく、というかむしろ腰が低いくらいで、龍館まで送ってくれたパトカーの車内でもこちらのことをいろいろ気遣ってきれたほど(精神的に不安が残る場合はいい先生を紹介します、みたいな感じで)。事件が起こったときの定説であるまずは第一発見者を疑え、というのは龍館に住んでいる人物には適用されないらしい。この土地で自分たちがいかに重要な存在で、どれだけ大切なことをしているのかを思い知らされた瞬間だった。
「興味があるのはタクシー殺害の件ではない」
橘くんは言った。
「被害者は目をつぶされていた、ということはおそらくカゲクイに精神を犯された感染者の仕業だろう。模倣犯の疑いもあるが、どちらにせよ、執事とお主人である君たちが犯人でないことは明白だ。一度カゲクイに犯された人間は殺害衝動を抑えられなくなるし、龍館に住む人物が邪気を持っていては、結局のところ遠くないうちにカゲクイに犯されるのは必定。長く龍館に勤めている執事のそばでそのような犯行に及ぶのは不可能、というわけだ」
目つぶし魔は全国各地に存在する。何かしらの事件、殺人事件が起こると、数回に一回は被害者の目をつぶして殺すという犯行がある。ぼくはそれを以前から不思議に思っていた。まったく関係のない事件で、なぜここまで同じ殺害方法が共通するのだろう(目をつぶした後に殺害する、という場合も少なくはない)。たとえば刃物で人を刺すとか、毒殺というものなら続けて起こってもおかしくはないように思う。けれども目をつぶすという行為はどこか特殊性があるように感じられる。
執事はその答えを教えてくれた。目をつぶすという殺害方法は主にカゲクイの影響で人を殺してしまう場合だという。カゲクイに精神を乗っ取られたその被害者でもある犯人には、正常な心が残っていることも少なくないらしい。たいした悪意もなく犯罪に走るとき、彼らは醜い自分を見られたくがないため、最初に相手の目を刺すという行為に及ぶのだという。
「ぼくの興味があるのはずばり、お主人としての君だ」
「お主人としてのぼく」
「先代のお主人が死んでからもうすぐ八年が過ぎようとしている」
橘くんは難しい顔で語りだした。
「その間、お主人の座は空白のまま、誰もその責任をまっとうしようとはしなかった。幸いこれといった悪影響はなく――まあ今回のように時折殺人事件が起こるのは龍館を持つ町の宿命として――さほど危機感を募らせることもなく暮らすことができていた。ところがだ。君。よくよく考えればそれはいわゆる嵐の前の静けさと言うやつで、決して安心できるような状況でないことに最近気づいたわけだ。龍館の下で眠る蛇穴はおよそ十年周期でその力を活発化させる習性を持っている。力が強くなるということはつまり、この町、およびその近郊で殺人事件が発生する確率が高まるというわけだ。執事があまりに有能だったがためにこの町の人間はそのことをすっかり忘れていた。気づけば十年周期は目の前まで迫っていて、しかも現状はお主人がいない。これは非常に危機的な状況で、一刻も早くお主人を確立しなければならない。執事は確かに有能な人物で、本人もお主人などいなくても乗り切って見せると自信を覗かせているらしいが、お主人がいたほうがましであることも事実。だがしかし、好んでお主人になろうなどという奇特な人間はこの町にはいない。先代があのような悲惨な死に方をしたとなっては、二の舞はごめんだと思うのも無理はない。ではどうしよう、と行政も頭を抱えていたところに一之瀬悠太くん、君が現われたということだ」
先代。そういえば、これまでにそういうことを意識することはなかった。ぼくがお主人になれたのは、誰もそれをやりたがらなかったからで、考え方を変えれば以前には当然そういった人が存在していたということ。そしてぼくがこうしてお主人になれたということは(まだ仮らしいけれど)、何かしらの理由で、その座から先代が去らなければならなかったということ。
それが悲惨な死に方? 先代のお主人は死んでしまったから、お主人ではなくなった? もうこの世にはいないということ?
冷静に考えれば、何もおかしくはないのかもしれない。人を狂わせるカゲクイ。その発生源である蛇穴の上で暮らしているぼくが安全だなんてことはありえない。
「君はまさにこの町の救世主というわけだ。その人物に興味を持つのはこの町の住人として当然だし、同じ高校に通うものとしてそれを報道する義務がある。違うかい?」
「あの、悲惨な死に方ってどういうことですか」
「君はそんなことも知らないのかい。ああ、そういえば君はこちらに移ってきたのか。いや、悪かった」
橘くんが謝ったのは、ぼくの生い立ちを気遣ったからだ。ぼくが一之瀬家の養子であることはみんな知っている。
「それでなんだったかな。ああ、先代のお主人についてか。先代のお主人なら君、殺されたのだよ」
「殺された? 誰にですか」
「執事だよ」
「執事?」
ぼくは耳を疑った。執事がお主人を殺した?
「え、どうして彼がそんなことを」
「どうやらきみはまだ詳しい説明を受けていないようだね。わかった。ぼくが教えてあげよう。執事には二つの仕事がある」
橘くんは指を二本突き立てた。
「まず一つ目は龍館を機能させること。お主人とともに日常生活を営み、町へと出ようとするカゲクイを処分することがこれに当てはまる。そうしてもう一つが」
指を一本折って、橘くんは続けた。
「カゲクイによって暴走するお主人を殺すことだ」